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第二次世界大戦の検索結果41 - 80 件 / 81件

  • 「慰安婦は売春婦」のラムザイヤー論文で、アメリカは日本の歴史修正主義に目覚めた

    2007年、従軍慰安婦について「旧日本軍 が強制的に連行した証拠はない」とした当時の安倍晋三首相に抗議する台湾の元慰安婦(台北) Richard Chung (TAIWAN)-REUTERS <慰安婦制度は日本軍による「性奴隷制度」だったことは学術的に立証済みなのに、なぜ今更このような論文が出てきたのか。いずれにせよ、米学会では撤回要求が殺到している> 2020年12月、ハーバード大学のJ・マーク・ラムザイヤー教授が、「太平洋戦争における性行為契約」という論文を"International Review of Law and Economics"に発表した。ゲーム理論を用いて日本軍「慰安婦」制度が単なる「商行為」であったことを示そうとする試みで、国際的な問題となっている。 この論文は経済専門誌の査読を経て発表されたものだ。それにもかかわらず資料に書かれている内容とは真逆の帰結を導き出したり

      「慰安婦は売春婦」のラムザイヤー論文で、アメリカは日本の歴史修正主義に目覚めた
    • 戦前~戦後のレトロ写真 on Twitter: "米国の食生活絡みで、これも何回もあげてますが、昭和18年(1943年)の『生活科学』という雑誌より。 米軍はこんな良い物を食べないと頑張れないんだぞ、こんな奴らに負けるはずがないという記事です。 https://t.co/nsQ4uGKnk2"

      米国の食生活絡みで、これも何回もあげてますが、昭和18年(1943年)の『生活科学』という雑誌より。 米軍はこんな良い物を食べないと頑張れないんだぞ、こんな奴らに負けるはずがないという記事です。 https://t.co/nsQ4uGKnk2

        戦前~戦後のレトロ写真 on Twitter: "米国の食生活絡みで、これも何回もあげてますが、昭和18年(1943年)の『生活科学』という雑誌より。 米軍はこんな良い物を食べないと頑張れないんだぞ、こんな奴らに負けるはずがないという記事です。 https://t.co/nsQ4uGKnk2"
      • 朝日新聞フォトアーカイブ on Twitter: "@oldpicture1900 とても貴重な写真ですね!こんな鉄兜を持って通勤されていたとは…考えさせられます。弊社には、1944年に増産のため工場へ出勤する女子挺身隊の写真が残っていました。「男たちは戦場に駆り出され、国内の労働… https://t.co/a0GVDwiJfO"

        @oldpicture1900 とても貴重な写真ですね!こんな鉄兜を持って通勤されていたとは…考えさせられます。弊社には、1944年に増産のため工場へ出勤する女子挺身隊の写真が残っていました。「男たちは戦場に駆り出され、国内の労働… https://t.co/a0GVDwiJfO

          朝日新聞フォトアーカイブ on Twitter: "@oldpicture1900 とても貴重な写真ですね!こんな鉄兜を持って通勤されていたとは…考えさせられます。弊社には、1944年に増産のため工場へ出勤する女子挺身隊の写真が残っていました。「男たちは戦場に駆り出され、国内の労働… https://t.co/a0GVDwiJfO"
        • GHQが「洗脳」?実態は 賀茂道子さん、保守論壇「自虐史観植え付けた」説を史料で探る|好書好日

          「ウォー・ギルト・(インフォメーション・)プログラム」という言葉が保守論壇で流行している。第2次世界大戦後の占領軍の計画で、日本人は洗脳され、自虐史観に塗り替えられたというのだ。その全体像を膨大な史料から探った著作が公刊された。本当に日本人は洗脳されたのか。研究の結果から著者は「洗脳されたとは思えない」という。 「体系的な施策ではなかった」 著作は『ウォー・ギルト・プログラム――GHQ情報教育政策の実像』(法政大学出版局)。著者は賀茂道子・名城大学非常勤講師(日本政治外交史)だ。 この言葉は、文芸評論家の故・江藤淳氏が1989年の『閉(とざ)された言語空間』(現在は文春文庫)で紹介した。GHQ(連合国軍総司令部)の文書から見つけた江藤氏は、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と表記した。現在の保守論壇はWGIPと略す。 ◇ 代表的な施策が二つあったとされる。GHQの一部門CI

            GHQが「洗脳」?実態は 賀茂道子さん、保守論壇「自虐史観植え付けた」説を史料で探る|好書好日
          • なぜナチスは「音楽」を使って大虐殺と集団レイプを「盛り上げた」のか? | ナチスの「大虐殺カーニバル」を研究した歴史学者が紹介

            「NO MUSIC NO LIFE」といった宣伝文句もあるくらい、音楽は人類にとって不可欠の芸術だ。だが、音楽が人の生を奪う現場で活用されることもある。ナチスのアウシュビッツ強制収容所などでの事例を研究した歴史学者が、その不穏な調べを紹介する。 1943年12月、20歳のルツ・エリアスは、家畜運搬車でアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所に到着した。 彼女が割り当てられたのは、「ブロック6」のバラックだった。そこには、若い女性たちと男性捕虜の楽団員たちが収容されていた。 その楽団は、バイオリン奏者、クラリネット奏者、アコーディオン奏者、打楽器奏者のアンサンブルで、捕虜たちが日課の強制労働に向けて隊列行進するときはもちろん、むち打ち刑に処されるあいだも演奏させられた。 ナチス親衛隊(SS)の気まぐれで、楽団が即興演奏させられることもあった。エリアスは、戦後のインタビューのなかで、酔っ払ったSS

