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考古の検索結果561 - 600 件 / 934件

  • ペルーの遺跡で犬の死骸見つかる、1000年以上前のもの

    ペルー北部のセロ・セチン遺跡で見つかった1000年以上前のものとみられる犬の死骸(2019年8月28日撮影)。(c)AFP PHOTO / HO / MONICA SUAREZ 【10月6日 AFP】ペルー北部アンカシュ(Ancash)県カスマ(Casma)にある古代アンデス文明の遺跡「セロ・セチン(Cerro Sechín)」で、1000年以上も前のものとみられる犬の死骸が発見された。 【特集】「人間の最良の友」ワンちゃん大集合 考古学者のモニカ・スアレス(Monica Suarez)氏が5日、明らかにしたところによると、犬の死骸は8月28日に遺跡内の神殿跡から発掘された。毛皮が一部残っており、保存状態は良好という。(c)AFP

      ペルーの遺跡で犬の死骸見つかる、1000年以上前のもの
    • 隅田金属日誌(墨田金属日誌) 殷は温暖化で滅んだ

      殷周革命には温暖化の影響があったのではないか。殷のⅢ-Ⅳ期は気候変動で旱魃傾向にあった。その影響もあって殷は滅んだのではないか。 『華夏考古』にそれを示唆する記事がでている。楊謙さんと詹森楊さんの「商代晩期気候変遷与祝井儀式発生」である。* これがなかなか面白い。 殷の時代において中原は総じて暖湿の環境にあった。 今よりも年平均気温で2度、1月平均気温では3-5度も高い。だから南方の獏や水牛も生息していた。これは骨が出てくるし甲骨文にも名前が出てくる。そもそも象は象形文字として登場している。 また雨も多い。甲骨文を読むと1月から13月[ママ]まで一年中雨が降っている。9月には18日連続で降った記載がある。ほかにも12月に作物を収穫したとの記録もある。年間降水量は今の700ミリよりも100ミリ多い800ミリ程度であるとしている。 記事中では、まずもって今の長江流域の気候水準であるとしている。

      • 鏡と剣 国宝級の大発見 空白の4世紀 歴史の謎は解けるか|NHK

        「こんなものがこの世にあるのか…」「鍛冶技術の最高傑作だ!」 およそ1600年前の古墳で見つかった前例のない精巧な造形物に、専門家からは次々と驚きの声が上がりました。 奈良市の古墳から出土した国内最大級の鏡や波打つような形の長大な剣。 “空白の4世紀”とされる歴史の謎を解き明かすきっかけになるか? 世紀の発見の舞台裏に迫りました。

          鏡と剣 国宝級の大発見 空白の4世紀 歴史の謎は解けるか|NHK
        • クマの足跡とみられていた謎の化石、未知の人類の祖先のものか 研究

          新たに調査した足跡(左)とアウストラロピテクス・アファレンシスの足跡(右)/Jeremy DeSilva/Eli Burakian/Dartmouth (CNN) タンザニアのラエトリ遺跡で1970年代に見つかった足跡の化石について、未知の人類の祖先のものである可能性を指摘する論文が、英科学誌ネイチャーに1日発表された。従来はクマの足跡だとみられていたが、再発掘して調査した結果、未知の人類の祖先に属する可能性が示されたという。 タンザニアでは1978年、366万年前のものとされる足跡化石が見つかり、これが人類の系統樹における直立歩行の最古の争いのない証拠と広く考えられていた。ラエトリ遺跡の「遺跡G」で見つかったこの足跡は一般に、有名な骨格化石「ルーシー」と同じくアウストラロピテクス・アファレンシスに属すると見られている。 研究者が当時発見した足跡化石は遺跡Gだけではなく、約1.6キロ離れた

            クマの足跡とみられていた謎の化石、未知の人類の祖先のものか 研究
          • 「新しいタイプの初期人類」の骨、イスラエルで発見

            テルアビブ大学とヘブライ大学が公開した、新種の初期人類のものとみられる骨が見つかったイスラエル中部ラムラ近郊のセメント用石灰石の採掘場の発掘現場(2021年6月24日提供)。(c)AFP PHOTO / HO / SANA 【6月25日 AFP】(写真追加)これまで科学的に知られていなかった「新しいタイプの初期人類」の骨を発見したとする論文を、イスラエルの研究チームが今週の科学誌サイエンス(Science)に発表した。人類の進化の過程に新たな光を当てる研究結果だ。 ヘブライ大学(Hebrew University of Jerusalem)の考古学チームがテルアビブ郊外のラムラ(Ramla)付近で行った発掘調査で、これまでに分かっている現生人類(ホモ・サピエンス)を含むホモ属(ヒト属)のどの種とも一致しない先史時代の人類の骨が見つかった。 テルアビブ大学(Tel Aviv Universi

