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増田文学に関するnasuhikoのブックマーク (116)

  • 訳あって廃ビルの地下に一ヶ月住んでたことがある

    2階や3階は別の人が住んでた ダンボールかき集めて半額の弁当で飢えをしのいでいた 先住の人にいろんな話を聞いたり、焚き火を囲んでワンカップを飲みながら昔話をしたり 「お前はまだ20代なんだからこんな生活に慣れちゃあかん。早めに出て行けよな。」と事あるごとに言われてた。 決心がついて出ていくとき、仲の良かったじいさんが腕時計をくれた 親父の形見で、最後の最後までこれだけは質入れもできんかった (大したカネにもならんしな、と笑いながら) 当は子供に託したかったが、嫁も子供もどこにいるかもわからん だから預かってくれと。 何のことはない、シチズンの普通の腕時計だった あれからもう20年以上経つ とっくにビルは無くなっているし、自分は家庭は持っていない弱者男性に変わりはないが それでも毎日それなりの人生を歩んでいる 玄関にじいさんのシチズンを飾っている 電池切れか故障かわからないが、もう止まって

    訳あって廃ビルの地下に一ヶ月住んでたことがある
  • フォークダンスで手を繋いでくれなかった男子に子供が産まれた

    現在26歳。今年27歳になる女だ フォークダンスで手を繋いでくれなかった大半の男子の中で「オエーーwww」と吐く真似をした同級生に娘が産まれた 地元の友人と他愛のない話をしていた時、その話を聞いた瞬間この記憶が蘇ったものの誰にも言えないからここに残しておく うちの中学校は中学3年生になると体育祭は全員参加科目でフォークダンスに参加しなければいけなかった 当時私は女友達には恵まれたものの、見事なデブス(160cm/70kg)でオタクだったので男子からは見事に嫌われておりフォークダンスの事を考えるととにかく憂だった 他の生徒も皆思春期からか「ダンスカバーにしよう」「恥ずかしい」といった声も少なくはなかったが先生が「小学生じゃないんだし、案外毎年皆普通に手を繋いで踊って楽しんでるよ」と言って続行となった 私はその先生の発言を聞いた時、めちゃくちゃ安心した…が、いざ練習をした時ほぼ全員の男子が私

    フォークダンスで手を繋いでくれなかった男子に子供が産まれた
  • 今日、30歳になるオタ。

    俺も、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、千葉県の船橋あたりで生活していた。千葉県はカスだ。東京まで微妙な距離のせいで、逆にオシャレを履き違えているやつらだらけ。茨城のゴミ共もいるおかげで、余計に田舎者ムードは高まっていた。特に地元の船橋民が嫌いだった俺は、三国志大戦などをやるためにわざわざ津田沼エースまで行っていた。今思うと津田沼は津田沼でゴミみたいな街だったが、船橋よりはマシというところだろうか。あと、俺はオタなので秋葉原が微妙に遠いのが嫌だった。総務線で一とはいえ、微妙に遠い。かといって千葉のオタショップはやはり、品揃えの面で大きく劣る。飲店は何一つとしてとりえのない、個性のない「退屈な街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。 私が住んでいた地域には大学があったのか覚えていない。競馬場はあって、薄汚いおっさんが娘の給費を無駄にするために

    今日、30歳になるオタ。
  • 今日、30歳になった

    私は、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、神戸市で生活していた。神戸はとてもいい場所だ。街の中心部である三宮はおしゃれな街で、大阪駅までも直通で30分。中華街で有名な豚まんをべ、旧居留地の優雅な建築を抜ければ、港から海を見渡せる。中心部から少し足を伸ばせば、B級グルメを出す飲店が立ち並ぶ下町の長田、六甲山の麓に日屈指の酒蔵を擁する灘などにも行ける。どの地域も個性にあふれた「退屈しない街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。 私が住んでいた地域には大学があった。このキャンパスは自然豊かなことで知られていて、敷地内に公園や池があったので、私は物心ついたときから時々家族とこの大学内を散歩していた。子どもだった私は漠然と、大きくなったら私もこんな学校で勉強するのかな、なんて思っていたものだ。 私が小学校にあがる前のある日、父とふたりで大学の中を歩いて

