平成最後の日、タモリはやはりテレビに出ていた。2019年4月30日に放送された『平成の“大晦日” 令和につなぐテレビ』(フジテレビ系)。そこで総合司会を務めていたタモリは、番組の最後、アナウンサーから「令和はどんな時代になってほしいと思われますか?」と番組全体を締めくくるコメントを求められ、次のように語った。 「さっき、平成とか(元号の)漢字がいっぱい出てきましたけども、何年か前に省庁が合併したりなんかしまして、看板があるんですね。あの漢字の中で、いかがなものかというのがかなりあるんで、この際どうですかね。ちゃんとあれをこう、漢字をやればいいんじゃないかと思いますけども」 要は、省庁の看板をきれいに書き直したほうがいい、である。さまざまな著名人や一般の人たちがこの日、平成はどんな時代だったか、令和はどんな時代であってほしいかといったことを、テレビカメラの前で語っていた。そんななか、このタモ
この記事の3つのポイント NHKの「ブラタモリ」がレギュラー放送を終了する 後番組はまさかのアレ。今度は大丈夫なのか? NHKは公共放送としての自らの使命を問い直すべき NHKの人気番組「ブラタモリ」が、3月いっぱいで週1のレギュラー放送を終了すると発表があった。2月14日のことである。 タモリが専門家の指南を受けつつ、ぶらぶら歩いて地域の特色を紹介するという番組構成上、どうしてもタモリは相応の距離を歩き回らねばならない。78歳という年齢を考えると、「そろそろなのかなあ」という感触はあった。それでもいざ発表になるとさびしいものだ。 タモリがハナモゲラ語や中洲産業大学教授、イグアナのものまねなどで、テレビメディアに本格デビューしたのは1976年。私が中学生の時だ。その前年あたりから主に赤塚不二夫の後押しで、単発的にテレビ番組に出演していたという。同時期、山下洋輔や筒井康隆の文章に、「面白いヤ
元放送作家の長谷川良品氏が19日までに自身のX(旧ツイッター)を更新。NHKの人気旅番組「ブラタモリ」の内容をめぐる議論を受け、「高齢男性が若い女性に蘊蓄(うんちく)を垂れる構図」との否定的な意見に異を唱えた。 同番組のレギュラー放送が本年度をもって終了することが発表され、SNS上では番組ファンから惜しむ声が続々とあがった。そうした中、文化人類学者で愛知県立大学の亀井伸孝教授が自身のXで「内容はよい企画だったと思いますが、『高齢男性が若い女性に蘊蓄を垂れる』という『マンスプレイニング』の構図だけは、ずっと気になり続けていました。次は、女性が男性にこんこんと説教する番組をやったらいいと思います。それでバランスが取れます」と私見を述べ、さまざまな意見が寄せられていた。 この投稿に長谷川氏は「知識をひけらかすも何も、そもそもこの番組の骨子は『タモリvs番組』-いわばタモリさんへの挑戦状です。地形
「やっとジャズができる!」 朝ドラ『ブギウギ』で草彅剛演じる羽鳥善一は嬉しそうに言った。 羽鳥は服部良一がモデル。笠置シヅ子をモデルとするヒロイン・福来スズ子と出会ったことで和製ジャズを開拓していくこととなる。 羽鳥がスズ子に最初に与えた曲が「ラッパと娘」。 彼女とのマンツーマンレッスンでは「まあ、好きに歌ってごらん。福来くんが好きなように歌うのが一番いいんだ」と笑顔で語りつつも「違う」「違う」と何度も何度も歌わせる。 「何だか聴いていてあまり楽しくないぞ? ジャズは楽しくなくちゃ!」 「福来くんは今歌っていて楽しかったかい? ワクワクした?」 飄々としたまま厳しさを体現する様はまさに「笑顔の鬼」。 草彅剛でしか出せない空気だ。 やがてスズ子は羽鳥の要求に応え、見事にスウィングした「ラッパと娘」を披露するのだ。 趣里はもちろん、指揮をする草彅剛も全身で楽しさを表現する圧巻のライブパフォーマ
1975年、福島生まれ。TVプロデューサー。 早稲田大学卒業後、テレビ東京入社。 『ゴッドタン』『ピラメキーノ』 『ウレロ☆シリーズ』『あちこちオードリー』 『青春高校3年C組』 『SICKS~みんながみんな、何かの病気~』など、 数々のバラエティ番組を手がける。 2019年よりラジオ 「オールナイトニッポン0」(ニッポン放送) パーソナリティ。 2021年にテレビ東京を退社、フリーに。 YouTubeチャンネル「NOBROCK TV」など 新たな分野に挑戦している。 みうら ありがとうございます。 佐久間 観客はおみやげにグッズをもらえたんですよ。 それが、使えない栓抜きでした。 みうら その名も「抜けま栓」という 記念グッズでしたからね(笑)。 佐久間 そうそう、「抜けま栓」でした。 僕はあれが印象深くて。 みうら いや、ほんとうは、 抜ける栓抜きをつくるつもりだったんですが、 どう間