              なぜナチスは「音楽」を使って大虐殺と集団レイプを「盛り上げた」のか? | ナチスの「大虐殺カーニバル」を研究した歴史学者が紹介
            • 「命のヴィザ」言説の虚構 菅野 賢治(著) - 共和国

              紹介 第2次世界大戦中、ナチスの〈ホロコースト〉からユダヤ難民を救うために、リトアニアの在カウナス日本国総領事館から発給された、「命のヴィザ」をめぐる物語。しかし、そのヴィザの真の目的は何だったのか。1940年夏のリトアニアで、いったい何が起きたのか。 ニューヨークのユダヤ系機関に保管されている第一級資料にメスを入れ、「神話」から歴史の真実を取り戻し、「もう一つの脅威」をあらわにする迫真の学術ドキュメント。 「日本のシンドラー」に関する伝説は、今後、本書によって書き換えられなければならない。 ◎徹底的に歴史の細部を検証する648ページ。主要関係者人名録、関連年譜、索引、参考資料を附す。 ◎ブックデザイン:宗利淳一 目次 ----- はじめに ----- 本書の主眼 JDC資料――文書保存の重要性 スルガイリスの史料研究 既存言説と一次資料、その驚くばかりの齟齬 ----- 第一章 リトアニ

                「命のヴィザ」言説の虚構 菅野 賢治(著) - 共和国
              • 【デマ】アジア諸国の首脳が太平洋戦争における日本の功績を認めているといういくつかの「名言」は存在しない - ネルー編 - 電脳塵芥

                https://twitter.com/IJza1MaI3JwSIfe/status/1486809760829952002 というツイートが少しバズっていたので、ちょっとこれらの発言について。これらの「名言集」の様なものはこのツイート以外にも氾濫しており、中には本当の発言もある事は事実でしょう。とはいえそれらが全て事実かというと……、と結論みたいな事をもう書きましたがそれぞれの発言を見ていきます。この3つの発言を全て一つの記事にするとかなり膨大になってしまうのでまずはインド初代首相ネルーの発言から見ていきます。 なお、それぞれの発言には細かなところが違う亜種がいくつか存在するので下記に引用する発言は該当ツイートの画像の文言とは異なります。そこだけは悪しからず。 ではまずジャワハルラール・ネルー(インド初代首相)の発言から見ていきます。 ・スカルノ編 発言の出典はどこか 彼ら(日本)は、謝

                  【デマ】アジア諸国の首脳が太平洋戦争における日本の功績を認めているといういくつかの「名言」は存在しない - ネルー編 - 電脳塵芥
                • バイデン氏、原爆謝罪せず 米高官、G7の一員強調 | 共同通信

                  【ワシントン共同】サリバン米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は17日、先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)に合わせて広島を訪問するバイデン大統領が、原爆投下について謝罪する考えはないと明らかにした。平和記念公園を訪れる際に「意思表示はしない」と述べ、他のG7首脳と共に「歴史と、広島が地元である岸田文雄首相への敬意を示す」と説明した。 バイデン氏は広島滞在中、原爆資料館や原爆慰霊碑を訪れる。サリバン氏は「献花などを行うが、バイデン氏にとっては2国間の意味合いではない」と述べ、あくまでG7の一員としての行動だと強調した。

                    バイデン氏、原爆謝罪せず 米高官、G7の一員強調 | 共同通信
                  • ナチス迫害から逃れたユダヤ人救った樋口中将 顕彰する銅像 米戦略家らが建立委員会設立

                    第2次世界大戦直前、ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救った陸軍中将、樋口季一郎(明治21年~昭和45年)の功績を顕彰する銅像を樋口の出身地、兵庫県南あわじ市などに建立する計画が進んでいる。12日までに孫の明治学院大学名誉教授の隆一氏を代表とする銅像建立委員会が設立された。 設立委員には、南あわじ市の守本憲弘市長や戦略論研究で世界的権威の米歴史学者であるエドワード・ルトワック氏らが名を連ね、来年秋、南あわじ市の伊(い)弉(ざ)諾(なぎ)神宮などに銅像建立を目指し、5月に一般社団法人を設立し、約2000万円の寄付を募る。 樋口中将はハルビン特務機関長だった昭和13(1938)年、ナチスの迫害を逃れソ連を通過してソ連・満州国境に逃れながら立ち往生していたユダヤ難民を満州国に受け入れ、脱出ルートを開き、救出人数は2万人とされている。 この2年後の40年、リトアニアのカウナスで杉原千畝領事代理が命

                      ナチス迫害から逃れたユダヤ人救った樋口中将 顕彰する銅像 米戦略家らが建立委員会設立
                    • 沖縄激戦地で発掘された「存在しない名字のハンコ」 ついに遺族との接触に成功 | デイリー新潮

                      「週刊新潮」の発売前日に速報が届く! メールマガジン登録 デイリー新潮とは? 広告掲載について お問い合わせ 著作権・リンクについて ご購入について 免責事項 プライバシーポリシー データポリシー 運営:株式会社新潮社 Copyright © SHINCHOSHA All Rights Reserved. すべての画像・データについて無断転用・無断転載を禁じます。

                        沖縄激戦地で発掘された「存在しない名字のハンコ」 ついに遺族との接触に成功 | デイリー新潮
                      • 日本共産党・宮本氏 「ロシアのウクライナ侵攻に反対なら、過去の戦争も反省しろ」 : 痛いニュース(ノ∀`)

