タグ

社会と映画と歴史に関するkaerudayoのブックマーク (8)

  • 2023年1月24日 Netflix「舞妓さんちのまかないさん」について

    僕が総合演出と共同脚を務めました「舞妓さんちのまかないさん」は2023年1月12日に配信がスタートしました。ご覧頂いた皆様、ありがとうございます。ドラマ制作に向けて格的に取材を開始したのが2020年の夏でしたからもう2年半が経ちました。簡単ではありますが、その制作のプロセスで考えたことを少しまとめてみたいと思います。 ドラマ化を川村元気さんから依頼されるまでの僕の花街についての知識は、微々たるものでした。映画でいえば溝口健二の『祇園の姉妹』『祇園囃子』成瀬巳喜男の『流れる』程度。書籍も何冊か読んで準備はしていましたが、初めて祇園に足を踏み入れた時の僕のスタンスはドラマの4話に登場するすみれの父と大差の無い、否定的、懐疑的なものでした。ただ、取材を始めてわかったのは、この「伝統」を歌舞伎のような文化として次世代に継承していくために変わろうとしている人たちが花街の内外にいるということでした

    2023年1月24日 Netflix「舞妓さんちのまかないさん」について
    kaerudayo
    kaerudayo 2023/01/24
    気になっていたので、声明出してくれて良かった。
  • カンヌでサプライズ上映された「香港民主化デモ」の克明な記録。あの時、最前線で何が起きていたのか

    香港では上映どころか、タイトルを口にすることすらできないドキュメンタリー映画『時代革命』。あの時、何があったのか? 表現の自由が失われた国安法以降の香港社会で何を思うのか? キウィ・チョウ監督に聞いた。

    カンヌでサプライズ上映された「香港民主化デモ」の克明な記録。あの時、最前線で何が起きていたのか
    kaerudayo
    kaerudayo 2022/08/13
    “「日本の皆さんには、この映画を観て自分自身を振り返り、不公平な事態に直面した時、自分ならどうするかを考えるきっかけにしてほしいと思います」”
  • ウルトラマンがウクライナ侵攻の時代に甦ることになった意味

    <3.11を踏まえて原作を震災ナショナリズムの物語に書き換えた『シン・ゴジラ』と違い、『シン・ウルトラマン』はあくまで原作の哲学を踏襲し、さらにコロナで公開が延期になるという偶然が重なって、啓示的な作品になった> 2022年5月13日、SF特撮映画シン・ウルトラマン』(企画・脚:庵野秀明、監督、樋口真嗣)が公開された。2015年公開の映画『シン・ゴジラ』のスタッフがつくる『シン・〇〇』シリーズの第二弾ということで期待が集まり、観客動員数は8日間で100万人を超えた。映画の内容については賛否両論がある。ウルトラシリーズのファンからは概ね高い評価を得ているが、「シナリオがダイジェスト的である」「演出面におけるジェンダー描写が古い」といった声も耳にしつつ、筆者も遅ればせながら鑑賞してきた。 ジェンダー問題について まず公開当初から大きな議論となっていた、演出やカメラアングルがヒロインの長澤ま

    ウルトラマンがウクライナ侵攻の時代に甦ることになった意味
    kaerudayo
    kaerudayo 2022/06/16
    「理想や進歩を語ることが馬鹿にされ、「現実主義」の名のもとにメフィラスのような「よりマシな強者」に隷従したり、ベーターシステムのような超技術を軍事利用したりすることが受け入れられてしまいそうな世の中」
  • 1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編

    「人類を粛正してやる」という富野さんの音 今夏出版予定の書籍『押井守の映画50年50』から、1988年の1をピックアップ。押井監督が選んだ作品は、なんと、富野由悠季監督の劇場アニメ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』!! 「ガンダムファンじゃない人もぜひ見てほしい」と語る押井監督の"トミノ愛"が炸裂します。意外な裏話も満載です。 ──そもそも押井監督は『ガンダム』が好きなのですか? 押井 最初の『機動戦士ガンダム』(79-80)と『機動戦士Zガンダム』(85-86)、『機動戦士ガンダムZZ』(86-87)までは見ていた。そのあとの作品はたまに拾い見する程度で、あんまり興味がない。天下一武道会のガンダム(『機動武闘伝Gガンダム』(94-95))とか、宝塚ガンダム(『新機動戦記ガンダムW』(95-96))とかいろいろあるけどさ。ガンダムというロボット自体にはまったく興味がない。それでも『

    1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編
    kaerudayo
    kaerudayo 2020/01/29
    宮崎駿と富野由悠季が電話でおしゃべり。すごいな。
  • 『主戦場』を見た後に - 過ぎ去ろうとしない過去

