エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「平安のF4」から紫式部まで貴族が「藤原だらけ」なのはなぜか…系図研究者が解説する藤原家の基礎知識 「藤原」は苗字ではなく「姓」 (3ページ目)
ところが、平安末期から父子相続に変わっていく。なぜかといえば、そこには収入の変化が関わっている。... ところが、平安末期から父子相続に変わっていく。なぜかといえば、そこには収入の変化が関わっている。平安貴族の収入源は、官職にともなう報酬が主だったらしい。これに荘園からの上がりをプラスするくらい。だから、猟官運動が過熱する。当然、エライさんの息子は、若くして高い官職を与えられるから、居住実態が母子相続であっても、経済的には父子相続を実現できたのである。 平安末期の貴族は母子相続から父子相続へシフト しかし、平安末期に地方の治安が悪化して、地方からの税収が途絶え、国からの給与が危なくなってくると、平安貴族の収入源は荘園を基盤としたものにシフトしていく。そうなると、経済的基盤は父から息子への相続に変わらざるを得ない。当然、居宅も世襲となり、「代々近衛に住んでいるから近衛殿」という具合になっていく。 ちなみに、全財産が長男に譲渡される(長子単独相続)ようになるのは室町時代初期からで、鎌倉時代では分
2024/05/20 リンク