              「新しいタイプの初期人類」の骨、イスラエルで発見
            • エジプトから1世紀の仏像が出土。ローマ時代のエジプトに仏教が伝わっていた可能性 : カラパイア

              現在のような移動、通信手段が存在する遥か昔から、あらゆる種類の境界を越えた異文化間のつながりがたくさんあった。このことを痛感させてくれる発見があった。 紅海に面した古代エジプトの港湾都市であるベレニケ遺跡で、1900年前の仏陀(釈迦)、つまりゴータマ・ブッダの像が発掘されたのだ。 この発見は、ローマ時代のエジプトとインド亜大陸との交易関係にさらに光を当てることになった。

                エジプトから1世紀の仏像が出土。ローマ時代のエジプトに仏教が伝わっていた可能性 : カラパイア
              • なぜ山中にピラミッドが? 世紀の観測に挑んだ天文学者たちの足跡:朝日新聞デジタル

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                  なぜ山中にピラミッドが? 世紀の観測に挑んだ天文学者たちの足跡:朝日新聞デジタル
                • 石器も遺跡もデータで解析 「感性の学問」考古学に数学で新風:朝日新聞デジタル

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                    石器も遺跡もデータで解析 「感性の学問」考古学に数学で新風:朝日新聞デジタル
                  • 古代の「貝紫色」情熱で再現 チュニジア

                    貝紫色の染料のサンプルを見せる、モハメド・ガッセン・ヌイラさん。チュニジア・チュニスの作業場で(2020年7月11日撮影)。(c)FETHI BELAID / AFP 【11月1日 AFP】古代チュニジアで紫色は権力と威信の象徴とされ、王衣や皇帝のローブに用いられていた。だが、その作り方は謎に包まれてきた。 「最初は何から始めればいいのか分からなかった」というのは、コンサルティング会社を営むモハメド・ガッセン・ヌイラ(Mohamed Ghassen Nouira)さん。巻き貝の内臓から染料を抽出する、歴史書にも残されていない方法を再現した。「貝の殻全体をつぶして、この小さな海の生き物からどうやってこんな貴重な色を出せたのか、理解しようとしました」 きっかけは2007年8月、砂浜で赤紫の色素を出している貝を見つけたことだった。ヌイラさんは学校の歴史の授業で習ったことを思い出した。そして地元の

                      古代の「貝紫色」情熱で再現 チュニジア
                    • 新たな銭種「富寿神宝」発見/山口の史跡周防鋳銭司跡から

                      山口市は27日、平安時代に設置された官営の銭貨鋳造所跡「史跡周防鋳銭司跡(すおうのじゅせんしあと)」(山口市鋳銭司)から、新たな銭種「富寿神宝(ふじゅしんぽう)」を発見したと発表した。これまでに出土した3種類の銭貨より生産時期が古く、周防鋳銭司は設置されたとされる825(天長2)年から870(貞観12)年まで最長で45年にわたって銭貨生産が行われていたことが明らかになったとしている。 銭貨生産最長45年に 山口大と連携して2017年度から周防鋳銭司跡の発掘調査を実施。市教育委員会文化財保護課によると、23年10月に、第4次調査(18年度)で遺跡から採取した土を水を入れたバケツ内でふるいにかけて細かな異物を取り上げる作業で発見した。古代の銭貨生産と貨幣史の専門家4人の調査で、形状や状況などから「周防鋳銭司で生産された富寿神宝の未使用の完成品である可能性が高い」との所見が得られた。 見つかった

                        新たな銭種「富寿神宝」発見/山口の史跡周防鋳銭司跡から
                      • 聖書の「悪役」、実は巡礼道を造っていた? 研究

                        古代の階段状の道を発掘するために、イスラエル人考古学者らがパレスチナ人居住区で掘り進めている、地下鉄が通れそうなサイズのトンネル。(PHOTOGRAPH BY SIMON NORFOLK, NATIONAL GEOGRAPHIC) ポンテオ・ピラトは、キリスト教徒とユダヤ教徒から大いに嫌われている。理由のひとつは、紀元30年頃に行われたイエスの処刑において、彼が重大な役割を果たしたからだ。また、その冷酷な支配は、およそ40年後にユダヤ人がローマ帝国に対して蜂起したユダヤ戦争につながった。 ところが最新の調査によると、ローマ帝国各地からの旅人やユダヤ人巡礼者を数多く惹きつけたエルサレムの整備に、ピラトがかなりの時間と金銭を費やしていたという研究結果が、10月21日付けの学術誌「Tel Aviv: Journal of the Institute of Archaeology」に発表された。

                          聖書の「悪役」、実は巡礼道を造っていた? 研究
                        • 2400年前の「世界最古の星図」を発見!現在は存在しない星の姿も… - ナゾロジー

