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コミュニケーションに関するmassunnkのブックマーク (42)

  •  ダニエル・ブーニュー『コミュニケーション学講義 メディオロジーから情報社会へ』 - 生きてみた感想

    ひさしぶりに読書感想文を書きます。 題材は、ダニエル・ブーニューの『コミュニケーション学講義』。これは、急激に変化しつつある現代のメディア環境およびコミュニケーション環境に身を置く人間にとって、間違いなく必読の書であります。 メディオロジー、というと日ではレジス・ドブレの名前ばかりが知られていますが、いやはや。実はそこにはダニエル・ブーニューという、ドブレにまさるとも劣らない「巨大な」知性が実は隠れていたのです(たんに日で知られていないだけですが・・・)。書を読めばわかるように、その理論的な射程の広さや深さだけでなく、それをわかりやすく具体的な事例を交えて説明していく手際にも、まさに超一流の知性と呼ぶにふさわしいものがあります。 ただ僕自身には、メディオロジーにおけるブーニューの位置、についてはいまいちつかめない部分があります。事実的経緯としては、書の監修者解説にあるように、ブーニ

     ダニエル・ブーニュー『コミュニケーション学講義 メディオロジーから情報社会へ』 - 生きてみた感想
  • 二極分化する若者たちの対人コミュニケーション「距離をおく若者たち」と「距離をおかない若者たち」 - 研究開発 - livedoor Blog(ブログ)

    ひきこもり系」とは、若者たちにおける非社会的な僚向全般を指す総称である。つまり、そこには自宅の自室にひきこもる若者から、社会参加はしてはいるものの、他人と交わることよりは自分の世界を追求することを好む若者まで、幅広く含まれている。 このような若者は、一般にコミュニケーションが苦手で淡泊ではあるが、比較的安定した自己イメージを持っているという。他方、「じぶん探し系」とは、コミュニケーションが巧みで友人が多く、行動的で活発な若者たちを指す。 このような若者は、コミュニケーションが得意で誰とでも親しくなることができて友人の数も非常に多い。しかし、対人関係から離れると自己イメージが不安定になる僚向がある。ただし、これらは必ずしも性格分類のような静的な分類ではなく、同一人物において両者が共存したり、相互に移行することもあるという。 この「若者たちの二極分化A」(斎藤)における「ひきこもり系」と「じ

    二極分化する若者たちの対人コミュニケーション「距離をおく若者たち」と「距離をおかない若者たち」 - 研究開発 - livedoor Blog(ブログ)
  • 咀嚼: 信仰ハラスメント

    前回の記事では、モラルハラスメント加害者は非常に傷つきやすく、彼らの理不尽な怒りの多くは、その傷つきから発生しているということを書きました。 しかし、モラ夫の怒りには、傷つきからの怒りではないと思えることも多々あります。 どんな怒りかというと。 ・トイレットペーパーが自分の番でなくなった。(替えは準備されています) ・詰め替えのシャンプーが自分の番でなくなった。(替えは買い置きされています) ・魚のフライが好きなのに、夕飯が煮魚だった。(フライにすることもあります) ・朝マックがべたいけれど、昼に行ったので朝マックがなかった(当り前です) こんなくだらないことで、我が家のモラ夫は激怒します。 シャンプーの空き容器は風呂場の外に投げつけられ、煮魚の日は怒鳴りまくったあげくに事をボイコットし、マックの店員には無茶苦茶な因縁をつけます。 それはどういうことなのだろうと考えていました。 すると

  • コミュニケーションと相互理解をめぐるコミュニケーション

    tricken@暁月6.0済 @tricken 互いに指示する実体と,それを言語化した表現がしばしば一致しないというのは当然である.「Twitterはコミュニケーションしてないじゃないか」という指摘もあったが,実は対面会話の場でもまったく同じことが起こりうることについて自覚し批判的である人物というのはそれほど多くないだろう. 2009-12-14 17:37:04 tricken@暁月6.0済 @tricken Twitterは「相互理解が成立していない/にもかかわらず,思弁は(アーキテクチャのレベルで)事故を起こさない」から成立しているように見えるだけであり,コミュニケーションなるものを真面目に考えていくと,対面だろうとblogだろうとtwitterだろうと人は対話に失敗し続けている. 2009-12-14 17:38:23 tricken@暁月6.0済 @tricken このような見地