    今日、30歳になった
  • 【追記3】恩知らずな元少女がColaboを見て思うこと

    (どうでもいいけどオロナミンCの便じゃなくて瓶でした) ※この記事を読んでもらえるのはありがたいけど、何かや誰かを批判するために引用するのは控えてもらえると助かります。こういう状況にある人たちがいるんだなあという風に知ってもらえるだけで嬉しいです。 Colabo、というか支援団体全般にかもしれない。 全体の流れについてあまり把握できてないのと、Colaboに対する擁護ではありません。ただの感想です。 文章を書くのが苦手だから箇条書きで書きます。 心の優しい人が傷付いてしまう表現もあると思うのでご注意ください。 【私について】 母の彼氏に膣にオロナミンCの瓶を挿れられてその上からフライパンで割られそうになるなどやばいことが増えてきたので家出する→ネカフェ生活→保護してもらう(Colaboではない)→支援を受け自立→今20代 【支援してくれる人たちについて当時思っていたこと】 当に申し訳ない

    【追記3】恩知らずな元少女がColaboを見て思うこと
  • 葬儀に派遣される女性スタッフの仕事をしていた だいたいの現場で私たちは..

    葬儀に派遣される女性スタッフの仕事をしていた だいたいの現場で私たちは名前ではなく「レディさん」とか「スタッフさん」とか呼ばれる ご遺体のお迎えから火葬後までずっと関わっていく葬儀社と違い、私たちがご遺族と一緒にいる時間は通夜告別あわせて8時間くらいだ 開式前に初めて故人と遺族に会い、どういう方だったか最後までわからない時もある 初めて派遣された葬儀会社の、初めて会う担当者から、初めて会う遺族のことを開口一番「めんどくさい人たちです」とだけ言われる時もある もちろん勉強していたり資格を持っている人もいるけど、私たちは役所の手続きやお金、お墓についてのことをほとんど知らない わかるのは葬儀中のことだけだ 私たちは説明書だったり自動ドアだったりコート掛けだったり案内看板だったりした 真夏日でも氷点下でもスーツ1枚で外に立ち、背筋を伸ばし指先を揃え、薄い笑顔で案内した 鞄にはなんでも入っていた

    葬儀に派遣される女性スタッフの仕事をしていた だいたいの現場で私たちは..
  • 俺は大学のとき、ひと目見て好きになっちゃった女の子がいて、その子と同..

    俺は大学のとき、ひと目見て好きになっちゃった女の子がいて、その子と同じサークルに入り、若さも手伝ってなんか頭おかしくなり、ツイッター上で夜な夜な「好きだ〜!」という趣旨のことを呟いてたら、健全な暮らしを送っているので夜中にツイッターなんか見ていないだろうと思っていたその子に、普通にツイート通知を入れて監視されていて、全部バレバレであり、そんな状態のなかデートに誘って、クラシックに3回デートしたあと告白したら「知ってた」と言われ、でもなんかOKされて、そのまま5年くらいの付き合いになっている ツイッター上で夜な夜な「好きだ〜!」って言うのって、通常、間違った振る舞いだと思うし、思い返すと変な汗が出るんだけど、実は、あの振る舞いがなかったら付き合うに至ってないんじゃないか?というハナシがあって、というのは、彼女といろいろ話す中で、「お前が感情をダダ漏れにしていたので行動の意図が見え、警戒心を抱

    俺は大学のとき、ひと目見て好きになっちゃった女の子がいて、その子と同..
  • ぼったくりバーの店員だったことがある 其の一

    誰かに話したくなってきた。 まだ二十歳ほどの頃、地元の広島で特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。 福山駅の付近にある繁華街だった。福山といったら知名度はほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパートで暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。 地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めのスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。 すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。 ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ? 正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿い

