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オシムの検索結果1 - 40 件 / 163件

  • 「人がミスをするときは3つの理由がある」名将オシムが日本人コーチに力説した"指導の極意"(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

    国際親善試合のカメルーン戦のメンバーを発表するサッカー日本代表のイビチャ・オシム監督(=2007年8月14日東京都文京区の日本サッカー協会) - 写真=時事通信フォト 一流のスポーツ指導者はどこが違うのか。サッカー日本代表の監督を務めたイビチャ・オシム氏は、ジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任した際に、コーチの小倉勉さんに「指示禁止令」を出した。なぜ小倉コーチの指示をやめさせたのか。ジャーナリストの島沢優子さんの著書『オシムの遺産』(竹書房)から一部を紹介しよう――。(第1回) 【この記事の画像を見る】 ■「オグラ、ちょっと黙れ」 オシムがジェフの監督に決まったとき、その価値を祖母井の次に知っていたのは恐らく小倉勉だろう。天理大学を卒業した1990年にドイツに渡り、ヴェルダー・ブレーメンのユースなどを指導し92年に帰国してコーチとしてジェフに入団した。 「オシムさんに関しては、イタリア

      「人がミスをするときは3つの理由がある」名将オシムが日本人コーチに力説した"指導の極意"(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース
    • 読書猿 著『独学大全』ダイヤモンド社より9/29刊行します

      『独学大全』という本を書きました。 2020年9月29日、ダイヤモンド社から刊行します(電子書籍は10月21日配信予定です)。 タイトル:独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法 著  者:読書猿 発  行:ダイヤモンド社 判  型:A5変型判 分  量:788ページ 価  格:2,800円+税 ISBN:9784478108536 発売予定:2020年9月29日(書籍) 2020年10月21日(電子書籍) 独学に必要と思われる、ほぼすべての技術を盛り込むために、自分が過去に書いたものを含めて、古典文献からSNS上での発言にいたるまで幅広く渉猟しました。 こうして集めた先人の知見を55の技法にまとめ、「何故学ぶのか」(動機付けと継続に関する技法)、「何を学ぶのか」(学習資源と資料を探し出し吟味する技法)、「どのように学ぶのか」(読み、記憶し、理解するための技法)の

        読書猿 著『独学大全』ダイヤモンド社より9/29刊行します
      • 在野に学問あり 第6回 読書猿さん

        記事執筆:山本ぽてと ◇はじめに この連載は在野に関わる人々を応援するものだ。 前回の更新から1年以上時間が経ってしまった。コロナ禍によって、在宅時間を持て余す人が増え、「独学」に光の当たった1年であったように思う。読書猿さんの『独学大全』(ダイヤモンド社)が大ヒットし、英語学習についての新書が注目され、『BRUTUS』では「勉強」特集が組まれた。大学によるYouTube授業なども盛んだ。 ちなみに『BRUTUS』の「大人の勉強案内」では、荒木優太さん(第1回)、山本貴光+吉川浩満(第2回)も登場している。私も3つの記事に関わった。この「在野に学問あり」も更新をする千載一遇のチャンスであったが、ぼんやりしているあいだに時間が経ってしまった。 さて、今回はまさに『独学大全』が売れに売れている読書猿さんに話を聞いた。インタビューはコロナ禍であることと、読書猿さんが遠方にお住まいのため、「在野に

          在野に学問あり 第6回 読書猿さん
        • 元日本代表監督イビチャ・オシム氏死去 80歳 90年W杯ユーゴ8強、05年市原でナビスコ制覇 - 海外サッカー : 日刊スポーツ

          元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が亡くなった。1日、オシム氏がかつて監督を務めたオーストリアのクラブ、シュトルム・グラーツも公式サイトで発表した。80歳だった。 クラブのジャゥク会長は、「イビチャ・オシムは素晴らしいコーチであるだけでなく、私が人生で出会った最高の人物の1人でもあった。私たちのクラブの最大のアイコン(象徴)であり、一緒に過ごした多くの時間を決して忘れません。彼はサッカーそのもの、それをはるかに超えた影響力を持っていた。彼の言葉は、永遠に私たちの中で生き続けます。奥様、2人の息子さん、そして家族全員に心からお悔やみ申し上げます」との声明を出した。 旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ生まれ。1986年にユーゴ代表監督に就任。1990年W杯イタリア大会で8強入り後、シュトルム・グラーツ監督などを歴任し、2003年に市原(現ジェフユナイテッド千葉)の監督に就

            元日本代表監督イビチャ・オシム氏死去 80歳 90年W杯ユーゴ8強、05年市原でナビスコ制覇 - 海外サッカー : 日刊スポーツ
          • 川淵さん、この仕事はあなたには向いていません: 武藤文雄のサッカー講釈

            川淵三郎氏が、東京五輪の組織委員会会長に就任するらしい。私は憂いている、過去多くのことをなしとげてきたこの元日本サッカー協会会長だが、この仕事は向いていない。下手をすると、氏の晩節を汚すものにもなりかねないと。 私の心配の理由は明白だ。川淵氏は「こちらに進むことが正しい」と明確な状況で、格段の推進能力を発揮し、成果を挙げてきた人だ。しかし、「どちらが正しいか不明確」な事態を軟着陸させることは不得手なのだ。そしてそう言った不明確な事案に不適切な判断をしてしまったこともまた多い。さらにその不適切な判断が明白になった後の態度は、とてもではないが褒められたものではなかった。 疫病禍の世界の中、「やるのかやらないのか」意見が二分している東京五輪。その責任者は、典型的な「どちらが正しいか不明確」と言う仕事なのだ。繰返そう、川淵氏はこう言った「どちらが正しいか不明確」な仕事には向いていない。 改めて、氏

            • ジェフ千葉に何人メッシを入団させたらJ1に昇格できるか(Football Manager)