                        日本共産党・宮本氏 「ロシアのウクライナ侵攻に反対なら、過去の戦争も反省しろ」 1 名前:(日本のどこかに) [US]:2022/03/19(土) 12:32:44.37 0 宮本徹@miyamototooru ゼレンスキー大統領が真珠湾攻撃を引き合いにだした途端に、きびすを返す人がいますが、 ロシアのウクライナ侵略に反対なら、日本の過去の侵略戦争も反省しないと。 https://twitter.com/miyamototooru/status/1504772806474547208 10: ガンシクロビル(香川県) [FI] 2022/03/19(土) 12:35:38.39 ID:+6LwSCQU0 で?っていう 13: ジドブジン(やわらか銀行) [ニダ] 2022/03/19(土) 12:36:19.08 ID:x81rlNe50 何年反省したらいいの? 14: アタザナビル(や

                          日本共産党・宮本氏 「ロシアのウクライナ侵攻に反対なら、過去の戦争も反省しろ」 : 痛いニュース(ノ∀`)
                        • ソ連軍、北海道全体の占領を検討・対馬や済州島にも野心…ロシアの公文書に記録

                          【読売新聞】 第2次世界大戦の日本の敗戦を機に、当時のソ連軍が北海道全島をはじめ、対馬や朝鮮半島南部の港など広範囲の占領を検討していたことが、ロシア連邦外交政策文書館がオンラインで公開している公文書に記録されていた。記載内容を、岩手

                            ソ連軍、北海道全体の占領を検討・対馬や済州島にも野心…ロシアの公文書に記録
                          • 旭日旗やかぎ十字を描いた戦中の子ども用茶わん、愛媛県で見つかる | 毎日新聞

                            戦中に生産・流通したと思われる子ども用茶わんが愛媛県愛南町内で採集された。軍事同盟である日独伊三国同盟(1940年調印)の影響か、当時のイタリア、ナチスドイツ国旗や旭日(きょくじつ)旗を描いた戦時色濃い茶わんがある一方、カラフルなワンピースの少女と鳩(はと)をあしらった夢のある絵柄も。採集した多田仁(じん)・同県埋蔵文化財センター係長が考古学研究誌「愛媛考古学」に発表した。 茶わんはいずれも破片で、多田さんが2017年に愛南町の山地で採集した。戦時中に軍旗・軍艦旗として使われた旭日旗の絵柄が入った茶わんには統制陶器(ことば欄参照)であることを示す「岐507」の統制番号があり、現在の岐阜県土岐市にある「土岐津陶磁器工業組合」加盟業者の産とみられる。また、少女の茶わんは統制番号から、同県多治見市の「西南部陶磁器工業組合」傘下の業者によるものとされる。当時のイタリア国旗や…

                              旭日旗やかぎ十字を描いた戦中の子ども用茶わん、愛媛県で見つかる | 毎日新聞
                            • 「俺の死に場所はここだ」――覚悟を決めた真珠湾攻撃 103歳の元搭乗員の証言(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

                              東京都区部の集合住宅。近隣には保育園や公園もあり、夕方になると子どもの声も聞こえてくる。指定された場所に着くと、高齢の男性がこっちこっちと手を振っていた。吉岡政光さん、103歳だ。 「もう年ですから、なかなか足が思うように動かないんですよね」 照れたように笑い、ゆっくりと部屋に戻る。リビングの一角には九七式艦上攻撃機の模型が飾ってあった。 毎年12月8日が来ると、吉岡さんは古い記憶を思い出す。80年前の1941年、日本海軍が行ったアメリカ・ハワイ州の真珠湾軍港への奇襲攻撃。吉岡さんは攻撃に参加した艦載機(航空母艦に搭載される航空機)の搭乗員だった。長年、自分の子どもたちにもそのことは話してこなかった。 「負けた戦争ですし、仲間も死んでいますし、恥ずかしい思いがあったんですかね。でも、考えてみたら、あの時のことを忘れられても困る。それで話すことにしたんです」 1918(大正7)年、石川県に生

                                「俺の死に場所はここだ」――覚悟を決めた真珠湾攻撃 103歳の元搭乗員の証言(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
                              • 強制収容所・人種差別と闘った日系アメリカ人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

                                様々な形で「収容所」を克服しようとした日系アメリカ人たち 第二次世界大戦中、日系アメリカ人がアメリカ政府の政策により強制収容所に収容されたことは非常によく知られています。 日系人に対する不当な扱いは後に問題視され、1989年に大統領ジョージ・H・W・ブッシュは、存命中の元収容者に対して謝罪と賠償金の支払いを行うことを表明しました。 戦後40年以上たってようやくアメリカ政府が過ちを認めたその背景には、収容所を生き延びた日系アメリカ人の人々の協力で粘り強い働きかけ、そして社会的な成功があってのことでした。 今回は非常に高名な日系アメリカ人で、日系や社会的弱者の地位向上、差別の撤廃を目指す運動など、それぞれの形で「祖国アメリカ」と向き合った人物をピックアップします。 1. ゴードン・ヒラバヤシ(1918-2012) Photo by "Image courtesy of the Koremats

                                  強制収容所・人種差別と闘った日系アメリカ人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
                                • 第二次世界大戦時の「敵性民間人」強制収容 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

