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ジャーナリストと戦争に関するnasuhikoのブックマーク (3)

  • 見つかると「戦闘員の妻」に─ 両親をおいて逃げる女性記者が語る「絶望のアフガン」(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース

    米軍のアフガニスタン撤退完了を前に、支配地域を拡大する反政府勢力タリバン。これまでジャーナリストとして公然と彼らを批判してきた女性記者が、そのパニックと恐怖を語る。 【画像】北部の州から首都カブールに逃れてきた人々 「もうすぐ街を出られなくなってしまうから行きなさい」2日前、私はタリバンに制圧されたアフガニスタン北部にある自宅と、これまでの生活を捨てて逃亡することになった。いまも逃げていて、目指すべき安全な場所はない。 先週、私はジャーナリストだった。でも今日、私は自分の名前も、出身地や居場所を書くこともできない。私の人生のすべてが、ここ数日で消し去られてしまった。 自分に何が起こるかわからず、恐怖に震えるばかりだ。再び家に帰ることはできるだろうか。両親に会うことは? これからどこに行くのだろう。高速道路は両方向とも通行止めだ。どうやったら生き抜けるだろうか。 家や生活を捨てて逃げることは

    見つかると「戦闘員の妻」に─ 両親をおいて逃げる女性記者が語る「絶望のアフガン」(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース
  • 戦後メディアの病――悪と対峙し、弱者を代弁する自分こそが善である/佐々木俊尚 - SYNODOS

    2011年の福島第一原発事故にまつわる新聞やテレビの報道は、日の戦後メディアが内包していた問題をまざまざと浮かび上がらせたと言える。風評被害を抑えるべき報道機関が逆に風評を煽ったケースは少なくなく、そうした報道はいまも続いている。これらの風評は福島の人たちへの差別を生じ、大いなる苦しみをもたらした。この問題はおそらく、広島・長崎における被爆者差別とならんで未来への長い期間にわたって禍根を残し、後世に研究される問題になっていくだろう。 「弱者の味方」であったはずの新聞やテレビの記者たちが、なぜこのような差別を引き起こしてしまったのか。稿では、加害者と被害者の関係という構図からこの問題について論考していきたいと思う。前半ではなぜ戦後メディアがこのような構図に陥っていったのかを歴史を振り返りながら概観し、後半ではこのような構図が社会にどのような影響を与えているのかを論考する。 戦後マスメディ

    戦後メディアの病――悪と対峙し、弱者を代弁する自分こそが善である/佐々木俊尚 - SYNODOS
  • 沖縄の怒りを甘くみてはいけない(田原総一朗)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題

    2015年5月29日の深夜、沖縄から朝生をやった。テーマは沖縄の米軍普天間基地の辺野古移設問題。2012年の土復帰から40年目のときも沖縄から放送したが、沖縄では盛り上がるのに土では視聴率は振るわなかった。去年の沖縄県知事選のときにも書いたけれど、それは僕の番組だけじゃない。どこの局も、大体沖縄のことをやると視聴率が上がらないのだ。ひどい話だが、つまり土の人間は沖縄に興味がないのだ。だからこそ沖縄をテーマに議論し、沖縄のスタジオから放送することに意味があると思った。 放送前は、僕は沖縄の人がもっと土はなんだ、政府はなんだとボロクソに言うのではないかと思っていた。積していた怒りが激しい批判となり、収集がつかなくなるのではと予想していた。しかし実際に議論が始まるとそうならなかった。難しさを感じているうちに、パネリストの樋口耕太郎さんが、こう言った。 「沖縄の街は静かでしょう。それは車

    沖縄の怒りを甘くみてはいけない(田原総一朗)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題
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