仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な本年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…
■7/7(土)、「子どもを追い込む"見えざる手" 『いじめ』から我が子を守れるか?」と題した内田良子氏の講演会に行ってきた。主催は江別登校拒否と教育を考える会「もぐらの会」。 ■統計に依れば、いじめが理由の不登校は全体の1/3に上るという。子供は必死のサインを出しているが、親も教師もなかなか子供の立場には立てず、なんとか学校に戻そうとしてしまう。加えて、数値目標を掲げての登校圧力も強まっている。そんな中、自殺に追い込まれる子が出る。子供の人生、生命は家庭が守らねばならない。学校を休むことは子供の命の非常口を開けておくこと。退路を用意しておくことが重要だ。これが講演の骨子。大阪でいじめを苦に自殺した中学生や、そのほか多くのいじめの事例を引き、学校を休むことを親が認めてくれたおかげで「傷」が浅く済んだ、という子供の作文を引いての話だった。 ■会社には有給休暇という制度が認められていたりする。だ
川崎市立宮崎中(同市宮前区)の男性教諭(55)が、知的障害のある1年生の女子生徒について「5〜6歳の小学生」「目をそらすように、話をしないように」と、同級生からのいじめを助長する発言を繰り返していたことが分かった。市教委は22日、教諭を減給1カ月(10分の1)の懲戒処分、村上雄一校長を戒告処分にしたと発表した。http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20070323k0000m040147000c.html(「中学教諭:知的障害の生徒にいじめ発言、減給処分 川崎??教育:MSN毎日インタラクティブ」) これは酷い。55歳の教師に今更研修も無いでしょう。諭旨免職にでもしてさっさと教壇から追放した方が早い。http://eiji.txt-nifty.com/diary/2007/03/post_5278.html(大石英司の代替空港: 大げさ
自殺予告手紙:「生きていくのがつらい」……手紙全文−今日の話題:MSN毎日インタラクティブ これは本物だと思う。 「両親へ」という手紙だけ論旨が支離滅裂で、他は筋が通っている。いたずらではこんな細かい芸はできないだろう。 この子は人権を奪われていて、それを回復できないから死ぬと言っているのだ。この子にとって自分の人権は命より大事なものだ。「僕の人権と僕の命とどちらが大切ですか?」と問うているのだ。 それに対して、「人権は後で何とかするから命を大切に」という答は意味がない。 人権とは、自分が言ったことを誰かが聞いてくれて答えてくれることだ。「クラスのみんなへ」「担任の先生へ」「クラスのみんなの保護者へ」「教育委員会へ」という4つの手紙で一貫しているのは、「僕が苦しさを訴えていることに、何らかの応答をしろ」ということだ。彼は、答えを求めている。 ぜったいなん年かたったらわすれるでしょう(クラス
2006年11月12日 いじめに関する 最近いたるところで見かける「いじめ」の話だが、大抵個人レベルの対症療法に留まっている。 よく見かけるのは「逃げ道を提示してあげる」という話に終始する事が多いが、それは「いじめ」が進行形の話ならば有効な手段だという事であり、根本的な解決になっていない。 「いじめ」は必ず起こる。 原因を解明はできないが、帰納法的な予測として起こる確立が極めて高いといえる。 ならば、その前提で「いじめが起しにくい構造」または「起きても深刻なレベルになりにくい構造」を模索するべきである。 そうは言っても「教育」の場である学校での構造を改革するのは容易ではないだろうし、そもそも内的規範を改革する事は難しい。 そうすると何ができるのか? という事になるが、規約と集団の結合の仕方をコントロールする方法が考えられる。 「閉塞的集団の中で力の均衡が偏ることにより発生するいじめ」を取り
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冷血漢とかひどいとか言われるかもしれないが、正直あまり関心がありません。だから前向きな意見も何もないけれども、感想はある。以下その無責任で雑多な感想。 報道を眺めながら、 いじめ自殺を予告した手紙が文部科学省に届いた問題で、投函(とうかん)先の可能性を指摘された豊島区内の小中学校では七日、該当するいじめがないかなどの確認に追われた。 警視庁は7日、この手紙が東京・豊島区内から投函(とうかん)された可能性が高いとの情報を受け、地元の学校と連携して情報収集にあたるよう都内の全署に通達した。 文部科学省は9日、伊吹文科相あてに、高校2年生の女子生徒を名乗る人物から、いじめを受けており自殺すると訴える手紙が同日午前に届いたと発表した。 手紙はA4判のリポート用紙2枚。8日付の「渋谷」の消印がある茶封筒に入っていた。 まるで容疑者の公開捜査だな、と思った。 予告した少年のことを世間は見捨てないかもし
■[世相その他]いじめ考〜根本主義への疑問(追記・修正あり) いじめをなくす?冗談だろう。 いじめはなくならない。人類が存在する以上けっしてなくならない。人間以外の動物にもいじめは厳然と存在する。これは本能みたいなものだ。 しかし、人類であれば工夫によりそれを減らすことは出来るかもしれない。いじめによる個々人へのダメージを軽減することは出来るかもしれない。あるいはよりその暴力性を削いだ形に制御できるかもしれない。戦争も同じで、今後も大小様々な紛争は決してなくならないと思う。だが大事なのはそれをコントロールする意思や戦略だ。そしてコントロールを可能にする環境だ。 何事も根本的な完全なる解決を目指して躍起になることが必ずしもいち早い解決に結びつくとは限らない。そうした努力が過去ことごとく失敗に終わった例もきりがない。 共産主義が理想社会をもたらすはずだと信じていた人たちは、人間や社会や経済とい
以前「鏡の法則」に対して“いじめ”の視点からの批判を書いたこともあり、今アチコチでとりあげられている「いじめ自殺」について書いてみようかと思います。 “いつ”・“何を”考えるか この話題ではいじめに関わった教師や学校の対応などがとりあげられバッシングされています。それらは当然批判はされるべきですが、果たして今それらに対してばかり追求の眼を向けるべきことでしょうか。 いじめを率先しているような教師が居ることは初めからわかりきったことで、教員免許更新制にしようがどうしようが一定の割合でそういった教師は存在し続けるでしょう。学校の対応も昔から何も変わらないものであり、いじめの無い学校なんて(全生徒数人の学校以外)ありえないとわかっていても、ある意味聞き慣れた言葉でしかありえません。そもそもいじめによる自殺が騒がれていること自体、「何を今更」と思わざる得ません。 今バッシングが加熱しているのは、こ
昨日午前中何気なく点いているテレビを視ていたらジャガー横田というプロレスラー(らしい)女性タレントが『波乱万丈』という番組でご自身の生い立ちについて再現フィルムを交えて語ってました。幼い頃に両親が別居し、その後実父は他界、母親は再婚して幸福な生活を送っていましたが、学校では虐められていたようです。私はこの番組を何度かこんな風にぼんやり視ることがあるのですが、この番組は子ども時代に虐められていた人を選んで出演させているのでしょうか…。そのくらい、かつて虐められていたと証言する人が多いです。 映画女優の柴崎コウですか、彼女も歌番組のトークで昔虐められていたと告白していました。私は芸能誌も読みませんし、トーク番組もほとんど視ないのですが、たまたま虐められ体験のある人の番組ばかり視ているのでしょうか? 酷いイジメにあって自殺にまで追い込まれたお子さんもいますし、イジメは許せない許してはならないと思
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