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子規の短歌③のぼさんが立った!寝たきり歌人正岡子規のチャレンジ
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子規の短歌③のぼさんが立った!寝たきり歌人正岡子規のチャレンジ
歩けるならエベレストに子規は明治28年、日清戦争の従軍記者として現地に赴き、激しく病状を悪化させ... 歩けるならエベレストに子規は明治28年、日清戦争の従軍記者として現地に赴き、激しく病状を悪化させました。松山などでの療養を経て俳句革新に取り組んだのですが、翌年から寝たきり生活を余儀なくされました。いわゆる「病牀六尺」の暮らしです。 それから4年。体調の良い時には人力車で出かけることもありましたが、前年に詠んだ「足たたば」の連作を見ても分かるように子規は自分の足でもう一度立ってみたいという思いを募らせていました。 足たたば北インヂヤのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを 足たたば黄河の水をかち渉り崋山の蓮の花剪(き)らましを 歩けるならエベレストの雪を食べてやる。歩けるなら、黄河を徒歩で渡り、崋山(断崖絶壁の足場などで知られる)の蓮を剪ってやる。足のなえた自分へのやるせなさ故に豪快な夢想を歌にした子規でしたが、明治32年には尻に穴が開き、座ることも困難になっていました。 楽しみを奪うな同