アグネス論争を読む 一九七二年、香港から来日し、十七歳でたとたどたどしい日本語で『ひなげしの花』を歌ってデビュー。その後カナダの大学へ留学、マネージャーと結婚。一九八七年十一月に長男和平君を出産。 翌年二月九日、『なるほど!ザ・ワールド』子連れで初出勤。三月十五日、育児雑誌『ピーアンド』に「ママはオマエを自分の手で育てたいので、オマエを連れて仕事に行きます。オマエとママにとっては、ただ、毎日の楽しいおでかけなのよね」と書く。同月二十日、超ベテラン歌手の淡谷のり子が『おはよう!ナイスディ』で「芸人は夢を売る商売なのに、楽屋に子どもを連れて来たりすると芸が所帯じみてよくない」と発言。四月二十八日、『サンデー毎日』の「電気じかけのペーパームーン」で評論家の中野翠がアグネス批判。六月十七日、『週刊朝日』が「講演料一七〇万円・アグネス先生キタルで、学園緊張。響く『ひなげしの花』今日も総勢六人」と報道
アグネス論争(アグネスろんそう)は、アグネス・チャンによる「子連れ出勤」の是非をめぐる論争である。 1988年の新語・流行語大賞では、「アグネス論争」が流行語部門・大衆賞を受賞した。 概要[編集] 1987年、歌手・タレントのアグネス・チャンが第1子を出産した。彼女がその直後にこの乳児を連れてテレビ番組の収録スタジオにやってきたことがマスコミに取り上げられ、林真理子、中野翠などから「大人の世界に子供を入れるな」、「周囲の迷惑を考えていない」、「プロとして甘えている」といった点で痛烈に批判された。これを発端として、仕事をもつ母親の立場が再考されはじめ、現在までこの一件を扱った書籍は数多い。 経緯[編集] この論争の背景には、少子・高齢化社会の到来を前に、男女雇用機会均等法の施行などがあり、当時女性の社会進出機運がマスコミ等で注目されていたことが挙げられる。アグネス・チャンは参議院の「国民生活
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