#男子の思い込みはどう形作られたか率直に告白してみよう 作曲の師は「女にソナタや交響曲は書けない。女は感情的だから論理的な展開ができない。だから女に大作曲家はいない」と言っていた。ちなみに私はその師のもとで勉強をしていたころついにソナタを書けるようにはならなかったし、
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人工知能(AI)が作曲したルートウィヒ・ベートーベンの交響曲第10番の楽譜。独西部ボンで(2019年12月13日撮影)。(c)Ina FASSBENDER / AFP 【12月14日 AFP】2020年にドイツの作曲家ルートウィヒ・ベートーベン(Ludwig van Beethoven)の生誕250年を迎えるに当たり、人工知能(AI)を使って未完の交響曲第10番を完成させるプロジェクトが進められている。 ロマン派音楽の先駆けとなったベートーベンは、世界的に有名な「歓喜の歌(Ode To Joy)」を含む交響曲第9番と同時に第10番の作曲に着手したが、第10番については早々に断念し、1827年に57歳で死去する前に残したのはいくつかの断片と草稿だけだった。今回のプロジェクトでは、機械学習ソフトにベートーベンの全作品を学習させ、第10番の未完部分をベートーベン風に作曲させている。 プロジェクト
どうもShinShaです。 今回は百田尚樹さんの著書『クラシックを読む2』に関する記事です。 百田さんの本は、やはり面白いなぁ。 結局、続編も買ってしまいました。 この本の文章には熱があり、ついついApple Musicを聴いてしまいます。 どんどんクラシック音楽に引き込まれていきます。 この本のサブタイトルは「生きるよろこび 」。 今回は名曲ヴィヴァルディ「四季」、バッハ「無伴奏チェロ組曲」に隠されたドラマ、 そしてベートヴェンの交響曲に秘められた愛のエピソードを紹介します。 百田尚樹氏について 『クラシックを読む2』から ヴィヴァルディ「四季」 バッハ「無伴奏チェロ組曲」 サブスク ミュージックを聴こう ベートーヴェン「交響曲第8番」 あとがき 百田尚樹氏について 百田さんのプロフィールを下に載せました。 百田さんが書いた小説の累計発行部数は2,200万部。 これほどのベストセラー作家
どうもShinShaです。 年末になるとTVやラジオからベートーヴェン 交響曲第9番(第九)が流れてきます。 スーパー等でも「歓喜の歌」のメロディを流しています。 実は昔から第九が嫌いでした。 クラシックファンっていうのは変わった人種だな。 年末なると仰々しく人生の喜びを歌うなんてどうかしてる、と思っていました。 昨年から僕はクラシックを再び聴き始めました。 そういえば百田さんが本で第九について書いていた筈だ。 そこに書かれていた感動的な物語が今回のテーマです。 先入観で判断してはダメですね(^^;; 第九は不遇な晩年にあったベートーヴェンが再起するために書いた感動的な作品でした。 そして、やはりいま聴いても至高の音楽です。 しかし年末に演奏することには違和感を感じるなぁ。 第九はなぜ年末に演奏されるか 落目のベートヴェンが最後に書いたシンフォニー やはり第九は至高の音楽だ 生涯最高の成功
励みになりますゆえポチッよろしくです🌼 少納言👩は、芸術は人が生きるために必要なビタミンと思っています🍋 今のような厳しく困難な状況にあって芸術は何の力もないと思う方もいらっしゃるかもしれません。 少納言👩は、心を奮い立たせ、希望を持ち前に進む力をくれるものと思っています💠 コロナ禍、思ったよりも長引いています。関西も厳しい状況です。 人が生まれて人生を終えるまでを仮に80年とします。 人類の歴史において、どの国であろうといつの時代であろうと、80年の間に平和で豊かな時代が続いたということは案外ないのでございます。 人生において、一度は困難を極める社会情勢に高確率でぶち当たるということです。 その時にどう振る舞うかが人としての矜持であり品格だと思います。 社会的立場も性別も年齢も生まれた国も関係ありません。 今、人としての本質を問われています。 闘う相手は自分自身🌸 などと偉そ
