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思い出に関するkiringoのブックマーク (2)

  • 読売日本交響楽団第481回定期演奏会@サントリーホール - sekibang 1.0

    指揮:下野竜也 男声合唱=東京混声合唱団 芥川也寸志(没後20年):エローラ交響曲 藤倉大:読売日響委嘱作品《アトム》【世界初演】 黛敏郎(生誕80年):《涅槃交響曲》 マエストロ下野の読響定期を初めて聴きに行く。超絶良い演奏会。帰りに下野さんと偶然お会いして「素晴らしい演奏会でした!」と伝えると、アルコール混じりの笑顔で握手していただけた(柔らかい手……)のも感慨深いのだが、収穫が多い演奏会で「こういうのがオーケストラを生で聴く醍醐味だよな」と思った。ここで今日の演奏会をプログラム順に振り返ってみよう。 まず前プロの芥川也寸志だが、これは私がこれまで抱いていた芥川のイメージが覆されるような演奏だった。私はこの作曲家のことを、変拍子の印象的なリフレインを多用し(いわばカンザスシティのリフ・ミュージックのような)、ハーモニックな感性には欠ける粗野な作曲家、とばかり思っていたのが、冒頭の弱音だ

    読売日本交響楽団第481回定期演奏会@サントリーホール - sekibang 1.0
    kiringo
    kiringo 2009/04/12
    中学の吹奏楽部の合宿で、先輩だった川島素晴が自作のミニマル・ミュージックを披露していた。(使用楽器はグロッケン) 当時は何かの冗談だと思って笑い転げいていまんた。
  • 奥村隆『ジンメルのアンビヴァレンツ』 - sekibang 1.0

    奥村隆『ジンメルのアンビヴァレンツ』(PDF) 何気なしに学生時代の恩師が書いた論文を読んでみた。これはゲオルク・ジンメルのヴェーバーやデュルケム、そしてマルクスとはちがった社会の捉え方を検討したもの。こういった社会学についての文章を読むのはひさしぶりだったけれど、とても面白く読む。「個人に対し、社会が存在する」という構図ではなく、さまざまな要素が絡み合って、個人のように見える、あるいは社会のように見える(個人も、社会も確固たる実在性を持っているとは言えない)という議論をジンメルは提示し、そのような“見える化”を彼は「相互作用」という風に呼んだ。同語反復のようだけれど、この相互作用によってこそ、社会や個人が成立するのだ。奥村はこの観点を『エリアス・暴力への問い』で、ジンメルとエリアスの観点の類似について指摘する際に参照しているが、読んでいて思い出したのは馬場靖雄の『ルーマンの社会理論』であ

    奥村隆『ジンメルのアンビヴァレンツ』 - sekibang 1.0
    kiringo
    kiringo 2009/03/26
    わたすもこの先生にならっておりますた。酔いつぶれてご自宅にお邪魔したことも。お元気でいらっさるのか。15年も前のこと。宮台真司についての発表を褒めてもらったのが一生の思い出。(私の大学に出稼ぎに来てた)
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