ブックマーク / satotarokarinona.blog.fc2.com (73)

  • 『ニーバーとその時代  ラインホールド・ニーバーの預言者的役割とその遺産』 | 荒野に向かって、吼えない…

    チャールズ・C・ブラウン著 『ニーバーとその時代  ラインホールド・ニーバーの預言者的役割とその遺産』 O God, Give us Serenity to accept what cannot be changed, Courage to change what should be changed, And wisdom to distinguish the one from the other. 神よ、 変えることのできるものについて、 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。 変えることのできないものについては、それを受け入れる冷静さを与えたまえ。 そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ。  (大木秀夫訳) 書は「冷静を求める祈り」、あるいは「ニーバーの祈り」の作者として有名なニーバーの評伝である。「ニーバーの祈り」をめぐる

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/04/25
    "今日から見れば当時の典型的なシオニズム擁護論に基づくアラブ観""パレスチナに先住していたアラブ人の苦境は自業自得と言わんばかりで、イスラエル国家への批判的視点は最後まで持たなかっ" →ブクマ。
  • 宣教師ニコライ | 荒野に向かって、吼えない…

    中村健之介著 『宣教師ニコライと明治日』 1880年、ドストエフフキーはに「いまモスクワに来ている日のニコライにぜひ会いたい。かれは大変私の興味をそそる」という手紙を出している。そしてその面会は果たされ、かなり満足したようである。 この「日のニコライ」とはあの「ニコライ堂」のニコライのことである。ニコライ側の反応が気になるが、残念ながら彼の書いたものは関東大震災で焼けてしまった……と思われていたのだが、実はレニングラード(サンクト・ペテルブルグ)の古文書館に日記が保管されていたのである。 ニコライはドストエフスキーについてなかなか興味深い日記を残しているが、その「ニコライの日記の紹介をめざす」ために1996年に刊行されたのが書である。 ニコライは1861年(明治維新の7年前)に修道司祭として日にやって来る。当時25歳。以後二度の一時帰国を除いて1912年の死まで日で過ごすこと

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/04/09
    "西洋人が仏教徒に改宗するのには、やはり「公憤」を覚え」…フェノロサらを強く批判""ユダヤ人虐殺に抗議したトルストイを批判しているように、ユダヤ人に反感を抱く「熱烈なロシア愛国者」" →ニコライ
  • 『キッシンジャー』 | 荒野に向かって、吼えない…

    ウォルター・アイザックソン著 『キッシンジャー』 1923年、ハインツ・アルフレート・キッシンガーはドイツで生を受ける。この時代にユダヤ人としてドイツで生きていくのは当然厳しく、15年後キッシンガー家はアメリカ移住、ハインツはヘンリーと呼ばれるようになる。 学費が無料であるニューヨーク市立大学に進学し、会計士になろうかとも考えていたヘンリー・キッシンジャーのもとに召集令状が届く。これが彼の人生を一変させることになる。アメリカの市民権を得られたのみならず、優秀な人間に与えられる陸軍特別研修プログラムを受けることにも成功。故郷ドイツへはアメリカ軍の一員として戻ることになり、対諜報部隊員としてナチやゲシュタポの狩り出しを行い、そして行政官として手腕を発揮した。有力者の知己も得、戦後は復員軍人を多く迎え入れていたハーヴァード大学へ進学する。アカデミズム内でキャリアを重ね、ついにワシントンへと乗り

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/04/05
    "「社交の場や、オフレコの了解があるときの即席の発言では、キッシンジャーはおどろくほどあけすけだった。""専門家にとってさえ、キッシンジャーの甘い言葉を聞くのはうっとりとする経験だった」" →ブクマ。
  • 『麻薬の世紀  ドイツと東アジア一八九八-一九五〇』 | 荒野に向かって、吼えない…

    熊野直樹著 『麻薬の世紀  ドイツと東アジア一八九八-一九五〇』 「著者はもともとヴァイマル期からナチ期にかけてのドイツ通商政策を研究していたが、そこでは農業界と工業界との対立の争点であったバターが分析対象であった。その際、市場でのバターの競争相手がマーガリンであった。やがてその主たる原料が一九三〇年代には満州大豆であることがわかった。そこで満州大豆を追跡調査していたところ、阿片へとたどり着いたわけである」と、あとがきで著者は「書は奇しくも、物々交換によって長者になった日昔話の「わらしべ長者」のような展開になった」としている。 まずは著者のもともとの専門であったバターの問題から見てみよう。この問題を通しても、巷間言われがちヒトラーは選挙によって選ばれたというのが、完全に間違いではないもののまた単純化したものであるということもわかる。 世界大恐慌に先駆け、ドイツでは一九二七年から八年にか