40年にわたり放送されたバラエティ番組『タモリ倶楽部』。お尻を振るオープニング映像やマニアックすぎる企画、言われてみれば確かに聞こえる「空耳アワー」など、多くの視聴者を楽しませてきた伝説の深夜番組だ。 「毎度おなじみ流浪の番組、タモリ倶楽部でございます」という挨拶で始まる番組はどのように作られていたのか? 当時、放送作家として22年間にわたって番組に携わった高橋洋二さんが、タモリ倶楽部のターニングポイントとなった企画や若手芸人のキャスティングが増えたわけ、そして番組の司会を努めてきたタモリの魅力を語った。 ※本編は高橋洋二さんによる私的な回想録です。番組制作の一端を担った放送作家が見てきたタモリ倶楽部の一面としてお楽しみください。 高橋洋二/極私的「タモリ倶楽部」回顧録 後編(完) 1996年3月に放送された「タモリ倶楽部」は、個人的にとても思い出深いものであり、かつ図らずも当番組の今後の
40年にわたり放送されたバラエティ番組『タモリ倶楽部』。お尻を振るオープニング映像やマニアックすぎる企画、言われてみれば確かに聞こえる「空耳アワー」など、多くの視聴者を楽しませてきた伝説の深夜番組だ。 「毎度おなじみ流浪の番組、タモリ倶楽部でございます」という挨拶で始まる番組はどのように作られていたのか? 当時、放送作家として22年間にわたって番組に携わった高橋洋二さんが、制作現場の裏側を明かしながら、印象に残っている思い出を語った。 ※本編は高橋洋二さんによる私的な回想録です。番組制作の一端を担った放送作家が見てきたタモリ倶楽部の一面としてお楽しみください。 高橋洋二/極私的「タモリ倶楽部」回顧録 前篇 1982年10月8日に始まり、2023年3月31日に終了したテレビ朝日系「タモリ倶楽部」で、私は1990年から2011年の間、構成を担当した。私より長きにわたり番組に携わっていたスタッフ
ジャニーズ事務所による記者会見が、9月7日に開催されることが公表された。故・ジャニー喜多川氏による性加害について、同事務所が設置した『再発防止特別チーム』による提言を受けてのもので、現社長である藤島ジュリー景子氏の退任は決定的と見られている。 【写真】超貴重!サングラスを外した30代のタモリがイケメン そんな中、同チームによる調査結果の中で、被害が拡大した一因となるジャニーズの負の部分を報じてこなかった「マスメディアの沈黙」についても、日を追うごとに批判が強まっている。そして先ごろより、テレビ各局の声明文が公開されているが、“ジャニーズ癒着の筆頭格”と言われるテレビ朝日について「最も早い段階で“ジャニーズ枠”という概念を生んだ『ミュージックステーション』が、この流れの中で、いよいよ打ち切りになる見込みだ」(レコード会社関係者)と指摘されている――。 各局が“忖度”を払拭する中… テレビ6局
今年3月、惜しまれながら40年に渡る歴史に幕を閉じた『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)。なかでも、1992年にスタートした「空耳アワー」は絶大な人気を誇り、同人誌やファンサイトが生まれるほど。視聴者から「日本語に聞こえる洋楽のフレーズ」を募集し、投稿を再現するVTR(映像)の巧みな演出で深夜に笑いを届けた。この映像のなかで独特な輝きを放っていた“空耳役者”は、今、どうしているのだろうか? 1998年から25年にわたり数々の“空耳作品”に出演してきた俳優の野田美弘に、“空耳役者”としての矜持、そして放送終了後の今について聞いた。 25年前、Tシャツ獲得作品で“空耳”デビュー「夢見心地で何役だったか覚えていない」 「誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに聞こえる」の口上で始まる『タモリ倶楽部』の人気コーナー「空耳アワー」。“空耳役者”として出演していた野田が番組の終了を知ったのは、テレビ朝日