    コミュニケーションと相互理解をめぐるコミュニケーション
  • 鬱の人を「気遣い」過ぎると、むしろ鬱の人に「気使わせる」気苦労をかけていることになるのかもしれない?: カウンセラーこういちろうの雑記帳

    中堅開業臨床心理士が、フォーカシングとカウンセリングと浜崎あゆみと中島みゆきとiPod中心の雑感を徒然なるままに綴る これは、直前の記事で書いた、内海先生のの中での指摘から自然と想像できるテーマなんですが。 知人が気味なのを知っていて、相手から連絡がしばらくなかったりすると、思わず不安になり、こちらから連絡を取りたくなったりする皆さんは少なくないかと思います。 ところが、それは、そののご友人さんに、「大丈夫だ」というメッセージをあなたに発しなければならないというプレッシャーをかけることになってしまう場合も少なくないのですね。 の人は、そもそも他人に「気を使う」人たちだということを忘れてはなりません。 連絡を取ったあなたは、ただでさえ気味でエネルギーが落ちている人に、わざわざ「思いやって」もらえ、対応してもらっていることになっているのかもしれません。 特に、少し前よりも調子が落ち

  • 情報ネットワークにおけるCommunityware | CiNii Research

    JaLC IRDB Crossref DataCite NDL NDL-Digital RUDA JDCat NINJAL CiNii Articles CiNii Books CiNii Dissertations DBpedia Nikkei BP KAKEN Integbio MDR PubMed LSDB Archive 極地研ADS 極地研学術DB 公共データカタログ ムーンショット型研究開発事業

    massunnk
    massunnk 2009/06/25
    96年の論文。先見性ありすぎ。
  • Thirのノート

    thir ノート:覚え書き。断片的かつあまりまとまりのない文章を記録/公開しています。詳しい方針は自己紹介にて。

    massunnk
    massunnk 2008/07/25
    流動的なコミュニケーション重視社会での生きづらさの一例。
  • [CEDEC 2007]デベロッパ,パブリッシャ,学識者の豪華メンバーが集った「アドベンチャーゲームの復権」セッション

    [CEDEC 2007]デベロッパ,パブリッシャ,学識者の豪華メンバーが集った「アドベンチャーゲームの復権」セッション 編集部:Guevarista CEDEC 2007最終日に,2コマを費やして行われた大がかりなセッションが,「アドベンチャーゲームの復権」だ。携帯電話の性能向上や,携帯型ゲーム機の普及という新たな局面を迎え,現在アドベンチャーゲームに注目が集まりつつある。そうした状況を受け,アドベンチャーゲームがここまでたどってきた歴史を振り返りつつ,今後の可能性を探るのがこのセッションの狙いだ。開発者,パブリッシャ,学識者らがそれぞれの立場で解説し,それを講評でつなげていくという仕立てになっていた。 アドベンチャーゲームの復権といっても,例えば近年のヨーロッパ市場におけるクラシカルアドベンチャーの豊饒さなどとは,別に関係ない。あくまで日ゲーム市場におけるアドベンチャーゲームであるから

    [CEDEC 2007]デベロッパ,パブリッシャ,学識者の豪華メンバーが集った「アドベンチャーゲームの復権」セッション
  • はてブのお気に入りを減らしてて思い出したアンテナ有料使用時代と「マイミクを整理します」という言葉と僕のはてなスターによせる希望―「ことばのリハビリテーション」 - ニート☆ポップ教NEO

    当方、お気に入りを増やしすぎて最近はてブをまったく使えてなかったので(というか最近ははてなスターを使い込んでたためでもあるが)お気に入りになっていた方を何人か減らしました。 お気にいられ人数は「はてなブックマーク」のコミュニティにおいては1つの指標ともされ、はてブの上の方に「数字」として表示されるので、それが減ることに大なり小なり軽く「あーー!」みたいな感じになるのは個人的に経験としてあるのでそれが減ったことに僕みたいに「あーー!」てなった方には申し訳ないです。「はてブのお気に入り」が気づかないうちに僕の認知限界を越えてました。 実はこういう経験は僕には「はてなアンテナ」を有料使用していた時代にもあった。 面白いブログ、テキストサイトを見つけるとすぐさまアンテナに登録していた僕はあっという間にリミットである「200件」をあっさり越えてしまったのです。それ以上は有料じゃないと登録できないとい

