日本語で正しいという時には「正確さ」「真正さ」「正当さ」などが含意から意味が選ばれるかそれらが混同されつつ理解される。 特に正当さと真正さには注意が要る。それが手続き上認められていれば正当であるとはいいうるだろうが場合によっては真正でない事もなくはないのである。 そして、では真正さとはどういうものかというならそれは力の向かう先に関与するものである。小学校のクラスで犬派と猫派に二分されたペット論争があったとしても、それだけならば別に「論争に勝った側には正しさがある」事にはならない。しかしこれがクラス全員で世話するペット選びなら話は違ってくる。犬がいいという意見がクラスの大多数を占めた時に、その意見が「正しくなる」のはここにおいてである。ここにおいて犬か猫かという事が「クラスの」問題になるからである。それまでなら単に「個人の問題」なのにクラス内で話していただけなのである。そしてまた、クラス内で