                          人類は遠い昔から夜空を見上げ、そこに並ぶ星々を見てきました。 そして星の配置を理解した人類は、そこから神話や天文学を生み出されていきます。 こうした星の観測には、星の位置をマップ化した「星図」の存在が欠かせません。では人類はいつ頃から正確な星図を持つようになったのでしょうか? イタリア国立天体物理学研究所(INAF)は、イタリア北東部トリエステにある遺跡にて29個の星の位置を正確に記した約2400年前の石板を発見したと発表しました。 これは星図として史上最古の可能性があるとのことです。 研究の詳細は、2023年11月22日付で学術誌『Astronomische Nachrichten』に掲載されています。 A 2,500-year-old celestial map carved on the surface of a circular stone found in Italy https

                            2400年前の「世界最古の星図」を発見!現在は存在しない星の姿も… - ナゾロジー
                          • 古代のスペインで最高権力を握っていたのは男性ではなく「象牙の婦人」だった

                            イベリア半島にある紀元前2900~2650年頃の墳墓の遺跡で発見された、非常に身分が高い人物のものとみられる遺骨が、新しい分析により女性のものだったことが判明したとの論文が、2023年7月6日付の学術雑誌・Scientific Reportsに掲載されました。 Amelogenin peptide analyses reveal female leadership in Copper Age Iberia (c. 2900–2650 BC) | Scientific Reports https://doi.org/10.1038/s41598-023-36368-x Highest-ranking person in Copper Age Spain was a woman, not a man, genetic analysis shows | Live Science https://

                              古代のスペインで最高権力を握っていたのは男性ではなく「象牙の婦人」だった
                            • まだ生きているような欧州のミイラ、「トーロンマン」とは何者か

                              1950年にデンマークの泥炭地で発見されたボグボディー(湿地遺体)は、「トーロンマン」と名付けられた。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NATIONAL GEOGRAPHIC IMAGE COLLECTION) 1950年、デンマークの泥炭地で燃料のために泥炭を切り出していた一家が、謎の遺体を発見した。あまりに状態が良かったため、殺されて間もない、地元の殺人事件の被害者かと思われたものの、後に意外な事実が明らかになった。男が殺されたのは確かだが、事件が起こったのは2400年も前の鉄器時代のことだったのだ。 現在は「トーロンマン」として知られる遺体の顔は、無精ひげやわずかに笑みを浮かべた表情などが驚くほどきれいに保存されており、今や世界で最も有名な湿地遺体(ボグボディー)になった。しかもその死をめぐっては、いけにえのために殺されたのではないかとも言われ、ますます謎めい

                                まだ生きているような欧州のミイラ、「トーロンマン」とは何者か
                              • 1万年以上前に人類が残した世界最古の石像がトルコ東部で複数発見されている

                                古代の遺跡といえばギザの大ピラミッドやストーンヘンジなどが有名です。作家のショーン・トーマス氏は1万1000年~1万3000年前というピラミッドやストーンヘンジよりはるか以前に作られたとされる複数の石像がトルコの東部で発見されたと報告しています。 Is an unknown, extraordinarily ancient civilisation buried under eastern Turkey? | The Spectator https://www.spectator.co.uk/article/does-an-unknown-extraordinarily-ancient-civilisation-lie-buried-under-eastern-turkey- トーマス氏が報告している古代遺跡はトルコ東部のシャンルウルファ県で発掘されたもので、「Karahan Tepe」と

                                  1万年以上前に人類が残した世界最古の石像がトルコ東部で複数発見されている
                                • 天空の遺跡「マチュ・ピチュ」の名前 実は間違いの可能性 - ナゾロジー

                                  南米ペルーの標高2430メートルの山頂に浮かぶ、天空の遺跡「マチュ・ピチュ」。 15世紀のインカ帝国時代のもので、世界でもっとも有名な遺跡の一つとして知られます。 しかし、この「マチュ・ピチュ(Machu Picchu)」という名前について、誤りである可能性を指摘する研究が発表されています。 本当の名前は、単に「ピチュ(Picchu)」あるいは、「ワイナ・ピチュ(Huayna Picchu)」と呼ぶべきだと研究者は指摘します。 しかし、考古学研究を含めあらゆる場所で、この遺跡は「マチュ・ピチュ」として定着しています。 いったい何が問題なのでしょうか? その秘密を以下で詳しく見ていきましょう。 本研究は、2021年8月13日付で学術誌『Ñawpa Pacha』に掲載されたものです。

                                    天空の遺跡「マチュ・ピチュ」の名前 実は間違いの可能性 - ナゾロジー
                                  • 元寇のいかり引き揚げへ 鎌倉時代に沈没、740年ぶり 長崎・松浦市 | 西日本新聞me

