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生きることの検索結果1 - 19 件 / 19件

  • 【漫画】パラダイムシフト①ぼくんち こんな感じの漫画です、表現とか苦手.. | -EMI- さんのマンガ | ツイコミ(仮)

    作者:-EMI-,e3_noguchi, 公開日:2017-09-29 18:16:31, いいね:5082, リツイート数:1903, 作者ツイート:【漫画】パラダイムシフト①ぼくんち https://t.co/pJJ3ZVhBYF こんな感じの漫画です、表現とか苦手な方はすみません

      【漫画】パラダイムシフト①ぼくんち こんな感じの漫画です、表現とか苦手.. | -EMI- さんのマンガ | ツイコミ(仮)
    • 夜勤明けの帰り電車を待つ

      現在私は工場勤務で、昼勤夜勤を繰り返す部署にいる。工場の御多分に洩れず、最寄り駅に各駅停車しか止まらないような田舎に職場があり、住んでいるのも各駅停車しか止まらない安さだけが売りのアパートである。夜勤の場合、いつ終わっても30分は電車を待つ必要がある。 私は、かつてこの30分が嫌いで仕方がなかった。 工場勤務は退屈である。ただ同じ作業を繰り返すのみ。作業をしながら考え事をするか、うるさい環境を利用してそこそこの音量で歌うくらいしか退屈しのぎがない。そんな退屈が終わった後に30分も無為な時間を過ごしたくない、早く帰って飯食って酒飲んで寝たい、以外の感情がなかった。 去年の今頃、勤務中退屈しのぎに考えていたことを、30分の退屈しのぎに文章に起こすことを始めた。工場勤務者の御多分に洩れず、私は頭が良くない。私がそれまでに書いた文章なんて、2ページと1行の読書感想文が恐らく最長だろう。四苦八苦しな

        夜勤明けの帰り電車を待つ
      • 訃報:経済評論家・山崎元さんが死去――資産づくりに正義を乗せて | トウシル 楽天証券の投資情報メディア

        経済評論家で元・楽天証券経済研究所の山崎元(やまざき・はじめ)さんが1月1日、死去した。65歳だった。通夜・葬儀は行わず、近親者のみにて見送った。 ■ご遺族から 山崎 元は1月1日に永眠致しました。 ここに謹んでご報告申し上げます。 長い間、「ホンネの投資教室」を楽しみに読んで下さいましてありがとうございました。 生前に山崎が賜りましたご厚情に、遺族より深く感謝申し上げます。 1月5日 妻・山崎 薫、妹・山崎 由愛 ■山崎元さんの足跡 1981年に東京大学経済学部を卒業。三菱商事や住友信託銀行(現・三井住友信託銀行)、メリルリンチ証券(現・BofA証券)など12回の転職を経て、2005年に楽天証券経済研究所客員研究員。2023年3月に退職し、経済評論家として活動。北海道出身。 トウシルの連載「ホンネの投資教室」では、15年間にわたり約500本の記事を執筆。世に出回る情報を疑い、自身が正しい

          訃報:経済評論家・山崎元さんが死去――資産づくりに正義を乗せて | トウシル 楽天証券の投資情報メディア
        • いいなと思うもの

          ・水族館や動物園で、説明文を読んで得たばかりの知識を、同行者になぜか少し得意げに披露している人の声を聞きながら、動物や魚を見ている瞬間 ・いいパン屋でいい惣菜パンを買って、包み紙に油が染みているのを見たとき ・新しいゲーム機の初期設定をしているときの、焦れるようなワクワクするような感じ ・ロイヤルホストなどのファミレスの看板が、雲ひとつない青空をバックにゆっくり回転している ・22時22分 ・式典のために用意された、デカい花瓶に入ったデカい生花の近くを通ったときに感じる、強い花の匂い ・12月の雨の日、降っているものにあられが混じっていることに気がつく瞬間 ・春先に飛んでるオレンジ色のチョウチョ(ツマグロヒョウモン!) ・夏場に美術館や博物館に行ったときの、圧倒的な涼しさ(案外人は多くて、静かさはない) ・自転車でネコの横を通り抜けるときにネコが見せる、いつでも動けるように緊張した姿(実際

