私は雪国の、とんでもない山奥で育ちました。だから哲学へのあこがれは都会へのあこがれでもありました。山奥ではキリスト教といってもクリスマスぐらいしかありませんでしたが、イエス・キリストの生涯を調べてみるととても不思議な存在で、神でもあり、そういう不思議な思想が西洋文化の根源にあったんですね。そしてギリシアの哲学も西洋文化の基礎となった。それ以来、哲学は外国の不思議なものに見えて、それに触れてみたいと思ったのです。田舎で哲学書を読む人なんて周りにいなかったので、異端視されました。ちょっとは風変わりな人間だと思っていました。 ところが、都会に出てきてみると、都会の若者たちはずっと先を行っていたんですね。ごく普通の田舎から出てきた大学生として埋没してしまいました。私は中学生の時に聖書が勉強したくなって、通信販売で買って読み始めました。他にはキルケゴール、ニーチェ、西田幾多郎なんかを読んでいました。