              ジェフユナイテッド千葉はブログの筆者の地元からおそらく2番目に近いJクラブで、数少ない観戦をしにいったことのあるクラブで、自分が学生だった頃はオシムが監督をやって強い時期があったりと、今まで2部に落ちたことがないそこそこなクラブだったと思うのだが、2010年に降格をして以降、どっぷりとJ2の沼に浸かっていて、今では昇格をしそうな気配もなくなってしまった。 そんなジェフ千葉で、メッシが何人いれば悲願のJ1昇格を果たす事ができるのか検証をしてみたいと思う。検証にはサッカー監督ゲームのFootball Manager 2022を使う。どんなゲームか知らない人はこちらの記事を見てほしい。ちなみにFootball Manager 2022にはJリーグは搭載されていないが、Modを導入してJリーグを追加している。導入の方法はこちらで紹介をしている。メッシはジェフで夢を叶えてほしい。 この記事の動画版(

                ジェフ千葉に何人メッシを入団させたらJ1に昇格できるか(Football Manager)
              • 元サッカー日本代表、水沼貴史さん「監督という職業は覚悟が必要」 #さくマガ #さくらインターネット - さくマガ

                あなたは過去の実績が認められ管理職になった 自分の上司はカリスマで数々の業績をあげている そんな人物の下で若手を伸ばそうとしていたとき あなたは社長に呼び出された 社長はカリスマ上司が辞めると明かした そしてあなたに部門全体を指揮しろと言う 次のビジネスチャンスまで時間がない 部署に戻ると部下は不安そうにあなたを見る そんな経験をしたのが水沼貴史だ コーチから監督になり、またコーチに戻るまで 水沼はどんな思いを抱いていたのか そして今の「やりたいこと」は何か 水沼貴史(みずぬま たかし) 1960年5月28日埼玉県生まれ。 浦和南高校から法政大学に進学し、1979年、日本で開催されたワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)では日本で唯一のゴールを挙げた。1983年に日産自動車へ入団。1984年からは日本代表としても活躍して、1995年に現役引退。引退後は解説者として多数のテレビ番組

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                • サッカーも人生も、誰かのために動くと力を発揮できる……熊本地震が巻誠一郎の生き方を変えた - ぐるなび みんなのごはん

                  2019年1月、巻誠一郎が引退を発表した。 波瀾に満ちた現役生活だったはずだ。 どのチーム、どのプレーが一番印象に残ったか。 その思いを聞こうとインタビューを申し込んだ。 ところが巻が話したかったのはその話題ではなかった。 彼が言葉にしたい、文字に残したいと思っていたのは、 今もまだ傷跡が残る熊本地震のこと。 あのとき人見知りの巻はみんなの前に立った。 自分の不得意なことをやらなければいけない その必要性で巻は変わったように見える だが自分の大きな転機にあたっても 他人のためになろうとする姿だけは変わっていなかった 「これは普通の地震じゃない」という感覚 2016年4月14日の21時26分に最大震度7の地震があった際は、サッカースクールで子供たちにサッカーを教えてたんです。あまりにも揺れてグラウンドが波打って。子供たちっていつもは元気があってやんちゃなんですけど、そのときはビビっちゃってコ

                    サッカーも人生も、誰かのために動くと力を発揮できる……熊本地震が巻誠一郎の生き方を変えた - ぐるなび みんなのごはん
                  • 僕はW杯に行きたかった……佐藤寿人が振り返る4人の代表監督 - ぐるなび みんなのごはん

                    2000年にプロデビューした佐藤寿人は 市原、C大阪、仙台、広島、名古屋、そして再び千葉と 多くのチームで印象的なゴールを残してきた 記憶に留まる得点だけではない J1通算ゴール数は歴代2位という高成績 いつも前線の頼れる選手になる だが日本代表に招集されても なかなかチャンスは巡ってこなかった 常に「ジョーカー」という立場でもあった そんな佐藤に苦しかったとき 日本代表での後悔 そして愛するものについて語ってもらった 「サッカー人生は終わったかな」と思った瞬間 僕は苦しいって思うことってあんまりないんですよ。辛いってケガとか病気のときとかには思いますけど。 ケガで1番辛かったのは、広島にいたときの2010年のヤマザキナビスコカップですかね。準々決勝で肩にケガして、決勝の前に復帰できたんですけど、決勝ではピッチに立てなくて。僕が広島に行ってから、まだリーグタイトルを獲ってない状況だったんで

                      僕はW杯に行きたかった……佐藤寿人が振り返る4人の代表監督 - ぐるなび みんなのごはん
                    • 言い訳でしかない「PK戦は運」直前にキッカー決めた日本、16強以上目指すなら準備が必要だ - OGGIの毎日がW杯 - ワールドカップカタール2022コラム : 日刊スポーツ

                      PK戦に入った瞬間、日本の敗退が頭をよぎった。 前回大会のクロアチアは2回のPK戦の末に決勝に進出。日本は10年大会でPK戦の末にベスト8入りを逃した。W杯でのPK戦勝率0パーセントと100パーセント、不安は直前にキッカーを決めているのを見て確信に変わった。 「PK戦は運」というのは、負けたチームの言い訳か、失敗した選手への慰めでしかない。前回のクロアチアは「運が良かった」から準優勝できたのではないし、11年女子W杯の決勝で米国とのPK戦を制したなでしこジャパンを「運だった」ということもない。 W杯で初めてPK戦が行われたのは、82年スペイン大会準決勝の西ドイツ-フランス戦だった。延長1-3から追いついた西ドイツの選手は準備万全に堂々としていて、プラティニらフランスは順番でもめているようだった。結果は5-4で西ドイツが勝った。 ドイツは西ドイツ時代を含めてPK戦4戦全勝。アルゼンチンは3勝

                        言い訳でしかない「PK戦は運」直前にキッカー決めた日本、16強以上目指すなら準備が必要だ - OGGIの毎日がW杯 - ワールドカップカタール2022コラム : 日刊スポーツ
                      • イビチャ・オシム氏死去 サッカー日本代表元監督 80歳 | NHK