    ぼったくりバーの店員だったことがある 其の一
  • エロマンガを描いて生きている 1/3 

    pixivに初めて投稿したのは約八年前になる。 それから長い時間が経って、今は野良のプロとして漫画を描いている。特定の組織には所属していない。ごく稀にR18雑誌に寄稿したりもするが、基はずっと一人だ。 今回、こうしてエッセイみたいなのを増田に投稿しようと思ったのは、感謝の念が芽生えたからだ。 ずっと、社会に恨みを抱いて生きてきた。子どもの頃からストレスが多い環境にいたせいだろう。最近、ようやく周りに感謝ができるようになった。以前は、作品を認めてくれるファンの人だったり、SNSで意見やコメントをくれる人だったり、気で叱ってくれる人にしか感謝できなかった。 最近になって、子どもの頃から散々な目に遭わされた家族とか、昔々の、辛い状況でも諦めなかった自分に感謝ができるようになりつつある。ちょっと長くなるけど、自分語りをさせてほしい。 見た目があまりよくない。いじめに遭うことが多かった。 虫取り

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  • 高校の頃、俺の周りの男友達に手出す通称「小松奈々」と呼ばれる女友達がいた

    その子は女の子達からは「尻軽」と蔑まれていたが、小柄で童顔でどんな男相手でも分け隔てなく対応する事から、割と男人気が高かった。 中学から顔なじみだった俺と小松は時々話す程度だった。中学の頃から小松が付き合うのは何故か俺の友達のイケメンとばかりだった。気の強いイケメンばかりだったので、小松と彼氏が二人でいるときは誰も二人に近寄らず、俺は用事があるときは二人がイチャイチャしてようが平気で話しかけていた。空気を読んだ同級生たちが寄り付かないので、逆に用事があるときはその方が話しかけやすかった。 俺は小松が誰と付き合おうが何とも思わなかったので、小松が俺の友達と別れた後も普通に接していた。高校の頃に一度だけ、小松と元カレが険悪な雰囲気になった時に一切フォローをしなかった俺が小松の女友達に責められた事があって、その時ばかりは流石に「め、めんどうくせぇ~~~」と思った。小松は俺には何も言わなかった。

    高校の頃、俺の周りの男友達に手出す通称「小松奈々」と呼ばれる女友達がいた
  • 地味な女性を可愛い可愛いって言い続けたら、悲しい結果が生まれた。

    職場の飲み会で仲良くなった同僚の女性と付き合うことになった。 個人的に好みだったし、とても良い人だったから率直に可愛いって感じたし、言葉に出していたんだけど・・・ いつからか可愛いと言われる事で増長してしまって、違う男と飲み会に行ったりするようになってしまった。 一線は越えてないって言うんだけど、その違う男ってのが別部署の人で先日直接私の所に来て、付き合ってる事とホテルでの写真を直接知らされた。 それでも浮気はしてないって言い切る彼女だったのだけど、ホテルでの写真を見てしまった後だったので嘘はやめようって言ったら、 逆ギレされて「あなたが私を可愛いってもてはやすからじゃない」と言われショックだった。 仮になんだけど、普通に考えて「君は可愛くないから付き合おう」って言う人がいるのだろうか。 それって悪意が込められてると思うんだよね。 可愛くないから俺が付き合ってやるよ、みたいな。 そんな上か

    地味な女性を可愛い可愛いって言い続けたら、悲しい結果が生まれた。
  • 孤独で気が狂いそうだ

    31歳の女。発達障害のため、人から嫌われ、見下されてしまう。 何をしても人より劣っているし、空気が読めず、相手が期待している言動が取れないからだ。 家族 実家暮らしで、父と同居している。元々は父と母と一人っ子の私の3人家族だったが、8年ほど前に母は自殺した。 父は立派な会社を定年退職した後、よくYouTubeを見ている。ネトウヨで、反ワクチンで、一日中韓国人や中国人やユダヤ人の悪口を言っている。ユダヤ人は原爆を作ったから許せないんだそうだ。あとは、犬やを虐待したいそうだ。父の話に笑顔で頷かないと、父は不機嫌になるので、毎日とても疲れる。 母は、私が発達障害の出来損ないであるため、統合失調症を発症し、自殺してしまった。「あんたみたいな出来損ない、誰だって殺したくなる!」だそうだ。私は物心が付いてから母が死ぬまで、殴られずに済んだ日は1日もなかったと思う。「どうしてあんたはふつうになりたいと

