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  • 初代ローマ皇帝をかたどった大理石の頭部像、イタリアで発見 時期は2000年前

    初代ローマ皇帝アウグストゥスをかたどった頭部像が、イタリア南部の町で出土した/MIBACTmolise/Facebook 初代ローマ皇帝アウグストゥスをかたどった2000年前の大理石の頭部像が、イタリア南部モリーゼ州のイゼルニアで発見された。 考古学者のフランチェスコ・ジャンコラ氏がこの類いまれな発見をしたのは、2013年の豪雨で崩れた中世の壁を修復していた時のことだった。 ジャンコラ氏はイゼルニアの地元自治体のために修復作業に携わっていたが、6日のCNNの取材に語ったところによると、これほど大きな発見があるとは予想していなかったという。 「壁の後ろを掘っていた時に、地面の色が変わったのが見えた」(ジャンコラ氏) 「そのまま精密なこてで掘り進めたところ、大理石の塊が出てきた。髪型や目の形と彫り方から、アウグストゥス像の頭部であることがすぐに分かった」 発見を受け、ジャンコラ氏は直ちに当局や

      初代ローマ皇帝をかたどった大理石の頭部像、イタリアで発見 時期は2000年前
    • ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模

      この20年で考古学者たちは、周辺の様々な証拠をつなぎ合わせ、建造にあたった新石器時代の人々について実に多くのことを明らかにしてきた。天文学の知識と土木技術、そして強い決意をもつ古代人が建てたストーンヘンジは、後世の人々の想像力を何千年もの間かき立ててきた。 あの魔術師と王の伝説も ストーンヘンジにはさまざまな仮説がある。なかでも最も有名かつ空想的な仮説は、アーサー王伝説に含まれる物語だろうか。12世紀の年代記作家ジェフリー・オブ・モンマスは著書『ブリタニア列王史』のなかで、魔術師のマリーンがアイルランドから石を運んだと書いた。 同じく12世紀の作家であったヘンリー・オブ・ハンティングドンはこう表現している。「驚くべき大きさの石がまるで門のように立てられ、門の上に門が置かれているかのようだ。また、それらの石がいかにしてあの高さまで持ち上げられたのか、そもそもなぜあの場所に立てられたのか、誰に

        ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模
      • 奈良 平城京の跡地で大型の建物跡見つかる 有力な貴族の邸宅か | NHK

        奈良時代に都が置かれた、奈良市の「平城京」の跡地で、都の中心に近い場所から大型の建物の跡が見つかりました。専門家は、「日本書紀」の編さん者として知られる「舎人親王」など、有力な貴族の邸宅だった可能性が高いとしています。 建物の跡が見つかったのは、奈良時代の都「平城京」の中心部だったところから、南東に1キロほど離れた場所です。 奈良市埋蔵文化財調査センターがことし1月から行った発掘調査で、奈良時代前半の邸宅とみられる、複数の大型建物の跡が見つかりました。 平城京内は当時、碁盤の目のように敷地が道路で区切られていて、邸宅の敷地の広さは、建物の柱の位置などから、当時の区画4つ分にあたるおよそ6ヘクタールと推定されています。 当時の大臣の住まいに匹敵する広さだということで、センターでは今回の建物の跡も有力な貴族の邸宅だった可能性が高いとしています。 調査にあたったセンターの菊井佳弥調査員は、「この

          奈良 平城京の跡地で大型の建物跡見つかる 有力な貴族の邸宅か | NHK
        • 古代ギリシャの鎧「リノソラックス」を完璧に再現しようとした研究者たちの苦労とは?

          古代ギリシャで使用されていたとされる鎧(よろい)の一種「リノソラックス」は、紀元前8世紀ごろから存在が確認されているものの、現存する標本はほとんど残っていません。このリノソラックスに魅入られた学生たちがリノソラックスを完璧に再現しようとした時の苦労を、担当教授の妻が語りました。 Unraveling the linothorax mystery, or how linen armor came to dominate our lives | Johns Hopkins University Press Blog https://jhupress.wordpress.com/2013/04/24/unraveling-the-linothorax-mystery-or-how-linen-armor-came-to-dominate-our-lives/ ウィスコンシン大学グリーンベイ校で教

            古代ギリシャの鎧「リノソラックス」を完璧に再現しようとした研究者たちの苦労とは?
          • 「産業革命前はがん患者1%」説は本当か、143遺骨で検証

            「死の勝利」を描いた15世紀イタリアの作者不明のフレスコ画。一般的に中世の3大疾患は、感染症、栄養失調、そして戦争や事故による負傷だったと考えられている。(ART VIA WERNER FORMAN ARCHIVE, BRIDGEMAN IMAGES) 現代では、英国人の半数以上が一生のうちにがんと診断されると言われている。一方で考古学的証拠から、産業革命以前には、がんにかかる英国人は1%程度だったと考えられてきた。 だが5月4日付けで学術誌「Cancer」に発表された論文では、この1%という見積もりは小さすぎた可能性が指摘されている。 研究では、現代のがん検出ツールを用いて、数百年前に埋葬された遺骨を分析した。その結果、産業革命以前の英国人ががんにかかる確率は、これまで考えられていたより少なくとも10倍以上高かった可能性があることが明らかになった。 この研究を主導したのは、英ケンブリッジ