    はてブのお気に入りを減らしてて思い出したアンテナ有料使用時代と「マイミクを整理します」という言葉と僕のはてなスターによせる希望―「ことばのリハビリテーション」 - ニート☆ポップ教NEO
  • コミュニケーションとコモン - 適宜覚書はてな異本

  • 第8回「多義性」を縮減するのに適切なメディアとは何か | WIRED VISION

    第8回「多義性」を縮減するのに適切なメディアとは何か 2007年7月19日 メディア コメント: トラックバック (0) (濱野智史の「情報環境研究ノート」」第7回より続く) 前回の「機能主義的分析」 [*1]をさらに補強するために、主に経営学(組織論)の世界で古典的な学説として知られている、「メディア・リッチネス理論」を参照してみたいと思います(Daft, R.L. + Lengel, R. H. (1986) "Organizational Information Requirements, Media Richness and Structural Design," Management Science Vol. 32, No. 5.)。この理論は、組織が対処すべき問題を「不確実性(uncertainty)」と「多義性(equivocality)」という2つのタイプに区別した上で、そ

    massunnk
    massunnk 2007/07/24
    「不確実性(uncertainty)/多義性(equivocality)」
  • どうして反応が欲しいのか? - 青春スイーツ

    先日ふと思い立って、増田にひとつ文章を書いてみまして。で、しばらく経ってからチェックしてみたけど、コメントもエントリもついてなかったんですわ。 予想してたのに悲しかった 自意識過剰であるというのは認めるとして、特にレスポンスを期待するような文章ではなかったにも関わらず、ネットワークに対して投げ込んだ石が、波紋のひとつも呼び起こさなかったという事実は悲しかった。自分でも驚くほど悲しかった。 どうして反応が欲しいのか? 他者からの反応が得られるということは、自分の行動が他者の認識世界の中に共感なり反発なり、なんらかの波風を起こしたということであり、それは、 自分がひとりではなく、他者に認識され得る存在であることの発見 他者と分かり合えるかもしれないという可能性の発見 自分の認識世界にはない他者の視点や思考の発見 などに繋がってるように思う。私の場合。 また、完全にひとつにはなれない人間同士だか

    どうして反応が欲しいのか? - 青春スイーツ
    massunnk
    massunnk 2007/07/22
    「反応が得られにくいコミュニティは急速に衰退していくのだと思う」
  • pentaxx備忘録 - [ひきこもり][ネット][掲示板]インタビュー後書き

    ……インタビューを終えてみて、彼の存在感の希薄さに、あらためて驚かされる。これはみずからが欲望の主体となるのではなく、ひきこもって人々の欲望を観察することが趣味、という彼自身の嗜好ゆえのものなのだろうか。 彼は弁明してはいるが、このスレッドはやはり「ネタ」と言うべきものだろう。いうなれば「やらせ」である。しかし、匿名掲示板において、ネタかマジかが、それほど重要な問題なのだろうか。それを判別する基準は、最終的には何一つ与えられない。さらに言えば、インタビューでの彼の告白が真実であるという保証もない。彼は当は「ひきこもり」だったのかも知れないからだ。匿名掲示板においては、むしろすべてが「ネタ」と考えられなければならない。ここでのコミュニケーションの面白さは、事実とも虚構ともつかない「ネタ」的次元において検討される必要がある。 彼の試みをみていて、私は昔懐かしい理科実験「ケミカルガーデン」を思

    pentaxx備忘録 - [ひきこもり][ネット][掲示板]インタビュー後書き
  • 第2章 萌えコミュニケーションの概要

    第2章 萌えコミュニケーションの概要 2-1.概要 章では、萌えと、萌えコミュニケーションの定義について説明する。そして萌えをコミュニケーションとして捉えたときに検討すべき領域と、萌えコミュニケーションにみられる5つの特徴について説明を行う。 2-2.萌えコミュニケーションの定義 萌えコミュニケーションの定義を行う前に、まず現在の萌えの定義についての諸説を概観し、まとめる。さらに萌えをデザインの視点から考えるため、研究ではシンボルを媒介とするコミュニケーションとして萌えを捉え、定義を行う。 (1)萌えとはキャラクターに対して強い好意を持つこと まず、現在の萌えの定義について簡単に触れておこう。評論家のササキバラ・ゴウは、萌えを行動と捉え、「キャラクター的なものに対して強い愛着を感じる」ことと述べている[注1]。また批評家の東浩紀は、消費者がキャラクターという物語の断片に対して勝手に感情

