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子規の短歌②雑多な題で歌会 歌人を笑わす子規先生
世の中に蚤のめをとゝうたはれて妹は肥ゆ肥ゆ伕は痩せに痩すここのところ文アルに夢中になっていました... 世の中に蚤のめをとゝうたはれて妹は肥ゆ肥ゆ伕は痩せに痩すここのところ文アルに夢中になっていましたが、また本題に戻して今回は子規の短歌のお話です。 内も外も敵だらけ 俳人だけで初歌会今回の歌は明治32(1899)年8月6日の子規庵歌会に出された歌です。子規庵で初めて歌会が開かれたのは明治31年3月25日。この年2月から新聞「日本」に「歌よみに与ふる書」「百中十首」(自作をいろんな人に順番に選んでもらって発表)の発表を始め、俳句革新に続いて短歌革新に乗り出したばかりの時期です。 過激な歌論は反発を招き、さすがの子規も熊本の漱石に「内も外も敵だらけで閉口している」と愚痴をこぼすほどでした。「歌よみの如く馬鹿な、のんきなものは、またと無之候」なんて言ってケンカ売りに行っているわけですから仕方ないんですが、堪えたのは堪えたんでしょうね。そんな状況ですから初めての歌会の参加者は高浜虚子や河東碧梧桐ら俳