なんでもいいから完成させろとはよく言われるけれども
ananの「愛のあるセックス」特集が、コンビニエロ本ゾーニング問題とからんで、ややモメてるみたいだ。 ざっと見た形としては、 ①ananはエロ本だからコンビニから消すべきではないですかねぇ……と皮肉る男が湧く ↓ ②ananはエロ本とは違うから(「愛があるから」など)大丈夫じゃない? と反応する女が湧く ↓ ③エロ本のなにが違うんか言ってみろコラァ!と憤る男がたくさん湧く こんな感じ。 私見を述べると、これは②が悪い。今回のananはどう見てもエロ本だ。愛があるのは、ananが女向けだからに過ぎない。女に不快でない内容になっているというだけ。つまり②は、「コンビニエロ本ゾーニングとは、自分にとって不快なものをコンビニから排除したかっただけ」という事を自爆的に暴露した形になる。 この手の話になると、いつも考えることがある。 かつてフェミニズムは、ルッキズムだとかセクシズムだとかを徹底的に否定
ボジョレー・ヌーボーを飲んでフランス気分でいる。 父親にビジネス書を読めといわれたので、ひねくれて遠藤周作作の王妃マリー・アントワネットを読んでいる。 ビジネス書は苦手だ。 王子や騎士が姫を救う話ではなくて、虐げられていた者が姫を処刑するフィクションが必要だと感じる。 日本のアニメや漫画といったフィクションを見ると権威主義なものばかりである。 主人公が上級国民だったり、特殊能力がある奴ばかりだ。 古典の時間に光源氏が出てくる源氏物語や在原業平が活躍する伊勢物語に苦闘していたが、昔から日本人は権威が大好きなのかもしれない 政治や経済においてもそんな傾向である気がしてならない。 まぁ、イギリスの魔法の話もそんな感じだったりするからヨーロッパも似たところがあるのかもしれない。 しかし、そんなものは血筋も能力もない自分には合わない。 顔が悪い自分からしたら、イケメンの王子が姫を救うなど嫌味でしかな
トラバで指摘を受けたので一部修正&追加 大森望氏が日本SF作家クラブに入会を拒否られ、それを契機に一部の作家がクラブを退会していることが話題になっている。 日本SF作家クラブが大森望氏の入会を拒否→そのことに不満を持った作家が一斉に退会を表明 http://blog.livedoor.jp/qmanews/archives/52095403.html 大森望氏といえば、文学賞メッタ斬り!であれやこれや言って文壇からの顰蹙を買ったり、清涼院流水デビュー時に本の帯に「新本格最凶のカードがミステリの幸福な時代に幕を引く」と書いて真面目なミステリファンの不興を買ったり、このミスの匿名座談会で作家たちから反感を買ったりと、あまり買うべきじゃないものばかりたくさん買い集めているが、しかしそれでも彼がSFにもたらしてきたものは大きい。 人気作品の翻訳、創元SF短編賞の審査員、描き下ろしSFアンソロジーN
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