藤井 富雄(ふじい とみお、1924年〈大正13年〉8月17日 - 2021年〈令和3年〉7月11日)は、日本の政治家。 東京都議会議員(11期)、公明代表(初代)、公明党最高顧問、公明党東京都本部顧問などを歴任した。 経歴[編集] 旧制日本大学高等工学校(現:日本大学理工学部)卒業。 陸軍士官学校、第二次大戦終戦直後に創価学会に入会し、池田大作の側近として折伏大行進時代の学会を支えた。 1955年4月 - 第3回統一地方選挙の一つとして実施された東京都練馬区議会議員選挙に無所属で立候補、初当選。創価学会推薦で東京都区内の議会に当選した32人のうちの1人だった。 1963年4月 - 第5回東京都議会議員選挙に新宿区選挙区から公明政治連盟公認で立候補し、初当選(以後、連続11回当選)。 1967年 - 東京都議会公明党幹事長に就任する。 1989年7月 - 東京都議会選挙において、社会党の躍
後藤 忠政(ごとう ただまさ、1942年9月16日 - )は、カンボジアの実業家で、元暴力団員[2]。本名は後藤 忠正(読み同じ)。指定暴力団・山口組の幹部構成員として活動し、2008年に引退後、カンボジアで実業家に転身。日本航空(JAL)の個人筆頭株主でもあった[3]。 来歴[編集] 生い立ち[編集] 1942年、東京市荏原区(現・品川区)に4人兄弟の末っ子として出生[4]。祖父は富士川発電や伊豆箱根鉄道を興した実業家の後藤幸太郎[5]であった。母を踏切事故で失い、戦争の激化により、2歳の時に父の実家がある静岡県富士宮市に疎開して以降、同地で育った[4]。後藤家は没落しており、小学生時代の忠政は納豆売りをして学習用ノートを買うなど、貧しい生活を送った。 ヤクザとしての活動[編集] 地元の富士宮を拠点に愚連隊として活動後、17歳で正式にヤクザとなる。20歳で松葉会系組織に移籍し、トラブルを
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