■済んでいない日本人の戦後処理 ≪母の目に初めて涙見た敗戦≫ 私の一家は金沢市で敗戦を迎えた。小学校2年の私には敗戦の意味は分からなかった。が、8月15日の玉音放送を聞いた母が「日本は負けたのよ」と言って涙していたのは今も鮮明に覚えている。母の涙を見たのは初めてだった。 敗戦は、子供の目にも明らかな大きな変化をもたらした。まずひもじさである。食糧不足で栄養失調になり、足がむくみ、ちょっとした傷も膿んで治らず閉口した。石鹸の欠乏、公衆浴場代の節約などで不潔になり、多くの人の頭髪や衣服に多量のしらみがたかっていた。学校では、米軍支給のDDTを頭髪や背中に散布された。 毎朝、会釈して登校していた校門の二宮金次郎像が、「非軍国主義化」措置として取り除かれ、占領当局からの指示で、新しい教科書の配布が間に合わなかったためか、上級生譲りの古い教科書の中の軍国主義や愛国主義教育にあたる「問題箇所」をすみ筆