                                    長崎県松浦市は同市鷹島沖の海底から元寇(げんこう)船のいかりを引き揚げるため、インターネットで寄付を募っている。鎌倉時代から海中に眠る歴史資産を740年ぶりによみがえらせ、松浦市の知名度アップや観光客の呼び込みを狙う。 1281年の弘安の役で鷹島沖に停泊していた元軍の船は、暴風雨で多くが沈没したとされる。鷹島沖にある国内初の海底遺跡「鷹島神崎(たかしまこうざき)遺跡」からは、元軍の船2隻、武器の「てつはう」、陶磁器など4千点を超える遺物が見つかり、国史跡に指定されている。 引き揚げを計画しているいかりは長さ約2メートル、幅約25センチの木製で、沈没船のそばで2013年に確認された。市は今年9月以降に引き揚げ作業を始め、保存処理する。いかりは過去にも引き揚げたことがあるが、昨年は海中調査開始から40周年の節目だったため、PRに力を入れてきた。 寄付額の目標は1千万円で、これまでに709万5千

                                      元寇のいかり引き揚げへ 鎌倉時代に沈没、740年ぶり 長崎・松浦市 | 西日本新聞me
                                    • 海底に沈んだ古代ローマの都市「バイア」で保存状態の良い豪邸を発見! - ナゾロジー

                                      海の底に沈んだ”古代ローマ時代の別荘”が見つかったようです。 今月3日、伊カンピ・フレグレイ考古学公園(Campi Flegrei Archaeological Park)の研究チームは、イタリア南部・ナポリ湾の海底にて、古代ローマの富裕層が建てた「ヴィラ(villa)」の跡地を新たに発見したと報告しました。 ヴィラとは、上流階級の人々が郊外に建てた別荘のような家屋を意味します。 またこの地は、BC100年〜AD500年頃までローマ人の金持ちで賑わったリゾート地「バイア(Baiae)」が遺跡として眠っている場所です。 今回見つかったヴィラは、そのリゾート地の中に建てられた邸宅の一つと見られています。 New Treasures Identified In The Sunken Roman City Of Baiae https://www.iflscience.com/new-treasu

                                        海底に沈んだ古代ローマの都市「バイア」で保存状態の良い豪邸を発見! - ナゾロジー
                                      • 埼玉 行田の「埼玉古墳群」が国の特別史跡指定へ 東日本で初 | NHKニュース

                                        古墳時代に造られた埼玉県行田市の「埼玉(さきたま)古墳群」が、古墳群としては東日本で初めて国の特別史跡に指定されることになりました。 古墳群は、当時この地域を治めていた支配者層の歴代の墓と推定されています。 前方後円墳は、すべて北向きと規則性を持っていることや、出土した鉄剣に大和政権に仕えていたことを示す、文が刻まれているなど大和政権と当時の地方の支配者層とのつながりが分かり、歴史的に価値が高いということです。 さらに、地元で保存や調査活動に長年取り組んでいたことも評価され、15日開かれた国の文化審議会で国の特別史跡に指定されることが答申されました。 正式に指定されるのは来年2月以降の見込みで、古墳群が国の特別史跡に指定されるのは67年ぶり、東日本では初めてとなります。 「埼玉県立さきたま史跡の博物館」の栗岡眞理子学芸主幹は「歴史的な価値が認められて大変光栄です。大型の古墳が密集しているの

                                          埼玉 行田の「埼玉古墳群」が国の特別史跡指定へ 東日本で初 | NHKニュース
                                        • 高校跡地で「羅城」の痕跡を初確認 平安京の範囲が確定:朝日新聞デジタル

                                          京都市南区の市立高校の跡地で、794年に遷都した平安京の表玄関にあたる羅城門(らじょうもん)の名前の由来になった「羅城」と呼ばれる壁の痕跡が初めてみつかった。市埋蔵文化財研究所が12日発表した。京の最南端を東西に結ぶ「九条大路」の側溝跡も出土し、過去の調査成果と併せ、考古学的にも平安京の範囲が確定した。 同研究所が昨年12月から、2018年に閉校した市立洛陽工業高校の跡地利用に伴い、約5445平方メートルを発掘調査。九条大路の北側の側溝とみられる幅約1・2メートル、深さ約0・2メートルの溝と、大路南側の側溝とみられる幅約1・2メートル、深さ約0・4メートルの溝が出土。南北の側溝の間が九条大路の路面(幅約29メートル)とみられ、路面には細かい石が敷かれており、9世紀ごろに築かれたとみられる。 さらに、大路の南側で南北幅…

                                            高校跡地で「羅城」の痕跡を初確認 平安京の範囲が確定:朝日新聞デジタル
                                          • 第4回 世界の沈没船の発掘現場を次々とめぐって気づいたこと

