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【THE古墳】仁徳天皇陵の墳丘は半分が崩壊 初のレーザー測量で分かった地震の傷跡
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【THE古墳】仁徳天皇陵の墳丘は半分が崩壊 初のレーザー測量で分かった地震の傷跡
国内最大の仁徳天皇陵古墳。古墳時代以降もさまざまな歴史を刻んだ=堺市国内最大の仁徳天皇陵古墳(堺... 国内最大の仁徳天皇陵古墳。古墳時代以降もさまざまな歴史を刻んだ=堺市国内最大の仁徳天皇陵古墳(堺市、墳丘長486メートル)を宮内庁が初めてレーザーで測量した。歴史教科書では優美な前方後円墳の姿が知られるが、最新の科学の目で見ると、墳丘の半分ほどが地滑りで大規模に崩壊。すぐ西側には上町断層帯が南北に走り、地震が原因とみられる。後円部の斜面には地滑り被害の後に設けられた正体不明の円形の小道があり、頂上部には石室を囲む江戸時代以降の石柵もレーザーで確認された。一枚のレーザー測量図から、古墳築造以降1600年の歴史が見えてくる。 「T」字形の破線で地滑り跡が示されたレーザー測量図。築造当初の墳丘部分はアミをかけて表示(「書陵部紀要 第74号」から転載)皇室の祖先の墓として立ち入りができない同古墳は長らく、昭和2年の測量図でしか内部の様子は分からなかった。測量は人の手によるものだった。平成24年に大