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増田文学と家族に関するnasuhikoのブックマーク (3)

  • 孤独で気が狂いそうだ

    31歳の女。発達障害のため、人から嫌われ、見下されてしまう。 何をしても人より劣っているし、空気が読めず、相手が期待している言動が取れないからだ。 家族 実家暮らしで、父と同居している。元々は父と母と一人っ子の私の3人家族だったが、8年ほど前に母は自殺した。 父は立派な会社を定年退職した後、よくYouTubeを見ている。ネトウヨで、反ワクチンで、一日中韓国人や中国人やユダヤ人の悪口を言っている。ユダヤ人は原爆を作ったから許せないんだそうだ。あとは、犬やを虐待したいそうだ。父の話に笑顔で頷かないと、父は不機嫌になるので、毎日とても疲れる。 母は、私が発達障害の出来損ないであるため、統合失調症を発症し、自殺してしまった。「あんたみたいな出来損ない、誰だって殺したくなる!」だそうだ。私は物心が付いてから母が死ぬまで、殴られずに済んだ日は1日もなかったと思う。「どうしてあんたはふつうになりたいと

    孤独で気が狂いそうだ
  • 首を吊ってる母親を、自分の手でドアから降ろした話。

    これも結構前の話になる。 「そういえばあの時、どんな気持ちだったっけ?」と思い返す機会があったので、折角なので文字に書き残しておきたい。 そうすれば胸に落ちるものも、もしかしたらだけど多少はあるんじゃないのかな?って感じで。 内容が内容なので、少し長くなるかもしれないけど、お暇な方がいらっしゃいましたら読んでやってください。 あんまり仔細に年月日を狭めすぎるとアレなので、時期は今から7年ほど前。 ちょうど今のような、若干寒さも落ち着いてきたかな?ってぐらいの春頃のお話だと思って下さい。 当時の俺は大学に入学したての、ピカピカの一年生でした。 兄の方がとても優秀だったんで、随分と見劣りはするけれど、俺の通っていた高校のレベルからすれば「まあ頑張ったんじゃないの?」程度の大学へと入学。 その筋のマニアには結構有名な、二郎インスパイアの名店が近くにある登り坂の長い大学ですね。 あれは当に数少な

    首を吊ってる母親を、自分の手でドアから降ろした話。
  • 祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました)

    この冬に亡くなった父方の祖母は、祖父の初婚の相手が病没してからの後添いで、最近は後家でもあった。 彼女が祖父と再婚したとき、すでに父も伯父も成人していたので、祖母を慕うでも疎むでもない、いわゆるおとなの距離感だった一方、私と母は祖母とずっと仲良しだった。 祖母と血縁関係がないことを知ったのは小学生時代の半ばだったが、「あ、まじ?」くらいのかんじで、祖母のことは変わらずずっと好きだった。 80歳になった頃から認知症が出始めて、以降はちょっと若返り、ずっと79歳で通した。 90歳近くになっても「80歳になったら遺言状を書く」と言い続けていたので、遺言状書くのが潜在意識レベルで億劫だったんだろう、気持ちは79歳のまま、91歳で亡くなった。 歳もとしで、生存してる知己も皆無のため、葬儀では町内会長が弔辞を読んで下さった。 会費払うくらいの活動しかしてなかった祖母に対して「〇〇地区の発展のためおおい

    祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました)
    nasuhiko
    nasuhiko 2020/08/10
    後立てもなくご苦労が多かったであろう生涯の最後においても周囲に苦労をかけまいとする老女の矜持と、それを汲みとった増田の文に胸を突かれる。辛いこと楽しいこといろいろあったに違いない。ご冥福を祈る。
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