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/04/04
    "ナチス…兵士の戦闘能力維持のためにモルヒネをペルヴィティンと混ぜて使用""覚醒作用がカフェインと比べて長く、八時間ほど持続するペルヴィティンは電撃作戦では休息もとらずに軍隊の移動を可能に" →ブクマ
  • 『ときを紡ぐ  昔話をもとめて』 | 荒野に向かって、吼えない…

    小澤俊夫著 『ときを紡ぐ  昔話をもとめて』 昔話の研究者としても知られるドイツ文学者、小澤俊夫による自伝的回想。「このは、季刊誌『子どもと昔話』に連載中の「糸つむぎ」のうち、回想的な部分をまとめたもの」である。 1994年に俊夫は道癌と診断された。「ウィーンで働いている長男淳にも伝えた。東京で忙しく音楽活動をしている次男健二にも伝えた。ぼくの弟たちにも伝えた」。 言うまでもなくこの「次男健二」とはあの小沢健二のことである。手術当日、「が早く来てくれたが、健二はなかなか現れない。そのうちに電話があり、「寝坊した。今から行く」という。タクシーで駆けつけたそうで、ぼくが病室から運び出される直前に到着した。ぼくは、車つきのベッドで手術室へ運ばれ、入り口でと健二と握手して別れた。ぼくは戻れるのだろうか、とそのとき思った」。 俊夫が不安にかられたように、軽いものではなく手術は六時間に及ぶもの

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/04/03
    "ノートを持ってきて、メモを取りながら俊夫の話を聞いた。「ぼくからみたら、民俗学の神様のように偉い先生である。それが、どこの馬の骨ともわからない、大学院生のいうことをメモなさる" →ブクマ。
  • 『マーティン・ルーサー・キング  非暴力の闘士』 | 荒野に向かって、吼えない…

    黒崎真著 『マーティン・ルーサー・キング  非暴力の闘士』 キングは大学時代に、となるコレッタへのラブレターにこう書いている。 「共に願い、働き、祈り続けよう。未来において戦争なき世界、よりよい富の再配分、人種や肌の色を乗り越える兄弟愛を生きて見られるように。これが世界に向かって僕が説教していく福音だ」。 「実に、キングが生涯を通じて取り組む問題群は、この時点ですでに出そろっていたのである」。 といっても、この時すでにキングがあのキングであったのではない。彼の内には変わることのない理想がすでに宿っていたのであろう。しかしその理想へと辿り着くための道をキングは模索し続け、惑い、苦悩し、それでも歩み続けることになる。書はキングの生涯を辿りながらその変化を追い、またアメリカにおける黒人の信仰や人種差別の歴史もふまえた、分量としてはコンパクトであるが厚みのある評伝となっている。 サブタイトルに

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/04/02
    "社会の一つの可能性を、キングは北欧型の社会民主主義のなかに見ていた。""質の高い教育と医療体制を整備する北欧諸国を訪問し、アメリカも学ぶべきとろこは多いと感じたのである」。" →ブクマ。
  • 『バンクシー  壁に隠れた男の正体』 | 荒野に向かって、吼えない…

    ウィル・エルスワース=ジョーンズ著 『バンクシー  壁に隠れた男の正体』 原題はBanksy The Man Behind The Wallであって「正体」という語は入っていない。邦題サブタイトルはミスリードといえばそうである。著者はこのはバンクシーの名などを暴露するようなものではないと説明して関係者に取材しており、この言葉に嘘はない。すでに2008年には「メール・オン・サンデー」紙にバンクシーの名(とされるもの)は報じられており、その後は彼のの名前まで突き止められている。著者はこの記事に言及しながらあえてその名を記すことを避けているほどだ。ある程度生い立ちにも触れられているとはいえ書は暴露ではなく、バンクシーの両親や幼少期の家庭環境、学生時代などその「正体」について細かく知りたいという人は別をあたるべきだ。 では邦題は的外れなものかといえばそうとも言えない。書で追及されるの

