ブックマーク / bonjin5963.hatenablog.com (655)

  • 人言は夏野の草の繁くとも・・・巻第10-1983 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 人言(ひとごと)は夏野(なつの)の草の繁(しげ)くとも妹(いも)と我(あ)れとし携(たづさ)はり寝ば 要旨 >>> 人の噂が夏の野草が茂るようにうるさくても、あなたと私が手をとりあって寝てしまえば・・・。 鑑賞 >>> 「草に寄せる」男の歌。「人言」は他人の噂。その噂のうるささを、手がつけられないほど茂り放題となる夏草に喩えています。「我れとし」の「し」は強意。「携はり寝ば」は、共に寝たならばで、下に嬉しかろうの意が省かれています。集団的生活のなかで、個人的行動が難しかった嘆きの歌ですが、作家の田辺聖子は次のように評しています。「直截的な表現で、それをどこかぶきっちょに、ぶこつに言っている。ぶっきらぼうな歌といってもいい。洗練された都会人ならもっとうまい言い回しをしたろうが、ぶったぎるような言い方に真実が感じられる」。さて、女はどのような返答をしたのでしょうか。

    人言は夏野の草の繁くとも・・・巻第10-1983 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/28
  • 遣新羅使人の歌(15)・・・巻第15-3656~3658 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3656 秋萩(あきはぎ)ににほへる我(わ)が裳(も)濡(ぬ)れぬとも君が御船(みふね)の綱(つな)し取りてば 3657 年(とし)にありて一夜(ひとよ)妹(いも)に逢ふ彦星(ひこほし)も我(わ)れにまさりて思ふらめやも 3658 夕月夜(ゆふづくよ)影立ち寄り合ひ天(あま)の川(がは)漕ぐ舟人(ふなびと)を見るが羨(とも)しさ 要旨 >>> 〈3656〉秋萩に美しく染まった私の裳が濡れようとも、川を渡って来られたあなた様(牽牛)の御船の綱を手に取って岸に繋ぐことができたら。 〈3657〉一年にただ一夜だけに逢う彦星も、この私以上にせつない思いをしているとは思えません。 〈3658〉夕月夜に、彦星と織女の影がしだいに寄り合い、天の川を舟を漕いで渡っていく彦星を見ると羨ましくなる。 鑑賞 >>> 題詞に「七夕に天漢(あまのがは)を仰ぎ觀て各(おのおの)思ひを陳(の)べて作る歌

    遣新羅使人の歌(15)・・・巻第15-3656~3658 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/27
  • 防人の歌(33)・・・巻第14-3569~3571 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3569 防人(さきもり)に立ちし朝明(あさけ)の金門出(かなとで)に手離(たばな)れ惜しみ泣きし児(こ)らはも 3570 葦(あし)の葉に夕霧(ゆふぎり)立ちて鴨(かも)が音(ね)の寒き夕(ゆふへ)し汝(な)をば偲(しの)はむ 3571 己(おのづま)を人の里に置きおほほしく見つつそ来(き)ぬるこの道の間(あひだ) 要旨 >>> 〈3569〉防人として出立した夜明けの門出の時に、私の手から離れることを惜しんで泣いたわがよ。 〈3570〉水辺に生える葦の葉群れに夕霧が立ち込め、鴨の鳴く声が寒々と聞こえてくる夕暮れ時には、なおいっそうおまえを偲ぶことだろう。 〈3571〉自分のなのに、自分のいない里に残したまま、気も晴れず、何度も何度も振り返りながらこの道中をやって来た。 鑑賞 >>> 巻第14の「東歌」の終わり近くに防人歌5首が載っており、ここの歌はそのうちの3首です。

    防人の歌(33)・・・巻第14-3569~3571 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/26
  • 防人の歌(32)・・・巻第20-4343 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 我(わ)ろ旅は旅と思(おめ)ほど家(いひ)にして子 持(め)ち痩(や)すらむ我(わ)が(み)愛(かな)しも 要旨 >>> 自分は、どうせ旅は旅だと割り切ればよいが、家で子供を抱えてやつれているが愛しくてならない。 鑑賞 >>> 駿河国の防人の歌。「我ろ」の「ろ」は、接尾語。「思(おめ)ほど」は「思へど」の方言。「家(いひ)」は、家の方言。「持(め)ち」は「もち」の方言。「(み)」は「め」の方言。窪田空穂は、「こうした別れの際、自身のことはいわずに、相手のほうを主として物をいうのは、上代では儀礼となっていたのであるが、これは儀礼を超えた、真実の心の溢れ出たものである。若くして老熟したあわれのある歌である」と述べています。 防人歌の構成 兵部少輔の大伴家持に上進された防人たちの歌は、全部で166首ありましたが、「拙劣歌は取り載せず」として82首が省かれました。巻第20の防人

