個別具体的な事例に触発されてはいるものの、それについては直接触れない。 差別や迫害について、まずもって「生まれ持ったものを理由として」という類のものは今の世の中議論を待たないだろう。 問題は、それが選択と容易に区別できないもの。例えばオタクであることは選択の結果であることが多いが、専業主婦であることが選択の結果であることもある(ある種の合理性によって社会全体がそれを「選択」していた「時代」もある)。選択が社会から個人へとシフトしていった結果、片や正しい価値観と政治的に認められ、片や悪趣味と迫害されることもある、というのはこれもある種の合理性による帰結なのかもしれない。けれども、当事者の主観的に見て差別や迫害である対象が交わった時にお互い同士が理解を示さないということがこの問題の根本的なところだろう。 つまり、差別をなくすという運動の結果が、それを差別される側から差別する側すなわち政治的に正