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/04/02
    "グラフィティは夜中に人気のない暗い場所で行われるのがほとんどであるために女性は参加しづらく 男性中心の世界""符丁はアウトサイダーにとって仲間意識を高め身を守る機能を持つが、それはまた排他的な" →ブクマ
  • モリッシー自伝 | 荒野に向かって、吼えない…

    Morrissey  Autobiography 発売してすぐに買ってはいたものの、モリッシーの自伝だけにすぐに邦訳が出るだろうからそちらを読めばいいかと棚の肥しにしていたのだが、まさかの(いや、まさかでもないのかもしれないが)モリッシー当人が翻訳拒否! モリッシーは翻訳を拒否した理由を明らかにしていないが、翻訳の質を心配したのではないかという関係者のコメントがあり、そんなに難解なのかと恐る恐る読み始めた。 冒頭のマンチェスターの描写は散文詩めいているし、音を優先させて韻を踏みたがったり、回想なのに多くが現在形で綴られ、パートごとにかなりトーンが異なるといった具合に、いざ訳すとなると確かに大変かなという感じではある。ただ多少前後することはあっても基的には時系列順に語られているので、モリッシーやスミスについて予備知識がそれなりにある人は意味を大掴みする分には困難を極めるというほどではない

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/04/02
    "「ゼア・イズ・ア・ライト」は当初モリッシーは「その価値を計り損ねて」アルバムから外そうと提案したが、ジョニーは笑って何バカなこと言っているんだよと一蹴して収録されることになった" →ブクマ。
  • 『ヒトラーと物理学者たち  科学が国家に仕えるとき』 | 荒野に向かって、吼えない…

    フィリップ・ボール著 『ヒトラーと物理学者たち  科学が国家に仕えるとき』 2006年に出版されたオランダのジャーナリスト、サイベ・リスペンスの『オランダのアインシュタイン』は大きな騒動を引き起こした。一般的にはそれほど有名ではないとはいえ、1936年にノーベル賞を受賞し科学界にその名を残すオランダ出身のピーター・デバイについて、リスペンスは「ナチと共謀していた」と告発したのだった。デバイはドイツでカイザー・ヴィルヘルム研究所で所長を務めていたが、ドイツ国籍を取ることは拒否し、39年にはアメリカに渡っている。そんなデバイが、ナチ党員でこそなかったものの実は「ナチ体制の熱心な支持者」であったという内容であり、「戦時中はアメリカに留まりながらもナチ当局と接触を続けており、それは戦争が終わったらひとまずベルリンに戻る可能性を残していたのではないか」とリスペンスは見た。 デバイの名前と関わりの深か

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/03/27
    "ではメディアが権力に対して厳しく対峙していれば、独裁は防げるのだろうか""「フランクフルト新聞」は43年に発禁にされるまで、「ナチの政策に批判的な記事を数多く掲載した」。" →ブクマ。
  • 『小尾俊人の戦後  みすず書房出発の頃』 | 荒野に向かって、吼えない…

    宮田昇著 『小尾俊人の戦後  みすず書房出発の頃』 みすず書房の中心的な創設メンバーであり、社を代表する編集者であった小尾俊人とはいかなる人物であったのかを、長年共に仕事をした著者が個人的回想も含めて描いている。 第一章では小尾がみすず書房を立ち上げるまでを、その生い立ちから探っていく。 小尾は1940年に長岡工業高校卒業後、岩波書店入社を目指して上京するが、岩波茂雄の紹介で羽田書店に就職することになる。ちなみにこの羽田書店というのは羽田孜の父武嗣郎が始めた出版社で、岩波と羽田が親しかったことから紹介されたようだ。またこの頃の下宿先はなんと小島信夫の家で、小尾は夜間大学に通いながらここで編集者としてスタートを切る。1943年には学徒動員で召集されるが、前線に送られることなく敗戦を迎える。 年表的に生涯をたどると流してしまいそうになるが、考えてみると奇妙なことがある。岩波書店はすでに日を代

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/03/26
    "「おそらく小尾にとって、食事処は副産物で、買い込んだ新聞の社会欄やゴシップまで斜め読みし、市井の空気を感じとっていたと思う」。硬派な編集者としては意外な姿のようでもあるが" →ブクマ。
  • 『異世界の書  幻想領国地誌集成』 | 荒野に向かって、吼えない…

