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景山民夫の検索結果1 - 25 件 / 25件

  • 「2010年代、世界で最もSFを愛した作家」伴名練1万字メッセージ|Hayakawa Books & Magazines(β)

    8月20日に短篇集『なめらかな世界と、その敵』を上梓するSF作家・伴名練さん。発売後に公開予定だった「あとがきにかえて」ですが、届いた原稿の内容がまったく「あとがき」ではなく(本書のネタバレになっておらず)、それでいて一刻も早く世に広げたい熱量だったため、緊急公開します。何はともあれ、読んでください。(編集部) ※本原稿は書籍ではなく、SFマガジン10月号(8/24発売)に掲載されます。 伴名練『なめらかな世界と、その敵』 装画:赤坂アカ ーーーーーーーーーー あとがきにかえて 運が良かったのだと思う。 1988年生まれである私の小学生時代は、1994年の4月から2000年の3月だった。この時期、子ども向けのSF叢書が新刊で刊行されることはなかった。 なぜそんなことが分かるかと言うと、ネット上に、「少年少女SF小説全集の興亡」という題名の、国際子ども図書館資料情報課長(平成25年度当時)の

      「2010年代、世界で最もSFを愛した作家」伴名練1万字メッセージ|Hayakawa Books & Magazines(β)
    • 『タモリ倶楽部』の放送作家が明かした“流浪”の制作現場 「ネーミングセンスのくだらなさは、ある意味極北」【極私的「タモリ倶楽部」回顧録】 | エッセイ・コラム | Book Bang -ブックバン-

      40年にわたり放送されたバラエティ番組『タモリ倶楽部』。お尻を振るオープニング映像やマニアックすぎる企画、言われてみれば確かに聞こえる「空耳アワー」など、多くの視聴者を楽しませてきた伝説の深夜番組だ。 「毎度おなじみ流浪の番組、タモリ倶楽部でございます」という挨拶で始まる番組はどのように作られていたのか? 当時、放送作家として22年間にわたって番組に携わった高橋洋二さんが、制作現場の裏側を明かしながら、印象に残っている思い出を語った。 ※本編は高橋洋二さんによる私的な回想録です。番組制作の一端を担った放送作家が見てきたタモリ倶楽部の一面としてお楽しみください。 高橋洋二/極私的「タモリ倶楽部」回顧録 前篇 1982年10月8日に始まり、2023年3月31日に終了したテレビ朝日系「タモリ倶楽部」で、私は1990年から2011年の間、構成を担当した。私より長きにわたり番組に携わっていたスタッフ

        『タモリ倶楽部』の放送作家が明かした“流浪”の制作現場 「ネーミングセンスのくだらなさは、ある意味極北」【極私的「タモリ倶楽部」回顧録】 | エッセイ・コラム | Book Bang -ブックバン-
      • タモリ倶楽部 40年を語ろう | 文藝春秋 電子版

        3月末に惜しまれつつ終了した『タモリ倶楽部』。「空耳アワー」のコーナーで長年タモリさんの横で笑い続けてきた安齋肇さんと、番組の進行役としておなじみだった渡辺祐さんが、40年続いた番組の思い出を語り合った。 『タモリ倶楽部』でお馴染みの安齋氏と渡辺氏 Ⓒ文藝春秋 渡辺 『タモリ倶楽部』の台本を何冊か持ってきたんですよ。 安齋 わー、たくさんあるね。 渡辺 手元にあった古い台本だと、昭和61年12月27日(土)収録と書いてあります。 タモリ倶楽部の台本 Ⓒ文藝春秋 安齋 37年前。何のきっかけで番組に出ることになったの? 渡辺 当時、『タモリ倶楽部』の構成作家を景山民夫さんと加藤芳一さんが担当されていて、私はこのお二人とご縁があったんですよ。で、「食えなさそうなフリーの編集者がいるから、面白いから出しちゃえ」みたいな、わりと軽い感じで呼んでもらった気がします。