                                  Photo credit: Central Archive of the Republic of Karelia 世界中にあった民間人強制収容 第二次世界大戦中の強制収容所と言えば、ナチス・ドイツによるユダヤ人強制収容所がよく知られています。 ナチス・ドイツはユダヤ系住民を国内から追放しマダガスカルに移住させようと試みますが失敗に終わったため、強制収容所に送り込んだ上で根絶させる政策を実行しました。 このような特定の人種集団の絶滅を図るのは悪辣極まりなく、いくら糾弾してもし足りないほどです。 一方で、枢軸国のみならず連合側の国にも強制収容所はあり、自国内の「敵性国民」が敵国と通じて攪乱や暴動、スパイ活動を行うことを防ぐため、有無を言わさず強制的に送り込まれるケースが多くありました。 1. 日系アメリカ人強制収容 社会の根強い人種差別が反映された政策 アメリカにおける日系人・日本人移民に対す

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                                  • 至る所に遺体、無謀な「インパール作戦」とは 100歳の元日本兵男性、当時振り返る | 社会 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE

                                    77年前の7月初旬、第2次大戦で日本軍はインド北東部を攻略する「インパール作戦」を中止した。物資が不足した日本兵の撤退路は餓死や病死が続出。道端に放置された遺体は高温多湿な環境で腐敗が早く、やがて白骨化した。「白骨街道」と呼ばれた死と隣り合わせの道を踏破した元陸軍伍長の松田善兵衞さん(100)=福井県敦賀市=は「わしもこんなんなるのかなと思った。でも、もう一度(敦賀市の)杉箸の地を踏まないと、と歩いた」と当時を振り返った。 ⇒【写真】インパール作戦を紹介する雑誌に掲載されている行軍する日本兵 1942年に敦賀連隊に入営し、中国に駐留した。その後、補充兵としてインパール作戦の主力を担った3師団のうちの一つ、通称「祭兵団(まつりへいだん)」(第15師団)の67連隊に転属。東南アジアに向かった。 同兵団は2千メートル級の山が連なるビルマ(現ミャンマー)のアラカン山脈を越えて、直接インパールを攻略

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                                    • 武井彩佳『歴史修正主義』(中公新書) 9点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

                                      11月23 武井彩佳『歴史修正主義』(中公新書) 9点 カテゴリ:歴史・宗教9点 既存の歴史の書き換えを図る「歴史修正主義」(revisionism)、近年この言葉を聞く機会が増えましたし、それが良くないことであるとの認識も広がっています。 ただし、「何が歴史修正主義なのか?」という難しい問題でもあります。ここ最近、織田信長について今までの「革命児」的なイメージが否定され、「意外と保守的で常識的な人物であった」との見方が研究者の間で強まっていますが、今までの歴史の見方を修正するものであってもこれを「歴史修正主義」とは言わないでしょう。 本書はこの捉えにくい概念である「歴史修正主義」と、さらにそれを一歩進めた「否定論」(denial)をとり上げ、その問題点と、歴史修正主義と歴史学を分かつもの、ヨーロッパで歴史修正主義の代表である「ホロコースト否定論」がいかに法的に禁止されるに至ったかを紹介し

                                      • 宮内庁版「玉音放送」とこれまでの「玉音放送」|NHK 戦争証言アーカイブス

                                        昭和20年8月、昭和天皇がラジオを通じて国民に終戦を告げた「玉音放送」の音声を記録したレコード盤「玉音盤」の原盤が、戦後70年を経て宮内庁より平成27年8月1日初めて公開されました。音声は全体で4分30秒あり、ところどころに雑音が入っていますが、これまでテレビなどで使われてきた「玉音盤」のコピーに比べ、昭和天皇の肉声がはっきりと再現されています。 私たちがこれまで耳にしてきた昭和天皇の「玉音放送」は、「玉音盤」そのものの音声ではありません。終戦の翌年、GHQ=連合国軍総司令部の命令でつくられた「玉音盤」をコピーしたものの音声です。当時、作業にあたったNHKの職員が余分につくって自分で保管していたものが、のちにNHKにわたり、こんにちの放送で使われている「玉音放送」の音源として広く用いられるようになったということです。 今回、公開された「玉音盤」の原盤の音声について専門機関が分析したところ、

                                          宮内庁版「玉音放送」とこれまでの「玉音放送」|NHK 戦争証言アーカイブス
                                        • 米コロナ死者、第2次大戦超え 40万5600人、世界で突出:時事ドットコム

                                          米コロナ死者、第2次大戦超え 40万5600人、世界で突出 2021年01月21日10時08分 【ニューヨーク時事】米ジョンズ・ホプキンス大の20日の集計によると、新型コロナウイルス感染による米国の死者が約40万5600人に達し、第2次大戦の米軍の死者40万5399人を超えた。米国は感染者、死者とも世界最多。死者は米国に次ぐブラジルの2倍近い。 <新型コロナウイルス 世界各国の状況> 米国では連邦政府がコロナ対策で指導力を発揮できず、さまざまな問題が政治化。有効な抑制策を打ち出せない中で感染拡大を続けている。米国の死者の増加ペースは秋以降に上昇し、ニューヨーク・タイムズ紙の集計によると、今月12日には4400人以上の死者が報告され、1日当たりの死者として過去最多を記録した。 20日就任したバイデン大統領は就任演説で「政治は脇に置き、一つの国としてこのパンデミック(世界的流行)に立ち向かわな