    ウンベルト・エーコ編著 『異世界の書  幻想領国地誌集成』 「書は伝説の土地と場所を扱う」と「序論」は書き始められる。書で扱われるのは、「あくまで、多くの人々がどこかに実在する、もしくは過去に実在したと気で信じ、その信念がキメラ、ユートピア、幻想を生み出した土地と場所だけを扱う」。 「もはや起源の定かでない太古の伝説によるものであれ、近年の捏造の産物にすぎないものであれ、そうした土地や場所は、信念の流れを創り出すのだ」。 そしてエーコはこの「序論」をこう結んでいる。「まさにこの幻想のもつ現実性〔リアリティ〕こそが、書を貫く主題となる」。 「大地平板説」に始まり、聖書(「シバの女王」や「東方の三博士」のように、聖書に書かれていたものを越えて生み出されていく伝説ももちろん含まれる)、オデュッセウスはいったいどこからどこまで帰還したのか、マルコ・ポーロの伝えた東方世界、「エルドラード」、

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/03/25
    "目的が手段を正当化すると考えることの危うさは、科学を信奉する側にも問われ""チェスタトンのものとされる…警句""「神を信じなくなった者は、何も信じなくなるのではなく、なんでも信じるようになる」" →ブクマ
  • 『死の海を泳いで  スーザン・ソンタグ最後の日々』 | 荒野に向かって、吼えない…

    デイヴィッド・リーフ著 『死の海を泳いで  スーザン・ソンタグ最後の日々』 骨髄異形成症候群(MDS)を宣告されたスーザン・ソンタグの闘病、死、そして埋葬までを息子のデイヴィッド・リーフが綴ったものである。 書は何よりもまず、批評家であり作家でもあったソンタグの生の姿を見せてくれている。これは彼女の作品の読者にとっても少々以外なものとなっているかもしれない。 ソンタグは一貫して生に対して強い執着を見せていた。百歳まで生きたいと語っていたそうだが、これは一つにはまだやらなければならない仕事がたくさん残っているということであり、同時に死への強い恐怖心も抱いていた。 ソンタグは四十代で乳癌を、六十代で子宮肉腫と二度の癌を経験している。書で詳しく書かれているように、とりわけ乳癌は医者も生存の望みが極めて薄いと考えたほど進行したものであった。またMDSに冒されたのは子宮肉腫の治療の副作用が原因で

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/03/22
    "その最大の理由は死への恐怖""マルグリット・デュラスは「死を目前にした時期のすさまじい日記の中で、次のように率直に語っている」のだそうだ。「私は無になるという事実と折り合いがつけられない」" →ブクマ。
  • 山川均とコカイン | 荒野に向かって、吼えない…

    『マルクスを日で育てた人  評伝山川均』(石河康国著)を読んでいたらこんな箇所があった。 「しかし体調は相かわらずすぐれなかったらしく、薬の購入依頼はたびたびである。睡眠薬の常用や長時間の動悸がはじまったことまども菊栄につたえている。菊栄宛に「コカインは何時頃だったか、もう忘れるほど前からちっとも使っていない」(三〇年二月二五日)とある。山川はコカインをしませた麺棒を鼻につっこむのが癖で、「山川のエントツ掃除」として有名だった」(Ⅰ p.236)。 平野威馬雄の『陰者の告白』を読めばわかるように、当時コカインは処方箋があれば薬局で合法的に購入することができたのである。 何を持って麻薬とするかは時代や社会、文化、環境に左右される。フロイトが一時コカインを魔法の薬だと思って自分で使用するばかりか周囲にも勧めていたことがあったし、日ではヒロポン(つまり覚せい剤)が合法的に出回っていたこ。また

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/03/22
    "『からす』は意外な人物が高く評価した。それは山川の論敵であった、「福本イズム」の福本和夫である。""福本はこれに影響されたのか、戦後『唯物論者のみた梟』という本を書き" →ブックマーク
  • 『銀座界隈ドキドキの日々』その1 | 荒野に向かって、吼えない…

    和田誠著 『銀座界隈ドキドキの日々』 『したくないことはしない  植草甚一の青春』(津野海太郎著)で書に触れられていたので手にとってみた。 和田は毎月草月ホールで行われていたジャズのイベントのポスターを手掛けるようになり、ここで植草甚一に出会った。「草月ホールのロビーも楽しかった。ジャズ・ミュージシャンも当然集まっていたが、「コンテンポラリー・シリーズ」のほうもの音楽家もやってくる。その他のジャンルの人たともたくさん顔を出していた。寺山修司、谷川俊太郎、真鍋博、山口勝弘、金森馨などの諸氏。それに毎回会えるのが植草甚一さんだった」。 「植草さんの映画評論を、ぼくは中学生のころから愛読していた。まだ邦訳されていない原作の解説や、知られていない原作の紹介などを含む植草さんの映画評論はユニークで、勉強になった」。 和田は「ユニークで勉強になった」としているのだが、『したくないことはしない』にある