    防人の歌(32)・・・巻第20-4343 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/25
  • 山の辺にい行く猟夫は・・・巻第10-2147 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 山の辺(へ)にい行く猟夫(さつを)は多かれど山にも野にもさを鹿(しか)鳴くも 要旨 >>> 山の辺に行く猟師は多くて恐ろしいものだが、それでも恋しさに、牡鹿があんなに鳴いている。 鑑賞 >>> 「鹿鳴を詠む」歌。「い行く」の「い」は接頭語。「猟夫」は猟師、狩人。この歌は、斉藤茂吉によれば、「西洋的にいうと、恋の盲目とでもいうところであろうか。そのあわれが声調のうえに出ている点がよく、第三句で、『多かれど』と感慨をこめている。結句の、『鳴くも』の如きは万葉に甚だ多い例だが、古今集以後、この『も』を段々嫌って少なくなったが、こう簡潔につめていうから、感傷の厭味に陥らぬともいうことが出来る」

    山の辺にい行く猟夫は・・・巻第10-2147 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/24
  • ぬばたまの夜渡る月を留めむに・・・巻第7-1077 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> ぬばたまの夜(よ)渡る月を留(とど)めむに西の山辺(やまへ)に関(せき)もあらぬかも 要旨 >>> 夜空を渡る美しい月を押しとどめるために、西の山辺に関所でもないものだろうか。 鑑賞 >>> 「月を詠む」歌。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「ぬかも」は願望。この歌の発想は後世にも取り入れられ、たとえば在原業平が惟喬親王とともに狩に出た折、酒にうち興じているうち親王が酔ってしまい、奥へ引っこもうとしたため、業平が引き留めようとして即興で詠んだ、「飽かなくにまだきも月のかくるるか山の端にげて入れずもあらなむ」(『古今集』)という歌があります。「山の端」が逃げて、月(親王)を山陰に入れないでくれ、と言っています。

    ぬばたまの夜渡る月を留めむに・・・巻第7-1077 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/22
  • 防人の歌(31)・・・巻第20-4351 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 旅衣(たびころも)八重(やへ)着重(きかさ)ねて寐(い)ぬれどもなほ肌寒(はださむ)し妹(いも)にしあらねば 要旨 >>> 旅の着物を何枚も重ねて寝るのだけれど、やはり肌寒い。ではないので。 鑑賞 >>> 上総国の防人の歌。「八重着重ねて」は、何枚も重ねて着て。時は2月です。作者の玉作部国忍(たまつくりべのくにおし)の故郷である望陀郡は房総半島の現木更津市・君津市の辺りです。東京湾に臨む温暖な地であり、東山道を行く旅はさぞ寒かったことでしょう。 防人に指名されて国庁に集まった防人たちとその家族は、そこで防人編成式に臨み、そのあと家族と別れ、国司職の部領使(ことりづかい/ぶりょうし:引率する係りの者)に引率されて陸路難波をめざしました。また、難波までの料などの調達はすべて自弁とされました。彼らが難波までに辿ったルートは2つあり、一つは海沿いの東海道、もう一つは山を通る東山道

    防人の歌(31)・・・巻第20-4351 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/21
  • 若ければ道行き知らじ・・・巻第5-904~906 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 904 世の人の 貴び願ふ 七種(ななくさ)の 宝も我は 何(なに)為(せ)むに わが中の 生まれ出(い)でたる 白玉の わが子 古日(ふるひ)は 明星(あかぼし)の 明くる朝(あした)は 敷妙(しきたへ)の 床の辺(へ)去らず 立てれども 居(を)れども 共に戯(たはぶ)れ 夕星(ゆふつづ)の 夕(ゆうべ)になれば いざ寝よと 手を携(たづさ)はり 父母(ちちはは)も 上は勿(な)下(さか)り 三枝(ささくさ)の 中に寝むと 愛(うつく)しく 其(し)が語らへば 何時(いつ)しかも 人と成り出でて 悪(あ)しけくも 善(よ)けくも見むと 大船(おほぶね)の 思ひ憑(たの)むに 思はぬに 横風(よこしまかぜ)の にふふかに 覆(おほ)ひ来(きた)れば 為(せ)む術(すべ)の 方便(たどき)を知らに 白妙(しろたへ)の 襷(たすき)を掛け まそ鏡 手に取り持ちて 天(あま)つ神