                                            米コロナ死者、第2次大戦超え 40万5600人、世界で突出:時事ドットコム
                                          • もしも1945年8月の日本にツイッターがあったら(一ノ瀬 俊也)

                                            もしもツイッターがあったら ツイッターについて。私は大学や日本史学といった〝業界〟のトレンドを知るのに使っている。多くのアカウントが私の知らない知識のみならず、本音をご本人が意識しているかどうかは別として、140字でぶちまけてくれるのでとても面白い。面白すぎて研究が手につかないくらいだ。 そんな時にふと思うのが、近代の日本にツイッターがもしあったらどうなるだろうか、ということである。ツイッターの華は、いわゆる炎上である。意見が分かれる問題について、何の気なしに、あるいは意図的に書いたことが多くの人の怒りを招き、罵詈雑言がえんえんと書き込まれる。 近代日本には、炎上必至と思われる事件や出来事がいくつも起こった。私のみるところ、最大の炎上を招いたに違いない出来事は、1945(昭和20)年8月15日に昭和天皇がおこなった、いわゆる玉音放送だろう。 この放送で、天皇はみずからの肉声により、国民に米

                                              もしも1945年8月の日本にツイッターがあったら(一ノ瀬 俊也)
                                            • B29航空士の元米兵が語る、空襲する側のリアル 遺族が手記を本紙に公開「全滅してもおかしくない」【全文あり】:東京新聞 TOKYO Web

                                              B29航空士の元米兵が語る、空襲する側のリアル 遺族が手記を本紙に公開「全滅してもおかしくない」【全文あり】 1945年7月、B29爆撃機による岐阜市の空襲に参加した元米兵、故ローランド・ボールさんが残した手記を、遺族が本紙に公開した。米軍が圧倒的な航空戦力を見せつけた空襲だったが、手記ではボールさんの搭乗機が日本軍の攻撃で墜落寸前まで追い込まれたことが明らかになった。「岐阜空襲を記録する会」は「攻撃に参加した米兵の詳細な体験談は日本側に伝わっておらず、貴重な資料だ」と話している。(アメリカ総局・浅井俊典)=次ページに手記全文 岐阜空襲 1945年7月9日午後11時すぎから10日未明にかけ、岐阜市の市街地を対象に米軍が実施した爆撃。約130機のB29爆撃機が焼夷(しょうい)弾などを投下し、市街地の7割が焼失した。死者は約900人、負傷者1000人以上に上った。

                                                B29航空士の元米兵が語る、空襲する側のリアル 遺族が手記を本紙に公開「全滅してもおかしくない」【全文あり】:東京新聞 TOKYO Web
                                              • デマ情報で徹底抗戦を呼び掛けるビラ発見 終戦直後の群馬、埼玉県内でまかれたか:東京新聞 TOKYO Web

                                                1945年8月15日の終戦直後、徹底抗戦を唱える一部軍人が群馬、埼玉両県内でまいたとみられるビラが見つかった。降伏を受け入れない兵士らが各地で反乱を呼びかけた文書はほとんどが廃棄され、現物が残っていたのは珍しい。専門家は「自分たちの行動を正当化している。反乱の論理を知る貴重な資料」と指摘する。(小松田健一) ビラは、新聞や号外を収集している号外研究家で「小林近現代資料文庫」を主宰する小林宗之さん(39)=京都市=が一昨年7月、1945年8月16日付の上毛新聞(群馬県の地元紙)とセットで入手した。B5判程度の大きさで、紙質はかなり悪い。発信元は「皇(スメラ)陸軍」となっている。

                                                  デマ情報で徹底抗戦を呼び掛けるビラ発見 終戦直後の群馬、埼玉県内でまかれたか:東京新聞 TOKYO Web
                                                • 杉原千畝ではない「日本のシンドラー」の知られざる物語 | ユダヤ人難民を雇いかくまった在東京ドイツ人工場主がいた

                                                  「東洋のシンドラー」「日本のシンドラー」と言えば、杉原千畝だろう。だが、戦時中、元祖シンドラーのように自分の工場でユダヤ人たちを雇用してかくまったドイツ人が、しかも東京にいた。 この「日本のシンドラー」の存在は、日本にいたナチス将校や戦後日本を占領した連合軍の都合によって偽りにくるまれ、歴史の闇に葬られてしまっていた。 最近この歴史的真相を明らかにしたドイツ人研究者に、ユダヤ系メディア「タブレット」が独占取材した──。 歴史の闇に葬られた「日本のシンドラー」 病的な虚言癖があり、気性は「ならず者」のナチス将校ヨーゼフ・マイジンガーは、絞首台で果てるまでのあいだに、まんまと天敵をおとしいれた。 マイジンガーの矛先は、ドイツ出身で東京に工場を持つ反ナチ市民のヴィリー・フェルスターに向かい、自分が犯した数多くのナチスの犯罪にフェルスターが加担したと告発したのだ。 そのせいで、本来なら「日本のオス

                                                    杉原千畝ではない「日本のシンドラー」の知られざる物語 | ユダヤ人難民を雇いかくまった在東京ドイツ人工場主がいた
                                                  • ハリウッド映画では描かれなかったミッドウェー海戦 真実の証言(神立 尚紀) @gendai_biz

