石川県で最大震度7を観測した能登半島地震では、被害が甚大な輪島市や珠洲市など奥能登地方を中心に道路の損壊が激しく、通信状況も悪化したため、行政や自衛隊が避難所に支援物資を届ける作業がスムーズに進まなかった。また、行政の指定避難所に入れなかった被災者らは自主的に避難所を開設し、自力で物資を調達ししのいでいた。発生から8日で1週間。避難所の課題を探った。(高橋雅人、武藤周吉、郷司駿成、加藤壮一郎)
石川県で最大震度7を観測した能登半島地震では、被害が甚大な輪島市や珠洲市など奥能登地方を中心に道路の損壊が激しく、通信状況も悪化したため、行政や自衛隊が避難所に支援物資を届ける作業がスムーズに進まなかった。また、行政の指定避難所に入れなかった被災者らは自主的に避難所を開設し、自力で物資を調達ししのいでいた。発生から8日で1週間。避難所の課題を探った。(高橋雅人、武藤周吉、郷司駿成、加藤壮一郎)
台風19号による豪雨被害から1か月。全国で92人が亡くなり、3人が行方不明のままです。 災害担当の記者として、何を伝え、どのような呼びかけをすれば少しでも被害を減らすことができたのか…。 犠牲になった方が被害にあった場所や状況を詳しく調べることで、課題や教訓を導き出せないかと私たちは調査を始めました。 そこで見えてきたのは、「ハザードマップの限界」と「災害時に社会をどう止めるのか」という2つの大きな課題でした。 (台風19号取材班・社会部記者 藤島新也・ネットワーク報道部ディレクター 田中元貴) ※分析には、令和元年11月12日現在の情報を用いた。 「ハザードマップをもとに、自分がいる地域の危険性を確認してください」 これまで私たちが台風の前に何度も呼びかけてきた言葉です。 ハザードマップは、浸水や土砂災害のおそれがある場所を示した防災マップ。市町村が配布したりHPで公開したりしていて、リ
東日本を縦断し大雨をもたらした台風19号の影響で、川崎市の川崎市市民ミュージアムの地下部分が水没した。地下には、19世紀末のロートレックのポスターなど約23万点のコレクションを保管する収蔵庫があり、同館は貴重な資料に影響が出ていないか心配している。電気設備が使用できなくなったため、同館は当分の間、全面休館を決定。開催したばかりの「田河水泡と子供マンガの遊園地」展などを中止とした。 同館によると、屋外の駐車場から雨水が入り込み、機械室などが水没。このため、13日からポンプ車で排水しており、16日中にも排水作業が終了する見込みだという。 同館は、ポスター、写真、漫画、映画フィルム、ビデオなど全国最大級のコレクションを収蔵している。収蔵庫は別の部屋を隔てた先にあり、金庫のような厚い扉に守られているが、電気設備が使用不可能になったため、普段行っている温湿度管理もできていない状況だ。佐藤美子学芸部門
9月9日未明、千葉市に上陸し、千葉県内に甚大な被害をもたらした台風15号。上陸直後には県内ほぼ全域の約90万戸が停電し、暴風により多くの住宅が損壊した。停電が2週間続いた地域も多く、台風が去って20日が経った現在でも復旧していない地域もある。 そんな被災地・千葉のなかでも、特に被害が大きかった県南部の館山市に暮らす作家のこかじさらさん。彼女自身は幸運にもほとんど被害に遭うことはなかったが、まったく想定していなかったトラブルの連続に、精神的にすり減っていく20日間だったという。 屋根が丸ごと飛ばされた家 9月9日(月)台風15号による大停電1日目 午前1時過ぎ、台風15号が上陸したと思われる時刻、千葉県館山市は、かつて経験したことがないほどの暴風雨に見舞われていた。 私は、高齢の両親(父89歳、母87歳)と同居している館山市内の自宅で、不安な夜を過ごしていた。突然、バリバリという音がしたと思
熊本地震の大きな特徴は、避難者の「車中泊」と被災地情報の「SNS拡散」が多いことです。実際に現場を歩いてみて、最初の大地震直後から見られるこの2つの組み合わせへの対応の遅れが、今、現場の混乱を引き起こす深刻な要因になりつつあることを感じ、具体的な提案とともにまとめたいと思います。 昨年、鬼怒川が決壊した9月の東日本豪雨災害で、私は自治体ごとに情報発信や災害広報に格差があることを指摘し、いざという時、生活する地域の差が得られる情報の差、ひいては命の差になってはいけないことを訴えました(こちら)。今、災害時の情報格差を生まないための、そして少しでも減災へとつなげる災害広報の基準づくりをさまざまな専門家と共に進めています。 そんな中でマスコミ報道では見えない課題を探ろうと、熊本市や益城町などでボランティアの受け入れが始まった週末、今回の熊本地震で最も被害のひどかった地域である益城町、御船町、西原
世界で最も災害の多い国、日本。かつて我々の先祖たちは、災害の恐ろしさを地名に託し、後世に伝えようとしていた。そんな災害と深く関係する「あぶない地名」の数々を、「現場検証」する。 「きれいな地名」は要注意 都内屈指の高級住宅街、東京都目黒区自由が丘。「住みたい街」ランキングでは常に上位にランクされるこの地に、戦後から暮らす80代の男性が自由が丘の過去について、驚くべき証言をした。 「この辺りには、かつて大岡山から大蛇が襲ってきたという言い伝えが残っています。おそらく水害をなぞらえているのでしょう。今では考えられませんが、かつてこの地では、子供が溺れる水難事故が多かったようです」 男性によれば、'14年秋のゲリラ豪雨の際、家の目の前のマンホールから水があふれ、蓋が浮くほどだったという。 日本には、長い歴史の中で、幾度も天変地異に遭っている土地が存在する。そういう場所には先人が災害を示唆する地名
東日本大震災。 東日本全体で21000人もの人が命を失い、または行方不明となりました。私も被災し岩手県陸前高田市米崎小学校の体育館で二ヶ月間にわたり避難所生活をしながら避難所運営を経験しました。 多くの人に助けられ過ごした時間です。この場をお借りして、日本中の人に御礼を述べさせていただきます。 本来であれば、避難所運営の一例として記録と御礼だけに留めるべきことですが、次の万が一の時のために避難所運営の改善点とご支援をいただいた際に気になった点を記させていただきます。 両親と妻と一男二女の7人暮らしをしていました。両親とも同じ米崎町生まれで、昭和35年のチリ地震津波の被害も経験しています。妻は同じ岩手県内でも内陸の一関市生まれなので、結婚するまで津波に対する防災教育を受けずに育ちました。 震災時、子どもは小学校一年の長女と保育園年長組の次女は学校と保育園へ。1歳6ヶ月の長男は自宅で妻と一緒で
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く