    若ければ道行き知らじ・・・巻第5-904~906 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/20
  • 持統太上天皇と文武天皇の紀伊国行幸の折の歌(3)・・・巻第9-1676~1679 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1676 背(せ)の山に黄葉(もみち)常敷(つねし)く神岡(かみをか)の山の黄葉は今日(けふ)か散るらむ 1677 大和には聞こえも行くか大我野(おほがの)の竹葉(たかは)刈り敷き廬(いほ)りせりとは 1678 紀の国の昔(むかし)弓雄(ゆみを)の鳴り矢もち鹿(しし)取り靡(な)べし坂の上(うへ)にぞある 1679 紀の国にやまず通はむ(つま)の杜(もり)寄しこせにといひながら [一云 賜はにもといひながら 要旨 >>> 〈1676〉背の山にもみじ葉はいつも散り敷いているけれど、神岡の山のもみじは、今日あたり散っているのだろうか。 〈1677〉大和にいるは知っているだろうか、ここ大我野で竹葉を刈り取って敷き、一人わびしく仮寝しているのを。 〈1678〉その昔、紀の国に武勇の者がいて、鳴り矢をうならせて鹿猪(しし)を退治し一帯を平定したという、ここがその坂の上である

    持統太上天皇と文武天皇の紀伊国行幸の折の歌(3)・・・巻第9-1676~1679 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/19
  • 持統太上天皇と文武天皇の紀伊国行幸の折の歌(2)・・・巻第9-1672~1675 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1672 黒牛潟(くろうしがた)潮干(しほひ)の浦を紅(くれなゐ)の玉裳(たまも)裾(すそ)ひき行くは誰(た)が 1673 風莫(かざなし)の浜の白波いたづらにここに寄せ来(く)る見る人なしに [一云 ここに寄せ来(く)も] 1674 我(わ)が背子(せこ)が使(つかひ)来(こ)むかと出立(いでたち)のこの松原を今日(けふ)か過ぎなむ 1675 藤白(ふぢしろ)のみ坂を越ゆと白栲(しろたへ)のわが衣手(ころもで)は濡れにけるかも 要旨 >>> 〈1672〉潮が引いている黒牛潟を、鮮やかな紅の裳裾姿で行き来している宮廷婦人は、いったい誰の思い人だろう。 〈1673〉風莫の浜の静かな白波は、ただ空しく寄せてくるばかりだ。見る人もいないままに。 〈1674〉私の夫のお使いが来ないかと、門口に出で立つという名の出立の松原、待つその人を思わせるこの松原を、今日は通り過ぎてしまうのだろ

    持統太上天皇と文武天皇の紀伊国行幸の折の歌(2)・・・巻第9-1672~1675 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/18
  • 持統太上天皇と文武天皇の紀伊国行幸の折の歌(1)・・・巻第9-1668~1671 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1668 白崎(しらさき)は幸(さき)くあり待て大船(おほぶね)に真梶(まかぢ)しじ貫(ぬ)きまたかへり見む 1669 南部(みなべ)の浦(うら)潮な満ちそね鹿島(かしま)なる釣りする海人(あま)を見て帰り来(こ)む 1670 朝開(あさびら)き漕(こ)ぎ出て我(わ)れは由良(ゆら)の崎(さき)釣りする海人(あま)を見て帰り来(こ)む 1671 由良(ゆら)の崎(さき)潮(しほ)干(ひ)にけらし白神(しらかみ)の磯の浦廻(うらみ)をあへて漕ぐなり 要旨 >>> 〈1668〉白崎よ、今の美しい姿のままで待っていてくれ。大船に多くの梶を取りつけて、また帰りにお前を眺めるから。 〈1669〉この南部浦に、そんなに潮は満ちないでほしい。鹿島で釣りをしている漁師を見て帰って来たいから。 〈1670〉朝早く漕ぎ出して、由良の崎で釣りをしている漁師を見て帰って来よう。 〈1671〉由良の崎

    持統太上天皇と文武天皇の紀伊国行幸の折の歌(1)・・・巻第9-1668~1671 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/17
  • 防人の歌(30)・・・巻第20-4355 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> よそにのみ見てや渡(わた)らも難波潟(なにはがた)雲居(くもゐ)に見ゆる島ならなくに 要旨 >>> 自分とは無関係に思っていた難波潟、ここは、雲の彼方の遠い離れ島というわけではないのに、その難波潟よりさらに遠い筑紫に向かうことになるとは。 鑑賞 >>> 上総国の防人の歌。「よそにのみ」は、無関係なように。「見てや」の「や」は疑問。「ならなくに」は、ではないのに。難波に着いて出航の日を待って過ごしている間に詠まれたもののようです。この歌について窪田空穂は、「屈折の多い言い方をしているもので、これを中央の京の歌としても、あまりにも文芸的な言い方で、解しやすくないものである。防人の歌とすると、甚しく加筆したものにみえる」と言っています。 防人歌の構成 兵部少輔の大伴家持に上進された防人たちの歌は、全部で166首ありましたが、「拙劣歌は取り載せず」として82首が省かれました。巻第20