ベートーヴェン(1801年の肖像) 第1シンフォニーの評判は? 1800年4月2日にウィーンのブルク劇場で開催された、ベートーヴェン初のアカデミー(作曲家主催のコンサート)。 メインは、プログラム最後、大トリに持ってこられた記念すべき第1シンフォニー。 ベートーヴェンはすでに29歳になっていて、たくさんの名曲を作曲していましたが、シンフォニーについては長年構想を温め、推敲を重ねて、ようやく満を持して発表にこぎつけました。 モーツァルトが〝最後〟のシンフォニーを書いたのが32歳ですから、ベートーヴェンがいかにシンフォニーの作曲に慎重だったか、気合を入れたかが分かります。 〝不滅の9曲〟の一番目ですから、今から思えば別に不思議はないかもしれませんが、もともとオペラやコンサートのはじまりの曲、いわば前座に過ぎない〝軽い曲〟だったシンフォニーを、ベートーヴェンは初めから、自らの芸術の中核媒体として
ドイツの作曲家ルートウィヒ・ベートーベンの交響曲第9番の初演200年に合わせて開催されている企画展「The Path of the Ninth - from Baden to the World」で展示されている第9番の楽譜の一部。オーストリアの首都ウィーンにある博物館「ベートーベン・ハウス」で(2024年4月30日撮影)。(c)Joe Klamar / AFP 【5月3日 AFP】ドイツの作曲家ルートウィヒ・ベートーベン(Ludwig van Beethoven)の交響曲第9番が今月、初演から200年を迎える。 第9番の初演は1824年5月7日、オーストリアの首都ウィーンにかつて存在したケルントナートーア劇場(Karntnertortheater)で行われた。 初演200年を記念して、ウィーンにある博物館「ベートーベン・ハウス(Beethovenhaus Museum)」では、企画展「T
🍀笑顔応援隊iは、滋賀県「健康しが」共創会議 参画団体です🍀 https://www.kenkou-shiga.jp/project/warai-yoga 🌷笑顔応援隊 i ホームページ🌷 https://egaoouentaii.jimdofree.com なぜか我が家は一日中クラシックが流れています🎵 背の君👨💼がリモートワーク🖥なので、一人作業の時は集中するのにいいようです。 とはいえ、バックミュージック♪に向いていない曲もあるわけよ💦 例えば、ベートーベン様、 「おいこら💢集中して聴けやああっ🔥」 の圧を感じるのでながら聴きは無理ざます(^◇^;) そして、ブラームス様の交響曲🎶 ブラームスの子守唄は優しい曲です🌸 初めてのブラームスが子守唄🤱 ♪眠れーよ吾子 薔薇の花 ♬🌹 高校のコーラス部でも歌ったかなあ🌟懐かしい🌸 少納言👩の鼻歌はブラー
第1楽章冒頭の自筆譜 自由・平等・博愛を追求した作曲家 ベートーヴェンの、あまりにも有名な交響曲 第5番 ハ短調〝運命〟。今回は、第2楽章から最後まで聴きます。 ベートーヴェンの音楽は、ハイドン、モーツァルトの影響を大きく受け、その基盤の上に成り立っていますが、音楽の個性はかなり違っています。 一番の違いは、彼自身の感情や思いというものが、かなり強く反映されているということです。 また、そこには社会性、特に、貴族社会から市民社会へという世界史の転換期にあった時代精神も大きく盛り込まれています。 先輩であるモーツァルトは、時代の転換に直面した最初の作曲家で、身分差別に反発し、宮廷を飛び出して自由な音楽家としての生活を志向しました。 そして、広がる啓蒙思想や自由、平等、博愛という理念を、『フィガロの結婚』や『魔笛』といった作品に盛り込みましたが、フランス革命の進展を見ることなく、世を去りました
ルーベンス『狩りをするディアナとニンフたち』 農民と農奴の違いとは 新年あけましておめでとうございます。 本年も本ブログをよろしくお願いいたします。 さて、昨年に引き続き、モーツァルトに保護を与えたことで有名な、皇帝ヨーゼフ2世の〝上からの改革〟とその影響をみていきます。 「宗教の寛容」と並んで名高いのが、「農奴の解放」です。 もうすぐ19世紀という時代なのに、中世の農奴制がまだ残っていたの?と驚きますが、農村というのは都会に比べて、どの国でもどの時代でも保守的で、なかなか変化しにくいのです。 農業の生産活動が、商工業などに比べて暦に縛られ、毎年毎年のルーティンがきっちり決まっているからなのかもしれません。 これを下手に崩そうものなら、たちまち収穫が得られなくなるのではないか、という怖さがあります。 日本でも、地主と小作人の従属関係は、戦後の農地改革まで続いていたという見方もあります。 中