          タモリ倶楽部 40年を語ろう | 文藝春秋 電子版
        • いとうせいこうと吉田豪 景山民夫を語る

          いとうせいこうさんが2020年7月7日放送のSHOWROOM『豪の部屋』に出演。吉田豪さんと景山民夫さんについて話していました。 (吉田豪)(コメントを読む)「景山民夫さんについての思い出」。 (いとうせいこう)ああ、景山さんは本当に僕、お世話になりまして。放送作家……今はね、高田文夫さんがね、ずっとたけしさんと一緒にやってきたけど。 (吉田豪)『文夫くんと民夫くん』でね。 (いとうせいこう)そうです。2人がすごく前に出た放送作家として、その上にいた大御所たちに対する若手として出てきて。ものすごくやっぱり面白かったし。それこそ僕と藤原ヒロシを自分のラジオのコーナーに出したんですよ。そのレギュラーコーナーの中で僕は「どうすれば放送禁止用語を放送局のその規定に触れることなく言ってのけるか?」っていうことをテーマにした……まあ「行き違いがある(いキチガイがある)」みたいな話ですね。 (吉田豪)な

            いとうせいこうと吉田豪 景山民夫を語る
          • 「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ | 文春オンライン

            ◆◆◆ 「高校の頃、家に帰ると母と同級生が麻雀していてなぜかユーミンもいて…」 1952年6月6日、東京に生まれた高橋幸宏の父は会社経営者で、軽井沢に別荘を持ち、長じると一家は夏には軽井沢という生活を送っていた。後に音楽プロデューサーとなる兄の高橋信之は高校生のときにバンドを組み、高橋幸宏も小学生の頃からドラムを始めた。ドラムを選んだ理由は<ドラムを練習できる家に住んでいる子どもがそうはいなかった>のも理由のひとつだと後年のインタビュー(ユリイカ2013年10月臨時増刊号/インタビュアー:青野賢一)で話している。 中学生になると自分のバンドも始めた。メンバーは後にバズを結成する東郷昌和ら。荒井由実もメンバーに加わることがあった。のちのユーミンである。当時、高橋幸宏は15、16歳、ユーミンは14歳。当時の高橋幸宏の実家は200坪を超える大きな日本家屋で、そこには多くの人が集まった。 立教高校

              「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ | 文春オンライン
            • 『亜細亜熱帯怪談』前代未聞の新ジャンル!現代アジア怪談ルポルタージュの誕生 - HONZ

              見慣れた世界地図を、ちょっと視点を変えて色分けしてみると、思いも寄らない姿が浮かび上がってくることがある。たとえば「民主化」の度合いや「女性の社会進出」の進み具合で色分けすれば、欧米を中心にした国々を濃く塗りつぶすことになるだろうし、「政治的自由」の制限などを切り口にすれば、また違った国がクローズアップされるだろう。 では「霊」はどうだろうか? いや、唐突かもしれないが、別にふざけているわけではない。 霊とは文字どおり「心霊」や「幽霊」、「霊魂」や「精霊」のことである。 もしも、目に見えない「霊的なものへの感性」で世界地図を色分けしてみたら? おそらく東南アジア一帯は、色濃く塗りつぶされて浮かび上がってくるはずだ。 本書はタイを中心に東南アジア一帯の怪談を集めたいっぷう変わったルポルタージュである。著者はもともと死体に興味があり、博物館に死体を見に行ったり、インドまで足を運び、ガンジス河の

                『亜細亜熱帯怪談』前代未聞の新ジャンル!現代アジア怪談ルポルタージュの誕生 - HONZ
              • 「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

                ミュージシャン、そしてファッションデザイナーとしても活躍した高橋幸宏が誤嚥性肺炎のため1月11日に亡くなった。享年70。「ライディーン」など数々の名曲を世に送り出した彼の足跡を、公私ともに親交の深いライターが振り返った。 【画像】高橋幸宏が遺した数々の作品を見る ◆◆◆ 「高校の頃、家に帰ると母と同級生が麻雀していてなぜかユーミンもいて…」 1952年6月6日、東京に生まれた高橋幸宏の父は会社経営者で、軽井沢に別荘を持ち、長じると一家は夏には軽井沢という生活を送っていた。後に音楽プロデューサーとなる兄の高橋信之は高校生のときにバンドを組み、高橋幸宏も小学生の頃からドラムを始めた。ドラムを選んだ理由は<ドラムを練習できる家に住んでいる子どもがそうはいなかった>のも理由のひとつだと後年のインタビュー(ユリイカ2013年10月臨時増刊号/インタビュアー:青野賢一)で話している。 中学生になると自