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/03/18
    "「じゃん」は今ではかなり一般化しているようだけれど、湘南方面の方言であるらしく、山の手のぼくにはまだ珍しくて、気鋭のデザイナーが使うととてもカッコよく思えた」" →和田誠『銀座界隈ドキドキの日々』
  • 『ガブリエル・ガルシア=マルケス  ある人生』 | 荒野に向かって、吼えない…

    ジェラルド・マーティン著 『ガブリエル・ガルシア=マルケス  ある人生』 邦訳で七〇〇ページを超える大部の ガルシア=マルケス伝。著者は一九九〇年代初頭から実に一七年かけて完成させた。伝記執筆の噂が広がるとこれが「公認」のものであるのかを気にする人が出てきたが、黙認のもとで調査執筆しているとしていた。しかしガルシア=マルケス自身が来るこの伝記を公認のものであるかのように語るようになり、インタビューにも応じ、ゆかりの人物を紹介した。フィデル・カストロなどへのインタビューはガルシア=マルケスの紹介なくしては実現しなかっただろうとしている。といっても聖人伝となっているのではなく、とりわけガルシア=マルケスの政治的な言動については辛辣なところもある。 この分量だけに詳細なものとなっており、そのせいもあって正直にいうと決して読み易いものではない。『百年の孤独』は山のような人名で挫折したという人がいる

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/03/12
    "ビル・クリントンとも友人となる。ガルシア=マルケスのファンを公言していたクリントンの言葉に嘘はなく 初対面のときにクリントンはフォークナーの『響きと怒り』を暗唱してガルシア=マルケスを驚かせ" →ブクマ
  • 94年の宮崎駿インタビュー | 荒野に向かって、吼えない…

    稲葉振一郎著、『ナウシカ読解 ユートピアの臨海』を読んだけど、感想はちと手に余るのでパス。とりあえず漫画版ナウシカすげ~な~という感じです。実は漫画版ナウシカは読もうと思ってから幾年たったかわからないけど、まだ読んではいないのですが。 巻末に1994年に行われた宮崎駿へのロングインタビューが収録されている(聞き手は稲葉、加藤秀一、西山俊一の三氏)。自分用のメモを兼ねて、すでに絶版のということで長めに引用してみる。 たとえば、<トトロ>みたいな世界は一瞬のユートピアだと思って作っているんです。小さな子供たちにとっては、まわりのことはわからないから、つまり、父親がどういう経済状態にあるかとか、どういう精神状態にいるとか、日全体の政治的動向はとか、経済状況とか、そういうことがわからないから、自分の一日のなかの一瞬のなかでも充足感を味わうことができる。そういうふうに作ったのが<トトロ>だと思っ

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/03/07
    "『火垂るの墓』""巡洋艦の艦長の息子は飢え死にしない。それは戦争の本質をごまかしている。それは野坂昭如が飢え死にしなかったように、絶対に飢え死にしない。海軍の士官というのは、確実に救済し合い" →ブクマ
  • 『スタン・ゲッツ  音楽を生きる』 | 荒野に向かって、吼えない…

    ドナルド・L・ギルマン著 『スタン・ゲッツ  音楽を生きる』 スタン・ゲッツは二人目ののモニカがスウェーデン出身だったこともあって1950年代後半からヨーロッパでの活動が増えた。そのせいでアメリカ合衆国国内での人気にはいささか翳りが出ていたが、そのゲッツを再びトップクラスの人気に引き上げたのが『ジャズ・サンバ』や『ゲッツ/ジルベルト』などに結実するブラジルのミュージシャンたちとの仕事であった。もっともこれらの仕事は順風満帆にいったのではなかったようだ。 「閉じこもりがちで、病的なまでにシャイなジョアン・ジルベルトが、セッションを行うためにホテルの部屋を出るのを拒否」するということがあった。「録音の当日、モニカがグループを災難から救った」。 「ポルトガル語がいくらか話せるモニカが自ら志願し、彼をなだめて連れ出すために、その部屋に行った。/モニカは三時間もかけて懇願し、議論し、甘い言葉を囁い