    防人の歌(30)・・・巻第20-4355 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/16
  • 春されば樹の木の暗の夕月夜・・・巻第10-1875 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 春されば樹(き)の木(こ)の暗(くれ)の夕月夜(ゆふづくよ)おぼつかなしも山陰(やまかげ)にして 要旨 >>> 春になって木々が萌え茂り、それが山陰であるので、ただでさえ光の薄い夕月夜が、いっそう薄くほのかだ。 鑑賞 >>> 「月を詠む」歌。「春されば」は、春になったので。「木の暗」は、木が茂って暗くなっているところ。「おぼつかなし」は、はっきりしない。「山陰にして」は、山陰なので。斎藤茂吉は、「巧みでない寧ろ拙な部分の多い歌ではあるが、『おぼつかなしも』の句に心ひかれる」と言っています。

    春されば樹の木の暗の夕月夜・・・巻第10-1875 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/15
  • 防人の歌(29)・・・巻第20-4354 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 立鴨(たちこも)の発(た)ちの騒(さわ)きに相(あひ)見てし妹(いも)が心は忘れせぬかも 要旨 >>> 立つ鴨のような出立のあわただしさの中を、逢いに来てくれたあの子の心根は忘れようにも忘れられない。 鑑賞 >>> 上総国の防人の歌。「立鴨の」の「こも」は、鴨の方言。譬喩として「発ちの騒き」の枕詞。夫婦関係は結んでいるものの、絶対に秘密にしている間柄であったとみえ、女は、素知らぬさまを装っているのに堪えられず、村の見送りの者の中に立ちまぎれて、よそながら見て別れを惜しんだようです。 防人は任務の期間も税は免除されなかったため、農民にとってはたいへん重い負担でした。また、徴集された防人は、部領使(ことりづかい/ぶりょうし:引率する係りの者)が同行して連れて行かれましたが、自弁でした。部領使は馬に乗り、従者もいましたが、防人たちは徒歩のみで、夜は寺院などの宿泊場所がなければ野宿さ

    防人の歌(29)・・・巻第20-4354 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/14
  • 眉根掻き鼻ひ紐解け・・・巻第11-2808~2809 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 2808 眉根(まよね)掻(か)き鼻(はな)ひ紐(ひも)解け待てりやもいつかも見むと恋ひ来(こ)し我(あ)れを 2809 今日(けふ)なれば鼻ひ鼻ひし眉(まよ)かゆみ思ひしことは君にしありけり 要旨 >>> 〈2808〉眉を掻き、くしゃみをして、紐を解いて待っていてくれたんですか、早く逢いたいと恋しく思ってやって来た私を。 〈2809〉今日は何だか、鼻がむずむずして、くしゃみが出て、眉が痒い、と思ったら、あなたに逢える前兆だったんですね。 鑑賞 >>> 作者未詳の問答歌。2808は、恋人のもとを訪れた男の歌、2809はそれに答えた女の歌です。「鼻ふ」は、くしゃみをすること。当時の習俗を知らないと理解できない歌であり、万葉人は、恋人が強く思ってくれると眉が痒くなる、さらにはくしゃみが出る、また、逢いたいなあと思い続けると相手の下着の紐がほどけると考えていました。それを逆手にとっ

    眉根掻き鼻ひ紐解け・・・巻第11-2808~2809 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/13
  • 朝寝髪われは梳らじ・・・巻第11-2578 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 朝寝髪(あさねがみ)われは梳(けづ)らじ愛(うるは)しき君が手枕(たまくら)触れてしものを 要旨 >>> 朝の寝乱れた髪を梳るまい、愛しいあなたの手枕が触れた髪だから。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。夫が去って行った朝に詠んだ女の歌。「君が手枕触れて」は、夫の腕を枕にして寝る意。愛しい夫が愛撫してくれたと思うと、自分の体のそれぞれの部分がいとおしく思える女心・・・。万葉集ではめずらしく直接的な性愛表現の歌です。当時の女性は一般的に髪を長く伸ばしており、夜寝る時は髪を解き、昼間は結い上げたようです。結い上げる前に、朝、寝乱れた髪を櫛梳るのです。「触れてし」の「てし」は過去完了。

