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>>第一節 近世の明智光秀像 第二節 近代の明智光秀像 儒教的主従観念の相対化 前節で取り上げた『絵... >>第一節 近世の明智光秀像 第二節 近代の明智光秀像 儒教的主従観念の相対化 前節で取り上げた『絵本太功記』のような例外はあるにせよ、江戸時代において明智光秀は基本的に「逆臣」として非難された。前述の通り、儒教的倫理観に則のっとった場合、いかなる理由があろうとも、主君への反逆は肯定されないからである。 もちろん、儒教にも暴君への反逆を正当化する考え方はある。これを放伐説という。周の武王が殷の紂王を討ったのは放伐の典型であり、『絵本太功記』は放伐説を引くことで、光秀の行為を正当化しようとしている。 だが儒教において、放伐説は必ずしも有力な考え方ではなかった。江戸時代に最も影響力を持った儒教の学派は、いわゆる朱子学である。一般に朱子学は放伐説を採用したと言われている。朱子学は儒学の経典のうち『孟子もうし』を特に重視しており、『孟子』は放伐を肯定しているからである。 けれども中国思想史学者の小
2020/12/07 リンク