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記事へのコメント227件
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ackey1973
学校で読まされる太宰作品が『走れメロス』なことが多くて、しかも“人を信頼することの大切さ”とかにフォーカスした読み取りさせるのも一因では? まず『人間失格』書いて心中した人って教えないと。
norinorisan42
著名人のダメさを楽しむ、という言い方をすると良くないのだけど、欠点もあわせて人間として理解するのは良いことだと思うと同時に、他者に正しくあることを強制する意識というのが強くなってるかも、とは思ったり
behuckleberry02
現代の価値観でジャッジすることに変に慣れてしまっているせいではないかと思われる / ダメ人間なのは前提として、それを受け入れるか排除するかという話で / 落語で言うところの「人間の業の肯定」ってやつ
take-it
hosa_ino氏の「啄木でガッカリする」はわからんなぁ。「空に吸われし十五の心」なんかは純粋だが、そこそこ読み進めていけば「あ、コイツ駄目だ」ってのがよくわかる典型でしょ。蟹と戯れてねーで働けよと。
mukudori69
SNS時代であらゆる「被害者」が声を上げられるから、加害者たる「ダメさ」は受けいれられにくいのかもな。でも皆少しずつダメなわけで、ダメさを描いてくれるの有難いけどな。麻の着物をもらって夏まで生きよう。
itarumurayama
純文学は当初反権威だったのが「権威」に変質。ラノベ作者にはポリコレ要求されないが、純文学作者にはポリコレ、「正しい行い」が要求される/ミュージシャンも最近は正しい行いが要求される。ユーチューバーは未だ
gabill
太宰治の代表作が走れメロスとして認識されるの、筒井康隆の代表作が時をかける少女と認識されるのと似てる。筒井康隆も後世の人から「時かけの作者がそんな滅茶苦茶な人だったなんて...」と失望されるかも知れない。
uefi
文豪だけではないでしょう。素晴らしい作品の「作者」が人としてはろくでもない確率はかなり高いと思います。今の世の中、作者個人がSNSでファンに直接その生態をさらすのは、マイナスが多いと僕は思っています。
sippo_des
自分がだめになってないのではないか。高校まではベルトコンベアに守られるけど、大学はみんな太宰か芥川よ。ダメ男を見たことないといざ自分に失望してショックでメンヘラになりそう。理想が難しすぎて。
kunitaka
ガキの反応としては当然やし正しい反応である。文学に限らず、芸術家って奴は「人としての大事な何かが欠落した人間」であり、その欠陥自体が芸術なのだ!って事が判るのは大人になってからやで。それでいいのだ。
duckt
こっそり読むならまだしも太宰好きを公言する人って大体タイプが似てて自分に甘く人に冷淡。自分の狡さや身勝手さを善良さや人の好さと勘違いしがち。否、半ば気付いていながらそう思い込もうとする。太宰そっくり。
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2021/06/15 リンク