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/02/27
    "そのセッションにおけるジルベルトの演奏は、マイルズ・デイヴィスが彼について述べた賛辞をまさに裏付けるものだった。「ジルベルトはな、たとえ新聞を読んだって素敵なサウンドになるんだ」" →ブクマ。
  • 25年前の大江健三郎の苛立ち | 荒野に向かって、吼えない…

    『大江健三郎 柄谷行人全対話』 1994年から96年にかけて行われた大江健三郎と柄谷行人の対談が収録されている。 1995年に行われた「世界と日と日人」の中で、大江はこう言っている。 「マルコポーロ」事件というのがありましたね。あれはひとつの典型です。「マルコポーロ」という雑誌を全部英訳してアメリカに伝えようとしている、そういう基態度があれば、ああいう記事は載らないでしょう。しかもこの国で栄えているけれど外国に通じない論文は、反ユダヤ主義者の論文だけじゃないですよ。 たとえば西尾幹二の論文を見ますと、あなたはドイツ語学者なんだから、一度でもいい、ドイツに行ってこの趣旨の講演をドイツ語でしてみよと僕はいいたいんです。あるいは渡部昇一に、あなたは英文学者なんだから、イギリスに行って、あるいはアメリカに行って、あなたが今書いているこの論文をそのまま英語に訳して、みんなの前で講演してみろと僕

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/02/15
    "…言語世界を彼らは構築しているんです。それが「諸君!」だし、「正論」なんです。世界言語になることをあらかじめ拒否した文章を書いて、それが文壇あるいは論壇で力を占めているのは、日本だけですよ"  →ブクマ
  • 『ユリシーズを燃やせ』 | 荒野に向かって、吼えない…

    ケヴィン・バーミンガム著 『ユリシーズを燃やせ』 「最も偉大な文学作品は何か」、このようなアンケートを取ると、ほぼ確実にジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』が上位にい込むことだろう。そして『ユリシーズ』が、アメリカなどでは長らく発禁にされ、数にして実に千部以上が燃やされたたというのも、またこの作品にまつわる挿話としてよく語られる。 「書は『ユリシーズ』の伝記である」と「序」にあるように、ジョイスによる構想の芽生えから混乱に満ちた雑誌での連載とそれを巡る闘い、単行化されてますます激しくなる争い、そしてついに1933年にアメリカ最高裁で出版が許可されるまでが描かれている。 『ユリシーズ』の伝記というということは、もちろんジョイスの伝記ということでもある。彼のエキセントリックで常人には理解し難い人生も辿られることになる。『ユリシーズ』の舞台となるのは1904年6月16日のダブリンであるが、

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/02/09
    "支援者たちが懲役刑をくらう覚悟で『ユリシーズ』の密輸や配送を行っている最中にも、あまりに身勝手な金の無心をして、ついには忍耐強く気前よくジョイスを支え続けてくれていたビーチとも袂を分かつ" →ブクマ
  • 『昭和初年の『ユリシーズ』」 | 荒野に向かって、吼えない…

    川口喬一著 『昭和初年の『ユリシーズ』」 芥川龍之介の『餓鬼窟日録』には、大正8年6月に「丸善より来る。コンラッド2、ジョイス2」との記述がある。洋書売場であった丸善2階は芥川にとって特別な場所であり、洋書を熱心に漁っていた。コンラッドもジョイスもこの時点では日では格的に論じられておらず、芥川のその目敏さに注目できる。 芥川が購入した2冊のジョイスののタイトルは記されていないが、うち一冊が『若き日の芸術家の肖像』であったことは確実だ。芥川はこの1年後にエッセイで『若き日の芸術家の肖像』について触れていて、「冒頭の章の特質を見事に言い当てているのはさすがというほかはない」。 芥川は余程この作品が気に入ったのか、これからさらに2年後には、「「ディイダラス」という題で第一章のさわりの部分を置き換えてさえいる」。 ただこの翻訳には不思議な欠落部分があり、例えば「クレヨン」が欠字になっている

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/02/09
    "「ウヰリアム・エンプソン」""避妊具を持っていたことが発覚してケンブリッジを追われ、三年契約の東京での教職に""ステーションホテルに戻ると一階の窓から侵入しようとして強盗に間違われて通報され" →ブクマ