村上春樹に関するfujiponのブックマーク (4)

  • 村上春樹はバッターボックスに立つと、おもむろにホームラン予告をした - うるち随筆

    【エルサレム16日共同】作家の村上春樹さんが15日行った「エルサレム賞」授賞式の記念講演の要旨は次の通り。 一、イスラエルの(パレスチナ自治区)ガザ攻撃では多くの非武装市民を含む1000人以上が命を落とした。受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ。 一、わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。 一、高い壁とは戦車だったりロケット弾、白リン弾だったりする。卵は非武装の民間人で、押しつぶされ、撃たれる。 一、さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたし

    村上春樹はバッターボックスに立つと、おもむろにホームラン予告をした - うるち随筆
    fujipon
    fujipon 2009/02/17
    今秋出るらしい新作がますます楽しみ。
  • 「隠喩としてのガザ」 - 地を這う難破船

    ⇒エルサレムと表現 - 地を這う難破船 承前。mojimojiさんの率直な言葉に、少しレスしたく思います。 ⇒僕はパレスチナに用がある。他にどんな理由がいるんだ? - モジモジ君のブログ。みたいな。 (前略)村上春樹の自由と自律を擁護する人々に聞きたいが、あなた方が擁護する自由と自律は、そこを追われた人々の、そこで押さえつけられる人々の、当たり前の日常を暮らす自由を、踏みつけにしなければ実現できないものなのか。そうでしかありえないのならば、そんな文学など、いらない。 私が「村上春樹の自由と自律を擁護する人々」かはわかりかねますが、もちろん村上春樹の自由と自律は擁護さるべきです。ガザ地区に暮らす人々の自由と自律が擁護さるべきことと同様に。当然のことではないですか。ニッコリ(白い歯を輝かせて)。 ――こういうのを欺瞞の極みと言います。自由と自律を剥奪された人々がパレスチナに存在する。そのことを

  • 村上春樹さんがエルサレム賞を受賞 - どんな懐かしさをおぼえるとしても

    正直なところ、僕は最近ではあまり熱心な村上春樹読者ではない。とはいえ、ご多分に漏れず、若いころは相当熱心に読んだ。 で、当たり前だが、彼はこの時期にイスラエルの文学賞を受けることの意味を(まして授賞式に出席すると公言することの意味を)考えていないはずはない、と思う。実際のところ、彼は政治的な発言をしまくっているし*1、賞を辞退するとか授賞式を欠席するとかいうようなことを躊躇うタイプではない。 だから、彼は「政治的行動として」エルサレムに行くはずである。もちろん、ここにあるようなソンダク風の発言をするとは思わない。http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090125/p1 だからと言って、唯唯諾諾と反対側の連中に利用されることを容認したりもしないはずだ。繰返すが、最も非政治的であるために、全てが政治的であることをあれほど理解している人もいない。 ある意味で最も愚劣な

    村上春樹さんがエルサレム賞を受賞 - どんな懐かしさをおぼえるとしても
  • http://news.goo.ne.jp/article/sankei/life/m20061123000.html

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