作家の伊藤計劃は「人という物語」という注目すべきエッセイを書いている(webで読める)。 このエッセイを簡略すると、要するに、「私」というのは一つのフィクションであるという事だ。「私」はフィクションだというのは、仏教哲学の時点から言われているので、真理としては目新しいわけではないが、伊藤計劃は脳科学の見地から言っている。 脳は外界から沢山の情報を受取る。同時に、内からも情報を沢山受取る。それらの情報が編集、処理されて、「私」というフィクションが成立する。これは外界に関しても同じであり、僕らが「現実」と認識しているのは、そもそも脳の編集後の世界であり、編集前の、ありのままの現実とは何か、それはわからない。(このあたりはカントとも一致する) 「私」というものは当たり前のものとして通常は扱われている。「私の物を取らないでください」「私に触れないでください」 これは普通の言葉だ。同様に、僕らは「私