今年3月に終了したテレビ朝日のバラエティ番組『タモリ倶楽部』制作チームが、「第39回ATP賞テレビグランプリ」(全日本テレビ番組製作社連盟主催)の特別賞を受賞し、6日に都内のホテルで行われた受賞式にタモリと同番組のスタッフが登壇した。 タモリ 5月には「第60回ギャラクシー賞」放送批評懇談会60周年記念賞を受賞したタモリは「私、最近褒められ続けておりまして、少々浮いた感じがしてる次第です」と切り出し、「40年前にこの番組が始まるときにうちの社長(田辺エージェンシー・田邊昭知社長)に呼ばれて言われた言葉が、今となってはもう話していいと思うんですけども、『今回やる“タモリ倶楽部”という番組は、今の番組は全て密度を濃くして、編集に編集を重ねて番組を作り出そうとしてるけども、全く逆のスカスカの番組をやれ』と言われたんです。その時はびっくりしました。スカスカの番組ってなんだろう。密度の濃いの反対とい
番組に関しての思い出をダラダラ話すだけなので、過度な期待はしないでください 『週刊プレイボーイ』で連載中の「ライクの森」。人気モデルの市川紗椰(さや)が、自身の特殊なマニアライフを綴るコラムだ。今回は先日最終回を迎えた『タモリ倶楽部』について語る。 * * * ついに終了してしまった『タモリ倶楽部』。最終回に参加させてもらいながら、実感はなかったけど、たまに見かけるお弁当屋さんが「タモリ倶楽部ロケ弁 永久発注」という張り紙を外したのを見て、やっと身に染みました。永久発注が嘘かマコトかわからないままですが。 いろいろな方が『タモリ倶楽部』の功績を論じている中、私なんかが語るのもおこがましいと思いつつ、個人的に好きだったところや思い出を書いてみたいと思います。 私が初めて出演したのは、書泉グランデで鉄道本をあさる回(2014年放送)。現地入りしてすぐに、それまで経験した現場とは空気感が違うのが
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ズームイン!!サタデー @ntv_zumusata 毎週土曜あさ5時30分~8時放送!日テレ系「ズームイン!!サタデー」公式アカウントです!#ズムサタ 👉🏻💫 日本全国、土曜の朝にズームイン!! 明るく!楽しく!Happyに!を大切に「今」を伝えて、土曜日の朝をズムサタ が元気にしていきます!! ※放送内容は変更になる場合があります。 ntv.co.jp/z-sat/ ズームイン!!サタデー @ntv_zumusata ⏰あさ6時15分ごろは… #全日本スポンタっ! ✅二刀流・エンゼルス 大谷翔平の活躍をたっぷりと ✅防御率0.00 ロッテ・佐々木朗希4連勝なるか❓ ✅風間俊介さんになえなのが直撃 GWおすすめディズニー&沖縄ステーキ店 ✅とにかく明るい安村さん イギリスで大ウケ!本人直撃 #ズムサタ 👉🏻💫 pic.twitter.com/vAHRIwAxLN 2023-04
週プレNEWS TOPニュースエンタメ【さよならタモリ倶楽部!】番組名物"鉄道企画"常連ゲストの南田裕介が語り尽くす 「あんな前のめりなタモリさんは見たことがありませんでした」 ©テレビ朝日 「毎度おなじみ、流浪の番組、タモリ倶楽部でございます」。4月1日の放送をもって終了した『タモリ倶楽部』。1982年10月の初回から約41年の歴史を刻んだ深夜バラエティ番組の金字塔、その伝説を今こそ語ろう。 安齋 肇さんに続き、鉄道マニアの存在を広く知らしめた『タモリ倶楽部』で、〝タレントより目立つ鉄オタマネジャー〟として人気となった南田裕介(みなみだ・ゆうすけ)さん。そんな彼が見たタモリさんの素顔とは? 現在、77歳のタモリさん。40年にわたる長寿番組、お疲れさまでした! * * * ■初めて企画が通った「埼京線ダービー」――南田さんが『タモリ倶楽部』に出るようになったきっかけは? 南田裕介(以下、南
週プレNEWS TOPニュースエンタメ【さよならタモリ倶楽部!】「空耳アワー」の安齋 肇が語り尽くす「タモリさんの金言『私たちは真剣に遊んでいるんだ。遊びには遅れるな』を心に刻みました」 【さよならタモリ倶楽部!】「空耳アワー」の安齋 肇が語り尽くす「タモリさんの金言『私たちは真剣に遊んでいるんだ。遊びには遅れるな』を心に刻みました」 ©テレビ朝日 「毎度おなじみ、流浪の番組、タモリ倶楽部でございます」。4月1日の放送をもって終了した『タモリ倶楽部』。1982年10月の初回から約41年の歴史を刻んだ深夜バラエティ番組の金字塔、その伝説を今こそ語ろう。 「誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに聞こえる。空耳アワーのお時間がやってまいりました」の口上で始まるミニコーナー「空耳アワー」でおなじみの安齋 肇(あんざい・はじめ)さん。彼が〝タモリさんとの不思議な関係〟を明かす! 現在、77歳の