  • 音楽 - もちもちおねいまんと4枚の絵

    電車の隣の席にいたふたりの女の子が話している声の感じ、リズムを以前にも聞いたことが、わたしは、あるなあと思いながら眠っていた。 まずドから始まって、タタンタ タン タタタタタタタンのリズムを刻んだ後、最後のミをつなぐように ターンタ と奏でる。 激しく掛け合ったあとはたらたらと全音符で一小節・一小節・一小節と埋めてゆく。最後はじゃーねーでジャンと終わる。協奏曲。 部屋にいるときにあっちの部屋で聞こえてくる家族の会話とか。発言するのは全体の20%の人たちだけの会議室とか。言葉ではなく音だけを聞くあそび。 ・・・

    音楽 - もちもちおねいまんと4枚の絵
  • 対話の作法 - pentaxx備忘録

    (1)挨拶*1 (2)誘いかけ*2 (3)お願い*3 (4)相談*4 *1:メタメッセージ(以下同じ)=あなたが居てくれて嬉しい *2:あなたと一緒に楽しみたい *3:あなたの力が必要だ *4:あなたの知性をあてにしている

    対話の作法 - pentaxx備忘録
  • ウィンウィン対談 平田 オリザさん 自分が変わることに、喜びさえも見出す。 それが「対話」の基本的な概念なんです。

    「伝えたい」というモチベーションは、「伝わらない」という経験からしか生まれない、という平田さん。他人と理解しあうための「対話」。自分を表現して、伝えるための「演劇」。日語の特性や、他人とつながるためのコミュニケーションデザインなど、多岐にわたるテーマについて論理的に、かつ情熱的に、話してくださいました。今の日の社会、学校、人間関係に大切なモノを教えていただいた対談です。 平田 オリザ (ヒラタオリザ) 劇作家・演出家・こまばアゴラ劇場支配人 1962年東京生まれ。82年、大学1年で初の戯曲を執筆。翌83年、劇団青年団を結成。自らが支配人を務める「こまばアゴラ劇場」を拠点に活動中。 その活動は演劇をはじめ、教育言語学にまでおよび、日はもちろん世界からも注目を浴びている。フランス、アメリカ韓国、マレーシア、タイ、インドネシアなど、世界各国でワークショップや公演を開催。 舞台では、生活

  • www.textfile.org - 相手は誰でもいい多対多のコミュニケーション

    ネット上のコミュニケーションは、「自分と同じ話題に関心を持っている相手や、自分の興味を持った相手と話したい」という欲求が基だと考えていたが、「自分と同じ話題に関心を持っている相手なら誰でもいい」という面も実はある。相手は代替可能なのだ。 よく「ネットの世界はバーチャルで、そんなところでのコミュニケーションは物でない」といったステレオタイプな批判があるが、こういった批判はネットのなかでは当然笑い者にされやすい。自分もこうした批判の大半は、ネットという新しいコミュニケーション形態への恐怖心や無理解から生まれていると考えるが、もし、こうした「相手が代替可能なコミュニケーション」を求めている姿を恐く感じているのだとしたら、それは考える必要のある批判ではあるのだろう。 相手は誰でもいい多対多のコミュニケーション : ARTIFACT ―人工事実― かのせさんによる考察。ちょっと考えさせられるテー

    www.textfile.org - 相手は誰でもいい多対多のコミュニケーション
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  • Hang Reviewers High / 宇多田ヒカル「Utada Hikaru in Budokan 2004"ヒカルの5"」

    どうにも忙しいのが終わらない。このままゴールデンウィーク進行に突入して忙殺されてはかなわないので、週末はゆっくり休む予定。 忙しいので東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生」すら読み進まない。平易ななのだがとにかく読書時間が細切れになってしまいイライラする。は一気に読みたい性分なのだ。なにせ集中力も記憶力も足りていないので、中断してしまうと前に何が書いてあったのかサッパリ思い出せなくなる。仕方がないので昨日風呂に持って入り、ようやく一章を読み終えた。ここまでで、もう十分にすべての理屈は提示されていると思う。だからこのブログに何かを書き付けてもいいのだが、せっかく鋭いことが書いてあるなので最後まで付き合ってからにしたい。 しかし、そう考えるのが間違いなのだ。そこに僕の身勝手がある。おかげで、「作品について語ること」はいつまでたっても思い通りにならない。僕が求めているのはスピードと量なのだ。作