1871年 - 1880年、留学時代(フランスのパリにて)。 西園寺 公望(さいおんじ きんもち、1849年12月7日〈嘉永2年10月23日〉[注釈 1] - 1940年〈昭和15年〉11月24日)は、日本の公家、政治家、教育者。位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。雅号は陶庵、不読、竹軒[注釈 2]。 概説[編集] 戊辰戦争において官軍の山陰道鎮撫総督を務め、フランス留学後には伊藤博文の腹心となった。第2次伊藤内閣にて文部大臣として初入閣し外務大臣を兼任、第3次伊藤内閣でも文部大臣として入閣した。第4次伊藤内閣では班列として入閣し、内閣総理大臣の伊藤博文の病気療養中は内閣総理大臣臨時代理を務め、のちに伊藤が単独辞任すると内閣総理大臣臨時兼任を務めた。 明治36年(1903年)には伊藤の後を継いで立憲政友会総裁に就任し、明治39年(1906年)内閣総理大臣に任じられ、第1次西園寺内閣、第2次