                                            山舩晃太郎さんは、2010年代後半を、まさに「7つの海」の沈没船遺跡を次から次へと転戦し、研究の進展に貢献してきた。新型コロナ感染症のパンデミックで中断されるまで、1年のうちの10カ月間ほどを海外で過ごしており、日本にいる2カ月間も、九州での共同研究や、東京での講義など、常に旅の中にあった。 山舩さんは、この時期に世界で一番、多くの沈没船の発掘現場の場数を踏んで経験を増した水中考古学者だと断言できる。沈没船の考古学者が一生のうちに関わる沈没船は、多くてもせいぜい10~20隻だという。しかし、フォトグラメトリの技術と、多くの沈没船を見てきた目の確かさを見込まれ、依頼を受けて各地を飛び回る山舩さんのペースだと、2年間で他の人の一生分の現場を踏むことになるのである。 そういった経験を通じて、山舩さんの中には、様々な思いが蓄積しているはずだ。それはどんなものだろうか。

                                              第4回 世界の沈没船の発掘現場を次々とめぐって気づいたこと
                                            • 延暦寺の麓に中世の集落跡 湖上交通の拠点、繁栄示す | 共同通信

                                              天台宗総本山の比叡山延暦寺(大津市)の麓にある比叡辻遺跡で13~15世紀の集落跡が見つかり、市文化財保護課が1日発表した。集落跡は推定されていたが、発掘で確認されたのは初めて。香道や茶の湯の道具も出土し、文化的水準が高い人物が居住し、繁栄したことがうかがえるという。 同課によると、遺跡付近は湖上交通による流通の拠点として発展した。平安時代後期からは物資を馬や荷車で京都などへ運搬する「馬借」「車借」が集住。室町時代の史料には、高利貸を示す「土倉」や問屋である「問丸」の記述があり、延暦寺や麓の日吉大社(大津市)の門前町としてにぎわった。

                                                延暦寺の麓に中世の集落跡 湖上交通の拠点、繁栄示す | 共同通信
                                              • 1700年前のメキシコで「クモザル外交」 米研究

                                                メキシコのテオティワカン遺跡で見つかったクモザルの骨。カリフォルニア大学リバーサイド校ナワ・スギヤマ氏提供(2022年11月21日提供)。(c)AFP PHOTO / Nawa Sugiyama / UC Riverside 【11月22日 AFP】1700年前の先コロンブス期のメキシコで、外交的な絆を深めるため雌のクモザルが贈られていたとする論文が21日、「米科学アカデミー紀要(National Academy of Sciences)」に掲載された。 クモザルはマヤ(Maya)の高官からテオティワカン(Teotihuacan)に贈られたもので、1970年代の米中国交正常化時の「パンダ外交」に相当するとしている。 論文の筆頭著者であるカリフォルニア大学リバーサイド校(University of California, Riverside)のナワ・スギヤマ(Nawa Sugiyama)氏は

                                                  1700年前のメキシコで「クモザル外交」 米研究
                                                • 鉄器時代の紫色に染められた糸くず発見、地域で初 イスラエル

                                                  イスラエル・ティムナ渓谷で発見された、紫色に着色された糸くず。イスラエル考古学庁提供(2021年1月30日提供)。(c)AFP PHOTO / HO / ISRAEL ANTIQUITIES AUTHORITY 【1月31日 AFP】イスラエルの考古学者らはこのほど、同国南部でダビデ王(King David)とソロモン王(King Solomon)時代のものとされる紫色の染料で着色された糸くずを発見したと明らかにした。 イスラエル考古学庁(IAA)、テルアビブ大学(Tel Aviv University)およびバルイラン大学(Bar-Ilan University)の共同声明は、「織布のくずや飾り房、ロイヤルパープルの色に染められた毛糸の繊維を見つかり、研究者らは衝撃を受けた」としている。 発表によると、これらは古代の銅生産地であるティムナ渓谷(Timna Valley)で発掘された着色織

                                                    鉄器時代の紫色に染められた糸くず発見、地域で初 イスラエル
                                                  • 世界最古の洞窟壁画、BBCが特別に撮影 インドネシア - BBCニュース

                                                    今年1月、インドネシア・スラウェシ島の人里離れた渓谷で、世界最古の洞窟壁画が見つかった。イノシシとみられる動物の絵は、4万5500年前に描かれたとみられている。

                                                      世界最古の洞窟壁画、BBCが特別に撮影 インドネシア - BBCニュース
                                                    • 吉備真備筆?の墓誌、中国で発見 留学中書かれた可能性:朝日新聞デジタル

                                                      ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                        吉備真備筆?の墓誌、中国で発見 留学中書かれた可能性:朝日新聞デジタル
                                                      • 謎に包まれたシルクロードの古代王国の街「カロン城」とは