                  「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
                • 『タモリ倶楽部』今夜最終回 40年間の名企画を振り返る(てれびのスキマ) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                  「毎度おなじみ流浪の番組」として親しまれた『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)が、今夜3月31日深夜の放送で40年あまりの歴史に幕を閉じる。 低予算ゆえスタジオセットが組めないという名目でほぼ全編ロケでおこなっていたことから「流浪」の番組を自称していたが、「流浪」とは“自由”ということでもあり、多種多様な企画がおこなわれた。 心の中で流浪し日常に漂っているような番組だから「神回」などという言葉は似合わないが、最終回を前に40年の中から名企画をざっくり振り返ってみたい。 ■初期(1980年代)番組初期はミニコーナーが多く作られ、アングラ系の企画も多かった。 「タモリを追え」番組初回に放送。「ドキュメンタリ劇場 現代の顔」と題し“プライベートが謎の男”タモリのプライベートを追ったモキュメンタリー。『タモリのオールナイトニッポン』本番終了後のタモリに“密着”した。 「愛のさざなみ」番組初期に放送されて

                    『タモリ倶楽部』今夜最終回 40年間の名企画を振り返る(てれびのスキマ) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                  • 雑誌『映画秘宝』の記憶(18)

                    【町山智浩・柳下毅一郎の問題発言集】(No.01) 元『映画秘宝』編集部員の秋山直斗(ナオト)さんにも読んで確認してもらえると幸いです。自分が「やる」と書いた以上やりますが、小分けしてやります。全部で何回になるかは現時点では未定です。 出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(2002年、洋泉社)です。 同書の本文中では、それぞれ町山智浩が「ウェイン」、柳下毅一郎が「ガース」とそれぞれ表記されていますが、ここで引用するに当たり、閲覧する皆様が発言者を把握し易いように「町山」及び「柳下」として表記します。 以下では、 [ページ数] 発言者:発言内容 【※】付随情報や私個人の感想など(適宜) という形式にしています。 なお、問題発言だけでなく「今から見返したら『味わい深い』」と云う発言もピックアップします。 〈警告!〉今回以降の投稿には「同性愛者に対する差別発言」などの引用が多

                      雑誌『映画秘宝』の記憶(18)
                    • 「正解を教えてよ」とプロデューサーに冗談で言ってみたら…北野大(79)が振り返る『クイズダービー』、他の番組との“決定的違い” | スターと暮らせば | 文春オンライン

                      ーー1988年6月からは『クイズダービー』のレギュラー回答者になられて、さらにお茶の間に顔が知られるようになりました。同年2月にゲスト回答者として出演されていますが、これが抜擢の決め手にもなっていたのでしょうか。 北野大氏(以下、北野) 私の収まった1枠は、それまで篠沢(秀夫)先生が11年以上やられていたんですが、先生の後任を探しているなかで、私がたまたまゲストで出て「使えそうだな」って思ってくれたんじゃないですか。リハーサル代わりになったというかね。 ーーとはいえ、3枠のはらたいらさんと並ぶ番組の顔であった、篠沢教授の後任を務めることへのプレッシャーは相当にあったのではないかと。 北野 誰とは言えないですけど、あるゲストの回答がすべて不正解だったんです。そうしたらえらく不機嫌になっちゃいまして、普段は番組が終わると全員でお茶でも飲むんですけど、さっさと帰ってしまったんですよ。 なんだか、

                        「正解を教えてよ」とプロデューサーに冗談で言ってみたら…北野大(79)が振り返る『クイズダービー』、他の番組との“決定的違い” | スターと暮らせば | 文春オンライン
                      • 高田文夫になりたかった 真面目はいやだ   - 兵庫慎司のブログ

                        という歌詞が、グループ魂の「高田文夫」という曲の中にある。曲名がすべて人の名前になっている『20名』、2015年リリースのアルバムの収録曲だ。 宮藤官九郎という表現者について、俺はすごくよく知っているとか、深いところまで理解しているとかは、全然思わないが(僕より100倍詳しい同業者、いくらでもいるので)、ことこの曲に関してだけは、彼の気持ちの芯の部分が俺はわかる。と、聴くたびに思う。今でもライブで聴く機会があるたびに(ってグループ魂、コロナ以前から長いことライブやってないけど)、つい、泣きそうになってしまう。 それは、宮藤官九郎のファンだから、というよりも、10代の頃『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聴いて、たけしの次に高田文夫に傾倒して育った、という部分で、彼と同じ人種だからだ、と思う。彼の2学年上の自分が。 ずっと笑っていたい。まじめなことや重たいことや、めんどくさいことやシリア

