佐々木さんというと、私はよく「月刊佐々木俊尚」と呼んでいるがとにかく多作のイメージがあって、どんどん新著が出てくる印象なのだが、このところ新作の話をあまり聞かないように思っていた(実際どうだったか確かめてないけど)。これを書いていたのではないかと思う。分量もさることながら、それだけではない力作といえる。内容も、ふだんよく取り上げているITやメディア周りの話よりやや広い。ある意味これは佐々木流の日本人論ないし日本社会論であるともいえよう。 題名も何やら想像をかきたてるが、とりあえず、帯にも出ていた「マイノリティ憑依」ということばがツボに入った。本書のキーワードである。帯の表現を借りてひとことでいえば、「当事者性を失い、弱者や被害者の気持ちを勝手に代弁する言論」ということになろうか。日本人の言論がこの「マイノリティ憑依」に陥ってしまっている、という指摘だ。 とはいえ、読み始めても、しばらくの間
5月14日、ニューヨークのサザビーズ・オークションで、村上隆の「マイ・ロンサム・カウボーイ」が約16億円(1516万1000ドル)で落札された。顔だけアニメキャラ風の全裸少年がペニスを握りしめ、その先端からほとばしったスペルマが中空で渦を巻いているというフィギュアである。 ネットの反響を見ると、「俺はこんなもんアートとは認めん」「こっちの(といってサンプルを示し)フィギュアのほうがぜんぜんデキがいいのに」「アメリカ人は頭がおかしいのか?」といった否定的見解が圧倒的に多いようだった。 ようするに「どうかしている」とみんな思ったわけだ。 私も「どうかしている」と思う。 が、頭ごなしに否定したって「どうかしている」現実のほうはビタイチ動きはしない。批判するためには、まず、現実を「どうかしている」ものにしているメカニズムを理解しておく必要があるだろう。 タイミングを見計らったかのように落札直前、そ
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