                                                        タジキスタンの山々の間を流れるパンジ川。ここに、古代シルクロードの王国が栄えた。(PHOTOGRAPH BY MARCUS WESTBERG) タジキスタン中央部、パミール高原のふもとに、15ヘクタールほどの長方形の草地が広がっている。一見何の変哲もないただの広場だが、ここはその昔、ヤギの死骸を奪い合う中央アジアのスポーツ「ブズカシ」の競技場だったと考えられている。雄大なパンジ川を見下ろすこの競技場を中心に、かつて広大な集落が存在し、何世紀にもわたって政治と宗教の首都として栄えた。しかし今では、そのすべてが歴史の彼方に消え去ってしまった。(参考記事:「馬に乗って子牛を奪い合う、アフガニスタンの国技「ブズカシ」」) 現在、この草地はタジキスタンで最も重要な考古学的遺跡とされ、断片化された歴史のなかからタジク人の独特なアイデンティティを復活させようという、国を挙げた取り組みの要と位置付けられて

                                                          謎に包まれたシルクロードの古代王国の街「カロン城」とは
                                                        • 7000年前のスウェーデンの女性を復元、特別な存在

                                                          現在のスウェーデン南部で7000年前に亡くなった女性。遺骨とDNAと埋葬時の様子を基に復元された。(PHOTOGRAPH BY GERT GERMERAAD, TRELLEBORGS MUSEUM) 考古学者らは、その女性に「22」という番号を振った。実物大の像を復元した彫刻家は「シャーマン」と呼ぶ。それを展示する博物館のスタッフにとっては「座る女」だ(少なくとも今のところは。他にいい呼び名があれば受け付けるそうだ)。 彼女の本名を最後に口にしたのは、およそ7000年前、現在のスウェーデン南部に広がる豊かな湿地帯や森に住んでいた誰かに違いない。その名前は歴史のかなたに失われてしまったが、考古学者であり彫刻家でもあるオスカー・ニルソン氏らのチームによって女性が復元され、この11月17日からスウェーデンのトレレボリ博物館で公開される。 女性は動物の角の上にあぐらをかき、頭を上にして埋葬されてい

                                                            7000年前のスウェーデンの女性を復元、特別な存在
                                                          • ミイラとなった数百年前の赤ちゃんは「日光不足」が原因で死んでしまった可能性

                                                            ドイツに拠点を置く科学者チームが、16世紀から17世紀のオーストリア貴族の元に生まれた幼児のミイラをCTスキャンで分析した結果、死因は「日光不足によるビタミンD欠乏症」と特定したと発表しました。 Frontiers | Adipositas and metabolic bone disorder in a 16th century Upper Austrian infant crypt mummy—An interdisciplinary palaeopathological insight into historical aristocratic life https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fmed.2022.979670/full ‘Virtual autopsy’ identifies a 17th century mummif

                                                              ミイラとなった数百年前の赤ちゃんは「日光不足」が原因で死んでしまった可能性
                                                            • 欧州の謎の変形頭蓋骨、「民族の目印」だった?

                                                              この異様に長い頭骨は、現在のクロアチアにあたる地域で1500年前に死亡した、東アジア系の祖先をもつ10代の少年のもの。当時は乳幼児の頭を締め付けて変形させる風習があり、頭の形で民族や階級を示していたのではないかと考えられている。(PHOTOGRAPH BY M. CAVKA, UNIVERSITY HOSPITAL DUBRAVA, ZAGREB) ローマ帝国崩壊後の欧州には、ゴート族やフン族などの異民族が進出してきた。いわゆる「民族移動時代」(西暦300~700年頃)である。この時代の遺跡からは、人為的に変形させた跡がある頭骨が見つかっているが、この風習は、自らのアイデンティティを表明する極端な方法の1つであった可能性がある。考古学者は今、DNA分析によってこの謎を解明しようとしている。 考古学者たちは最近、クロアチア東部のヘルマノブ・ビノグラード遺跡で、10代の少年の遺体が3体埋められ

                                                                欧州の謎の変形頭蓋骨、「民族の目印」だった?
                                                              • 宗教指導者の墓を発掘、金の工芸品や生け贄も見つかる 中米パナマ

                                                                中米パナマのコクレ県にあるエル・カーニョ遺跡から見つかった金の工芸品/Julia Mayo/Fundación El Caño (CNN) 中米パナマにある遺跡で発掘調査が行われ、1200年以上前に埋葬された宗教指導者の墓が発見された。墓からは金の工芸品やいけにえとみられる遺体も見つかった。 墓が見つかったのはコクレ県にあるエル・カーニョ遺跡で、ここは豪華な墓室など先コロンブス期の発見で知られている。パナマ文化省の発表によれば、今回新たに発見された墓は700年ごろに作られたもの。2008年に発掘が始まってから、同地で見つかった9番目の墓となっている。 パナマの文化遺産を研究する「エル・カーニョ財団」の幹部で発掘を指揮しているフリア・マヨ氏によれば、今回発見されたものも含めて、これらの墓には社会の中で高い位置にあった人たちが埋葬されていた。研究チームは、墓の中央に寝かされていた人物が、より高

