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成りたかった幻影としてのバブル時代とブルゾンちえみ|みやずまみやず
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成りたかった幻影としてのバブル時代とブルゾンちえみ|みやずまみやず
先日、海外から来た人が「ブルゾンちえみ」がすごい面白かったという話をしていて、そうか、ブルゾンち... 先日、海外から来た人が「ブルゾンちえみ」がすごい面白かったという話をしていて、そうか、ブルゾンちえみは面白いのか、と奇妙な感慨を抱いた。 バブル時代の日本のことなんて何にも分からないけど、ブルゾンちえみは面白いらしかった。テレビを見ながらゲラゲラ笑ったといった。 僕もたぶん、ブルゾンちえみは嫌いじゃない。その芸で好きなのは「男なんて世界に○○千人居る」みたいな話をする二人男を侍らしながらモデル歩きをするという芸である。 盗作疑惑もささやかれているけれど、盗作だったかどうだったかという事よりも、こんな言葉を言う人はたしかバブル時代には殆どいなかっただろうと思う。 ブルゾンちえみの芸風は、いわゆる「キャリア女子」をネタにする系譜の末端にある。こうしたキャリア女子的な消費のされかたの善悪にはそれなりに深刻なバックヤードがあるのだけれど、八十年代から九十年代にかけて働く女子たちが結婚というバイアウ