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民俗学に関するk-noto3のブックマーク (3)

  • ジャックの談話室 : 夜這いの話(3)

    赤松啓介の夜這いの話を続けます。 明治42年(1909年)播州(兵庫県西部)の農村に生まれた赤松は、大正の終わりから昭和の初めにかけて大阪で丁稚奉公をするのですが、 当時、大阪の商店で丁稚や女中として働いていた若者や娘はみんな地方の農村出身で、彼らは田舎の夜這いの習慣をそのまま都会に持ち込んだといいます。 当時の商家では丁稚や女中は住み込みで働くのが普通で、主人一家と同じ屋根の下に寝起きしていて、店の主人はあたり前のように女中に手を出したそうです。 おかみさんの方も丁稚とよろしくやっていたそうで、また丁稚が女中に夜這いをかけることも日常茶飯事だったといいます。 赤松が最初に丁稚奉公した大阪九条の果物屋では、店のオヤジがバクチ好きでしょっちゅう家を空けるので、先輩の丁稚がおかみさんのところに夜這いに行って慰めていたそうです。 その店には女中もいたそうですが、先輩の丁稚は女中とヤルとおかみさん

  • 夜這いの話(2) | ジャックの談話室

    前回に続いて、民族学者の赤松啓介の話です。 農村の地主、豪農クラスになると、娘を知り合いの家に「行儀見習い」に出したそうですが、この「行儀見習い」は性教育を兼ねていたそうです。 つまり、行儀見習いに住み込んだ家の主人に性の手ほどきをしてもらうのだそうです。 男の子の場合は中学に行くようになると、よその家の奥さんに茶の湯、生け花、習字などを習いに行かされて、やはり奥さんから性の手ほどきを受けたといいます。 この性教育は、双方の親の了解の下に行なわれたそうで、母親同士が相談して「あんたのムスコはうちがオトコにするから、うちのムスコはあんたがオトコにしてやって」というような具合に話が決まることもあったそうです。 また女性が33歳の厄年になると神社仏閣にお参りして、参詣客相手に売春し、男から受け取った金を賽銭として納めて厄払いをするという習慣もあったそうです。 こういう女性には当然、夫も子供もいる

    k-noto3
    k-noto3 2010/05/22
    いろいろむごいこともあるな…
  • 夜這いの話(1) | ジャックの談話室

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