                          高田文夫になりたかった 真面目はいやだ   - 兵庫慎司のブログ
                        • 雑誌『映画秘宝』の記憶(19)

                          【町山智浩・柳下毅一郎の問題発言集】(No.02) 元『映画秘宝』編集部員の秋山直斗(ナオト)さんにも読んで確認してもらえるよう、引き続き頑張ります。前回と同じく、出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(2002年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記します。記述形式は [ページ数] 発言者:発言内容 【※】付随情報や私個人の感想など(適宜) です。 なお、問題発言だけでなく「今から見返したら『味わい深い』」と云う発言も有ります。 〈警告!〉「同性愛者に対する差別発言」などの引用が多数含まれるため、読むと気分が悪くなる可能性が有ります。 =引用ここから= [p101] 柳下:淀川さんって本当に肉体派でしたね。好きな俳優はシュワちゃんにスティーヴン・セガール。 町山:あとチャールズ・ブロンソンとか、現場労働者タイプ(笑)。シュワちゃん、ジャッキー、ヴァン・ダム、セガ

                            雑誌『映画秘宝』の記憶(19)
                          • 雑誌『映画秘宝』の記憶(27)

                            【町山智浩・柳下毅一郎の問題発言集】(No.06) 元『映画秘宝』編集部員の秋山直斗(ナオト)さんにも不正義や不公正と一緒に闘ってもらうために、引き続き頑張ります。出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(2002年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記。記述形式は [ページ数] 発言者:発言内容 【※】付随情報や私個人の感想など(適宜) (初出) です。 なお、問題発言だけでなく「今から見返したら『味わい深い』」と云う発言も有ります。 〈警告!〉「同性愛者に対する差別発言」などの引用が含まれるため、読むと気分が悪くなる可能性が有ります。 =引用ここから= [p250] 町山:そうそう、今、アメリカで放送してる『料理の鉄人』は録画だから景山民夫出てるんだよ。で、パトリック(・マシアス)に「あの目の間が離れた人は、ヘンな宗教信じたバチがあたって全裸でプラモデル作ってる

                              雑誌『映画秘宝』の記憶(27)
                            • 「大川隆法の霊言はインチキだ」と言い切ることにした理由|藤倉善郎(やや日刊カルト新聞)

                              幸福の科学・大川隆法による「霊言」なるものはインチキです。デタラメです。たわごとです。 って、信者以外はみんなわかってますよね。 でも実はぼく自身はこれまで、基本的に「霊言はインチキだ」と断言したり幸福の科学批判の理由にしたりすることを避けてきました。もちろん、腹の底ではインチキだと思っていたので、「これ見れば、言わなくてもみんなインチキだとわかるよね?」という意識でものを言っては来ましたが。 それがなぜいまになって「霊言はインチキだ」と断言するようになったのかについて書こうと思います。 香港民主活動家の命を危険に晒した「霊言」 9月4日に幸福の科学が『幸福実現NEWS』として、香港民主活動家の周庭(アグネス・チョウ)氏の守護霊の霊言と称するものを発表して以来、やや日刊カルト新聞社は計3度の抗議活動を呼びかけ実施してきました。 9/16 東京・新宿での幸福実現党によるデモ行進へのカウンター

                                「大川隆法の霊言はインチキだ」と言い切ることにした理由|藤倉善郎(やや日刊カルト新聞)
                              • 意識が生成したフィクションとしての現実を生きるということ――伊藤計劃『ハーモニー』#闇のSF読書会②|Hayakawa Books & Magazines(β)