    孤独で気が狂いそうだ
  • 増田文学 2021年

    大賞 「実家の犬に 弔辞」ランクタイトルブクマ数日付カテゴリ1あえぎ声を書くバイト19802021/04/08 05:49おもしろ2桃太郎なのに、とっても Apple16602021/04/26 10:18テクノロジー35年くらいセルフネグレクトしてたこと13242021/05/22 00:29世の中4精神障害者の俺、手切れ金としての年金、この世界への感謝12582021/04/23 20:18政治と経済5たまたま狂わずに生活している11942021/11/14 15:43世の中6魂に一生消えない傷を残していった作品ってある?10822021/01/27 18:01暮らし7弱者男性を救うのはお前だ中島10172021/04/06 14:04おもしろ8Apple 風文体の力を、あなたにも。10052021/04/25 03:20学び9恩師の下着に感謝9622021/05/21 02:27暮ら

    増田文学 2021年
  • 風俗で号泣した

    ムラムラしてた。 だから風俗にいってきた。 「よーし、パパ90分頼んじゃうぞー!」ぐらいのノリで。 彼女もいないくせに。 で、お店に行った。 最近入った若い子がいるとのこと。 その子を指名した。 びっくりしたよ。 入ってきた子は可愛かった。 スタイルも良くて頭も良さそうに見えた。 若くて、JDぐらいに見えた。 他にいくらでも仕事があるように思えた。 だから、良くないとは分かっていながらも聞いてみた。 「どうしてこんなところで働いているの?」と。 女の子は困惑した。 ベッドに腰掛けた俺の隣に座ると、それでもぽつぽつと話し始めてくれた。 自らの半生を。 月並みに言って、壮絶だった。 物心つく前に父親が亡くなったこと。 母子家庭になって生活が苦しくなったこと。 小中と苛められて、心機一転に高校デビューして成功するも学費が厳しくて中退したこと。 今も生活が苦しいこと。 中卒だとろくな仕事に就けない

    風俗で号泣した
  • 私は、この人と結婚というものをするのかもしれないなと思った。

    今付き合っている恋人とは、今月で付き合って10ヶ月になる。 私が30年以上生きてきた中で、半年以上の交際期間を維持できているのはこの恋人だけだ。 過去にいた2人はすべて半年程度で私から別れを切り出してしまった。 付き合っている時間、こんなにも素直に「楽しい!」と思えたことは正直一度もなかった。 過去、恋人と過ごしている時の私はいつも緊張しているか、 相手のマイナスなところが目についてしまうか、心から安らげないか、 好きかどうかわからないか、そんな感じで付き合っている時間がいつも悩みでいっぱいだった。 誰かに告白をされたことも何度かあったけれど、ほとんどが嫌悪感だった。 どう逃げ切るか、どう言わせないか、どう断るか。そんなことばかり考えていた。 過去に付き合った2人の男はどうして付き合えたのかと言えば、 友達たちの後押しやサポートが大きく影響している。 性行為に対しても盛りあがったことはほと

    私は、この人と結婚というものをするのかもしれないなと思った。
  • 部長がセクシー新卒に騙されて困っている(中編)

    anond:20210904101034 登場人物 わい ・・・ 嫁とは5年セックスレス オタク君 ・・・ 二次元にしか興味なし。推し艦これの鹿島らしい 総務部長 ・・・ パワハラ・セクハラの常習者 セクシー ・・・ スカートもいつもピチピチしたのをはいている 「部長、わかりました、ちょっと時間をください」 わいとオタク君は翌日、セクシーを会議室に呼び出した。 もちろん部長がいない時間を狙ってである。 わい「番環境で開発したいってことなんだけど・・・」 セクシー「何か変なんですか?」 オタク君「あなたは知らないかもしれないが、普通はテスト用のコンテナで開発して、同じ環境を作ってから移行するんです」 セクシー「え、それって二度手間で非効率じゃないですか?」 わい「社内システムが止まったらまずいのはわかるよね?」 セクシー「それは私が信用されてないってことですか?」 わい「いや、そういうわ

    部長がセクシー新卒に騙されて困っている(中編)
  • 学生時代、指が綺麗で好きと告白され付き合った女の子がいた。 就職後自然..

