昭和58年1月9日早朝、自民党のニューリーダーといわれていた中川一郎氏が急死した。札幌のホテルでのできごとで、初めは「心筋梗塞」とされた。数日後正式に「自殺」と発表されるまで、同僚の政治家、マスコミの誰もが病死であることを疑わなかった。 ▼「政治家は自殺しない」という定理のようなものが信じられていたからだ。A級戦犯として出頭する朝、服毒した近衛文麿ら特殊なケースを除けば、何かに悩んで自ら命を絶った政治家は憲政史上見当たらない。精神的にヤワであってはつとまらない職業とみられていたのだ。 ▼昭和30年の保守合同を仕上げた三木武吉は政敵から「愛人を5人も囲っている」と下半身攻撃を受けた。すると「いや違う。6人だ」と動じなかったという。自民党幹事長などをつとめた川島正次郎はどんな難局でも、口笛を吹きながら政界を遊泳していた。 ▼そうした政治家像があまりに強かったせいでもあった。だが中川氏も「北海の