                                闇の自己啓発会による#闇のSF読書会。今回は伊藤計劃『ハーモニー』を取り上げます。『闇の自己啓発』でも度々言及されてきた作品ですが、この作品を読んで自分に刺さった箇所、想起したこと、そして意識の消失について、各人が自身の感想を熱く語り合いました。その模様をご紹介していきます(ネタバレ全開ですので、未読の方はご注意ください)。 *前回はこちら ■ゼロ年代的「中二病」のモードが歴史化されている江永 それでは『ハーモニー』を。始めの章「<part:number=01:title=Miss.Selfdestruct/>」が、すごく印象に残っています。謎めいた少女ミァハと出会った13年ほど前の高校時代を回想しながら、その後の章のきっかけとなる大事件(旧友キアンが自分の目の前で亡くなる)までを語り手トァンが提示していく部分です。私の感覚で言えば、ゼロ年代的「中二病」のモードが、ここに歴史化されている感

                                  意識が生成したフィクションとしての現実を生きるということ――伊藤計劃『ハーモニー』#闇のSF読書会②|Hayakawa Books & Magazines(β)
                                • 藤原ヒロシが「文春砲」を逆取材! 藤原ヒロシvs『週刊文春』新谷学・白熱対談(前編) | JBpress autograph

                                  藤原 彼の冤罪説を書いていた革マル(※11)の人たちはどうなったんですかね? 新谷 めちゃくちゃ詳しいですね(笑)。 藤原 僕、酒鬼薔薇聖斗事件の本、毎回買っていたんですよ。新谷さん、「模索舎」(※12)という書店は行かれますか? 自主流通本を中心に扱っていて、マルクス主義からパンク、HIP HOPまでアンダーグラウンドな本が山のようにあるんです。ぜひ行ってみてください。僕もよく行くんですよ。 新谷 三浦和義に始まって、革マルまで。この振り幅には、ジャーナリズムの世界にいる人間でも全然ついてこれないかもしれないな。 (※6)あの曲── 「ゲスの極み乙女。」が2015年に発表した楽曲『ロマンスがありあまる』 (※7)〝ロス疑惑〟── 1981年〜1982年にかけて、アメリカ・ロサンゼルスで起こった銃殺、傷害事件。その容疑者となった三浦和義氏は当初被害者として同情が寄せられていたが、1984年

                                    藤原ヒロシが「文春砲」を逆取材! 藤原ヒロシvs『週刊文春』新谷学・白熱対談(前編) | JBpress autograph
                                  • 第1回『ニッポン放送とワタシ』 | 高田文夫のおもひでコロコロ | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93

                                    と~とつ。だしぬけに始まりました『高田文夫のおもひでコロコロ ~バウバウ昼ズ篇~』。五輪も終り気が付くと73歳、業界的にも人一倍、経験という名の知識と知性を持ち合せ、認知と実力まであわせ持つ私なので、忘れない内にさまざまメモり記憶しておこうと思い付きこうして始めた次第。自分で記しておかないと誰一人整理してくれないゴミのような過去と栄光。スケボーが「13歳 真夏の大冒険」なら私は「73歳 真夏の大冒険」だ。まだまだ若い者には負けられない負けず嫌い。否、勝たず嫌いなのだ。 追い追い業界50年の面白噺は書いていくとして第1回の今回はどうするか。 今さら略歴書いたり「好きな食べ物」など書いても仕方がないので…(あゝ、ギャラが派生しない原稿は筆が進まないな)。ダラダラとつづく限り書いていこうと思いますが、月に2~3回だなと思って頂ければ読む方も楽でしょ(読む人の身になって考えるという体に沁み込んだサ

                                      第1回『ニッポン放送とワタシ』 | 高田文夫のおもひでコロコロ | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93
                                    • いとうせいこうが語る「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」が結びつけた音楽と笑い | おんがく と おわらい 第6回

                                      2022年9月12日、作家・演出家の宮沢章夫が亡くなった。 彼が日本のサブカルチャーに与えた影響は計り知れない。その一部として劇団「遊園地再生事業団」での演劇活動、当時誰もが真似をしたエッセイの文体、「ニッポン戦後サブカルチャー史」(NHK)をはじめとするサブカルチャー研究などが挙げられるが、ここでは宮沢が1985年に立ち上げた演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」に焦点を当てる。 シティボーイズ(大竹まこと、きたろう、斉木しげる)、竹中直人、中村ゆうじ、いとうせいこうをコアメンバーとし、1989年まで活動したラジカル・ガジベリビンバ・システム。86年の公演タイトル「スチャダラ」がスチャダラパーの名前の由来となったのは有名だが、後年には星野源や放送作家・オークラをも虜にし、何より現在まで続く音楽とコントのフォーマットを作ってしまったのだ。一度でもお笑いライブを観に行った人ならば

