タグ

ゲームと富野由悠季に関するpopoiのブックマーク (5)

  • 「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞

    CGの絵は、はっきり言ってつまらない ちなみに、今までの話はアナログ中心の考え方です。今の環境は、デジタル技術に支えられている。それによって新たに起こっている問題もあるのでは、と思っています。 去年の初め頃です、俗に言う、CGを最初に始めた第1世代の人たちの中から出てきた言葉がありました。「ついにCGも理工学系の仕事からデザイナーの仕事になっちゃった」というため息混じりの発言です。 東大の理工学系の先生の発言だと思ってください。それを聞いた時、それまでCGは理工科系の仕事で、基的に理工科系の人がCG作品を作っていたんだなと思いました。 そこにデザイナーが入ってきた。だいぶ前からデザイナーのCGを使ってはいたんですが、それが世間に現れるようになったのはここ2~3年なんだなと実感しました。 ここで言いたいのは、これまでのCGワークはものすごく妙だなと思っていたこと。CGで絵を書くと絵が下手に

    「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞
  • 「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞

    だけど、こういう風に考えました。せっかく五体満足で生んでくれた親がいて、僕の場合、大きな病気もせずとりあえずこの年まで来ました。死んでくまでどれくらいの時間があるかは分からないし、たかが知れている。 それで、こういうことを考えたんです。生きているうちは元気でいたい、そして次の世代の人に迷惑をかけないよう死んでいきたいと。 10年ほど前、体が不調だった時に、2年くらいの間に3度気絶したことがあるんです。気絶したときの記憶は今でも残ってます。気絶するってのは、意識がなくなること。当然、体はきっと倒れていたのでしょう。 死ぬのが怖いのは当たり前。でも、何も感じられないのは気持ちいいですよ。意識感覚がない。むしろ、体の具合が悪くてとか、トイレが近いとかをずっと意識しながら生きるより、何も考えずいられる死は、決して悪いことじゃない。と思ったこともあった。 でも、つらいと感じることも、生かされている証

    「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞
  • 「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞

    僕は去年の暮れ押し詰まって、ハンナ・アーレントという政治哲学者を紹介したを読みました。読んで驚きました。17世紀、ルネサンスまでの人類のほとんどが、ものを判断し、決定することができない人の集まりだったとあったたためです。この話が信じられますか? だってもし人類がバカなら、ルネサンスが起こるまでの人類史は構築できなかっのではないか。人類史を構築する知恵があったなら、独自に物事を判断することもできたはずです。それぞれの文化を構築するための知恵があって、いろんな判断力があったっていいと思うじゃないですか。だけど、ハンナ・アーレントに言わせりゃ、大勢がよってたかって作れば、これくらいのものは作れるよと。 17世紀までの人たちはどうやって生きてきたか。ハンナ・アーレントは簡単に回答を出しています。物事を信じて生きてきたんです。信じるだけで17世紀の間、歴史を作ってきた。このことの意味を考えてくださ

    「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞
  • 「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞

    これは、簡単に乗り越えられるものではない。ゲームの一番怖いところは、ゲームを一般化しすぎたことだと思ってます。 大宅壮一さんという評論家が、テレビを見過ぎる日人に対して「1億総白痴化計画」と30~40年くらい前に言いました。今のゲームの拡大を見ていると、地球全部、30とか40億人を総白痴化するための行為でしかないのでは、と僕は思います。 30億人の時間を無駄に消費させている、生産活動はそこで止まっているわけです。そんな人類があと100億増えたら、「お前ら地球を滅ぼす手助けしているんだぞ」と言えます。 この言い方に対して、「わたしが関わっているゲーム仕事は、そうではない」と言い切れるものを作ってほしい。100億人がみんなでマスターベーションみたいなゲームをやっていても地球が滅びないように、人間がちゃんと日常行為を繰り返せるようなゲームを作ってみせてください。 我々人類には知恵があるという

    「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞
  • 「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞

    1つ気をつけてもらいたいのは、外交や政治の場面で聞く原理主義者という単語とは違うことです。原理原則でものを考えると原理主義者に陥ってしまって次のことを生み出せる自分や組織をつくることはできません。原理主義者になれと言っているわけではないので間違えないでください。 でも、原理原則に立ち戻って考えて、その上で次の来年、5年後、10年後、20年後にどうするか、10、20年後に対応できるある方向性を示した作品の形を考えるわけです。ゲームの根はどこにあるかを考えてください。 僕にとってはゲームは悪です。なぜなら、日常生活を支えている行為ではないからです。まして、今の電子ツールを使ったゲームなんて、エネルギー消費しているだけだからもう、1000万人とか1億人とか10億人のオーダーで、ハードを売ること自体が悪なんです。エコでも何でもない。 あまり冗談ごとではありません、われわれ自身にも関わっている問題

    「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞
  • 1