    朝寝髪われは梳らじ・・・巻第11-2578 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/12
  • うつせみの命を長くありこそと・・・巻第13-3291~3292 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3291 み吉野の 真木(まき)立つ山に 青く生(お)ふる 山菅(やますが)の根の ねもころに 我(あ)が思(おも)ふ君は 大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに〈或るに云ふ、大君の命(みこと)恐(かしこ)み〉 鄙離(ひなざか)る 国 治(をさ)めにと〈或るに云ふ、天離(あまざか)る 鄙(ひな)治(をさ)めにと〉 群鳥(むらとり)の 朝立(あさだ)ち去(い)なば 後(おく)れたる 我(あ)れか恋ひむな 旅なれば 君か偲(しの)はむ 言はむすべ 為(せ)むすべ知らず〈或る書に、あしひきの 山の木末(こぬれ)にの句あり〉 延(は)ふ蔦(つた)の 行きの〈或るには、行きのの句なし〉 別れのあまた 惜しきものかも 3292 うつせみの命を長くありこそと留(と)まれる我(わ)れは斎(いは)ひて待たむ 要旨 >>> 〈3291〉み吉野の立派な木々が立つ山に青々と生える山菅の根のよ

    うつせみの命を長くありこそと・・・巻第13-3291~3292 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/11
  • をちこちの礒の中なる・・・巻第7-1300 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> をちこちの礒(いそ)の中なる白玉(しらたま)を人に知らえず見むよしもがも 要旨 >>> あちこちの海辺の石の中にひそむ美しい玉(真珠)を、どうかして他人に知られず見ることができないだろうか。 鑑賞 >>> 『柿人麻呂歌集』から「玉に寄せる」歌。「白玉(真珠)」は、尊く美しい女、「をちこちの磯」は、その白玉を厳しく取り巻いて護っている人々を意味しており、作者は近づきがたい高い身分の女に恋しています。そうした女性はずっと家の中にいたため、男は垣間見(かいまみ)、ありていに言えば「のぞき見」するよりほかなかったのです。それにしても「をちこちの」と言っていますから、ひょっとしたら「のぞき趣味」の男が詠んだ歌かもしれません。「もがも」は願望。

    をちこちの礒の中なる・・・巻第7-1300 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/10
  • 住吉の小集楽に出でて・・・巻第16-3808 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 住吉(すみのえ)の小集楽(をづめ)に出でてうつつにもおの(づま)すらを鏡と見つも 要旨 >>> と二人で住吉の歌垣の集まりに出てみたが、自分のながら、夢ではなくまざまざと、鏡のように光り輝いて見えた。 鑑賞 >>> この歌には次のような注釈があります。昔、ある田舎者がいた。姓名はわからない。ある時、村の男女が大勢集まって野で歌垣を催した。この集まりの中にその田舎者の夫婦がいた。の容姿は大勢の中で際立って美しかった。そのことに気づいたこの夫はいっそうを愛する気持ちが高まり、この歌を作って美貌を讃嘆した。 「小集楽」の「小」は親しんで呼ぶ接頭語で、「集楽」は橋のたもと。歌垣は橋のたもとで行われることが多かったため、「小集楽に出でて」は、歌垣に参加することを意味します。住吉の歌垣は有名だったようです。歌垣は、もともとは豊作を祈る行事で、春秋の決まった日に男女が集まり、歌舞

    住吉の小集楽に出でて・・・巻第16-3808 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/09
  • 防人の歌(28)・・・巻第20-4393~4394 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 4393 大君(おほきみ)の命(みこと)にされば父母(ちちはは)を斎瓮(いはひへ)と置きて参(ま)ゐ出(で)来(き)にしを 4394 大君(おほきみ)の命(みこと)畏(かしこ)み弓の共(みた)さ寝(ね)かわたらむ長けこの夜(よ)を 要旨 >>> 〈4393〉大君の恐れ多いご命令であるので、父上、母上を斎瓮とともに後に残して、家を出て来たことだ。 〈4394〉大君のご命令の恐れ多さに、弓を抱えたまま寝ることになるのだろうか。長いこの夜を。 鑑賞 >>> 下総国の防人の歌。4393「されば」は「しあれば」の約。「斎瓮と置きて」は、斎瓮のように残して。「斎瓮」は、神に供える酒を入れる器。4394の「弓のみた」の「みた」は「むた」の方言で、弓とともに。「さ寝」の「さ」は、接頭語。「長け」は「長き」の方言。家で抱いていたと別れ、これからは弓を抱いて寝るのかと嘆いています。故郷を出発し

    防人の歌(28)・・・巻第20-4393~4394 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2024/05/08