                                                                  宗教指導者の墓を発掘、金の工芸品や生け贄も見つかる 中米パナマ
                                                                • 2万年前のペンダントから女性のDNAを発見、画期的な新技術で

                                                                  ドイツ、ライプツィヒにあるマックス・プランク進化人類学研究所のクリーンルームで作業する遺伝学者のマティアス・マイヤー氏。マイヤー氏は動物の骨製の遺物からヒトのDNAを抽出する技術を開発したチームのひとりだ。(PHOTOGRAPH BY MAX PLANCK INSTITUTE FOR EVOLUTIONARY ANTHROPOLOGY) 古代のDNAは考古学を変えた。遺体に残る遺伝物質を増やすことで、古代人の性別や祖先を特定することが可能になった。今や数十万年前のDNAまで研究できるようになり、米大陸に初めて到達した人類や、ネアンデルタール人の行方など、遠い昔の出来事について新たな理解をもたらしている。 このほど約2万年前の女性が身に着けていたと思われるシカの歯のペンダントからヒトのDNAが抽出され、2023年5月3日付けで学術誌「Nature」に論文が発表された。ほかの動物を材料にした遺

                                                                    2万年前のペンダントから女性のDNAを発見、画期的な新技術で
                                                                  • 湿地遺体が物語る「その残忍な最期」─史上初の包括的な調査でわかったこと | 彼らはなぜ殺されたのか?

                                                                    泥炭地で自然にミイラ化した「湿地遺体」は、泥炭の化学的特性ゆえに保存状態が極めて良いことで知られる。1月に発表された初の包括的な調査の結果、彼らがどんな人々で、なぜ、どのように亡くなったかが明らかになった──。 「イデガール」との出会い 1990年代の初頭、オランダに住む10代のロイ・ファン・ビークは、課外授業で地元の博物館へ行った際、「湿地遺体」の展示を見学した。湿地遺体とは、北欧の湿地帯や吸水性の芝土、泥炭湿地に埋葬された古代人の遺体で、人骨と自然ミイラの両方を指す。 ファン・ビークはそのなかに、驚くほど完全な状態を保った、奇妙にねじ曲がった遺体があったことを覚えている。それは身長およそ140センチ弱、1世紀頃に生きていたと思われる、彼と同じ年頃の女性の遺体だった。 「彼女は現在のオランダ・イデ村の南方にある、浅い泥炭湿地に葬られていました」と、いまではワーヘニンゲン大学・研究センター

                                                                      湿地遺体が物語る「その残忍な最期」─史上初の包括的な調査でわかったこと | 彼らはなぜ殺されたのか?
                                                                    • 「明史」編さん者の墓誌見つかる 河北省滄州市

                                                                      明かりを照らして墓誌を確認する滄州博物館の職員(2022年4月15日撮影)。(c)Xinhua News 【4月26日 Xinhua News】中国河北省(Hebei)の滄州市(Cangzhou)博物館は、市民から寄贈された墓誌が、清代に明王朝の正史「明史」の編さんに関わった学者のものであることを調査により確認したと明らかにした。墓誌に記載された被葬者の名は呂修祉(Lv Xiuzhi)で、明の天啓元(1621)年に「挙人(科挙の地方試験『郷試』の合格者)」、清初に科挙の「榜眼(ぼうがん、次席及第者)」となり、弘文院で編集者として「明史」の編さんに携わった。 同博物館の王瑋(Wang Wei)副館長によると、墓誌は蓋石(ふたいし)と誌石の二つからなる。一辺の長さはいずれも88センチの正方形で、厚さは蓋石が16センチ、誌石が18センチ。青石製で文字が篆刻(てんこく)されている。刻字は小さく、彫

                                                                        「明史」編さん者の墓誌見つかる 河北省滄州市
                                                                      • 3000年前の小麦粉が残された当時の大きなパン屋がアルメニアで発掘される : カラパイア

                                                                        アルメニアにあるメツァモール遺跡の数千年前に焼け落ちたと思われる大きな建造物を発掘調査していた考古学者たちは、不思議なものに気がついた。 茶色の土の上に埃っぽい白い物質の層がついていたのだ。 最初、考古学者たちは、この物質は灰ではないかと考えた。この建物には、いくつかの炉があり、白い物質の層はあたり一帯にあったからだ。 しかし、この白い物質を詳しく調べたところ、古代の小麦粉がそのまま保存されたものであることが判明した。

                                                                          3000年前の小麦粉が残された当時の大きなパン屋がアルメニアで発掘される : カラパイア
                                                                        • 富雄丸山古墳の発掘調査 第6次調査