三部作が初演された、ウィーン・ヴァルナー通りのエステルハージ侯爵邸 ハイドンが題名をつけた、唯一のシンフォニー ハイドンが1761年、ハンガリーの大貴族、エステルハージ侯爵家の宮廷楽団副楽長として雇用され、最初のデビュー作として作曲した、3曲セットのシンフォニー、『朝』『昼』『晩』。 今回は2曲目の『昼』を聴きます。 3曲のうち、この曲だけ自筆譜が遺されており、そこに1761年の日付があったため、年代の特定ができたのです。 ちなみに、ハイドンのシンフォニーにはいくつも親しみやすい愛称がついていますが、それは題名ではなく、また作曲者の意図を反映したものでさえありません。 ハイドンが題名を楽譜に記したのは、104曲のうち、実にこの曲だけなのです。 曲の中身も、各楽器すべてにそれぞれソロの見せ場が与えらえれ、メンバーを入れ替えた新生楽団の団員紹介になっていますので、まさにデビュー曲であることが裏
ミレー『種まく人』 自分のヒット曲で〝つかみはOK〟 ハイドンのオラトリオ『四季』の2回目です。 いよいよ春がやってきて、畑から雪が消えます。 農夫のシモンは、さあ、1年の仕事始めだ、とばかり、張り切って農具を担いで畑に出ていき、鋤で土を起こし、畝を作って、麦の種をまきはじめます。 このオラトリオで初めてのアリアは、農夫が種をまきつつ、口笛を吹きながら歌うのです。 ハイドンは、この楽しい歌に自分の曲、『びっくりシンフォニー(交響曲第94番〝驚愕〟)』の有名な第2楽章アンダンテの旋律を持ってきました。 みんなが知ってる自分の人気曲を、この長大なオラトリオの冒頭にもってきて、聴衆を沸かせて〝つかみ〟にしようとしたのです。 これは、かつてモーツァルトがオペラ『ドン・ジョヴァンニ』でやって、大ウケしたやり方でした。 第2幕フィナーレの冒頭、晩餐会のBGMとして、他の作曲家のヒット曲を2曲奏でたあと
あかりんごボイスおめでとう!!!本家様→sm36210300カラヤんごの新世界→sm5931608次: ペールギュんご 「朝」sm36727966このシリーズは音源のマッシュアップではなく、カラヤんごの映像に合わせてMIDIの打ち込みで作っています。ほかのおすすめりんご作品↓NEW→R.シュトラウス:交響詩『やまがたりんごはかく語りき』→sm36750646ベートーヴェン 交響曲第九番「たべるんごの歌」sm36556353りんごろうえかきうたをバイオリンで弾いてみた sm36473131オーケストラアレンジしてます↓「なんどでも笑おう」sm36627730 ( mylist/62873625)1万再生、3万再生、たくさんのコメント、そして金枠広告ありがとうございます。6/16追記:8万再生あれがとうございます!!!!!
作曲する若きハイドン 宮廷楽長のお仕事 ハイドンは、エステルハージ侯爵家の宮廷楽団副楽長に就任した翌年、1762年に代替わりした新しい君主、エステルハージ・ニコラウス・ヨーゼフ侯爵(1714-1790)の元で、本格的な活動を仕切り直して始めました。 ハイドンの仕事は大きく分けて3つです。 1つめは、指揮者として楽団の演奏をリードすること。 2つめは、楽団で演奏する音楽を作曲すること。 3つめは、管理職として、楽団員の人事労務、楽譜や楽器などの備品を管理すること。 現代の音楽家はもちろんのこと、当時でもここまでの仕事と責任を任されている人はいませんでした。 今、私たちがハイドンの仕事の恩恵にあずかっているのは、2つめの作曲の成果ですが、彼の業務の中では三分の一に過ぎなかったわけです。 演奏中のハイドンは恍惚として忘我の状態にあり、その顔は微笑に輝き、きわめて表情豊かだったということです。*1
エステルハーザ宮殿 息子を皇帝にするための秘策 1763年、オーストリア女帝マリア・テレジアが、プロイセン王フリードリヒ2世と死闘を繰り広げた七年戦争が終結します。 マリア・テレジアは、ついに、プロイセンに奪われたシュレージエン(シレジア)の奪回は成りませんでしたが、一応、久しぶりにヨーロッパに平和が訪れました。 彼女は、この機会に、ハプスブルク家の帝位継承を万全にしておこうと、手を打ちます。 それは、長男ヨーゼフ2世の「ローマ王」戴冠でした。 神聖ローマ皇帝位には、夫のフランツ1世が即いており、まだ存命です。 しかし、皇帝選挙権を持つ選帝侯たちには、宿敵プロイセン王も含まれており、皇帝崩御の時の情勢によっては、すんなり息子に継がせられる保証はありません。 〝選帝侯〟といいますが、実際には、彼らがもっていたのは、実質的にはドイツ王である「ローマ王」の選定権でした。 諸侯たちによってローマ王
アントワーヌ=ジャン・グロ『アルコレ橋上のボナパルト』1796年 19世紀に突入させた一撃 1804年12月。 ベートーヴェンは、パトロンのひとり、ロプコヴィッツ侯爵の館にて、新しいシンフォニーの試演(リハーサル)を行います。 この館は今では演劇博物館になっており、試演された部屋は〝エロイカ・ザール〟と呼ばれています。 この部屋で初めて世に鳴り響いた音こそ、歴史を変える音楽でした。 その曲は、交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55《エロイカ(英雄)》。 ショーンバーグの評論を引用します。 1805年に初演された『エロイカ』は、音楽史上の転換点の一つになっている。この交響曲の完成するまでは、ベートーヴェンは18世紀に根を下ろした作曲家であった。たしかに彼の音楽はハイドンやモーツァルトの作品よりも、ずっと野性的であった。作品18の6つの弦楽四重奏曲は新世界を示唆した(しかし、ただ示唆しただけであ
エロイカが初演された部屋(ロプコヴィッツ宮殿のエロイカザール) 〝冗談〟という意味のスケルツォ ベートーヴェンの交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55《エロイカ(英雄)》。 今回は第3楽章を聴きます。 前作の第2シンフォニーからすでに、第3楽章はメヌエットからスケルツォに置き換えられていますが、この曲に至っては、もはや古典派シンフォニーのメヌエットは影も形もありません。 スケルツォとは、イタリア語で「冗談」「諧謔」という意味です。 ユーモアたっぷりの、おどけた音楽、というニュアンスです。 古典派シンフォニーの第3楽章をメヌエットにすることを定着させたのは、交響曲の父ハイドンですが、これをスケルツォに置き換えることを始めたのも実はハイドンです。 ベートーヴェンはこれにメヌエットを超えた表現の幅を見出し、積極的に取り入れました。 ハイドンの意図は、シンフォニーの中に利かせたスパイス的なものだった
マリア・テレジア 女帝、侯爵の宮殿に行幸 〝ハンガリーに自分のヴェルサイユを〟という壮大な夢を実現すべく、莫大な費用をかけて大宮殿「エステルハーザ」を造営した、ハイドンの主君、エステルハージ侯爵ニコラウス1世。 庭の付属物も含めた最終的な完成は1784年でしたが、主要な建物が完成した1773年9月1日、侯爵は満を持して、ハンガリー女王兼オーストリア女帝(正式には神聖ローマ皇后、オーストリア女大公)マリア・テレジアを新造宮殿のお披露目に招待しました。 これは、ハプスブルク家第一の忠臣、エステルハージ家一世一代の盛儀でした。 日本史でいえば、豊臣秀吉が天下を取ったことを見せつけるために、天皇・上皇を自邸に招いた「聚楽第行幸」にあたるでしょうか。 当然、贅を尽くしたおもてなしの大饗宴となりましたが、一番の目玉は、ハイドンの音楽でした。 当時の雑誌『ヴィーナー・ディアリウム』の記述から、その豪華が
冨田勲が初音ミクをソリストに迎えて制作した『イーハトーヴ交響曲』のアナログ盤が、3月31日(水)に発売された。 ◆『イーハトーヴ交響曲』アナログ盤 商品画像、動画 2012年11月に初演が行われた『イーハトーヴ交響曲』は、宮沢賢治の作品世界と冨田のインスピレーションによって生み出された全7楽章にわたる管弦楽作品だ。演奏には大編成のオーケストラに加え、児童合唱グループを含む合唱隊と、ソリストの初音ミクも加わり、独自の世界観を描き出している。 本作での初音ミクの歌声には、トリガーを使ってリアルタイムに音声を出力し、指揮者にあわせて歌わせるというオリジナルシステムが採用されていた。また、上演時にスクリーンへ投影された初音ミクの映像にも、リアルタイムでの同期システムが用いられている。 今回は『イーハトーヴ交響曲』のアナログ盤発売に際し、同曲の立役者のひとりでもあるクリプトン・フューチャー・メディア
エステルハージ侯爵ニコラウス1世 新しいご主人さまも名君 ハイドンがエステルハージ侯爵家の宮廷楽団副楽長として雇用され、さっそくに〝チームハイドン〟ともいうべき新オーケストラを編成し、宮廷の音楽活動の総監督として八面六臂の活躍を始めて1年足らず。 彼を抜擢したエステルハージ・パウル・アントン侯爵(1711-1762)が急逝してしまいます。 もっと長生きしてハイドンの音楽を堪能してもらいたかったのに、惜しいことです。 代わりに、弟のエステルハージ・ニコラウス・ヨーゼフ侯爵(1714-1790)が跡を継ぎましたが、これが、前代を上回る英主でした。 ニコラウス1世とも呼ばれます。 〝島津にバカ殿なし〟といいますが、エステルハージ家も代々名君揃いなのです。 ニコラウス1世は次男として生まれましたので、最初から跡継ぎとされていたわけではありませんでした。 そのため、オランダのライデン大学やウィーン大
ポーランド分割の風刺画。左からエカチェリーナ2世、ポーランド王スタニスワフ2世アウグスト、ヨーゼフ2世、フリードリヒ2世 首脳会談での密議とは 母帝マリア・テレジアを若き日から苦しめ続けた、プロイセン王フリードリヒ2世(大王)。 ところが息子のヨーゼフ2世は、あろうことか、大王に憧れ、心酔してしまいました。 そして、1769年には、母が止めるのも聴かず、大王の招待に応じて、元々オーストリア領で、大王に奪われたシュレージェンのナイセに会いに行ってしまいました。 その1年後には、ヨーゼフ2世は招待の答礼として、大王をオーストリア領メーリッシュ=ノイシュタットに招きました。 今度は、マリア・テレジアの懐刀で、フランスとの同盟を推進して外交革命を成し遂げた名宰相、カウニッツ侯爵も同席しました。 そのため、儀礼的だった前回のナイセの会見より、より政治的なものになったのです。 もちろん、マリア・テレジ
〝お見合い写真〟としてジョゼフ・デュクルーが描き、フランスに送られたマリー・アントワネットの肖像 なかなかまとまらなかった縁談 女帝マリア・テレジアの末娘、マリア・アントニア(マリー・アントワネット)のフランス王家との縁談は、1766年、彼女がまだ11歳のときには両国の間で始まっていたようです。 女帝の方は、宿敵プロイセンのフリードリヒ大王が、いつまた侵略してこないとも限らないので、大国フランスとの同盟が決定的に強固なものとなるこの縁談を、一刻も早くまとめたかったのですが、フランスのルイ15世は承諾の姿勢は見せるものの、なかなか話を具体化させようとしません。 というのも、花婿候補は王太子ルイ・フェルディナンの嫡子、ルイ・オーギュスト(のちのルイ16世)なのですが、その父と、母マリー=ジョゼフ・ド・サクスがこの結婚に反対でした。 ルイ・フェルディナンは、放蕩者の父王とは正反対の、敬虔で厳格、
エステルハージ城(ガランタ) ハンガリーの副王、エステルハージ家史 ハイドンを30年にわたって雇用したエステルハージ侯爵家については、これまでも何度も触れてきましたが、あらためてその家史を紐解いてみます。 エステルハージ家は、ハンガリー王国の北に位置する、ガランタという町の地主でした。 ガランタは今ではスロバキア領になっていますが、1421年以降、エステルハージ家の私有都市になっています。 今でも同家のルネサンス様式の荘園邸宅(マナーハウス)と、ネオ・ゴシック様式の城館が残っており、その勢力の大きさが窺われます。 エステルハージ家のマナーハウス(ガランタ) 初代、ニコラウス伯 エステルハージ・ニコラウス 17世紀前半、ハンガリーは、度重なるオスマン・トルコの侵攻により、ハプスブルグ家が王となっている王領ハンガリーと、オスマン・トルコ直轄領、オスマン・トルコの保護国であるトランシルヴァニア公
ヨーゼフ2世(1741-1790) 息子とはじめた共同統治のゆくえ 1765年。 女帝マリア・テレジアは、最愛の夫、神聖ローマ皇帝フランツ1世に先立たれました。 帝位は、すでに選帝侯によってローマ王に選ばれていた長男、ヨーゼフ2世に受け継がれました。 しかし、法的に男性しかなれないのは、中世のフランク王位に起源のあるローマ王と皇帝だけであって、マリア・テレジアが正式に即いていたオーストリア大公、ハンガリー王、ボヘミア王の位は、夫が逝去したからといって退位することにはなりません。 長男が受け継いだのは、ハプスブルク家出身ではない父が名目だけ即いていた地位であって、同家当主は依然として母だったのです。 そこで、マリア・テレジアが逝去する1780年までの15年間は、母子の共同統治時代となりました。 公式文書は、ふたりの署名がなければ発効しません。 〝マスオさん〟の立場をわきまえ、政治にはほとんど
可憐なプリンセスの生い立ち 幼い頃のイザベラ・フォン・パルマ 1760年、神聖ローマ皇帝の実質的な皇太子である、ローマ王ヨーゼフ2世のもとに嫁いだ19歳の花嫁、マリア・イザベラ・フォン・ブルボン=パルマ。 彼女の可憐な美しさは、新郎だけでなく、ハプスブルク家の面々、宮廷に仕える人々、ウィーン市民の全ての心を奪いました。 パレードの沿道には、一目その姿を見ようという人々が押し寄せ、皆口々に〝天使のよう〟と感歎しました。 しかし彼女は、その微笑みの裏で、心に深い闇を抱いていたのです。 彼女は、1741年12月31日にスペインのマドリードで生まれました。 父は、スペイン王フェリペ5世の王子、フィリップ。 母は、フランス王ルイ15世と、王妃マリー・レグザンスカの長女、ルイーズ・エリザベート。 オーストリア女帝マリア・テレジアは、オーストリア継承戦争の結果、夫フランツ・シュテファンが神聖ローマ皇帝に
クロード・ロラン『渡渉』(1644年) ベートーヴェンが目指したもの ベートーヴェンの交響曲 第6番 ヘ長調『田園』作品68、今回は最後の第3楽章から第5楽章までを聴きます。 この最後の3つの楽章は、途切れることなく、連続して演奏される「アタッカ」という手法で、ひとつの物語となっています。 バロック時代にオペラの序曲として誕生し、古典期にはコンサートのはじまりの〝ガヤ鎮め〟として発展した、器楽だけで演奏されるシンフォニーは、ハイドンによってコンサートの主役になり得るジャンルに高められました。 俳句の五七五のように洗練された形式は、抽象的、絶対的な芸術表現の受け皿として整えられ、ベートーヴェンはその基礎のもとにさらなる深化と可能性の追求に突き進んでいました。 この曲でベートーヴェンが試したのは、テーマをもったストーリー性をシンフォニーに持ち込むという、一見逆行しているかのような試みです。 そ
ベートーヴェンが着メロに! 14年ぶりに、人気TVドラマ『のだめカンタービレ』の再放送が始まりました。 初放映当時、なかなかポピュラーではないクラシック音楽の世界にスポットがあたり、一大ブームを巻き起こしました。 音大生や演奏家たちがクラシックの名曲と格闘するさまはとてもリアルで、クラシックファンの私も知らない実情に興奮しました。 その主題歌として、ベートーヴェンの第7シンフォニーが取り上げられたのも衝撃でした。 この曲が、ベートーヴェンの〝不滅の9曲〟の中でもトップレベルの傑作であることはクラシックファンなら知らぬ者とていませんが、悲しいかな〝英雄〟〝運命〟〝田園〟といったタイトルやニックネームがついていないため、一般にはほとんど知られていなかった曲です。 なので、この曲が〝月9〟で流れたときは、さすが!と思ったのです。 第1楽章の雄大な序奏から、奔流のような主部に突入する瞬間は、あらゆ
クロード・ジョゼフ・ヴェルネ『夏の夕べ、イタリアの風景』(1773年) ハイドンとモーツァルトの聴き比べ 前回は、ハイドンが1782年に作曲したシンフォニー 第77番 変ロ長調を取り上げました。 今回聴くのは、モーツァルトが1779年に作曲したシンフォニー 第33番 変ロ長調です。 二大巨匠が近い時期に作曲したシンフォニーの聴き比べです。 調性も同じ変ロ長調で、穏やかで癒される、似た雰囲気をもっています。 モーツァルトは、ハイドンがこの頃に作曲したシンフォニーをよく研究し、その影響を受けていますが、第33番を書いた頃は、まだ第77番は出来ていません。 一方、ハイドンはモーツァルトのシンフォニーをほとんど知らないはずです。 モーツァルトが書いたこの頃までのシンフォニーは、度重なる演奏旅行での、滞在先でのコンサート用か、ザルツブルクでの宮仕え中に、その小さな町での用途で書かれました。 この時期
グルメよ、来たれ! 壮大な自然に満ちるおいしい空気をたくさん吸おう! www.youtube.com 【解説】ブルックナー「交響曲第6番」 【各楽章を解説】ブルックナー「交響曲第6番」 第1楽章「マエストーソ(威厳をもって、堂々とした)」 第2楽章「アダージョ(非常に荘厳に)」 第3楽章「スケルツォ(速くなく)トリオ(ゆっくりと)」 第4楽章「ファイナル(終曲、運動的に、しかし速すぎずに)」 【5枚の名盤を解説】ブルックナー「交響曲第6番」 オイゲン・ヨッフム:指揮 シュターツカペレ・ドレスデン オイゲン・ヨッフム:指揮 バイエルン放送交響楽団 オットー・クレンペラー:指揮 フィルハーモニア管弦楽団 セルジュ・チェリビダッケ:指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 朝比奈隆:指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 【解説と名盤、まとめ】ブルックナー「交響曲第6番」 【解説】ブルックナー「交
1803年のベートーヴェン 長くかかった2作目のシンフォニー 前回までに続き、1803年4月5日にアン・デア・ウィーン劇場で開かれた、ベートーヴェンの自主コンサートで演奏された曲を取り上げますが、これが最後です。 メイン・プログラムのオラトリオ『オリーブ山上のキリスト』、第3ピアノ・コンチェルトに続き、シンフォニー 第2番 ニ長調です。 このコンサートでは、シンフォニー 第1番 ハ長調も再演されました。 第1番は1800年の初めての自主コンサートで初演されましたから、シンフォニーについては3年越しの新曲、ということになります。 不滅の9曲、と讃えられるように、ベートーヴェンのシンフォニーは、ハイドンの104曲、モーツァルトの41曲に比べて極端に少ないですが、彼にとってはシンフォニーは特別なジャンルでした。 1曲、1曲にかける気合は、他のジャンルとは明らかに異なり、鬼気迫るものを感じます。
ようこそ、「ヴァンレンティナとラフマニノフと共に歩く♪」にいらっしゃいました。心より感謝申し上げます✨。初めてお越しの方も、再訪の方も、いずれの方も、嬉しく思います。何事もきちんと思いを伝えてから、物事を始めることが大事であるということがラフマニストの心情です。 本日の音楽は、ラロのスペイン交響曲です。ラロの曲を紹介しようとしたら、なんとも素敵な演奏する女流ヴァイオリニストを見つけました。なんとも、いい音を奏でるのでしょう!ピアノが奥にあり、鳴っているためにコモった感じで聞こえるのが残念至極です、それを差っ引いても、なんとも情熱的なピアノ!素晴らしい!!!後半になればなるほど、情熱的!!!それを見事に小さい体で表現しているのですから、感激です! www.youtube.com 上の女の子には、前座を務めていただきましたので、さあホンチャンです。やっぱりオーケストラがバックにいるのがいいです
エステルハージ宮殿のハイドンザール(アイゼンシュタット) ハイドンの第二の故郷、アイゼンシュタット ハイドンが副楽長として採用され、勤務し始めたアイゼンシュタットの街は、エステルハージ侯爵家の本拠地で、第一次世界大戦の結果オーストリア領となりましたが、当時はハンガリーでした。 ウィーンからわずか60Kmほどの距離で、ローマ帝国の東の防衛拠点だったウィーンが、いかに東のはずれにあるかが分かります。 後に、次の君主ニコラウス侯が、さらに50Kmほど離れた、ノイジードル湖のほとりに、ヴェルサイユ宮殿を模した壮麗なエステルハーザ宮殿を建設します。 この宮殿は夏の離宮として建てられましたが、侯爵はここが気に入り、アイゼンシュタットに戻るのは冬だけで、ハイドンたち宮廷楽団も同じ生活パターンとなります。 「エステルハーザ」がまだ建設中で、家族の宿舎がなく、妻を帯同できない時期に、侯爵が長期滞在するため、
「Getty Images」より 2009年、米バージニア州在住のある女性が大好きな蚤の市をぶらぶらしていたところ、なんの変哲もない箱が目にとまりました。その中には、人形やプラスチック製の牛の置物と一緒に絵画が入っていたそうです。絵画そのものよりもその額縁が気に入った彼女は、たった7ドルで購入して家に持ち帰ったのですが、絵自体はそのまま放っておいたそうです。 それから2年半後のことです。絵の教師をしている画家の母親が訪れた際に、その絵を見て驚きました。慌てて専門家の鑑定を受けたところ、それはフランス印象派を代表する画家、ルノアールが、1879年に当時の愛人のために描いたとされるセーヌ河畔の風景画で、評価額は10万ドル(約1100万円)にも上るとみられたのです。通常、ルノアールの絵画は数億円の価値がありますが、この絵はルノアールが愛人とセーヌ川沿いのレストランで食事をしている際にリネンのナプ
マリー・アントワネットとルイ16世の結婚式 小さいけど、大きな手違い フランス王太子ベリー公ルイ・オーギュスト(のちのルイ16世)と、王太子妃マリー・アントワネットは、ウィーンで既に仮の代理結婚式を済ませていましたが、フランスにおける正式な結婚式は、ヴェルサイユ宮殿ルイ14世礼拝堂にて、5月16日13時より始まりました。 儀式に先立ち、王太子妃に花嫁衣装が着せられましたが、ここで信じられない事態が発生しました。 衣装の寸法が小さすぎ、丈が短くて、袖から二の腕がはみ出して、後ろも留められず、シュミーズがはみ出してしまうのです。 1年前から入念に準備され、ここまで順調に進んできた婚儀なのに、最後の最後で痛恨のミスです。 ウィーンからパリへ、寸法の伝達ミスなのか、その間に育ち盛りの少女が成長したのか、分かりませんが、両方だったかもしれません。 ダイヤモンドのついたレースを肩にかけて応急措置をしま
若き日のハイドン 楽長就任するも、すぐ解雇? 1759年にボヘミア貴族のモルツィン伯爵の楽長に就任したハイドン。 そして、安定した職についたことで、1760年11月に結婚します。 しかし、順調に進んでいたかに見えた人生も一寸先は闇。 モルツィン伯爵家の財政が、急速に逼迫してしまったのです。 伯爵父子は、お抱えオーケストラを拡大し、音楽に惜しみなく財をつぎ込んでいましたが、由緒あるとはいえ、それほど大きな所領を持っていなかったモルツィン家としては、楽長つきの楽団は身の丈には合っていなかったようです。 伯爵は、泣く泣く楽団の縮小を決断し、せっかく雇うことのできた、素晴らしい才能に恵まれた若き音楽家、ハイドンを解雇せざるを得なくなりました。 しかし伯爵は、所帯を持ったばかりのハイドンを、何の支援もなく、世間に放っぽりだすような無責任な人ではありませんでした。 素晴らしい再就職先 時々伯爵家に客と
オーストリアの店の看板に描かれたマリー・アントワネット マリー・アントワネットのフランスへのお輿入れの旅の続きです。 17日目、5月7日。ついにフランス入り。 朝、シュッテルン修道院を出発し、ほどなくライン河畔のドイツの町、ケールに到着します。 ここから橋でライン川を渡ると、フランスです。 オーストリアからフランス側に、どこで王太子妃を受け渡すか。 この些細にして重大な問題に、両国の重臣たちは大いに頭を悩ませ、出口の見えない交渉を続けました。 ドイツ側、フランス側、どちらも譲れない大国同士ですから、両国のメンツがかかっています。 マリー・アントワネットの姉たちのような、格下の相手への〝降嫁〟ではないのです。 妃を引き渡すだけのために作られた宮殿 ライン川中洲に築かれた引き渡し宮殿 両国の大臣たちは、奇跡のようでいて、至極単純な解決策を導き出しました。 国境であるライン川の中洲の島で引き渡す
ラフマニノフはピアノ協奏曲で有名ですが、交響曲第二番もとても美しいですよね。特に第三楽章は西洋のおとぎ話の世界そのままと言った感じで、今、自分がゴミゴミした小汚い部屋に居ようとも、瞬時に別世界に連れ去ってもらえます(?)。 色としてはこんな感じ。パステルが重なり合う~。幾重にも重なり合う~。って音。 出だしからハーモニーが重厚。なのに軽やかさを伴う。不思議なワールドなんだよね。ブラームスも重厚だと思うけど、全然違うんだよね。あの方はともかく重い。そしてリアルで熱い(笑)。 ラフマニノフのこの3楽章は、音が多いのに「おとぎ話テイスト」でリアルな人間の世界のドロドロとは一線を画す雰囲気を醸し出し続けます。だから最初から最後までウットリ♡ロマンチストなあなたにピッタリ。ブラームスはちょっとえぐいんだよね、というあなたにもピッタリです!← この「おとぎ話テイスト」というのは、「ハーモニーが作り出す
15年ぶりくらいに、チェロで交響曲を弾く機会に恵まれましたヨーコです。かつてのオーケストラの部活の先輩やら後輩やらが集まって演奏会をしようと言う企画です。コンサートじゃないから、いつも弾いてない人も参加してね!という有難い企画です。しかも、弾く曲が「ブラームス交響曲 第四番」!私のバイブル的な曲です!特に第二楽章には熱い思い入れがあります(笑)。 www.funkeys-english-music.com しかもこの曲は弾いたことがあるのです!なんにも覚えていないとはいえ(?)、馴染みがある部類の交響曲!この機会を逃してはなるまい!と参加することにしたのです。 で、まずしなければならないのは「チェロを調整に出す」でした。 15年も弦楽器を放置するとどうなるんでしょう…。こわいです…。腐ってるんじゃ…?弾いた途端、崩壊するんじゃ…?と弦楽器を放置したことのある人はみんな思いますよね(?) 半
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