            いいなと思うもの
          • 人生ってマジでなんなんだよ

            とにかく労働が多すぎるし、そこに目を瞑ることが仮にできたとしたって、病気とか事故とかそういうイヤ〜な要素はかなりある しかも避けられない コンテンツとして、間違いなく「万人受けする」とは言えないだろこれ 俺はこのコンテンツめちゃくちゃ嫌いですよ メイン部分が本当に受け付けない 自由意志でやるかやらないかを選べるなら、絶対にやらないと断言できる 他人に勧めるか?と言われたら、絶対に勧めない 人生を始めるかどうか迷ってる人がいたら、本当にやめておけ!というと思う で、俺、これ勝手に始めさせられてんだよな マジで納得がいかない カンタンにやめられるならまだ許せたし、もうとっくにやめてるだろうけど、実際やめるのも結構難しい 昔一回やめようとして失敗してそこそこの騒ぎになったし… なんかこう、「客観的に見て好みが分かれるうえにメチャクチャ長いコンテンツを、他人に強制的に摂取させて、やめることは許さな

              人生ってマジでなんなんだよ
            • 亡きホームレス女性、ノートに残した暮らしと思い「美しい夕陽」「今日も書けた、読めた、歩けた…」:東京新聞 TOKYO Web

              9年前の年末、東京都内のとある公園でホームレスの女性が亡くなった。ブルーシートのテントに残されていたのは30冊以上のノート。極貧下、理不尽な暴力にさらされながらも、自分らしく生きた日々が記録されていた。有志の女性たちが文章を書き起こし、出版を目指している。(中村真暁)

                亡きホームレス女性、ノートに残した暮らしと思い「美しい夕陽」「今日も書けた、読めた、歩けた…」:東京新聞 TOKYO Web
              • 思い出す という幸せ

                彼女は居ないし収入も低く、自由に使える時間もそれほど多くはない。毎日疲れ果てて家に帰り、健康に悪そうな食べ物を胃に放り投げたら、冷えが厳しい浴室で水圧の弱い湯を浴びる。薄暗い静かな部屋で、安酒を呷りながら明るく賑やかなテレビ画面を眺めていると、いつの間にか眠りに落ちている。そんな毎日だ。 でも俺には、日曜の夜だけのささやかな楽しみがある。「思い出す」ことだ。祖母の家で食べた大きなスイカ。いとこと夢中になって遊んだ競馬のメダルゲーム。修学旅行で友達と乗った保津川のライン下り。塾で目が合った他校の女の子。貯めたバイト代を握りしめて行った地元のバイク屋。職場で優しくしてくれた、親父と同い年の上司。思い出せる限り詳細に、記憶の縁を辿っていく。綺麗な思い出は、いつだって俺に優しい。 どれもこれも、今となっては戻ることの無い遠い過去だ。しかし、だからこそ貴重なものだ。物の本当の価値に気付くのは、いつだ

                  思い出す という幸せ
                • 「そうなれたかもしれない自分」を体現する他人から目をそらす - やしお

                  他人に嫉妬を覚えて、嫉妬している自分自身も嫌になる、という体験はそれなりにありふれている。 ある程度は、嫉妬している機序を丁寧に追うことで、妬ましさを羨ましさに転換できたりする。自分がその人の何を妬ましく思っているのか特定して、嫉妬を羨望に変えられれば、苦しさからある程度は免れられる。 それでも時々、羨望に変えることもできずに、その人を見るとどうしようもなく自分が嫌になって耐えられない、というような他人がいたりする。 先日テレビ番組で、指原莉乃氏とフワちゃん氏が、「誰とは絶対に言わないが、自分にもそういう人がいる」と言っていた。救済と絶望が同時にあるような話だと思った。 「さしフワご相談ナイト」(3/1放送)という番組名で、指原・フワ両氏でお喋りするというコンセプトだった(フワちゃん自身が企画した)。「ご相談」とある通り、二人への相談を募り、相談者も実際にリモートで登場しながら二人がその相

                    「そうなれたかもしれない自分」を体現する他人から目をそらす - やしお
                  • 毎日終わるのを待つだけ

                    今日もやっと終わった(朝が早いから終わるのは早い) 月曜日嫌だなあ、朝嫌だなあ、仕事行きたくないなあって思いながら今朝を迎えて ずーっとお昼休みを待って(今日はお蕎麦だった)。ご飯を食べ終わったらすることがないから。同僚と話しながらお昼休みが早く終わらないかなあと待って(子どもがハムスターを飼うらしい)。 それからずーっと就業時間を待って。帰りの電車を待って。電車が駅に着くのを待って。スーパーでコロッケとパックのご飯をカゴに入れて、レジを待って。 家に帰ってきてエレベーターを待って。レンジの前でコロッケとご飯があったまるのを待って。 油でベショベショになってしまったコロッケとご飯とカットキャベツを食べて。洗濯機が終わるのを待って。干して乾くのを待って。 もうすることがない。あとは寝る時間を待つだけ。テレビをつけて、テレビを消して、増田を見て、5chのチラ裏に少しだけカキコして、増田を見て、