    軍「慰安婦」問題を描いたドキュメンタリー映画『主戦場』(ミキ・デザキ監督)が評判となっている。上映している場所が少ない(関東では2館。私が見てきた5月上旬の段階では1館)こともあるが、常に満席。事前予約は必須で、平日の午前中ならばなんとかなるだろうと当日訪れた私は、後日に出直しを迫られた。 映画は、「慰安婦」に対する「支援派」と「否定派」、のインタビュー映像が交互に繰り返されることによって進んでいく。しかし、「否定派」の議論の稚拙さがすぐに明らかになる。誘導によってではない。かれらはカメラに向かってほとんど無防備に、普段から自分たちが主張していることを、主張している通りに喋る。だがその主張は、その後の「支援派」の主張やナレーションによって直ちに否定される。主張のそれ以外は、議論の余地なく嫌悪感をもよおすような、差別、明白なウソ、陰謀論である。 この映画は双方の議論について、いわゆる「両

    『主戦場』を見た後に - 過ぎ去ろうとしない過去
    kaerudayo
    kaerudayo 2019/06/04
    “動機が何であるにせよ積極的に人々が騙されたがっている限り、「慰安婦」に対する「否定論者」は何度論破されても、自身の根拠を説得力があるものにアップデートする必要はない。論破された話を繰り返しするだけ”
  • エディー・マーフィーがアジア人になる映画『マッド・ファット・ワイフ』 - 破壊屋ブログ

    顔面を塗ってアジア人のフリをして、黒人差別発言をするエディー・マーフィー。ただこれは「黒人だと養子の貰い手が少ないから俺が父親になってこの子を育ててやる」という意味も含まれる。 大晦日の『笑ってはいけない』で、顔を黒塗りしてエディー・マーフィーのコスプレをするギャグが議論になっているけど、俺もあのギャグは問題だと思っている。しかしあの議論には大事な観点が抜けていると言わざるをえない。 その観点とは… 顔面ペイントで他の人種のフリをするのってエディー・マーフィーの持ちネタじゃん! どうしてこの観点が抜けているのかというと、それはもちろん関係無いからだ。そしてもう一つ大事な原因がある。それはみんなエディー・マーフィーのことをすっかり忘れているということだ。 『星の王子 ニューヨークへ行く』のエンド・クレジット。劇中気づかなかった人もエンド・クレジットで「あの白人はエディー・マーフィーだったのか

    エディー・マーフィーがアジア人になる映画『マッド・ファット・ワイフ』 - 破壊屋ブログ
    kaerudayo
    kaerudayo 2018/01/07
    意識は変わったのだなぁ
  • キネマ旬報ベスト・テン 1位は「この世界の片隅に」 | NHKニュース

    去年を代表する映画を選ぶキネマ旬報ベスト・テンが10日、発表され、日映画の1位には片渕須直監督のアニメーション映画「この世界の片隅に」が選ばれました。アニメーション作品が1位になるのは、昭和63年の「となりのトトロ」以来、28年ぶりです。 日映画や外国映画などのベスト・テンのほか、監督や俳優などに贈られる賞があり、このうち日映画の1位には片渕須直監督のアニメーション映画「この世界の片隅に」が選ばれました。 この作品は、こうの史代さんの漫画が原作で、戦時中の広島や呉を舞台に厳しい生活の中でも明るさを忘れない主人公の女性の日常を描いた物語です。 アニメーション作品が1位に選ばれたのは、昭和63年の宮崎駿監督の「となりのトトロ」以来28年ぶりです。また、片渕監督はアニメーション作品の監督として初めて監督賞を受賞します。 日映画の2位には、庵野秀明さんが総監督を務めた人気映画シリーズの最新

    キネマ旬報ベスト・テン 1位は「この世界の片隅に」 | NHKニュース
  • 1948年に東京で撮影されたあの鮮明すぎる35mmフィルムの正体がわかった!! : himag

    このブログは今年の4月に開設したばかりだったので終戦の週にこの映像を思い出し、改めて記事として紹介してみることにしたのだ。 2015年8月10日に記事を公開してからシェアやRTにより大きな反響を呼び、さらに映像の中に1948年11月公開の映画「四十三丁目の奇蹟」のポスターが貼られていることを発見した人から1948年秋の映像ではないか?という指摘が寄せられた。 その後、クルマやスクーターなどに詳しい人からも1948年説を裏付ける情報をもらったので、元記事のタイトルや内容は変更せずに文末に新しく判明した事実を追記するカタチをとった。1946年と思って書いたので終戦直後というタイトルにしたが後に1948年と年代特定されたので終戦から3年後ということになる。 私も新橋の撮影ポイントに行ってカメラ位置を検証したり音楽PVで使われていた映像の元素材を何度も見たりしていたが、いくつかの疑問があった。 【

    1948年に東京で撮影されたあの鮮明すぎる35mmフィルムの正体がわかった!! : himag
  • 1