                                                                          wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=陸|last=村瀨|title=富雄丸山古墳の発掘調査 第6次調査|origdate=2023-01-27|date=2023-01-27|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/130515|doi=10.24484/sitereports.130515}} 閉じる

                                                                            富雄丸山古墳の発掘調査 第6次調査
                                                                          • 水の中のタイムカプセル『世界の水中遺跡』

                                                                            水の中には、すごい遺物が眠っている。 考えてみてくれ、地球の大部分は水に覆われている。しかも、風雨にさらされ、人が歩き回る地表と比べ、水の底は安定している。そう考えると、人の手が届きにくく、探し当てられなかっただけで、水中には数多くの遺物・遺跡があるはずだ。 それが、最新技術のおかげで、そうした遺跡が続々と見つかっている。『世界の水中遺跡』では貴重な画像とともに紹介している。 縄文時代の貝塚(当時の有機物が残存している状態) ヒエログリフが刻まれた紀元前300年の石碑 古代ギリシャの暦の計算装置(アンティキセラ装置) 元寇のモンゴル兵が用いた火薬兵器 中世のヴァイキング船が丸ごと 縄文時代の有機物が大量に残っているのは、琵琶湖の粟津湖底遺跡だ。何千年も前なのに、なぜそんなに保存状態が良いのか? 遺跡の上には粒子の細かな粘土やシルトが積み重なっており、空気と遮断されていたためだという。 砂や

                                                                              水の中のタイムカプセル『世界の水中遺跡』
                                                                            • 14万年~12万年前の「未知の人類」の化石を発見、現生人類と文化的交流があった可能性も

                                                                              2021年6月24日、イスラエルのテルアビブ大学やヘブライ大学などの研究チームが、イスラエルのラムラ近郊にある「Nesher Ramla(ネシェル・ラムラ)遺跡」で発見された14万年~12万年前の化石が、これまで分類されていなかった「未知の人類」のものであると発表しました。「Nesher Ramla Homo(ネシェル・ラムラ・ホモ)」と研究チームが呼んでいるこの人類は、ネアンデルタール人と類似した生物学的特徴を持っているほか、ホモ・サピエンス(現生人類)と文化的交流があった可能性も報告されています。 A Middle Pleistocene Homo from Nesher Ramla, Israel | Science https://science.sciencemag.org/content/372/6549/1424 Middle Pleistocene Homo behavio

                                                                                14万年~12万年前の「未知の人類」の化石を発見、現生人類と文化的交流があった可能性も
                                                                              • 「柴崎浅間山古墳」は4世紀に作られた方墳か 高崎市が調査|NHK 群馬県のニュース

                                                                                高崎市が市内の柴崎浅間山古墳を調査した結果、古墳時代前期の4世紀に作られたとみられる四角い形をした方墳であることがわかり、市は今週末に現地説明会を行うことにしています。 高崎市柴崎町にある柴崎浅間山古墳は、戦前からその存在がわかっていましたが、去年、市が発掘調査を行い、9日、その結果が報道陣に説明されました。 それによりますと、古墳は一辺がおよそ25メートル、高さが4.2メートルの四角い形をした方墳で、周囲で見つかった土器のかけらから、作られた時期は古墳時代前期の4世紀とみられるということです。 この時期の方墳は珍しく、古墳時代前期におけるこの地域の重要性を示す貴重な古墳だとしていて、一帯での水田開発を率いたリーダーの墓と推測しています。 市は今月12日に現地説明会を行うことにしていて、参加には事前の予約が必要です。 高崎市教育委員会の清水豊学芸員は「極めて残存状況が良く、県内でも非常に貴

                                                                                  「柴崎浅間山古墳」は4世紀に作られた方墳か 高崎市が調査|NHK 群馬県のニュース
                                                                                • ローマ帝国時代の「完全な」植民都市発見 エジプト

                                                                                  エジプト南部ルクソールで発掘された1800年前の「完全な植民都市」。観光・考古省提供(2023年1月24日提供)。(c)AFP PHOTO / HO / EGYPTIAN MINISTRY OF ANTIQUITIES 【1月25日 AFP】エジプト当局は24日、南部ルクソール(Luxor)で1800年前の「ローマ帝国時代の完全な植民都市」を発見したと発表した。 エジプト考古最高評議会(Egyptian Supreme Council of Antiquities)のムスタファ・ワジリ(Mostafa al-Waziri)事務局長は、2~3世紀のもので、ルクソールを流れるナイル川(Nile River)東岸で見つかった中では「最も古く重要な都市」だと説明している。 発掘されたのは「多数の住宅」、ハトを飼育するための「ハトの塔2基」や「多数の鍛冶場」など。鍛冶場では鍋や道具類、「ローマ帝国時

                                                                                    ローマ帝国時代の「完全な」植民都市発見 エジプト