                        ジェフユナイテッド市原・千葉は2日、ホームページにかつてクラブを率いたオシム元監督の訃報を掲載するとともに、クラブの30周年事業として去年、佐藤勇人CUO(クラブユナイテッドオフィサー)がオシムさんにインタビューした際のことばの一部を紹介しました。 この時のオシムさんは佐藤CUOとのインタビューで 「サッカーには金がかかるようになった。日本のサッカー界も同じだ。そう感じるだろう。この前のオリンピックも、そのための国際会議も、ばく大なお金が使われた。使ったお金は返さなければならない。そのためには稼がなければ。大事なのはアイデアをだすことだ。頭を使うことだ。 さまざまなアイデアを出すことが革新につながる。もちろん全部のアイデアが採用されるわけではないが、未来を予測して、それに見合ったアイデアを出すことが大切だ。一歩一歩、進んでいくしかない」 そして 「いい仕事をするためには、誰かいい相棒を見つ

                          イビチャ・オシム氏死去 サッカー日本代表元監督 80歳 | NHK
                        • クロアチアの友人がサイゼリヤをすっかり気に入り「ゲミシュト」や「バンブス」という母国の飲み方で満喫してる

                          長束恭行 @nagatsuka_hrv クロアチア専門のサッカージャーナリスト・通訳です。『東欧サッカークロニクル』で2018年度ミズノスポーツライター優秀賞受賞。訳書に『日本人よ!(オシム著)』『ルカ・モドリッチ自伝 マイゲーム』。クロアチア代表がテーマの新著『もえるバトレニ〜モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』が発売中。 instagram.com/yasuyuki_joza 長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv 来日中のクロアチアの友人がサイゼリヤをすっかり気に入り、白ワインと炭酸水を割る「ゲミュシュト」に続き、今回は赤ワインとコーラを割るクロアチアならではの「バンブス」を堪能中。ゲミュシュトとバンブスは「混ぜるな危険」ですが、サイゼリヤでクロアチア飲みが満喫できることを知りました(笑) pic.twitter.com/MtfdNOkxPM 2023-0

                            クロアチアの友人がサイゼリヤをすっかり気に入り「ゲミシュト」や「バンブス」という母国の飲み方で満喫してる
                          • 引退発表当日…オシムが語った“サッカー選手・中村憲剛”「できることなら撤回してほしい」(田村修一)

                            イビチャ・オシムとは定期的に連絡を取り続けている。ここに掲載するのは、11月1日の電話による直近の会話である。 この日は、オシムが日本代表メンバーとしても信頼を置いていた中村憲剛選手が引退を発表した日。オシムが語った“プロサッカー選手・中村憲剛”とは――?(#2に続く/全2回) ◆◆◆ 中村憲剛の引退は「サッカーにとって大きな損失だ」 ――元気ですか? オシム ああ、元気だ。いったい何があったのか? ――中村憲剛が今季限りの引退を発表しました。 オシム 憲剛はまだプレーしていたのか。引退するなら彼のために何か別のスポーツを探してやるべきだ(笑)。日本サッカーにとって大きな損失だ。彼自身にとってもサッカーにとっても残念なことだ。彼はピッチの上で常に的確なプレーを実践し、オーラを発揮し続けた。本当に優れた選手でスターとしての人生を歩んだ。そうした選手が表舞台から去るのはとても残念だ。だが、人生

                              引退発表当日…オシムが語った“サッカー選手・中村憲剛”「できることなら撤回してほしい」(田村修一)
                            • 「アップルウォッチ外来」の需要が急増…無自覚の不整脈、孤独死回避にも一役(木原 洋美) @gendai_biz

                              心電図機能で「心房細動」を早期発見 気が付くと、仕事関係者の腕にApple Watchを発見することが増えてきた。一番多いのは、「健康(ヘルスケア)機能に惹かれて購入した」タイプだ。コロナ禍で外出の機会が減り、ジムにも通えていないせいで太ったという人が、せめてもの健康増進にと買っている。一方で、「便利そうだけど、べつになくても困らない」と購入を見送っている人も少なくないだろう。 ただ実は、医療の面から見ると、Apple Watchは一般に思われている以上に使える。それも10代~80代まで、幅広い年齢層の「生命の危機の回避」に役立つ可能性がある。 特に注目されているのは昨年秋に医療機器認証を取得した「家庭用心電計プログラム」(心電図アプリケーション)と「家庭用心拍数モニタプログラム」(不規則な心拍の通知プログラム)の2つ。国が医療機器として認めたということは、それだけ信頼できるということで、

                                「アップルウォッチ外来」の需要が急増…無自覚の不整脈、孤独死回避にも一役(木原 洋美) @gendai_biz
                              • オシムがコパで驚き、賞賛した選手は?「日本は適切な進化の過程にいる」(田村修一)

                                イビチャ・オシムに日本対エクアドル戦の話を聞いたのは、試合の翌々日だった。初戦のチリ戦は見たが、日本が引き分けたウルグアイ戦は見ることができなかったオシムは、やはり引き分けに終わり準々決勝進出を逃したエクアドル戦を高く評価している。いったいオシムは、エクアドル戦に何を見たのか。コパ・アメリカでオシムが見出した日本の真実とは何であったのか。オシムが語った。 16番は期待以上の優れた逸材だ。 ――元気ですか? 「ああ、君はどうだ?」 ――元気ですが、パリはすごく暑いです。 「この季節に雪は降らないからな(笑)。女子の試合(ワールドカップ・ラウンド16の日本対オランダ戦。ちなみにオシムは日本対イングランド戦はテレビで見ている)は見られなかったが、男子の試合(日本対エクアドル戦)は見た。技術的には悪くなかった。チームが試合を重ねるごとに進化しているのはわかるし、見ていて楽しいチームでもある。しかし

                                  オシムがコパで驚き、賞賛した選手は?「日本は適切な進化の過程にいる」(田村修一)
                                • オシム、コロナ禍の欧州から魂の言葉。「私はまだ働きたい。ジェフの……」(田村修一)

                                  オーストリアのクラブ、シュトルム・グラーツには今もオシム伝説が残る。グラーツの観客席の垂れ幕には今もオシムの顔と名前が……。 イビチャ・オシムと電話で話したのは先月のこと。ヨーロッパではコロナウィルスの影響が深刻化し、すでに各国が非常事態を宣言して日常生活に大きな制約を加えていた時期ではあったが、日本にはまだそこまでの危機意識がなかったころだった。それから時間がたち、日本の状況も大きく変化した。 オシムはこの新型コロナウイルスによる社会をどう捉えていたのか――タイムラグを経てもなお心に直接響いてくる彼の言葉に耳を傾けよう。 「今はこちらの方が日本よりも深刻だ」 ――元気ですか? 「ああ、君らはどうだ。いろいろ問題があって、あらゆる活動が停滞している」 ――その通りです。 「問題は本当に多い。こちらは移民も多く、人が移動するからなおさらだ。避けるための手段が多くあるわけではない。危機は徐々に