はてなは昔から観てた年寄多そうだら色々ありそう そんなにきちっと録画とかとかメモとかしてたわけじゃないけど、なんとなく自分が思い出すのを備忘録的に書いとく。タイトルも内容も記憶に頼ってるので正確じゃないけど。 多分、ネットで検索すれば放送日とか細かい内容とか出てくるだろうし、ものによっては動画もありそうだが。 「白い巨塔 肛門科編」 肛門科の医者にいろいろ話を聞く企画。タモリのキャラとバランス感覚で、下品になりすぎずに展開してた。 “肛門科は、ほぼ100%の患者さんが良くなってかえっていって感謝されるのでやりがいがある”と言ってたのが印象深い。たしか最後は鶏肉を“患部”にみたてて、手術を再現してたはず。 この頃、下ネタ系の企画では乾貴美子がよく出てて、このときも真面目な顔で仕切ってた。 「接岸グランプリ」 船の接岸を撮影するマニアをまねいて、彼らの撮影した自慢の映像を鑑賞する企画。船好きの
タレントのタモリがMCを務めるテレビ朝日系バラエティー「タモリ倶楽部」(金曜・深夜0時20分)が31日、最終回を迎えた。 1982年10月に開始し、40年超続いた長寿番組。独特なオープニング映像でも知られ、タモリが個人的に好きな鉄道や、坂にまつわるマニアックな企画、海外の歌の一節が、まるで日本語のように聞こえる部分をピックアップする「空耳アワー」も話題を呼んだ。 最終回も、タモリは「毎度おなじみ流浪の番組『タモリ倶楽部』でございます」とお決まりのせりふでスタート。ゲストに爆笑問題・田中裕二、劇団ひとりらを迎え、料理企画「タモリ流レシピを訂正しよう」を行った。 タモリは、番組の最後に「40年間本当にありがとうございました。皆様方の支持のおかげでここまで来ることができました」と視聴者への感謝を語り、40年の歴史に幕を下ろした。
「毎度おなじみ流浪の番組」として親しまれた『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)が、今夜3月31日深夜の放送で40年あまりの歴史に幕を閉じる。 低予算ゆえスタジオセットが組めないという名目でほぼ全編ロケでおこなっていたことから「流浪」の番組を自称していたが、「流浪」とは“自由”ということでもあり、多種多様な企画がおこなわれた。 心の中で流浪し日常に漂っているような番組だから「神回」などという言葉は似合わないが、最終回を前に40年の中から名企画をざっくり振り返ってみたい。 ■初期(1980年代)番組初期はミニコーナーが多く作られ、アングラ系の企画も多かった。 「タモリを追え」番組初回に放送。「ドキュメンタリ劇場 現代の顔」と題し“プライベートが謎の男”タモリのプライベートを追ったモキュメンタリー。『タモリのオールナイトニッポン』本番終了後のタモリに“密着”した。 「愛のさざなみ」番組初期に放送されて
ボツも含めると...作品数は5500本! 同番組では、外国語の歌詞があたかも日本語であるかのように聞こえてしまう現象を「空耳」と名付け、そのように聞こえる箇所を視聴者から募集。それに番組側が映像をつけて映像作品にした上でそれを放送する「空耳アワー」というコーナーが3月24日まで放送されていた。 安斎さんは1992年のコーナー開始から番組MCのタモリさん(77)と共に企画を担当。複数回の休止を挟みつつ、約30年の歴史を重ねてきた。インタビューで編集部がまず聞いたのは、投稿された空耳の選考過程だった。 ――送られてきた空耳の選考はどのような行程で行われていたのでしょうか? 安斎:最初の頃、それこそ始まったばかりの頃は、「スタッフさんが投稿を元に実際の音源で確認」→「聞こえる+面白いかをスタッフさんが協議し数本を映像化」→「その映像を元にさらにスタッフさんが会議を開き、3本に絞り込む」→「収録直
40年以上続き、3月末で最終回を迎える深夜番組「タモリ倶楽部」。その名物コーナー「空耳アワー」に30歳という若さながら91回も採用され、常連投稿者として知られるのが玉野市の相賀浩紀さん(@torvatu)だ。投稿歴10年以上の相賀さんに思い出や番組への思いを語ってもらった。 「毎度おなじみ、流浪の番組」の前口上で始まる「タモリ倶楽部」は1982年10月にスタート。タモリさんが司会を務め、社会現象やサブカルチャーを斬新な切り口で取り上げてきた。中でも、視聴者から「日本語以外で歌われているが、あたかも日本語のように聞こえる歌詞」を募集するコーナー「空耳アワー」は根強い人気を誇っていた。 相賀さんの自宅を訪れると、...