                                                    9月11日、かねてから話題になっていた映画『ミッドウェイ』(ローランド・エメリッヒ監督。アメリカ、中国、香港、カナダ共同製作)が、全米公開から10ヵ月を経て、ようやく日本でも公開された。昭和17(1942)年6月5日(日本時間)、太平洋戦争の流れを変えた「ミッドウェー海戦」を描いた、戦争超大作である。 この戦いで、日本海軍機動部隊は、主力空母4隻すべてを喪い、開戦以来初めての大敗を喫した。映画『ミッドウェイ』では、日本海軍によるハワイ・真珠湾攻撃で一方的に大損害を被った米軍が、ミッドウェー海戦でいかに勇敢に戦い、劣勢を跳ね返して勝利を掴んだかが、アメリカ側の目線で感動的に描かれている。だが、仕方のないこととはいえ、ここに登場する日本人は、山本五十六など数名をのぞけば、単に「敵」という記号にすぎない。 そこでここでは、空母「赤城」「加賀」「蒼龍」の被弾後、ただ1隻で米機動部隊に反撃を試みた空

                                                      ハリウッド映画では描かれなかったミッドウェー海戦 真実の証言(神立 尚紀) @gendai_biz
                                                    • 戦後78年 ようやく私は日本人になりました | NHK | WEB特集

                                                      おびえる表情で写真に映る少女。 去年12月に発見されたその写真は、太平洋戦争下のフィリピンでアメリカ軍が作成した捕虜名簿の中にありました。 当時6歳の少女は、いわゆる「残留日本人」。 国籍がないまま長年フィリピンで暮らし、日本国籍を求め続けてきました。 戦後80年近くがたって見つかった写真はこの夏、84歳になった少女の人生を大きく変えることになりました。 (報道・映像センター 桑原義人、マニラ支局長 酒井紀之) フィリピン南部ミンダナオ島の中心都市、ダバオから車で2時間。 広大なバナナ農園を抜け、さらにそこから険しい山道を登るとー。 竹で編まれた昔ながらの小さな家に、彼女は暮らしていました。 私たちを笑顔で迎えてくれたのが、84歳になったペラヒア・ディアモナさん、日本名、星子ハルコさんでした。 山の斜面に建てられた、水道もガスも無い家からは、ハルコさんが戦後、生活に苦労してきたことがうかが

                                                        戦後78年 ようやく私は日本人になりました | NHK | WEB特集
                                                      • 宮崎出身の外交官も「命のビザ」発給か 初確認 | NHKニュース

                                                        第2次世界大戦中、杉原千畝が発給したいわゆる「命のビザ」を持ったユダヤ人を、当時のソ連から日本に渡航させた宮崎市出身の外交官、根井三郎が発給したとみられるビザが見つかりました。根井による「命のビザ」が確認されたのは初めてだということです。 宮崎市佐土原町出身の外交官、根井三郎は昭和16年、当時のソ連のウラジオストクの副領事だった際、「命のビザ」を手にナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人を日本政府の命令に反して日本に渡航させ、多くの命を救いました。 根井の業績を調べている地元の顕彰会によりますと、東京のフリーライターで、「命のビザ」に関する著書がある北出明さんの調査で、日本からアメリカに渡ったユダヤ人の男性の孫が、根井が発給したビザを持っていることが分かったということです。 ビザの画像では、昭和16年2月28日の日付や署名などが確認できます。 根井が発給した「命のビザ」が確認されたのは

                                                          宮崎出身の外交官も「命のビザ」発給か 初確認 | NHKニュース
                                                        • 日本と独ソ戦(新書余滴)/大木毅

                                                          先般、岩波新書で『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』を上梓した。幸い、ドイツやソ連の現代史を専攻する研究者、歴史には一家言ある読書家の諸氏にも高評価をいただき、ほっと胸を撫でおろしているところだ。もっとも、独ソ戦のような巨大なテーマを、それも紙幅の限られた新書で扱ったのであるから、書き切れなかったトピックが多数あったことは否めない。だが、さまざまな事象をすべて詰め込むことが不可能であるのは自明の理だ。 通史や概説の執筆にあたって必要不可欠なのは、何を書くかではなく、何を書かないかを判断するための物差し、言い換えれば、当該のテーマをいかに分析するかの枠組みであることはいうまでもない。それなしに、年表を文章にするがごとく、ひたすら時系列に沿って事実を並べてみたところで、読者は退屈するばかりであろう。──いや、何よりも、著者自身が、そんな単純作業に耐えられない。 よって、拙著では、独ソ戦は通常戦争、収奪戦

                                                            日本と独ソ戦(新書余滴)/大木毅
                                                          • 私たちがまだまだ知らない「東京裁判」とは何だったのか?(栗原 俊雄) @gendai_biz

                                                            現代史に関心のある人ならば「東京裁判」を知っているだろう。 日本現代史の大きな画期となった法廷を記録した映画「東京裁判」(小林正樹監督)が4Kデジタルマイスターで修復され、8月3日、東京・渋谷のユーロスペースで封切りし、全国で順次公開される。 現代史映像ドキュメンタリーの傑作ができた経緯と、見どころを改めて紹介したい。 東京裁判とは 東京裁判(正式名極東国際軍事裁判)は1946年5月3日から48年11月12日まで、2年半に及んだ。 判事団はアメリカ、中国(中華民国)、イギリス、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、フランス、オランダ、インド、フィリピンの11ヵ国で構成された。 日本の軍人や政治家などA級戦犯28人が起訴された。裁判中死亡した元外務大臣、松岡洋右と元海軍元帥、永野修身、病気で免訴となった大川周明の3人以外、全員が有罪だった。 東条英機、土肥原賢二、松井石根、武藤章、