                                    オシム、コロナ禍の欧州から魂の言葉。「私はまだ働きたい。ジェフの……」(田村修一)
                                  • 「人がミスをするときは3つの理由がある」名将オシムが日本人コーチに力説した"指導の極意" 「なにを間違えたか」ではなく「なぜ間違えたか」が重要

                                    一流のスポーツ指導者はどこが違うのか。サッカー日本代表の監督を務めたイビチャ・オシム氏は、ジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任した際に、コーチの小倉勉さんに「指示禁止令」を出した。なぜ小倉コーチの指示をやめさせたのか。ジャーナリストの島沢優子さんの著書『オシムの遺産』(竹書房)から一部を紹介しよう――。(第1回) 「オグラ、ちょっと黙れ」 オシムがジェフの監督に決まったとき、その価値を祖母井の次に知っていたのは恐らく小倉勉だろう。天理大学を卒業した1990年にドイツに渡り、ヴェルダー・ブレーメンのユースなどを指導し92年に帰国してコーチとしてジェフに入団した。 「オシムさんに関しては、イタリアワールドカップでユーゴスラビアの監督だった人という印象が強かった。ストイコビッチにボバンがいてサビチェビッチがいて、みたいなスター軍団を率いた監督が来るのか! と。本当にワクワクしました」 当時の

                                      「人がミスをするときは3つの理由がある」名将オシムが日本人コーチに力説した"指導の極意" 「なにを間違えたか」ではなく「なぜ間違えたか」が重要
                                    • 日本代表の強化指針「ジャパンズウェイ」は誰が発案し、なぜ復活したのか?(宇都宮徹壱) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                                      ■「ジャパンズウェイ」は田嶋会長のオリジナル? タイで開催中のAFC U-23選手権で、早々にグループリーグ敗退が決まった、森保一監督率いるU-23日本代表。第2試合のシリア戦に敗れた直後、ネット上では指揮官の進退に関する言説が溢れていた。しかし翌日、JFAの関塚隆技術委員長が「間違った戦い方をしているとは思っていない」として、現体制の維持を表明。進退問題は、いったんは沙汰止みとなった。 とはいえ半年後に迫った東京五輪で、U-23日本代表が確実にメダルを獲得できると楽観するサッカーファンは、それほど多くはない。今大会は、ようやく3試合目でカタールに引き分けたものの、屈辱のグループ最下位。森保監督の手腕やJFAの方針に対する不安がSNS上で数多く綴られる中、頻繁に語られているのが「ジャパンズウェイ(Japan’s Way)」というフレーズである。 2年前のワールドカップ・ロシア大会後、西野朗

                                        日本代表の強化指針「ジャパンズウェイ」は誰が発案し、なぜ復活したのか?(宇都宮徹壱) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                                      • オシムの語るいま、そして秘めた炎。「私はフリーだ。君もわかるだろう」(田村修一)

                                        イビチャ・オシムはグラーツで静かに暮しながら、コロナ禍により静止した世界がどうなっていくのかをじっと見守っている。遠い日本にも常に思いを馳せながら。地理的な距離と心の距離、このふたつはオシムの中ではまったく異なっているのだった。オシムの近況を伝える。 ――元気ですか。 「ああ、元気だ。君はどうだ?」 ――私はまあまあというところです。 「そうだろう。日本が悪いはずがない」 ――そうは言っても今はまだ状況は厳しいですが。 「いや、酷くはないしいい状態を保っている。私は日本という国を信じている。一緒に仕事をしたときなど、日本人は信頼するに値する。それでそちらはどうなっているのか?」 ――今は少し良くなっていますが……。 「試合は始まっているのか?」 ――それはまだです。 「私は韓国のリーグ戦を見た。崔龍洙が監督を務めているチーム(FCソウル)が勝っていた。久しぶりに彼の顔を見た」 崔龍洙は素晴

                                          オシムの語るいま、そして秘めた炎。「私はフリーだ。君もわかるだろう」(田村修一)
                                        • 「人とすれ違うのも怖かった」南アW杯の“戦犯”と呼ばれた駒野友一が明かす10年前の真実(元川悦子) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                                          日本中を感動と興奮に包んだ2010年サッカー南アフリカワールドカップ(W杯)ベスト16進出の快進撃から10年。2018年ロシアW杯でも16強入りしているが、悲願のベスト8に最も近づいたのは、延長・PK戦まで粘った南ア大会のチームだと言っていい。「勝てば王者・スペインとの真剣勝負」という大きな夢に、彼らはあと一歩、手が届かなかった。 その責任を一身に背負い込んだのが、PK戦で唯一、失敗した駒野友一(FC今治)だ。号泣する背番号3の姿は多くの人々の脳裏に焼き付いているに違いない。10年という月日が経過した今、あのPKをどう捉え、その後のキャリアにどう生かしているのか。「戦犯」とバッシングを受けた当時のことについて、駒野が静かに語り出した。 「ブブゼラの音も聞こえた」蹴る前の心境――スコアレスのまま延長が終わり、PK戦になった瞬間は? 「気持ちの揺れはなかったですね。監督の岡田(武史=現FC今治

                                            「人とすれ違うのも怖かった」南アW杯の“戦犯”と呼ばれた駒野友一が明かす10年前の真実(元川悦子) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                                          • 「今はビジネスがスポーツに勝ってしまっている」――オシムが語る2つの東京五輪 - Yahoo!ニュース