                      毎日終わるのを待つだけ
                    • イタリアで初の「安楽死」 四肢まひの男性

                      イタリア・ローマの憲法裁判所(2011年1月11日撮影、資料写真)。(c)FILIPPO MONTEFORTE / AFP 【6月17日 AFP】イタリアで16日、四肢まひの男性が「安楽死」した。同国倫理委員会に認められた初めての事例となった。男性を支援していたルカ・コシオーニ協会(Luca Coscioni Association)が明らかにした。 男性は元トラック運転手のフェデリコ・カルボーニ(Federico Carboni)さん(44)。特別な機械を使って致死薬を自身に投与し、家族と友人にみとられて亡くなった。 医療支援によって命を絶ったため、厳密には自殺ほう助に当たる。イタリアでは自殺ほう助は5~12年の禁錮刑が科される犯罪だが、憲法裁判所は2019年、自分の意思に基づいて判断でき、かつ「耐え難い」苦痛を抱えている人に対するほう助は必ずしも犯罪に該当しないと判断した。 倫理委は昨

                        イタリアで初の「安楽死」 四肢まひの男性
                      • 予備校の頃にいつも淡々と講義をしていた古文の講師が唐突に”生きるとはどういうことか”を語り、また淡々と授業に戻った「あの数分は教育だった」

                        編集者 @74no_editor 平日は会社で雑誌や書籍の編集、休日は仲間と自費のリトルプレスの制作。常に本をつくっています。/『鍵のかかった文芸誌』の詳細はこちら( kagi-bun.stores.jp/items/64d490fa… ) kagi-bun.stores.jp/items/64d490fa… 編集者 @74no_editor 予備校の頃、いつも淡々と講義をしていた古文の講師が唐突に「歳をとるとは可能性を失ってゆくことですが、その失った可能性に呪われず、潔く手放しながら残った手札でいかにやりくりするか。それが生きるということだと思います」と語り、また淡々と授業に戻った。あの数分は教育だった。 2024-02-16 22:04:43

                          予備校の頃にいつも淡々と講義をしていた古文の講師が唐突に”生きるとはどういうことか”を語り、また淡々と授業に戻った「あの数分は教育だった」
                        • 産まれたくなかったのに何故自殺しないのか?

                          自分の場合はこんな感じ ・友人にショックを与えるのが怖い 今ある友人付き合いは古くからのもので、彼らと知り合ったころにはまだ具体的に自殺まで考えていなかった あらかじめこうなるとわかっていたら、最初から仲良くならないという選択肢があったかもしれない ・迷惑かけない自殺方法がわからない これについてはもう、ある程度はやむを得ないかもしれない なるべく周囲への迷惑が最小限になる方法をいろいろ考えてはいる ・死ぬときの苦痛が怖い これももう覚悟するしかないとは思っているが、まだ覚悟ができない ・というか死ぬのが怖い 生きることに伴う諸々が嫌なのであって、死を体験したいわけじゃないんだ… むしろ死の恐怖も、産まれたくなかった理由の一つになり得ると思うのだが

                            産まれたくなかったのに何故自殺しないのか?
                          • 「癌」になって、考えたこと、感じたこと(5)|Hajime Yamazaki(山崎元)

                            さて、客観的に「持ち時間」を予想し、これに対応して、一方で「希望」も捨てないことが、共に重要だということが、もともとの筆者の主張であった。 この考え方は、幸福の追求がぎりぎりまで出来ること、と「人生の通算成績」は死後に持って行くことは出来ないということの二つの強力な事実によって支えられている。 とは言え、「予想」される持ち時間が、急に短縮されてしまった場合にこれにどう向き合うかは精神的にもハードな作業だ。 筆者は、先ず2023年の3月に再発が分かった時に余命平均ベースで半年、悪いケースで3か月の「持ち時間」を覚悟した。その後、11月から12月にかけて急速に体調が悪化した時に、平均で2か月、最悪で1か月と意識した。このような場合、何をするかの選択は、最悪のケースの方を意識して行うべきものだろう。 2年、3か月!、1か月!!。原理は同じはずなのだが、1か月ともなると、向こう側からも時間がこちら

                              「癌」になって、考えたこと、感じたこと(5)|Hajime Yamazaki(山崎元)
                            • 人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短 #わたしがやめたこと - りっすん by イーアイデム

                              文 長井短 誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、モデル・俳優として活躍する長井短さんに寄稿いただきました。 長井さんがやめたのは、人に好かれるために「雑魚」になること。 初対面の相手に「なんか気取っている」と警戒されることの多かった長井さんは、あるときから外見と内面のギャップを解消するため、自ら率先して「雑魚キャラ」を演じ始めます。しかし、次第に演じることに「痛み」を感じるようになり、思い切ってやめてみると途端に視界が開けたそう。 今では「思いたいように思ってください」とまで思えるようになったという長井さんに、これまでの「スーパー雑魚キャラ劇場」を振り返っていただきました。 ***生まれてから27年がたって、片時も離れずに一緒にいるものはかなり少なくなってきた。一緒に寝ていたぬいぐるみとも、暮らしていた実家とも、育ててくれた両親とも離れて過ごすよう