                                                              私たちがまだまだ知らない「東京裁判」とは何だったのか?(栗原 俊雄) @gendai_biz
                                                            • 町田と八王子の境界近くに存在 蛇行を繰り返す「戦車道路」とは何か | アーバンライフ東京

                                                              町田と八王子の境界近くに存在 蛇行を繰り返す「戦車道路」とは何か 投稿日: 2020年6月28日 更新日: 2020年6月28日

                                                                町田と八王子の境界近くに存在 蛇行を繰り返す「戦車道路」とは何か | アーバンライフ東京
                                                              • 第2次世界大戦の勝利に貢献、英ロンドンの秘密の地下壕

                                                                ダウン・ストリート駅は1907年に開業したが、32年には閉鎖された/Dan Kitwood/Getty Images (CNN) 多くの人や車が行き交う英首都ロンドンのピカデリー線の地下約22メートルの所に、静まり返った通路と真っ暗な部屋がある。ここは人目に触れることはめったになく、人が訪れることもほとんどないが、20世紀の歴史において重要な役割を果たした場所だった。 そして今、この廃駅となった地下鉄ダウン・ストリート駅に潜入し、懐中電灯の明かりを頼りに、地下壕(ごう)を探索できるチャンスが再び巡ってきた。この地下壕では、第2次世界大戦中に「Dデー」上陸作戦やダンケルクからの脱出作戦などの話し合いが行われた。 英国のウィンストン・チャーチル首相(当時)は、ドイツ軍による大規模な空襲、通称「ザ・ブリッツ」が最も激しかった1940年11月から12月にかけて、ここに秘密裏に避難し、40人のスタッ

                                                                  第2次世界大戦の勝利に貢献、英ロンドンの秘密の地下壕
                                                                • アウシュビッツで唯一知られる結婚式 ウィーンで企画展

                                                                  1944年3月18日にナチス・ドイツのアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所で結婚したルドルフ・フリーメルさんとマルガリタ・フェレールレイさんの写真。オーストリア・ウィーン市庁舎図書館の企画展カタログより(2022年9月12日複製)。(c)AFP PHOTO / Wienbibliothek im Rathaus 【9月25日 AFP】結婚写真を撮るために盛装した新郎新婦。だが2人の顔に笑みはない。この男女が結婚した場所は、第2次世界大戦(World War II)中にナチス・ドイツ(Nazi)がポーランドに設置したアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所だった。死のキャンプで行われたことが唯一知られている結婚式だ。 新郎は、ルドルフ・フリーメル(Rudolf Friemel)さん。ナチスに対する抵抗運動に参加したオーストリア人の共産主義者だ。新婦はスペイ

                                                                    アウシュビッツで唯一知られる結婚式 ウィーンで企画展
                                                                  • 【まとめ】第二次世界大戦(WW2)の国別死者数(犠牲者数)と激戦地一覧 - にゃん分間待ってやる

                                                                    このページは移転しました。 WW2 第2次世界大戦の戦死者 第二次世界大戦の世界中での死者数は6000万〜8000万人。 これには直接的な戦闘での死者だけでなく、餓死や病死の人も含んでいる。 Follow @toeicmantenblog 第2次世界大戦の戦死者 国別死者数 主要国の人口に対する戦死者割合 世界全体での死者数 激戦地 日中戦争、黄河決壊事件(1938) ポーランド侵攻(1939) 上海戦(1939) 武漢作戦(1939) 冬戦争(1940) フランスの戦い(1940) オデッサの戦い(1941) キエフの戦い(1941) レニングラード包囲戦(1941-1944) モスクワの戦い(1941-1942) マレー作戦・シンガポール侵攻(1941) ハリコフ攻防戦(1942) ガサラの戦い(1942) ビルマの戦い(1942-1945) スターリングラード攻防戦(1942-194

                                                                      【まとめ】第二次世界大戦(WW2)の国別死者数(犠牲者数)と激戦地一覧 - にゃん分間待ってやる
                                                                    • 《広島原爆投下》あの日内閣では何が語られていたのか「保証なく皇室をまかすことは絶対に反対である」「戦争を終結させるほかはない…」 | 文春オンライン

                                                                      東京にある日本の中枢で、広島壊滅の報をいちばん早く知ったのは海軍省である。8時30分、呉鎮守府よりの第一報がとどいたのである。海軍省は正午ごろには調査団の派遣を決定している。陸軍中央がこの報を知ったのはずっと遅かった。広島の通信網が完全に破壊されたため、第二総軍司令部(在広島)からの報告は、呉鎮守府経由で送られてきたのである。 陸軍省から内閣書記官長迫水久常(さこみずひさつね)をとおして、内閣に広島の第一報が知らされたのは午後も遅くなってからである。天皇もまた、同じころ蓮沼蕃(はすぬましげる)侍従武官長から広島市全滅の報告をうけた。たった一発で広島市が死の町と化したという。天皇は顔を曇らせたが、それ以上たずねようとはしなかった。 翌7日朝、アメリカからのラジオ放送はトルーマン大統領の声明として「われわれは20億ドルを投じて歴史的な賭けをおこない、そして勝ったのである……6日、広島に投下した

                                                                        《広島原爆投下》あの日内閣では何が語られていたのか「保証なく皇室をまかすことは絶対に反対である」「戦争を終結させるほかはない…」 | 文春オンライン
                                                                      • 米国における人体実験と政策