    学生時代、指が綺麗で好きと告白され付き合った女の子がいた。 就職後自然消滅したが、しばらくして同窓会で再開。 やっぱり指が綺麗だねと、酒臭い息で迫られ我慢できず一夜を過ごす。 向こうは結婚していたが旦那と仲が悪くかなり不安定で、あなたの指を切り落として旦那と入れ替えたいとめちゃくちゃなことを言っていた。 思い切り首をしめてと、行為の最中にお願いされることが増えたタイミングで、パタリと連絡が途絶えた。 このことを思い出さなくなった頃に、自宅に指を下さいと書かれた手紙が入っていた。 翌日、学生時代の友人から連絡があった。 たまに思い出したように花を供えると、あの関係は当にあったのか疑いたくなる。 平凡な自分が体験した唯一危険な関係だった。

    学生時代、指が綺麗で好きと告白され付き合った女の子がいた。 就職後自然..
    nasuhiko
    nasuhiko 2021/08/02
    川端康成や彩瀬まるか。怖くて哀しい話。
  • ある日、目覚めたら世界は美少女だけになっていた

    鏡で確認するとワイくんも黒髪ロングの美少女になっていて草 元と共通するパーツが何ひとつない。どっから出てきたんでしょうねぇ?この美少女デザイン TVやネットは大混乱のご様子。芝が生え広がったがワイ会社からはなんの連絡も未だに無い おいおいこの狂った状況で仕事とかあり得る????嘘やろ????www しかし時刻は朝8時になろうとしている LINEで送られてきたオカンが美少女化した画像に『そういうのは求めて無いから…』と思いながら無事で何よりとだけ返信し、 イヤイヤ出社の準備を・・・・いや、イヤイヤでは無いなw こんなにわっくわくで出社準備をしたことはない 家を出ないと始業時刻に間に合わない時刻になってもワイ会社から変わらずなんの連絡もなかったので うっきうっきで最寄り駅へ向かった 外は見慣れた景色なのに右向いても左向いても美少女。眼福・・・ではなくそのシュールさに思わず吹き出してしまった つ

    ある日、目覚めたら世界は美少女だけになっていた
  • 木屋町にあるキャバクラで黒服の仕事をしていた

    この日記の内容はみだしのとおりだ。京都での学生生活の4年間をキャバクラでの黒服の仕事に捧げた。 昨年末のこと。コロナのおかげでストレスが溜まる中、ふと京都が懐かしくなって一人旅に行った。学生時代と社会人約十年目では、さすがに景色に差があった。いろいろと感じるものがあったので、ちょっとしたためてみることにした。 広島の田舎から京都に出たばかりの、当時18才だった私は大学生活に憧れを抱いていた。第一志望ではなかったが、行きたいと思っていた大学だった。 4月はあっという間に過ぎた。入学式、オリエンテーション、サークル勧誘、学部学科での新入生歓迎会、初めての履修登録、初めての講義、初めてのゼミ活動。 楽しくもあったし、不安もあったけど、5月になって、まだあることをしていないのに気が付いた。 アルバイトである。大学生はアルバイトをするものだと思っていた。それ以前に読んだ漫画やアニメでは、大学生はみん

    木屋町にあるキャバクラで黒服の仕事をしていた
  • 新婦以外全員偽物の結婚式

    むかし勤めていた、結婚式代理出席会社の最大の案件。 結婚相手に恵まれなかった女性のたっての依頼で、理想の結婚式披露宴を実現したいという。 そうはいっても相手がいない →新郎は代理出席で賄いたい →そうすると新郎側の出席者も必要だ、これも代理出席を頼もう →新婦役のリアルの知り合いや家族を呼んでウソをつくことはしたくない、かといって、事情をを知り合いや家族に知られるのはもっとイヤ →新婦側も代理出席で。 というわけで、代理出席会社から、新郎、両家の家族・友人・同僚・上司すべてが代理出席。 新婦以外全員偽物の結婚式披露宴が行われたのだった。 出席者はさすがに全員プロである。 学生時代の思い出話をまじえた友人スピーチ、退屈だが愛のある来賓の言葉、両親への感謝の手紙、と全てが滞りなく行われた。 式場側には、事情を知らせていなかったようだが、きっと、式場スタッフは、物の結婚式披露宴だと勘違い

    新婦以外全員偽物の結婚式