                                人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短 #わたしがやめたこと - りっすん by イーアイデム
                              • 「伝統的な男性像」にうんざり…米国で人気のサポートグループ

                                米マサチューセッツ州シェフィールドにあるロッジで開かれた男性向けサポートグループのセッション(2019年12月6日撮影)。(c)Angela Weiss / AFP 【2月20日 AFP】米マサチューセッツ州の都市部から離れたあるロッジに、男性のグループ十数人が集まっていた。そのうちの一人、ルーカス・クランプ(Lucas Krump)さん(40)は、他の男性らを前に、目に涙を浮かべながら自らの胸の内を明かした──。クランプさんが参加しているのは、最近、米国人男性の間で人気が高まっているサポートグループだ。 「もうだめだと思ったことが今年は何回かあった」と、クランプさんは他の参加者たちに向かって発言した。グループの参加者らは全員、「伝統的な男性像」にうんざりしている人たちだ。 このグループには、12人の男性が参加している。多くは20~60代の白人だ。このようなグループに、セッションや合宿とい

                                  「伝統的な男性像」にうんざり…米国で人気のサポートグループ
                                • 「電気より食べ物を優先した」俳優の大東駿介さん〝育児放棄〟された過去 ドアを突き破ってくれた親友(withnews) - Yahoo!ニュース

                                  小学3年生で父親、中学2年生のときに母親がそれぞれ蒸発。ネグレクトの家庭で育った、俳優の大東駿介さん。なかなか「助けて」とは言えない当事者としての心境や、前を向くために諦めたこと。そして、今虐待に苦しむ人たちへのメッセージを、笑下村塾のたかまつなながYouTubeでインタビューしました。 【写真】10年前の大東駿介さん、育児放棄された過去を持ちながら俳優、モデルとしてデビューした 「俺は普通の人じゃなくなったんや」、育児放棄された自分を憎んだ――大東さんは、ネグレクトに遭われていたとお聞きしました。ネグレクトも児童虐待の1つですが、いつ、どういう虐待に遭われてたんですか。 大東: 当時は虐待と認識していたわけではないのですが、小学校3年生ぐらいのときかな、父親がいなくなって。母親の井戸端会議で、両親が離婚していたことを知り、親戚からは父親は失踪したのだと聞きました。 中学2年生になると、今

                                    「電気より食べ物を優先した」俳優の大東駿介さん〝育児放棄〟された過去 ドアを突き破ってくれた親友(withnews) - Yahoo!ニュース
                                  • 人生の秋(黄金の終わりに) - 関内関外日記

                                    ふと気づいてみれば、おれは人生の秋を生きていた。 これといった種も蒔かず、水もやらず、おれはまったくの空っぽだ。 ただ、年齢に刻まれる数字だけは否定しようがない。 知り合いの知り合いの話。その人は余命数ヶ月の宣告をされた。 その人は身辺整理をし、死にのぞんだ。 ところが、認可されたばかりの新薬がぴったりと効いて、病気が治ってしまった。 一度死んだ身と、福祉に関するボランティアを精力的にこなしている。 その人が言うには、今どきは年齢に0.7をかけたくらいでちょうどいいという。 おれは40になるので、28歳。なるほど、おれはそのていどくらいかもしれない。 まあ、おれが何歳であろうと、おれが一人であることはかわりない。 おれがおれを一人と思うとき、おれは愉悦のようなものすら感じてしまう。 おれは一人で、人生の秋をむかえた。 この世界の黄金の終わりに。 寒い部屋で一人。一人死ぬとき。 公園にいるす

                                      人生の秋(黄金の終わりに) - 関内関外日記
                                    • “働いて家賃を払う”だけが生活なの?「家をせおって歩く」男は問いかける

                                      アーツ千代田 3331が企画した「夏の3331 こども芸術学校 2019」で、村上さんのワークショップはわずか8分で完売したらしい。みんなの関心の高さが伝わってくる。

                                        “働いて家賃を払う”だけが生活なの?「家をせおって歩く」男は問いかける
                                      • 52歳童貞だけど、自然に任せてればみんな童貞じゃないですかね

                                        52歳童貞だけど、自然に任せてればみんな童貞じゃないですかね

                                          52歳童貞だけど、自然に任せてればみんな童貞じゃないですかね
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