                                                                        第5回 米国における人体実験と政策 前回および前々回に見たように、米国はニュルンベルク裁判でナチスの人体実験を裁く一方で、日本軍の人体実験は隠蔽しました。しかしその米国の国内でも、医学の名の下にさまざまな人体実験が行われ、スキャンダルを巻き起こしました。今回は、こうした米国内の人体実験事件と、その当時の倫理的基準、および事件に対応して生みだされてきた政策に関してまとめてみます。 1. 放射線被曝実験 【Advisory Committee on Human Radiation Experiments, Final Report, Executive Summary およびアルバカーキー・トリビューン編『プルトニウム人体実験』を参照】 1993年11月15日、米国ニューメキシコ州アルバカーキーの新聞『アルバカーキー・トリビューン』は、米国の科学者たちが1945年から1947年にかけて、18人

                                                                        • 「第2次大戦以来の挑戦」 メルケル独首相、異例の演説:朝日新聞デジタル

                                                                          ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                            「第2次大戦以来の挑戦」 メルケル独首相、異例の演説:朝日新聞デジタル
                                                                          • 韓国1995(2/2) - 風のかたみの日記

                                                                            韓国の話を続ける。 3. 冷たい店員 研修中の食事は幾分キムチの臭いに閉口したものの、基本的には何でも食べられる体質が幸いし事なきを得た。ただ気になったのはレストランの店員がどうも冷淡というか、殆ど愛想が無いことである。 別にこちらが「私は客だぞ」と横柄な態度をとった心算はないのだが、例えばメニューを指さし料理をオーダーしても、返事も無ければニコリともしない。かと言って、ちゃんと品物は持って来てくれる。儒教道徳に基づいた「東方礼儀の国」を自負する韓国のイメージと、この現実がうまく結びつかない。 この「無愛想」は韓国を訪れる日本人旅行者の定番の感想であるという。このことから韓国の礼節は単に形式だとの批判も聞くが、よく耳にする「年長者の前で煙草は吸わない。酒を受けた時は横を向いて飲む」に代表される「孝」の美風とサービス精神は別物なのである。それだけの事であろう。 現地ガイド女史は「韓国はサービ

                                                                              韓国1995(2/2) - 風のかたみの日記
                                                                            • 大神 on Twitter: "「勝ってる戦争はやっぱりカッコイイぞ!」などと言っていた小林よしのりですが、それではここでクリント・イーストウッドの言葉を見てみましょう。 クリント・イーストウッド「戦争を美しく語る者を信用するな。彼らは決まって戦場にいなかった… https://t.co/vxIjygCds6"

                                                                              「勝ってる戦争はやっぱりカッコイイぞ!」などと言っていた小林よしのりですが、それではここでクリント・イーストウッドの言葉を見てみましょう。 クリント・イーストウッド「戦争を美しく語る者を信用するな。彼らは決まって戦場にいなかった… https://t.co/vxIjygCds6

                                                                                大神 on Twitter: "「勝ってる戦争はやっぱりカッコイイぞ!」などと言っていた小林よしのりですが、それではここでクリント・イーストウッドの言葉を見てみましょう。 クリント・イーストウッド「戦争を美しく語る者を信用するな。彼らは決まって戦場にいなかった… https://t.co/vxIjygCds6"
                                                                              • 【思考実験】もし現代の軍オタが1943年のアドルフ・ヒトラーに転生憑依したら : 野獣先輩が選ぶ!?神SS&日本応援まとめ

                                                                                運営様、皆様、申し訳ありませんがお借り致します。ご容赦を 2018年「小説家になろう」さんにて240万PVのご好評を頂いた「総統戦記」を原型にしております。(そちらのログは現在存在しません。) あまり一般の架空戦記小説では見られない「欧州戦線、含独ソ戦」における架空戦記としてもお楽しみいただけます。 税込み550円の架空戦記電子書籍です。記事内では色々変わっていますが今はこのお値段でm(__)m 【電子小説・架空戦記】総統戦記 転生憑依!?アドルフ・ヒトラー/外伝 太平洋の燕 | toshiya2100 (thebase.in)

                                                                                  【思考実験】もし現代の軍オタが1943年のアドルフ・ヒトラーに転生憑依したら : 野獣先輩が選ぶ!?神SS&日本応援まとめ
                                                                                • ヒトラーとスターリンのはざまで ──そして21世紀のブラッドランド(流血地帯)|じんぶん堂

                                                                                  記事:筑摩書房 『ブラッドランド──ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』上・下巻(ティモシー・スナイダー 著 布施由紀子 翻訳、筑摩書房) 書籍情報はこちら ドイツとソ連の大量殺人政策が重複 20世紀の半ば、人類史上最大の集団暴力が、ポーランドからウクライナ、ベラルーシ、バルト三国、ロシア西部にまたがる広大な地域を襲った。スターリンとヒトラーが同時に政権を握っていた1933年から45年までの12年間、この地で独ソ両国の大量殺人政策が重複して進められたのだ。スターリンとヒトラーは自分の思い描く国造りのため、邪魔者を排除しようとして、この地域に住むおびただしい数の民間人を殺害した。 東欧史を専門とするイェール大学のティモシー・スナイダー教授はこの事実に着目し、この地域を“流血地帯(ブラッドランド)”と名付けて調査に乗り出した。数年がかりで東欧諸国の公文書館をまわって膨大な資料にあたり、国境で分

                                                                                    ヒトラーとスターリンのはざまで ──そして21世紀のブラッドランド(流血地帯)|じんぶん堂