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「『すべてを疑え』という言葉を疑えるか」池上彰が東工大生に放った"鋭い問いかけ" 今の日本は"空気"を読みすぎ
学生たちに「エビデンス」を問われ続ける 東工大で教えてみると、何かを議論するとき「曖昧な言葉遣いは... 学生たちに「エビデンス」を問われ続ける 東工大で教えてみると、何かを議論するとき「曖昧な言葉遣いはせずに、定義をきちんと示す」ことが求められます。あるいは「エビデンスはどこにあるのか」と、学生たちからは常に問われます。そうした学生たちの反応は、私にとっては多くの学びにつながっていきました。「なるほど、そうくるか」という反応が講義中にも結構あって、刺激的で面白く、本当に収穫は多いと思います。 反面、エビデンスがないものに関して語れないというネガティブなところもあります。社会学の領域では、たとえば世の中のトレンドを見るには、エビデンスはまだ集まっていないけれども「今、世の中はこう動いているのではないか」と仮説を立てて、そこからエビデンスを探しに行くことになります。「世の中、こうじゃないの?」と言ったりすると、「エビデンスがないですね」と返される。あるいは「きちっと定義してください。定義がないと
2021/08/12 リンク