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peopleとarchaeologyに関するnabinnoのブックマーク (3)

  • 江上波夫 - Wikipedia

    江上 波夫(えがみ なみお、1906年11月6日 - 2002年11月11日)は、日の考古学者。東京大学名誉教授。文化功労者・文化勲章受章者。 山口県下関市生まれ。1948年に「日民族=文化の源流と日国家の形成」と題するシンポジウムで騎馬民族征服王朝説などを発表。その要旨は、「日における統一国家の出現と大和朝廷の創始が、東北アジアの夫余系騎馬民族の辰王朝によって、4世紀末ないし5世紀前半ごろに達成された」と推論している(著書『騎馬民族国家』より)。 略歴[編集] 東京府立五中を経て、旧制浦和高卒業[1] 1930年(昭和5年)東京帝国大学文学部東洋史学科卒業[2]、東亜考古学会として中国の北京に渡る[3]。 1931年(昭和6年)東方文化学院研究員[4] 1935年から1941年まで内モンゴル・オロンスム遺跡で調査し、ネストリウス派とカトリックの教会等の跡を確認、また仏教などに関す

  • ハワード・カーター - Wikipedia

    ハワード・カーター(Howard Carter、1874年5月9日 - 1939年3月2日[1])は、イングランド・ケンジントン生まれのエジプト考古学者。ツタンカーメンの墓を発見した人物である。 生涯[編集] カーターは、エジプト考古学の大家であったフリンダーズ・ピートリー卿の下で学び、1891年の17歳の時に遺跡発掘現場の助手としてエジプトに渡る。イギリスでは高等教育こそ受けなかったものの、精緻な模写や考古学への強い情熱が高い評価を受け、1899年から1903年までの4年間、エジプトの考古局首席監督官(遺跡監督官)を務めた。気難しい性格から、30歳で遺跡監督官の地位を失ったが、その後も考古学者として活躍した。 イギリス貴族を中心に遺跡発掘の資金援助を受け、1916年からカーナヴォン伯ジョージ・ハーバートの援助で、エジプトの王家の谷発掘調査に着手。そして援助の契約の切れる1922年、ついに

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  • 小林行雄 - Wikipedia

    小林 行雄(こばやし ゆきお、1911年(明治44年)8月18日 - 1989年(平成元年)2月2日)は、日の考古学者。京都大学名誉教授。学位は、文学博士。日学士院恩賜賞受賞者。 来歴[編集] 兵庫県神戸市に生まれる。1932年(昭和7年)、神戸高等工業学校(現:神戸大学工学部)を卒業[1]し、副手に就任。後に依願退職し、近畿地方を中心に発掘調査に携わる。1935年(昭和10年)、京都帝国大学文学部助手。1945年(昭和20年)に海軍に招集され、戦後は1953年(昭和28年)に京都大学文学部講師、1954(昭和29年)年には日学士院恩賜賞を受賞。1955年1月、『史林』38巻1号に「古墳発生の歴史的意義」を発表。1974年(昭和49年)、京都大学文学部教授に昇進し、1975年(昭和50年)に退官、名誉教授。 1937年(昭和12年)九州から近畿地方にまで分布する土器に共通した特徴があ

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