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音楽と天才に関するhonehonerockのブックマーク (4)

  • asahi.com:バイオリニスト五嶋みどり・龍のママ 節さん:4 100%の努力をすれば100点 - 天才の育て方 - 小中学校 - 教育

    バイオリニスト五嶋みどり・龍のママ 節さん:4 100%の努力をすれば100点 2007年07月03日 17歳の龍は、貝のように黙っていた。 06年3月、節と大げんかになった。あることを巡り「人に迷惑をかけてまで自分を通すのは、あほな子どものすること」と一歩も引かない節を、龍はにらみつける。節も感情を抑えきれず、「どうしても人に迷惑をかけるというなら、親を殺してからにしなさい」と迫った。 龍の話を聞いた専門家の配慮で、節は数日間、家を離れざるを得なくなった。 「米は、そういう社会。龍は当然のこととして相談し、後から、そこまでしなくてもよかったかなと思ったんとちがいますか」。節の心の傷は深かった。 * 57回目の誕生日。バラを手に、夫の摩承が迎えに来た。自宅へ戻ると、龍はぽつりと「おなかすいた」と言った。 親子関係は、愛憎半ばした複雑な形をとることがある。龍は後日、自分も母の立場なら同じよう

  • asahi.com:バイオリニスト五嶋みどり・龍のママ 節さん:3 家では日本語、親子の対話重視 - 天才の育て方 - 小中学校 - 教育

    バイオリニスト五嶋みどり・龍のママ 節さん:3 家では日語、親子の対話重視 2007年06月26日 「私から離れて住みたいと言うなら、それでもいい」。摂障害で入院したみどりが退院するとき、節は部屋を一つ借りた。しかし、みどりは節の元へ戻った。 まもなく演奏活動を再開。20歳で始めた「みどり教育財団」のボランティア活動などを足がかりに、心の健康を取り戻していった。 * 翌95年夏の札幌。龍がパガニーニの協奏曲でデビューした。11歳でデビューしたみどりもこの難曲を弾いたが、第1楽章だけ。7歳の龍は全楽章を弾いた。 家族の共通語ともいえるバイオリン。龍も、物心がつくかつかないかのうちから興味を示した。生来の音感の豊かさは家族も驚くほど。龍が3歳の時、節が教え始めたのは自然のなりゆきだった。節には「私に何かあっても、異国で姉弟ふたり、バイオリンを支えに生きていってほしい」という願いもあった。

  • asahi.com:バイオリニスト五嶋みどり・龍のママ 節さん:2 母の再婚 心の弦が切れた - 天才の育て方 - 小中学校 - 教育

    バイオリニスト五嶋みどり・龍のママ 節さん:2 母の再婚 心の弦が切れた 2007年06月19日 1986年のタングルウッド音楽祭。演奏の途中、14歳のみどりがコンサートマスターに歩み寄った。落ち着いてバイオリンを交換する。また弦が切れたのだ。 無事演奏が終わると、固唾(かたず)をのんで見守っていた会場は歓声と興奮に包まれ、指揮者のレナード・バーンスタインは小柄なみどりを抱きしめた。 母の節(58)と渡米して5年目の夏。日米の教科書にも載った「みどり伝説」誕生の瞬間だった。 * みどりが上達するにつれ、節は壁にぶつかることが増えた。何人もの音楽家に納得いくまでレッスンしてもらった末の81年2月、2人で渡米。ジュリアード音楽院の名教師ドロシー・ディレイに認められ、彼女の元で学ぶためだった。 英語は話せない。学費は免除されたがお金は減る一方。節は肉も果物もべずに倹約、コートも買わなかった。み

  • asahi.com:バイオリニスト五嶋みどり・龍のママ 節さん:1 レッスン後は、めちゃかわいがり - 天才の育て方 - 小中学校 - 教育

    バイオリニスト五嶋みどり・龍のママ 節さん:1 レッスン後は、めちゃかわいがり 2007年06月12日 上着もネクタイもつけずラフな姿になって再びステージに現れた五嶋龍(18)は、腕まくりまでしていた。 昨年6月、東京・赤坂のサントリーホール。プログラムの最後、ラベルの「ツィガーヌ」を弾ききると、2000人の大喝采に小さくガッツポーズしてみせた。 姉みどり(35)を思わせるテクニックと語りかけるような音。天真らんまんさがのぞく演奏は聞く者を幸せにする。 みどりと龍。姉弟の師が節(58)だ。 * 3歳のみどりはある日、ドボルザークのチェロ協奏曲が流れるテレビに見入っていた。「なんていうか……いい感じで、心から聞いてるようでね」 気が乗らず、ピアノをやめたばかりだったが、バイオリンを持たせてみた。小さな楽器をうれしそうに構えたみどりは、ピアノの時とは別人のように勘がよく、上達が早かった。「ピア

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