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不遇の巨城・福井城の歩き方、家康が直々に指導したと言われる縄張り、石垣に見られる本来の壮麗さと堅固さ 通好みの名城・福井城(後編) | JBpress (ジェイビープレス)
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不遇の巨城・福井城の歩き方、家康が直々に指導したと言われる縄張り、石垣に見られる本来の壮麗さと堅固さ 通好みの名城・福井城(後編) | JBpress (ジェイビープレス)
そんな福井城も、明治維新以降は公共用地や市街地となって、二ノ丸以下の石垣・堀も徐々に姿を消してい... そんな福井城も、明治維新以降は公共用地や市街地となって、二ノ丸以下の石垣・堀も徐々に姿を消していった。さらに、第2次大戦時の空襲と昭和23年(1948)の福井大地震によって市街地は壊滅的な被害を受け、県庁となっていた本丸以外は復興の過程でほぼ消滅してしまったのである。忠直の件といい、空襲・地震が相次いだことといい、何とも不遇な名城なのだ。 したがって、福井城を歩くときのポイントは、巨城の面影をいかに見出すか、にかかっている。見映えのする城=名城などという、つまらない先入観を捨てて向き合えば、この城本来の壮麗さ・堅固さを理解するのは、それほど難しくはないのだ。 まずは、県庁の敷地として残った本丸を、じっくり歩いてみよう。多少なりとも城めぐりの経験がある方なら、堀幅が広いこと、石垣がしっかりしていることに気付くはずだ。 石垣がよく整っているので、一見すると本丸は四角いプランをしているように思え