                                        いとうせいこうが語る「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」が結びつけた音楽と笑い | おんがく と おわらい 第6回
                                      • “あらゆる恐さのニュージャンル”を求めて 角川ホラー文庫の三十年 | カドブン

                                        怪奇幻想ライター/書評家 朝宮運河 二〇二三年は、角川ホラー文庫創刊三十周年のメモリアルイヤーである。変化の激しい出版業界において、ホラージャンルに特化した文庫が三十年の長きにわたって存続したのは驚異的なことである。長年の読者として、祝福の意を表したい。 読者の中には、生まれた時から角川ホラー文庫が存在していた、という方も少なくないことだろう。ここで一度想像してみてほしい。もし三十年前に角川ホラー文庫が創刊されていなければ、多くのホラー作家がデビューの機会を逸し、無数の作品が埋もれていたはずである。それはホラーに興味を持つ読者の減少に繫がり、ホラージャンル全体の沈下を招いていたかもしれない。 専門の文庫レーベルがあるというのは、それだけ大きいことである。新人賞や専門誌の存在と並んで、ジャンルにとっての意義は計り知れない。この三十年の日本のホラー小説の発展は、角川ホラー文庫抜きに考えることは

                                          “あらゆる恐さのニュージャンル”を求めて 角川ホラー文庫の三十年 | カドブン
                                        • 有名人の死

                                          有名人の死更新情報忌日1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月死に様自殺-①岡田有希子ポール牧大杉君枝倉沢七海遠藤康子日高富明戸川京子沖田浩之ねこぢるチェ・ジンシル堀口綾子美咲沙耶沖雅也円谷幸吉田宮二郎川端康成U;Nee麻生美由樹カート・コバーン草柳文惠伊藤隆大畠山麦宮城宗典マイケル・ハッチェンスアドルフ・ヒトラー塩谷庄吾甲斐智枝美可愛かずみ太宰治犬丸りん南条あや古尾谷雅人松岡利勝井上大輔チャン・ジャヨンチョン・ダビンシャーンドル・コチシュ山田花子岡真史ジャック・マイヨールイルゼ・コッホ鈴木いづみ清水由貴子高野光森下直人ロベルト・エンケ三輪田勝利デュオ・クロムランクジム・ジョーンズマリアてるくはのる桂三木助(4代目)キム・ダウル有島武郎剣持勇御船千鶴子久野久レスリー・チャン若山セツ子加藤善博自殺-②翁美玲陳琳伊藤京子ルーシー・ゴードン阿知波信介ティック・クアン・ドック団優太シ

                                            有名人の死
                                          • 第11回 「イエロー・マジック」との闘い(その6)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま

                                            比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂本龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの好評連載、第11回の公開です! 1 カンヌ国際映画祭、ベルトルッチ監督との出会い 『戦場のメリークリスマス』は、1983年の1月半ばに完成し、同年5月末に予定された、この種の芸術映画としては大規模な全国公開に向けて、宣伝チームが動き始めた。その際にもっとも重視されたのが、公開直前に開催されるカンヌ国際映画祭への出品である。大島渚監督は前作『愛の亡霊』(1978年)でこの映画祭の監督賞を受賞しており、カンヌの最高賞であるパルム・ドールの受賞は悲願でもあった。 書籍『『戦場のメリークリスマス』知られざる真実 ――『戦場のメリークリスマス30年目の真実』完全保存版』(WOWOW「ノンフィクションW」取材班/吉村栄一)には、当時の関

                                              第11回 「イエロー・マジック」との闘い(その6)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま
                                            • 甲府UFO飛来事件!宇宙人とあった少年たち : 哲学ニュースnwk