                                            「1964年の東京は素晴らしかった」――元サッカー日本代表監督のイビツァ・オシム(78)は、前回の東京五輪にユーゴスラビア代表として参加した。ヨーロッパの選手にとって日本は「文化衝突を怖れていた」というほど遠い国だった。終戦から19年、東西冷戦下の五輪はどのようなものだったのか。2度目の東京五輪を来年に控えて、当時の思い出と未来に向けての提言を聞いた。(ジャーナリスト・木村元彦/Yahoo!ニュース 特集編集部) 言葉は少しも分からなかったが、気持ちは伝わってきた。代々木の選手村で各国代表のために無料で貸してくれた自転車の乗り心地は最高で、毎日乗りまわしていた。ある日、気がつけば千葉県まで来ていた。田園地帯で休んでいると、農家の女性がやってきて梨をくれた。身振り手振りで、ノドが渇いているでしょう?食べなさい、と。その梨は、甘くて、柔らかくて、今まで食べたことのないおいしさだった。お土産にし

                                              「今はビジネスがスポーツに勝ってしまっている」――オシムが語る2つの東京五輪 - Yahoo!ニュース
                                            • <東京五輪>オシムが語った日本対スペインの論点「日本は簡単にボールを失い、それぞれがひとりでプレーした」(田村修一)

                                              イビチャ・オシムに電話をしたのは、東京五輪男子サッカー準決勝・日本対スペイン戦が始まる50分前だった。東京五輪については、プレスパスを取得できなかったこともあり、仕事をする気はほとんどなかった。大会前のテストマッチは男女ともにほぼすべて取材したものの、それで自分の五輪は終わりだと思っていた。そうであるから、イビチャ・オシムやフィリップ・トルシエが、日本五輪代表のほぼすべての試合を見ることが可能だったことが後に分かっても、彼らから話を聞くという発想は端からなかった。 だが、その気になればかなりいろいろ仕事ができたと思ったのは、男子グループリーグ最終戦の日本対フランス戦の前日だった。それでも仕事モードになかなか切り替わらず、トルシエに電話したのが日本対スペイン戦の小一時間前、連絡がつかずにオシムに電話したのがその直後だった。 電話口に出たアシマ夫人の声は溌剌としており、それだけでオシムの健康状

                                                <東京五輪>オシムが語った日本対スペインの論点「日本は簡単にボールを失い、それぞれがひとりでプレーした」(田村修一)
                                              • 「他のベテラン選手はどうしている?」オシムが日本でずっと気になっていた“あの選手”とは(田村修一)

                                                イビチャ・オシムとは定期的に連絡を取り続けている。ここに掲載するのは、11月1日の電話による直近の会話である。 前編では中村憲剛の引退について語ったオシムだったが、話題は現在オーストリア(グラーツ)で2試合をおこなう日本代表への期待、そして自身の近況へと移っていった――。(#1から続く/全2回) ◆◆◆ オーストリア代表に見た「2つの成功」 オシム ここ(オーストリア・グラーツ)でどんな相手と試合をするのか教えてくれ。 ――メキシコとパナマです。 オシム スタジアムは? ――シュトルムのスタジアムだと思います。 オシム そうか。私も見に行ける。いい試合になるだろう。一緒に見れるといいが。 ――そうですね。 オシム 日本がどのぐらい進歩したかを見ることができる。メキシコは優れたチームで、日本の実力を測るには最適だ。技術的に優れたとてもシリアスなチームだ。 私は他のいくつかの試合にも期待してい

                                                  「他のベテラン選手はどうしている?」オシムが日本でずっと気になっていた“あの選手”とは(田村修一)
                                                • 「人がミスをするときは3つの理由がある」名将オシムが日本人コーチに力説した"指導の極意"(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

                                                  ■ミスをする選手のタイプを見極めろ 「ミスをする選手には大きく分けて2通りある。選択肢がいっぱいありすぎて判断が遅れてミスをする選手と、選択肢がなくて判断が遅くなってミスをするやつだ。おまえ、その選手がどちらになるかとか、その違いがわかるか?」 小倉は「いや、わかりません。わからないです」首を横に振るしかない。 「おまえの指示は全部同じなんだよ。選手がミスしたとき、理由は概ね3つある。状況を最後ギリギリまで見極めていたからプレーが遅れて(ミスが)起きたのか、選択肢がひとつしかなくてその判断を潰されたのか。3つめは、選択肢がたくさんあったから判断が遅れたのか。そんなふうに異なるミスをした選手を、おまえは同じように扱っている」 納得するしかなかった。 「おまえはもう指示を出すな。創造性のあるやつが下手になる」 その理由を聞いて理解できた小倉は「どうすればいいのか」と考え始め、その様子を見て取っ

                                                    「人がミスをするときは3つの理由がある」名将オシムが日本人コーチに力説した"指導の極意"(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース
                                                  • 「あなた方は進歩した」日本のW杯出場を喜ぶオシムの憂いと祈り「実はうまく歩けない」「プーチンは狂信的ですらある」(田村修一)

                                                    2021年5月、SKシュトゥルム・グラーツ対レッドブル・ザルツブルクの試合会場を訪れたオシム。体調は良かったり悪かったりだが、眼光の鋭さは健在だ イビチャ・オシムに電話をしたのは日本がシドニーでオーストラリアを破り、1998年以来7回連続のワールドカップ本大会出場を決めた数時間後だった。試合がオーストリアでも生中継されるのを筆者が知ったのは、当日(ヨーロッパ時間で3月24日午前)になってからだった。そのためオシムに伝えることができず、彼は日本が会心の戦いでオーストラリアを下した試合を見てはいない。それでもオシムは日本の突破を心から喜び、同時にロシアの侵攻が止まないウクライナの状況を憂えるのだった。 ■■■ ――元気ですか? 「ああ、元気だが君はどうだ?」 ――私もまあまあです。 「あなた方は勝ち点3を得たのだな」 ――ええ、とても満足しています。 「予選を突破できたのだから。ジャーナリスト

                                                      「あなた方は進歩した」日本のW杯出場を喜ぶオシムの憂いと祈り「実はうまく歩けない」「プーチンは狂信的ですらある」(田村修一)
                                                    • 「Jリーグは無観客でやるべき」。感染症対策の権威に聞くコロナウイルス問題。「政府は間違いを認めない」【インタビュー前編】

