鈴木 基行(すずき もとゆき)は、平安時代前期から中期にかけての貴族。本姓は穂積氏で[2]、初めて「鈴木」を称した藤白鈴木氏の始祖[3]。子に良氏、良勝[1]。位階は散位、外従五位下[1]。 略歴[編集] 基行は、熊野速玉大社一禰宜の穂積国興の次男、または三男。昌泰3年(900年)の正月に散位外従五位下に叙爵され、延長4年5月21日(926年7月3日)に卒去[1]。享年62[1]。兄には禰宜職を継いだ穂積基雄(従五位下)のほか、榎本真俊と宇井基成がいたとする伝承もあり、それぞれ榎本氏、宇井氏の祖という[3]。 系譜[編集] 父:穂積国興[1] 母:不詳 生母不詳の子女 男子:鈴木良氏 - 従五位下検非違使[1] 男子:鈴木良勝 - 従六位下[1] 脚注[編集]