                                              2023年07月19日23:30 甲府UFO飛来事件!宇宙人とあった少年たち Tweet 1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/07/22(木) 12:13:15.94 ID:??? 甲府に宇宙人たちが降り立った事件ですが未だに語られてる事件です。 真相を皆さんで推理してください! 1975年2月23日午後6時頃、甲府市立山城小学校2年生のいとこ同士の男子児童2名が帰宅途中にオレンジ色のUFOを目撃した[1]。 児童の話によると、UFOは二人を追いかけるように飛行して来たため、逃げて物陰に隠れたという。これにより彼らはUFOを見失うが、程なくブドウ畑に降り立ったUFOを再度発見し、機体から現れたチョコレート色でシワシワののっぺらぼう状態の搭乗者を目撃する。児童のうち1名は背後に回り込んだ搭乗者に肩をたたかれ、恐怖でその場に座り込んでしまうが、もう1人はその場から逃げて家族を呼びに行き

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                                              • 「おつき合いしてますよ」とあっさり認め…追悼「YMO」高橋幸宏 本誌が見た人柄とモテ男っぷり | FRIDAYデジタル

                                                『イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)』のドラマーでミュージシャンの高橋幸宏さんが亡くなったことが14日、わかった。享年70。死因は誤嚥性肺炎。20年に脳腫瘍の摘出手術を受けており、昨年9月にデビュー50周年記念ライブに向けてリハビリに励んでいたというが、残念ながらその願いは叶わなかった。 78年に坂本龍一(70)、細野晴臣(75)とYMOを結成し、シンセサイザーを駆使した新たなサウンドで『テクノポップ』という言葉を生み出し、80年代に世界的なテクノブームを巻き起こした。 「“教授”坂本龍一と、“天才”細野晴臣の間で自身のことを“凡人”と表現し、バンドのまとめ役に徹していた高橋さんですが、もちろん二人に匹敵する“天才”でした。もっとも“多才”という意味では高橋さんがずば抜けていたと思います」(音楽雑誌編集者) ピンクレディーや山下久美子をプロデュースし、竹内まりや、田原俊彦らに楽曲を

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                                                • 中学生女子の友達関係で悩んだら読んでおきたいお勧め本9選 - ガネしゃん

                                                  ガネしゃんです。 ご覧いただきありがとうございます。 中学生女子にとって、友達関係の悩みはたくさんあります。 教室の移動、一緒にお弁当を食べる友達、友達といる休み時間は短いけれど、友達がいないと時間が長い、いつも1人でいる所を見られるのが恥ずかしい… 色々悩んだりしていませんか? 今日はそんなあなたにお勧めの本をご紹介します。 中学生女子の友達関係で悩んだら、読んでおきたいお勧めの絵本 友達ってなんだろう ざりがにのなくところ カラフル 君のともだち ハッピーバースデー さよならブラックバード ちいさなあなたへ わたしはマララ 西の魔女が死んだ 友達ってなんだろう みんなと友達であろうとしないこと。 みんなと友達になることは100%あり得ないです。 10人いてたらそれぞれ個性があって、苦手な子、気の合う子、まあまあな子にわかれるハズです。 あなたは、その中で一緒にいてると楽しい。いつも笑顔

                                                    中学生女子の友達関係で悩んだら読んでおきたいお勧め本9選 - ガネしゃん
                                                  • 統一教会と自民党のお話、今から30年前の月刊誌『噂の真相』をスキャンしました|水野誠志朗

                                                    統一教会と自民党のお話、今から30年前の噂の真相1992年6月号をスキャンしました。 この時代から統一教会と自民党が蜜月だったことがよくわかります(まあ、噂真記事を信じればですがw)。 記事を読むと自民党左派はこれだからいかんと右巻きの人は思うでしょうけど、その統一教会とずっとつながっていたと思われるのが、このあと93年に国会議員となる安倍氏でもあるわけで、世の中は本当によくわかりません。 結果、30年後にこのようなことに至ったのを、右巻きの人も左巻きの人もよくお考えいただく材料になればと。 その前提知識として、 当時の自民党副総裁・金丸信は1990年8月、中華人民共和国を訪問して北朝鮮訪問に向けた協力を要請した。同年9月には日本社会党の田辺誠らと訪朝団を団長として編成した(金丸訪朝団)。 1992年3月、栃木県足利市で山岡賢次の応援演説中に右翼の銃撃を受けるが、弾丸は全て外れ、金丸は助か

                                                      統一教会と自民党のお話、今から30年前の月刊誌『噂の真相』をスキャンしました|水野誠志朗
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