                                                      「Jリーグは無観客でやるべき」。感染症対策の権威に聞くコロナウイルス問題。「政府は間違いを認めない」【インタビュー前編】 感染症対策の権威であり、大型客船ダイヤモンド・プリンセス号に乗り込み、早い段階から新型コロナウイルスに対する警鐘を鳴らし続けてきた神戸大学感染症内科の岩田健太郎教授は、国内外のサッカーに関しても造詣が深い。YouTubeどころか、まだ国際映像も一般的ではなかった1980年代のユーゴスラビア代表に注目し、サフェット・スシッチ(元ボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督)のプレーが好きだったというから、筋金入りである。言うまでもなくスシッチはイビツァ・オシムが「パリ・サンジェルマンで最高の選手」と讃え、1990年のイタリアW杯を戦う上で中心に据えた選手(その役割はトーナメントが進むにつれて新鋭のストイコビッチとともに担うことになるのだが)である。いまだ収束の見えないパンデミックが世

                                                        「Jリーグは無観客でやるべき」。感染症対策の権威に聞くコロナウイルス問題。「政府は間違いを認めない」【インタビュー前編】
                                                      • サッカー店長のつれづれなる日記 ~戦術は浪曼だ!~ 踏み出した一歩 ~日本☓スペイン~

                                                        <踏み出した一歩 ~日本☓スペイン~> 【プロローグ】 日本☓スペインの激闘から遡ること約一ヶ月- 強化合宿の最中、代表監督の森保一は悩んでいた。 森保(くそう…どの新聞を見ても「無能」だ「3敗」だと好き放題書きやがって・・・) 森保(だが実際、スペインは強すぎる・・・。) 森保は前夜、自室で繰り返し見たスペイン代表の残像が頭から離れなかった。 (ていうか…スタメンの中盤3枚がバルサってどういう事よ?もはやそれバルサやん!) 【スペイン代表 スタメン】 森保の不安通り、スペイン代表の4-3-3で中核を担う中盤3枚はFCバルセロナの選手で占められていた。 ただでさえ上手い選手を揃えていながら連携面でも隙は見当たらない。 森保「いやーバルサ無理!バルサ怖い!」 ??「果たしてそうですかね?」 森保「誰だ!?」 鎌田「だって俺・・・バルサ倒した事あるし」 森保「オイオイ・・・マジかよ大地。ちなみ

                                                        • 【サッカー】”岡ちゃんごめんね”から10年。2010年南アフリカW杯から学ぶこと - 北の大地の南側から

                                                          こんにちは! Nishi です。 サッカーのワールドカップは、4年に一度開催でだいたい欧州を中心にしたサッカーリーグが終わっている6月上旬から7月中旬まで開催されます。 今から2年前はロシアで開催されて、日本代表も下馬評をひっくり返してグループリーグを突破したことに歓喜しました^^ 流行語にもなった”大迫半端ない”からもう2年経つんですね(^^; つい最近の出来事だと錯覚していますw そして今から10年前もワールドカップがありました。 10年前のワールドカップでも流行語にもなった言葉を覚えていますか? それは、”岡ちゃん、ごめんね” 僕もその一人でした(^^; その当時を振り返りたいと思います。 ワールドカップ前の日本代表の現状 www.footballchannel.jp 【DAZN】世界中のスポーツを全てここで 大きな期待を背負いながら目標を達成できなかった2006年ドイツ・ワールドカ

                                                            【サッカー】”岡ちゃんごめんね”から10年。2010年南アフリカW杯から学ぶこと - 北の大地の南側から
                                                          • オシムが語った東京五輪U-24日本代表の論点「日本もスペインと同じものを持っている。だが残念なことに、いく人かの選手が…」(田村修一)

                                                            東京五輪男子サッカー準決勝、日本対スペイン戦をオシムが語るインタビューの後編である。 日本の攻撃のコレクティビティの欠如をオシムは厳しく批判したが、日本のパフォーマンスの総体、さらにはここに至るまでの進化についてはポジティブに評価している。それはこのインタビュー後編から読み取れる。 では、彼が言おうとしたものは何であるのか。 そこを考えることから、日本サッカーの次なる進歩が始まる。その意味では、オシムとの議論をもっともっと深めていく必要があるように思う。(全2回の2回目/#1から続く) 「まあ聞け。君らは日本の選手たちを祝福できる。少なくとも彼らはプレーができることを証明して見せた。コンビネーションも決して悪いわけではなかった。いいものはいくつも見えた。 ただ、忘れてならないのは、サッカーは負けないことではないし、とりわけ簡単にボールを失うことではない。彼らは素晴らしいコンビネーションを試

                                                              オシムが語った東京五輪U-24日本代表の論点「日本もスペインと同じものを持っている。だが残念なことに、いく人かの選手が…」(田村修一)
                                                            • オシム氏、引退の中村憲剛へ贈る言葉…「指導者への道を進みたいというのならアドバイスがある」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

                                                              川崎の元日本代表MF中村憲剛(40)の引退セレモニーが21日、本拠地・等々力競技場で行われた。川崎で共にプレーした東京VのFW大久保嘉人(38)らOB選手も駆けつけたなか、現役18年間を川崎一筋でプレーしたクラブの象徴は、「川崎フロンターレに入れてよかった」と感謝した。元日本代表監督のイビチャ・オシム氏(79)は、中村の引退に際してスポーツ報知に独占メッセージを寄せた。 【写真】ありがとう…引退セレモニーで胴上げされる中村憲剛 * * * 現代サッカーで必要とされるタイプの選手、それが中村憲剛だ。欧州の強豪チームも彼のような選手を求めている。サッカーをよく知っており、しかも努力家。技術面も、よく訓練されている。私が日本代表監督だった時、憲剛がもう1人いたら、もっとよいチームになっていたかもしれない。 強く印象に残っているプレーがある。アウェーのインド戦(06年10月11日、3〇0)で、すご

                                                                オシム氏、引退の中村憲剛へ贈る言葉…「指導者への道を進みたいというのならアドバイスがある」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
                                                              • 本当のJリーグ王者は誰だ?UFJC(非公式Jリーグ王者)とともに振り返るJリーグの歴史|tkq

