すりごま🐾 @surigoma2012 「コーヒー飲む?」って聞かれた時に「いや、いい」と答えるのと「今はいいや、ありがとう」と答えるのでは大きく違うのだけど、それに気付かずナチュラルに前者を使う人生だと地味にしんどいんだよね、周りが。 2021-01-30 14:21:03
少し前に、全文万年筆直筆でないと講演の依頼は受けないという発言*1の賛否をめぐり議論が生じたことがあったが、これだけでなく、手書きなどのアナログな手段が電子メールなどのデジタルな手段よりも丁寧であり、大事なお願いをするときなどは、きちんと手書きで対応すべきだという意見は根強い。履歴書なども手書きにすべきだという意見もある*2。 個人的には、郵送された葉書や封書は保管場所にも困るし、用件が済んだ後に廃棄するのも手間なので、メールのほうがありがたいが、このデジタルよりもアナログのほうが丁寧であるというのはどのような根拠なのかを考えてみる。 丁寧ということをもう少し分析すると、それは「思いやり」があったり、「想いを伝える」ものであったり、「おもてなし」の心を伝えるものであったりする。これらはすべて「手間のかかる」ことである。手間=時間であり、面倒くさいことである。時間がかかり、面倒くさいことをし
ネットを眺めていてふと気付いた。 現在、日本のメディア上では、ネットであれテレビであれ「バッシングを公認されるような過失・落度のある相手は、どれだけ叩いても構わない。その際、相手がどうなるかは配慮しなくて構わない。それが社会だ」という風景がリピート再生されている。なにか不祥事や事故があったら、法的責任が問われるだけでなく、責任者は罵倒され、土下座させられる。法的責任を追求するのとは別に、“感情を納得させる”ために罵倒すること・土下座させることを、社会正義とみなすような空気ができあがっている。もちろん、そうした罵倒や土下座に警察が口出しをすることはないし、マスメディアも何食わぬ顔で報道する*1。バッシングが公認される大義名分がある限り、責任者が唾を吐きかけられてもしようがないよねー、という不文律ができているらしい。 インターネット上での“炎上”も似ている。失言・過失・違法行為があったと判明し
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