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日本と行政と災害に関するkaerudayoのブックマーク (7)

  • 七尾市の被害認定が厳しいせいで被災住民が地獄だよ

    罹災証明書を受けたり公費解体や生活再建補助金をもらうための第一のステップである被害認定作業のほとんとを県外都市部自治体からの応援職員が行っているよ。 スピード優先で「立っているか」、「立っていないか」ぐらいの判断で被害認定を行っているよ。 そのせいで倒壊は免れたものの、被災により柱がズタズタな古民家や屋根がブルーシートで覆われているような古民家に対して「被害なし」の認定を連発しているよ。 住民は避難所や2次避難中で不安でしかないなのに生活再建ができないと絶望しているよ。 一部の元気な人たちや義憤にかられた漁師たちが、市役所に2次調査申込で怒鳴り込みに来て怒号の能登弁をまくしたてたことろ、応援職員が号泣するという地獄の光景がひろがっているよ。(七尾市は漁師町です)。 このまま被害なしとすると公的解体も補助金も支援が受けられないので、住民が七尾市から逃げ出す算段を始めているよ。 特に東京や大阪

    七尾市の被害認定が厳しいせいで被災住民が地獄だよ
    kaerudayo
    kaerudayo 2024/03/10
    「それもこれも馳を筆頭とした行政対応がクソだからだよ。」 本当にこの10年、裏金と脱税だけ熱心な奴らが政権握ってたんだなぁ。
  • 「理解不能」馳浩・石川県知事の“2週間待機”災害対応に「3・11」を指揮した2人が怒り「自衛隊との連携に疑問」 - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

    「理解不能」馳浩・石川県知事の“2週間待機”災害対応に「3・11」を指揮した2人が怒り「自衛隊との連携に疑問」 社会・政治 投稿日:2024.01.31 06:00FLASH編集部 72時間の壁――。 2024年元日に発生した「能登半島地震」でも叫ばれた、大規模災害時の生死を分けるタイムリミットだ。 1月24日、「初動対応に遅れがあったということには当たらない」と振り返った岸田文雄首相が、被災地の視察に訪れたのは、震災から約2週間後の14日。そして、救助活動のための自衛隊の投入についても「遅い」という批判の声が多く聞かれていた。 【関連記事:能登地震で緊急調査「47都道府県地震回数データ」過去10年の「地震空白県」は香川と奈良、富山「震度5強」は観測史上初】 今回の対応を、2011年の東日大震災で指揮を執った経験者たちはどう見ていたのか。 誌は、火箱芳文(ひばこ・よしふみ)元陸上幕僚長

    「理解不能」馳浩・石川県知事の“2週間待機”災害対応に「3・11」を指揮した2人が怒り「自衛隊との連携に疑問」 - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
    kaerudayo
    kaerudayo 2024/02/01
    遅い、遅くないを言えない死者と被災者を思う。
  • 震災対策が上手くいってるのか分からん件

    アンチ自民は全然やれてないって言うし ネトウヨは自衛隊に感謝ばかりだし 結局のところ震災対策が上手くいってるのかどうか全然分からんのだが お前らは現状の震災対策を客観的に見てどう評価してるの? 国の対策は上手くいってるの?アンチ自民が言ってるようにダメダメなの? そこの客観的評価が定まらないとなんとも言えないのに誰もしっかりしたこと言わないんだよな お前らって賢いんでしょ? 少しは定量的かつ客観的な震災対策の進捗状況教えてくれよ

    震災対策が上手くいってるのか分からん件
    kaerudayo
    kaerudayo 2024/01/09
    内閣府の政務官が正月休みを地元で満喫しているぐらい首相以下行政に危機感がないのを見れば上手くいくはずないでしょうに。
  • WEB特集 もうこの家では暮らせない | NHKニュース

    壊れた屋根にブルーシートがはられたままの家々。いまだに残っているとは、1年前には想像もしていませんでした。 去年9月、千葉県を襲った台風15号では、8万1000棟を超える住宅に被害が出ました。久しぶりに被災した町を訪れた私が見たのは、修理されないままの家に様々な思いで住み続ける人たち、そして、家を壊し街を離れることを決断した人たちでした。(千葉放送局記者 尾垣和幸)

    WEB特集 もうこの家では暮らせない | NHKニュース
    kaerudayo
    kaerudayo 2020/09/24
    今年の頭に千葉の南部に行ったら、まだブルーシートがかけてあって大変だなぁと思ったが。あのままだったんだ。
  • 被災した「最先端の老舗」をみんなで支える意味 - 泣きやむまで 泣くといい

    いま「被災」と言えば、北海道を思い描かれる方が多いのだろう。 9月4日に上陸した台風21号は近畿地方に大きな被害をもたらした。2週間が経ち、全国的には次第に忘れられつつある気もする。しかし、ここに注目してほしい台風の大きな爪痕がある。 「寝屋川市民たすけあいの会」の受けた被害だ。 先に書いておくと、以下は寄付募集と情報拡散(はてなブックマークやSNSでのシェアなど)のお願いである。自分はこうしたことをあまりブログでやってこなかった。そんなに長い記事ではないので、どうか読むための時間を少しください。 congrant.com ずいぶんと古めかしい名前の団体と思われるだろうが、「寝屋川市民たすけあいの会」のことを知る人は障害児者の支援や地域福祉と関わる人に多い。 大阪府寝屋川市で活動拠点を得て、現在の名前になったのが1978年。地域で生きていくための福祉サービスがひどく欠けていた時代。生きるた

    被災した「最先端の老舗」をみんなで支える意味 - 泣きやむまで 泣くといい
    kaerudayo
    kaerudayo 2018/09/18
    “どんどんシステム化されて理念を見失っていくこの国の福祉にとって、お手本となるトップランナーが深く傷つくのはあまりにつらい”
  • 【あの日から7年】大津波から子供を守った”奇跡の保育所長” 「美談」の裏で抱えた苦悩

    職員の車に園児を分散させ、各車に子供を乗れるだけ乗せて、逃げた。 決して冷静ではなかった。災害用に備蓄していた防災グッズも持っていけなかった。車を取りに行くなかで、急いだためかが脱げた職員がいた。 職員は脱げたはそのままにして、急いで車に乗り込み、園に引き返してきた。避難の途中、佐竹さんの車も渋滞に巻き込まれかけた。道路を逆走する車もみた。 正常な状態ではない閖上の街を走りながら、ただただ恐怖だけが募った。 《もし、何もなかったら笑って帰ればいい。でも、なにか起きたら私たちは全員でさようならだと思っていました。 思い出したのは、閖上に親戚が住んでいた職員から聞いた話です。 その親戚は「引き波が怖い」と言っていたといいます。もしかしたら……という思いで精一杯走ったんです。》 午後3時20分、閖上小東昇降口に全員がたどり着いた。園児と職員の数があった一瞬だけ、安堵できた。しかし、安心できる

    【あの日から7年】大津波から子供を守った”奇跡の保育所長” 「美談」の裏で抱えた苦悩
    kaerudayo
    kaerudayo 2018/03/11
    必死な時は誰もが自分がかわいい。弱いものは後回しになる
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    kaerudayo
    kaerudayo 2014/08/03
    「「これは自然災害なんかじゃない」。近くでキャンプ場を営む男性(57)は中州を造成したキャンプ場管理者や、違法な造成を放置していた県への憤りをあらわにした」
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