                                                                自粛で暇しているサッカー不足の皆様、いかがおすごしでしょうか。本当にサッカーコンテンツが不足していて、日々忸怩たる思いで毎日を過ごし、ネイマールよ税金を払えネイマールよ税金を払えと呪っていることと思われます。今回のこのnoteがなんなのかはよくわからないのですが、そんな皆様の状況を改善するものではないことだけはご承知おきください。 突然ですが、Jリーグの本当のチャンピオンは誰でしょうか? 昨年優勝の横浜FM? それともその前に2連覇していた川崎F? 最多優勝してる鹿島、初代王者のヴェルディ、いやいや広島も強かった、全盛期の磐田もすごかった、浦和の優勝した時はすごかった、そんな言うなら1回も優勝してないけどジェフでもいいじゃん、など異論反論オブジェクションな議論になってしまうでしょう。 なら、タイマンで拳でケリつけようや……? そうやって生まれたのがUFWC(非公式サッカー世界王者)です。非

                                                                  本当のJリーグ王者は誰だ?UFJC(非公式Jリーグ王者)とともに振り返るJリーグの歴史|tkq
                                                                • 森保ジャパンのこと全部聞いた - みぎブログ

                                                                  [http://Embed from Getty Images :embed:cite] 久保建英の涙を、地元の駅にあるカフェで観ていた。 (スポーツバーではないので)テレビは無音。ただ、画面に映しだされた彼の姿は、なんだかショッキングで、胸を締めつけられるようで、『あぁ、俺はこの光景をきっと一生忘れないだろうな』そう思った。 振り返ると、オリンピック開幕直前の頃は7月末に発売予定だった『フットボリスタJ』の原稿執筆と校正にかかりきり。正直にいえば、大会を心待ちにする余裕などあるはずもなく、オリンピックより原稿に夢中だったことを今更だがここで白状したい(だから買ってくれ)。 footballista J footballista増刊 作者:footballista ソル・メディア Amazon そんな頃、オリンピック代表チームに密着し、チームの様子をつぶさに観察していた男がいた。 サッカー

                                                                    森保ジャパンのこと全部聞いた - みぎブログ
                                                                  • 梁煥永 on Twitter: "アカデミー賞の多様性ガイドラインを見て、かつて多民族国家ユーゴのサッカー代表を率いたオシムが、各民族のマフィアからの「自民族の選手を使え」という脅迫を受けながらも屈する事なく「勝つ為に必要なら、11人全員をコソボのアルバニア人で揃… https://t.co/pJUOr1qcNJ"

                                                                    アカデミー賞の多様性ガイドラインを見て、かつて多民族国家ユーゴのサッカー代表を率いたオシムが、各民族のマフィアからの「自民族の選手を使え」という脅迫を受けながらも屈する事なく「勝つ為に必要なら、11人全員をコソボのアルバニア人で揃… https://t.co/pJUOr1qcNJ

                                                                      梁煥永 on Twitter: "アカデミー賞の多様性ガイドラインを見て、かつて多民族国家ユーゴのサッカー代表を率いたオシムが、各民族のマフィアからの「自民族の選手を使え」という脅迫を受けながらも屈する事なく「勝つ為に必要なら、11人全員をコソボのアルバニア人で揃… https://t.co/pJUOr1qcNJ"
                                                                    • 追悼イビチャ・オシムさん 元教え子の佐藤勇人さんが思い語る「これからもオシムさんとともに生きたい」|NHKスポーツ

                                                                      Jリーグのジェフや日本代表、そして祖国・ユーゴスラビアの監督を歴任したイビチャ・オシムさんが亡くなりました。2003年、オシムさんはタイトルとは無縁だった当時のジェフ市原の監督に就任しました。 サンデースポーツは、オシムさんに抜擢されて目覚ましい活躍をみせて日本代表にも選ばれた佐藤勇人さんを取材しました。放送ではお伝えしきれなかったインタビュー詳細です。 ー オシムさんの訃報を聞いたのは? 勇人) 解説の仕事の帰り間際に携帯を開いて知りました。電車に乗って帰宅しているときに当時のいろんな感情とか思いが込み上げてきまして、電車の中はなんとか我慢できたんですけど、そのあと駅から自宅につくバスの中では、涙が止まりませんでした。 ー 最初に思い浮かんだのは? 勇人)一番初めて会ったときの鋭い表情、またナビスコカップでタイトル取った時に優勝トロフィーのカップを持ってニコッとした笑顔、この2つが自分の

                                                                        追悼イビチャ・オシムさん 元教え子の佐藤勇人さんが思い語る「これからもオシムさんとともに生きたい」|NHKスポーツ
                                                                      • 【イビチャ・オシム氏追悼】オシムが僕らに遺してくれたもの - YMのメンズファッションリサーチ

                                                                        元サッカー日本代表監督・イビチャ・オシム氏逝去 イビチャ・オシムが日本に来るまでの物語 旧ユーゴスラビア最後の監督 壮絶な戦い 政治紛争に翻弄される 極東のサッカー後進国へ オシムの凄さ【日本に来たという事実そのもの】 オシムの凄さ【戦術①】 オシムの凄さ【戦術②】 オシムの凄さ【未来を見抜く力】 オシムの凄さ【名言集】 イビチャ・オシムが遺してくれたもの 元サッカー日本代表監督・イビチャ・オシム氏逝去 出典:オシム氏をイタリア紙も追悼「天才的選手でカリスマ性のある指揮官」「ユーゴスラビアで最も偉大な人物」 - サンスポ 2022年5月、元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム氏が亡くなりました。享年80歳。 皆さんはイビチャ・オシム氏をご存知でしょうか。 サッカーに興味がない方はもしかしたらご存じないかもしれませんね。 サッカーに興味がある方も、オシム氏がどんな方で、日本サッカーにとって

                                                                          【イビチャ・オシム氏追悼】オシムが僕らに遺してくれたもの - YMのメンズファッションリサーチ
                                                                        • リーグ戦6戦未勝利の鹿島アントラーズ岩政監督「天皇杯を勝っているので気にしない」「アイスの売上を夏と冬で一緒に話をしますか?」 :

