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ブックマーク / vergil.hateblo.jp (2)

  • 天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く

    特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言

    天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く
  • 反戦童話「かわいそうなぞう」が露呈した戦後平和教育の欠陥 - 読む・考える・書く

    反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 史実とは大きく違う『かわいそうなぞう』のストーリー 猛獣虐殺は空襲のせいではなく戦意高揚のため 『かわいそうなぞう』は戦後平和教育失敗の象徴 反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 児童文学作家土家由岐雄による童話『かわいそうなぞう』。1951年に発表された後、1970年に絵として出版されて200万部を超える大ヒットを記録、小学校の教科書にも採用され、代表的な「反戦童話」「平和教材」となった。戦後生まれの日人なら、子どもとして、またはその親として、一度は読んで涙したことがあるのではないだろうか[1]。 そのころ、日は、アメリカとせんそうをしていました。せんそうがだんだんはげしくなって、東京の町には、朝もばんも、ばくだんが、雨のようにおとされました。そのはくだんが、もしもどうぶつえんにおちたら、どうなることでしょう。おりがこわされて、

    反戦童話「かわいそうなぞう」が露呈した戦後平和教育の欠陥 - 読む・考える・書く
    munetak
    munetak 2016/05/08
    思っていたよりもずっと『かわいそう』だった。
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