言ってないのに聞こえる?人気の「名作」 タモリ倶楽部は1982年10月に放送を開始した深夜番組。MCのタモリさんがゲスト陣や愛好家・専門家らとともに、鉄道や地形などマニアックなジャンルの魅力を掘り下げることで知られる。 92年にはじまったコーナーが、日本語に聞こえる洋楽の歌詞を映像付きで紹介する「空耳アワー」だ。タモリさんがイラストレーターの安齋肇さんとともに、視聴者から送られてきた作品を品評し、面白さなどに応じて4段階の景品を進呈する。年1回、その年の最優秀作品を決める「空耳アワード」が放送されるなど、番組を代表する企画として愛されてきた。 J-CASTニュースでは、過去に最高景品「ジャンパー」を獲得した作品の一部から、「最も印象に残った空耳」を聞く読者アンケートを実施。23年2月24日から3月1日17時までに集まった○○票 の中から、ここでは上位5作品を紹介する。 5位は「あの イボ痔
タレントのタモリさん(77)が2023年2月18日に放送された「タモリのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)に出演した際、巷の言葉遣いにダメ出しした。 この日の放送でタモリさんはゲストに歌手で俳優の星野源さん(42)を招いてトークを展開。その中で、言葉の変遷について思いを語る場面があった。 「『ご飯とか食べる』って、他に何を食べてるの?」 番組中、タモリさんは「言葉も変わっていくから」としつつも、表現によっては癪に障るものもあると明かす。その例として、「ご飯とか食べて」といった「とか」を使った表現に言及。「『ご飯とか食べる』って、他に何を食べてるの?」と、用法がおかしいとの考えを示した。 さらに、飲食店で多い用法として「○○になります」というものが多いと指摘しながらカツ丼を例に説明を続ける。タモリさんは「『カツ丼になります』って言うんだったら」としつつ、それならばカツ丼の材料を提示すべき
宇多丸さんが2023年2月22日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』でこの日、発表された『タモリ倶楽部』の2023年3月末終了のニュースについて話していました。 (宇多丸)ということでですね、ちょっとビッグなというか、ショッキングな……我々としては特にそうなんですけど。ニュースが。 (日比麻音子)ちょっとまだ「本当かな?」っていう気持ちですが。 (宇多丸)テレビ朝日の人気名物深夜番組『タモリ倶楽部』。私も何度も出ておりますが。『タモリ倶楽部』がなんと3月いっぱいで終了ということが発表されたんですね。私も知らなくて。スタジオに来るまで。で、話を聞いて「ええっ?」なんつって。一応、テレビ朝日側の発表としては「番組としての役割は十分に果たしたということで全部総合的に判断し……」ということなんですけども。 1982年10月から放送開始ということで。皆さんご存知の『タモリ倶楽部』だし。私、
テレビ朝日は22日、1982年(昭57)10月9日に放送がスタートした深夜バラエティー番組「タモリ倶楽部」の放送を、3月末をもって終了すると発表した。「放送開始から40年という節目を迎え、番組としての役割は十分に果たしたということで、総合的に判断し3月末をもって終了することにいたしました」と説明した。 「タモリ倶楽部」は、タモリ(77)が1981年(昭56)から司会を務め、日曜夕方に放送された「夕刊タモリ! こちらデス」の終了を受けて、土曜の深夜枠でスタート。“元祖脱力系番組”がコンセプトで、オープニングの「毎度おなじみ流浪の番組、タモリ倶楽部でございます」のあいさつ通り、オールロケーションによる流浪の番組で、番組全編を通じた、ゆるりとした雰囲気がコアな層に根強く支持された。 鉄道企画が多く、番組内で「タモリ電車クラブ」が結成された。また92年4月に「あなたにも音楽を」のタイトルでスタート
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