                                                                          リーグ戦6戦未勝利の鹿島アントラーズ岩政監督「天皇杯を勝っているので気にしない」「アイスの売上を夏と冬で一緒に話をしますか?」 Twitter: 471 Facebook LINEでおくる B! Bookmark 更新通知を受ける きのう行われたJ1第31節で鹿島アントラーズはFC東京と対戦。 試合は鹿島アントラーズが0-1で敗れ、リーグ戦6試合勝利なしとなってしまいました。 苦しい戦いが続いている鹿島アントラーズですが、試合後の会見で岩政大樹監督は、独特の言い回しを用いてチームの前進を強調しました。 [ニッカン]【鹿島】リーグ戦6戦連続未勝利「天皇杯を勝っているので気にしていない」岩政監督 https://news.yahoo.co.jp/articles/5ccad14573174a7c3c82bcf51285d736d79d38d0 (一部抜粋) 試合後、岩政大樹監督は6戦未勝利も「

                                                                            リーグ戦6戦未勝利の鹿島アントラーズ岩政監督「天皇杯を勝っているので気にしない」「アイスの売上を夏と冬で一緒に話をしますか?」 :
                                                                          • 【サッカー】日本人監督が欧州クラブで活躍する時代が来て欲しい! - 北の大地の南側から

                                                                            こんにちは! Nishi です。 最近は、日本人選手の海外移籍は当たり前になってきましたね^^ 今や海外クラブにいるからといって、日本代表に選らばれるわけでもなくなりました。 20年前は、本当に数えるくらいしか海外クラブで活躍する日本人選手がいなかった頃に比べると大きな成長だと思います^^ また、10代や20代前半の若い年齢でも海外移籍をする選手も増えてきましたね。 これから先も日本人選手は、どんどん海外に移籍する選手も増えてくるでしょう。 しかし、天邪鬼の僕はそれだけでは満足できません(^^; その理由を少しお話します。 長谷部選手の将来 www.nikkansports.com 【DAZN】世界中のスポーツを全てここで 先日、ドイツ・ブンデスリーガのフランクフルトに所属する長谷部選手が、同クラブと契約延長をし、なおかつ引退後のクラブスタッフ入りが決まりました。 この契約延長に合わせて、

                                                                              【サッカー】日本人監督が欧州クラブで活躍する時代が来て欲しい! - 北の大地の南側から
                                                                            • なぜオシムさんの死はこれほど悲しいのか…「心から深く真剣に愛情を注いでくれた」「“日本の教育”に一石を投じた」ファンが寄せた名将への感謝(NumberWeb編集部)

                                                                              稀代の名将がこの世から去ったという一報を受けて、SNS上では数多くのサッカーファンから悼む声が。さらには阿部、巻誠一郎、水野晃樹らといった“教え子”たちも、オシム監督への感謝の言葉をつづっています。 3月にNumberWebで実施したアンケート『サッカー日本代表の30年、あなたが選ぶ「最高の名将」は誰ですか?』で、オシムさんは500を超える全体の得票数のうち、約35%を占める断然の1位に輝きました。 なぜオシムさんはこれほどまで、日本人から愛されたのか。 アンケート結果発表の際にご紹介しきれなかった「ファンからオシムへの感謝」を掲載します。 1)日本サッカーの進化を促す育成・戦術アプローチ オシム監督のサッカー哲学で代名詞となったのは「考えながら走る」。スキルと走力、連動性を融合したスタイルによって、ジェフは当時国内最強と言われたジュビロ磐田相手に完勝を飾るなど、一気に躍進。2度のナビスコ

                                                                                なぜオシムさんの死はこれほど悲しいのか…「心から深く真剣に愛情を注いでくれた」「“日本の教育”に一石を投じた」ファンが寄せた名将への感謝(NumberWeb編集部)
                                                                              • 《献身と感謝》「戻りたかったけどイヴァンに日本は遠すぎました…」オシムを58年間支え続けたアシマ夫人から、日本へのメッセージ(田村修一)

                                                                                5月1日にイビチャ・オシムが亡くなってから14日が過ぎた。その間、アシマ夫人とは都合3度電話で話をした。最初は亡くなった翌日の2日、次が4日、3度目が10日である。 翌日の電話では、夫人はフランス語で話すことができなかった。気持ちがいっぱいでその余裕がない。私が指摘すると、承知のうえでドイツ語で話しているといい、会話が通じるようになったのはそれからしばらくたった後だった。 ただ、2日もまた4日の電話も、短い会話で終わった。家に人の出入りが頻繁で、夫人もさまざまな対応に追われて話をする余裕がない。特に4日は、シュトゥルム・グラーツ主催による追悼セレモニーがメルクール・アレーナ(シュトゥルムのホームスタジアム)でおこなわれる直前であり、ほとんど話ができなかった。それでも彼女は、最後にこう言って電話を切った。 「皆さんによろしくお伝えください。日本からは心に響くメッセージをたくさんの方からいただ

                                                                                  《献身と感謝》「戻りたかったけどイヴァンに日本は遠すぎました…」オシムを58年間支え続けたアシマ夫人から、日本へのメッセージ(田村修一)
                                                                                • あのときの味わったことのない恐怖感…佐藤寿人の人生を変えた2試合【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

                                                                                  FWとして数々の金字塔を打ち立てた だが決してその歩みは順調ではなかった 2度の降格を経験しそのたびにチームに残った そしてその時の記憶は今も生々しく蘇る もしずっとJ1でプレーしていれば 記録はさらに伸びたはずだ J2に降格した経験は彼に何をもたらしたのか? そんな佐藤寿人のオススメの店を聞いた 佐藤寿人と2003年のベガルタ仙台 2003年、ベガルタ仙台は苦しんでいた。 初めてのJ1リーグ挑戦となった2002年は16位チーム中13位とギリギリ降格を回避。2003年は飛躍を目指すため戦力を補強し、開幕から4試合を終えた時点で首位と同勝点の2位につける。メンバーには日本代表経験者の森保一、小村徳男、山下芳輝、岩本輝雄らが名を連ね、順調な滑り出しだった。 ところが5節で初黒星を喫すると、そこから19試合に白星なし。クラブはJ1昇格の功労者、清水秀彦監督を交代させるものの、J1残留には黄信号が

                                                                                    あのときの味わったことのない恐怖感…佐藤寿人の人生を変えた2試合【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん