並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 18 件 / 18件

新着順 人気順

大正の検索結果1 - 18 件 / 18件

  • 110年前の女性の投書「女にモテない夫を持った私の感想」

    文通相手を探していたところ、1914年(大正3年)に出版された少女向け雑誌『處女』(処女の旧字)を発見した。 この雑誌は大正時代の少女が読者投稿を行うものであり、文通相手の募集も紙面で行われていたのだ。 しかし文通を出そうにも紙面に住所を書いている少女たちはもうほとんどが死んでいるので、しかたなく1914年『處女』9月号に掲載されていた投書を読んでいたところ、ある女性が「女にもてない夫を持つた私の感想」というものを投稿していた。 最初は単なる愚痴かと思ったが、読み込むうちになんかなんだか気分が落ち込んでしまった。 とりあえず書き起こすことにする。 「女にもてない夫を持った私の感想」投稿者:宇佐美米子 私がこの家に嫁いでからもう今年でちょうど5年になります。夢のように過ぎた5年の間には可成(かなり)色々な事がありましたが、楽しいことも悲しい事もみな断片のことであって、私の心に根深く止まってい

      110年前の女性の投書「女にモテない夫を持った私の感想」
    • 大正時代のお嬢様言葉が可愛いすぎる「ヒスッてる」「私はお菓子を食べイングよ」「チョレてゐらっしゃる」

      道民の人(廃墟・ひなびた風景) 名古屋コミティア(3/24)E-48 @North_ern2 日本各地を旅をしながら廃墟、ひなびた風景、不思議な伝承など「人の生きた記憶」を記録・著作しています。廃墟/路地裏/街並み/建築/旅館/医療/民俗学/たまーにポトレ。 調査・原稿依頼など連絡はDM/メールから:polaris453121@gmail.com)fantia.jp/fanclubs/34782 focusite.booth.pm 道民の人(廃墟・ひなびた風景)@12/31冬コミ東3ク-26b @North_ern2 大正時代の医師会誌読んでたら、当時女学校に出入りしてた医学者が書いた「関西の現代女学生が用いる隠語抄録」があってこれ面白い。女学生は今の中高校生くらいの年代だが、この頃から「ヒスる」ってあったんだね…。そして袴とかおやつとかお雑煮とか「~ってよ」とか出てきてまあ本当にかわいい

        大正時代のお嬢様言葉が可愛いすぎる「ヒスッてる」「私はお菓子を食べイングよ」「チョレてゐらっしゃる」
      • 弟の俤 - 戸桝有馬 / 【コミックDAYS読み切り】弟の俤 | コミックDAYS

        弟の俤 戸桝有馬 【アフタヌーン四季賞2024春 四季賞】大正10年。衛生博覧会で逢った軍医を夢見る少年・彰彦と鉄の義手をもつ久夫の間に不思議な友情が生まれる。が、彰彦と顔を合わせるたびに、久夫の体は衰えていき、義肢がかえって増えていく……。人間性と主体性を問う、闇と美にあふれているレトロSFドラマ!

          弟の俤 - 戸桝有馬 / 【コミックDAYS読み切り】弟の俤 | コミックDAYS
        • 「背広と着物しか着ません」大正ロマン推し高校生 丸眼鏡で登校、ノートは旧字体(高校生新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

          「背広と着物しか着ません」 そう話す増田さんは、まるで大正時代からタイムスリップしてきたような風貌の持ち主。「大正ロマン」を始めとする明治から昭和初期にかけての文化の魅力に心を奪われ、リアルな「戦前スタイル」を全身で表現する。 レトロな文化に魅せられ、「明治、大正、昭和初期の文化が好き。中でも大正時代のカルチャーがカッコいい」と語る。制服がない高校に通い、通学時は背広にコートを着用。丸眼鏡をかけ、中折れ帽をかぶり、懐中時計を身につけ、当時の生活様式を生き生きと再現している。 Tシャツもジーンズも持っておらず、帰宅後は背広から普段着の着物に着替える。洋室にベッドを置いた自室ではなく、普段は別の和室に向かう。昔、客間だったその和室は、昭和中期に建てられた自宅の一角にある。もともとレトロな雰囲気だったが、増田さんのセンスで大正時代の趣を感じる部屋に仕上げられている。 「畳の部屋で過ごすのが一番落

            「背広と着物しか着ません」大正ロマン推し高校生 丸眼鏡で登校、ノートは旧字体(高校生新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
          • 相模川には鎌倉時代の橋脚が残っている

            神奈川県の中央部を流れる相模川。その下流域にあたる茅ヶ崎市には、「旧相模川橋脚」という史跡が存在する。 人知れず水田の地下に眠っていた鎌倉時代の橋脚が、ちょうど100年前の大正12年(1923年)に発生した関東大震災の液状化現象によって地上に現れた、全国的にも貴重で珍しい遺構である。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:範囲図の境界を攻める(デジタルリマスター) > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 相模川に架けられた鎌倉時代の橋 「旧相模川橋脚」が存在するのは、旧東海道を踏襲する国道一号線のすぐ側だ。東

              相模川には鎌倉時代の橋脚が残っている
            • 『明治 大正 昭和 化け込み婦人記者奮闘記』化け込み=潜入取材ルポ 型破りな女性記者たちの物語 - HONZ

              2022年度の新聞・通信社における女性記者の割合は男性の4分の1弱である(一般社団法人日本新聞協会調べ)。放送業界は多少マシな気もするが、それでもメディアが圧倒的に男性中心であることは変わらない。現代ですらそんな体たらくなのだから、戦前なんて推して知るべし。女性記者(当時は「婦人記者」といった)は各社片手で数えられるほどしかいなかった。 婦人記者という新たな職業が生まれたのは、明治20年代だという。女性読者の増加に伴い、女性向けの記事が求められ、東京や大阪の有力新聞が女性を採用するようになった。 とはいえ、のっけから婦人記者が活躍できたわけではない。女性向けの記事といっても、アイロンのかけ方、シミの抜き方といった家政記事か、政治家や実業家のお宅に赴き、奥様方に普段の生活や子どもの教育法などについてインタビューする名流婦人訪問記などがメインだった。 「号外に 関係のない 婦人記者」と当時の川

                『明治 大正 昭和 化け込み婦人記者奮闘記』化け込み=潜入取材ルポ 型破りな女性記者たちの物語 - HONZ
              • 島根半島に存在した4つの水族館の謎 「北前船で栄えた港が寂れていく…」 大正末期から戦後にかけて相次いで水族館がつくられたワケ 地域に残された痕跡を辿ると… | TBS NEWS DIG

                島根半島の東の端に位置する島根県松江市美保関町に、大正末期から戦後にかけて、複数の水族館が存在していたことをご存じでしょうか?地域の歴史を探求するグループの研究によって、これまで3つの水族館の存在が…

                  島根半島に存在した4つの水族館の謎 「北前船で栄えた港が寂れていく…」 大正末期から戦後にかけて相次いで水族館がつくられたワケ 地域に残された痕跡を辿ると… | TBS NEWS DIG
                • 海外で話題になった大正初期の東京の様子→当時の服装や子どもの多さに注目が集まる、中には見覚えのあるあの場所も

                  Historic Vids @historyinmemes Streets of Tokyo, 1913-1915. (Color, Speed, Sound adjusted) The footage you see before you was taken just after the death of Emperor Meiji in 1912. He was responsible for overseeing the Meiji Era (1868-1912) in which Japan transformed from an isolationist, feudal state to an industrialized world power. Interestingly enough, the catalyst for such drastic change can be

                    海外で話題になった大正初期の東京の様子→当時の服装や子どもの多さに注目が集まる、中には見覚えのあるあの場所も
                  • 106年前の四国遍路 ある夫婦が残した自転車ツーリング日記 | 毎日新聞

                    106年前、徒歩全盛の四国霊場八十八カ所をツーリングで巡った夫婦がいた。古書サイトで偶然見つかった2人の日記が、愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センターの最新研究紀要で発表された。日記は珍しい自転車での道中と、近代化により変化し始めた大正時代の遍路を記録していた。 日記に光を当てたのは愛媛県歴史文化博物館の井上淳・学芸課長(日本近世史)。「四国八十八ケ所順拝日記」(1963年、利生院文庫)の存在を2011年に知り、発行した愛知県・知多四国霊場三十一番札所「利生院」(南知多町)を16年に訪問。寺の協力で、同書の原本となった「大正六年四国順拝日記」とめぐりあった。日記には1917(大正6)年に四国霊場八十八カ所を自転車で巡った利生院住職、内藤真覚(当時45歳)、妻てう(同39歳)の旅の模様がつづられていた。 知多四国霊場は1824(文政7)年に「准四国霊場」として開かれ、信仰を集めた。愛知は早

                      106年前の四国遍路 ある夫婦が残した自転車ツーリング日記 | 毎日新聞
                    • 大正~昭和の『看板建築』は、建築好き垂涎の意匠がいっぱい!その他レトロで味わい深い『看板建築』を見てください

                      リンク Wikipedia 看板建築 看板建築(かんばんけんちく、英: Billboard architecture)とは、鉄筋コンクリート造で建てるだけの資力がない中小規模クラスの商店によって関東大震災後に数多く建設された、かつての伝統的な町屋に代わる洋風の外観を持った店舗併用の都市型住居である。 そのほとんどは木造で建物の前面に衝立を置いたような看板を兼ねた外壁を持ち、その壁面があたかもキャンバスであるかのように自由な造形がなされている。看板建築という名称は後の研究者がつけたもので、震災後の大正末期頃には「街路建築」という用語が使われてい 28 users 5 武田菱 @takedabishi8 福島県郡山市の本町にある「吉田薬局」の建物は、1933年に建てられた洋風建築。高梨幸平太による設計で、アール•デコ調の幾何学的な直線と曲線が組み合わされた外観が見事でした! 塔屋部分の丸窓や階

                        大正~昭和の『看板建築』は、建築好き垂涎の意匠がいっぱい!その他レトロで味わい深い『看板建築』を見てください
                      • 大正女学生が現代にタイムスリップする「雷鳴りて春来たる」第1話は結構バズったけど、最新話(第4話)読んでる? - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                        ひとつ前の記事で話題にして、思い出した。 michikusacomics.jp 大正十二年、春。父親と喧嘩し家を飛び出した島津ハルは、橋の上で雷に打たれてしまう。気がつけばそこは…百年後、令和五年の東京だった。気を失い倒れていたハルを保護したのは、彼女と同い年の高校生・星谷青太。自宅で姉の朱里とともに、、にわかには信じがたいハルの事情を聞いた青太は…? 時代を超えて「私の生きるべき道」を模索する、大正乙女の物語! この作品、たしか第一話が何かの拍子でバズったでしょ? michikusacomics.jp それはいいんだ、いいんだが……だいたい、自分も含めて、の話だが、その時に「いいネ!」と反応した人の何割が、その後「継続して読み続けていますか」、だ。 いやほんと、これは我ながら困ったもんです。別に嫌になったわけではないが、どこかで読み忘れてしまう。不定期的な掲載ならなおさらだ。 そのバズっ

                          大正女学生が現代にタイムスリップする「雷鳴りて春来たる」第1話は結構バズったけど、最新話(第4話)読んでる? - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                        • 慶應義塾新田運動場 - Wikipedia

                          新田運動場平面図 慶應義塾新田運動場(けいおうぎじゅくにったうんどうじょう)は、戦前の東京府荏原郡矢口村(現東京都大田区千鳥2丁目)にあった慶應義塾所有の運動場である。 概要[編集] 野球部合宿所 敷地面積は1万4251坪。1925年(大正14年)5月に着工。陸上400mトラックおよび蹴球場は1926年6月に完成し、蹴球部と競走部による運動場開きを挙行。さらに収容人員1万5千人の野球場は同年8月25日に竣工し、3日後にフィリピン野球団との球場開き試合を行った。新田球場には慶大野球部の合宿所(木造2階建て)も併設され[1]、1931年に神宮球場の拡張工事が完成するまで東京六大学野球の公式戦も行われた。 しかし、日吉に新運動場が建設されることになったため、新田運動場は売却されることになり、1936年に観客席を、さらに1938-39年にかけて運動場用地を同潤会に売却した。もっとも、1940年3月

                            慶應義塾新田運動場 - Wikipedia
                          • 『山陽新聞デジタル|さんデジ倉敷天文台 日本天文遺産に認定 岡山県内初、大正期から観測活動:山陽』

                            ☆★☆★☆★☆歴史タイムッス☆★☆☆★☆★古今東西歴史関連記事リンク集日本史娯楽検証物語サイト「歴史チップス」執筆のネタ探しとして日本や世界のメディアや個人・企業サイトから歴史関連記事リンク集を作成(リンク切れ御免)。また、「古今チップス(旧歴史タイムズ・現歴史タイムス)」の2005年11月~2014年12月のバックナンバーも掲載。

                              『山陽新聞デジタル|さんデジ倉敷天文台 日本天文遺産に認定 岡山県内初、大正期から観測活動:山陽』
                            • 「明治の元号」決め方は? 【ことば検定スマート】

                              「明治の元号」決め方は? 【ことば検定】今日の問題と答え グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。 林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。 *正式な解答が出るまでは、解答予想となりますのであらかじめご了承ください。 ことば検定 問題 きょうは1月8日、平成が始まった日です。 当時の官房長官だった小渕恵三さんが「平成」と書かれた台紙を掲げるこのシーンは、いまでも覚えているかたが多いんのではないでしょうか? これは文字を言葉で説明するのは難しいと、当時の小渕さんの秘書官が提案されたそうです。 ちなみに「平成」のほかに「修文」と「正化」が最終候補に残ったそうですが、この中で「平成」が選ばれた決め手は、最初のアルファベットでした。 明治(M)・大正(T)・昭和(S)と続き、ここで「修文」「正化」だと「昭和」と同じ「S

                                「明治の元号」決め方は? 【ことば検定スマート】
                              • 『HTB 北海道テレビ昔の切符や改札機などレトロアイテム展示 大正時代の木製電車も 札幌市交通資』

                                ★☆★☆☆★☆歴史タイムッス★☆★☆☆☆★古今東西歴史関連記事リンク集日本史娯楽検証物語サイト「歴史チップス」執筆のネタ探しとして日本や世界のメディアや個人・企業サイトから歴史関連記事リンク集を作成(リンク切れ御免)。また、「古今チップス(旧歴史タイムズ・現歴史タイムス)」の2005年11月~2014年12月のバックナンバーも掲載。

                                  『HTB 北海道テレビ昔の切符や改札機などレトロアイテム展示 大正時代の木製電車も 札幌市交通資』
                                • 『マイナビニュース短くも激動の時代だった“大正時代”を深掘り 日本近代文学研究者「ものすごく若者』

                                  ☆★☆★☆★☆歴史タイムッス☆★☆☆★☆★古今東西歴史関連記事リンク集日本史娯楽検証物語サイト「歴史チップス」執筆のネタ探しとして日本や世界のメディアや個人・企業サイトから歴史関連記事リンク集を作成(リンク切れ御免)。また、「古今チップス(旧歴史タイムズ・現歴史タイムス)」の2005年11月~2014年12月のバックナンバーも掲載。

                                    『マイナビニュース短くも激動の時代だった“大正時代”を深掘り 日本近代文学研究者「ものすごく若者』
                                  • 『産経ニュース大正8年、上野に日本初の手動式信号が登場 米国をヒントに考案 進化続け現代に 警視』

                                    ☆★☆★☆★☆歴史タイムッス☆★☆☆★☆★古今東西歴史関連記事リンク集日本史娯楽検証物語サイト「歴史チップス」執筆のネタ探しとして日本や世界のメディアや個人・企業サイトから歴史関連記事リンク集を作成(リンク切れ御免)。また、「古今チップス(旧歴史タイムズ・現歴史タイムス)」の2005年11月~2014年12月のバックナンバーも掲載。

                                      『産経ニュース大正8年、上野に日本初の手動式信号が登場 米国をヒントに考案 進化続け現代に 警視』
                                    • あらしの白ばと :西條 八十,芦辺 拓|河出書房新社

                                      この本の内容 少女の悩みは少女が救う! かつて「女学生の友」に連載され、少年少女たちが熱狂した、超入手困難な少女小説が待望の復刊! 詩人として知られる西條八十が遺した、知られざる冒険活劇! *本作は、「女学生の友」に連載された「あらしの白ばと」の第一部を書籍化したものです。 著者 西條 八十 (サイジョウ ヤソ) 1892年東京生まれ。早稲田大学卒。高踏的象徴詩をつくる一方、大正期の代表的童謡詩人でもあった。「東京行進曲」「東京音頭」「蘇州夜曲」などの作詞でも知られ、少女小説や評論でも活躍した。1970年没。 芦辺 拓 (アシベ タク) 1958年大阪生まれ。同志社大学卒。86年「異類五種」で第2回幻想文学新人賞に佳作入選。90年『殺人喜劇の13人』で第1回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。著書に『綺想宮殺人事件』『奇譚を売る店』など多数。 この本の感想をお寄せください 本書をお読みになったご意

                                        あらしの白ばと :西條 八十,芦辺 拓|河出書房新社
                                      1