              「産業革命前はがん患者1%」説は本当か、143遺骨で検証
            • 古代越国の王侯級陵墓、中国浙江省で見つかる

              この写真にはショッキングな表現、または18歳以上の年齢制限の対象となる内容が含まれます。 ご覧になる場合にはご了承の上、クリックしてください。 【11月5日 Xinhua News】中国春秋時代後期の越王・句践(Gou Jian、こうせん)による「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の故事は日本でもよく知られるが、中国東南部の沿海地域にあった越国の歴史は、いまだ多くの謎に包まれている。しかしこのほど、考古学者による3年余りの調査により、浙江省(Zhejiang)湖州市(Huzhou)安吉県(Anji)で越国の上級貴族のものと思われる陵墓が初めて発見された。少なくとも2500年以上前のもので、句践が没したとされる紀元前465年よりも古いという。 【関連記事】2000年前に鋳造、「越王句践剣」公開 杭州市の西湖美術館 中国の多くの考古学者は、同陵墓が君主クラスの墓である可能性を指摘。今回の発見は越文

                古代越国の王侯級陵墓、中国浙江省で見つかる
              • 謎に満ちた「ルリスタン青銅器」、誰が作ったのか | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

                紀元前700年頃に作られたルリスタンの精巧な馬具。神話上の獣を手なずける角の生えた人物が表現されている。(ARTOKOLORO/ALAMY) 1920年代後半、精巧な青銅器が古美術品市場に溢れ出した。人物や動物をかたどった馬具やピン、浮き彫りを施したカップなど、どれも繊細で美しい品々ばかりだったが、その由来について詳しく知る者はいなかった。美術商たちに尋ねても、詳しい地名や集落ではなく、イランのザグロス山地にある一地方を示すのみだった。ルリスタン(現在のロレスタン)だ。 ルリスタン青銅器の氾濫は、1928年秋、イラン西部のハルシンという静かな町から始まった。ある農夫が畑で美しい青銅器をいくつか発見したのがきっかけだ。噂は広がり、やがて町には美術商が殺到するようになり、青銅器は博物館や個人収集家へと売り渡された。 学者や地元の人々の間からは、自分たちも青銅器を発掘したいという声が多かった。当

                  謎に満ちた「ルリスタン青銅器」、誰が作ったのか | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
                • ウンチの分析から知られざる「マヤ文明の衰退」の歴史を明らかに - ナゾロジー

                  人のウンチは、それがどんなに古いものであっても、想像以上に多くのことを教えてくれます。 カナダ・マギル大学(McGill University)は今回、マヤ文明の遺跡から採取された排泄物のサンプルを分析し調査。 その結果、これまでの研究では知られていなかった、気候変動にともなう人口減少が起きていたことが明らかになりました。 ウンチが新たな考古学調査のツールとなりそうです。 研究は、3月30日付けで科学誌『Quaternary Science Reviews』に掲載されています。

                    ウンチの分析から知られざる「マヤ文明の衰退」の歴史を明らかに - ナゾロジー
                  • 約9000年前の狩猟民の遺骨から「女性も狩りをしていた」と判明、”男性ハンター説”が覆る!? - ナゾロジー

                    初期の社会では女性も狩りに従事していた? / Credit: UC Davis IET Academic Technology Services

                      約9000年前の狩猟民の遺骨から「女性も狩りをしていた」と判明、”男性ハンター説”が覆る!? - ナゾロジー
                    • 「歴史を変えた津波」が考古学で判明、14世紀末

                      2004年インド洋で発生した津波によって露出した古い墓標をきっかけに、この地域を襲った過去の津波について、研究者らが調べ始めた。(PHOTOGRAPH COURTESY PATRICK DALY) 2004年12月26日、スマトラ沖を震源とした地震により、高さ30メートルに達する津波がインドネシア、スマトラ島北西のアチェ州を襲った。 津波はインド洋に面する海岸の町を次々にのみ込み、はるか遠くアフリカ大陸のソマリアにまで到達した。アチェ州だけで死者は16万人以上、家を失った人々はもっと多かった。 このアチェ州は、600年以上前の14世紀末にも同様の津波に襲われ、やはり沿岸の村が甚大な被害を受けていたことが、新たな証拠から明らかになった。さらに、それがこの地域で強大な権力を誇ったアチェ王国の勃興につながったという。この調査結果は、5月28日付けで「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に発表され

                        「歴史を変えた津波」が考古学で判明、14世紀末
                      • 凍結ミイラ「アイスマン」壮絶な最期の旅路を解明

                        1991年、エッツィ(アイスマン)のミイラ化した遺体を調べる登山家のラインホルト・メスナー氏(右)と仲間。(PHOTOGRAPH BY PAUL HANNY, GAMMA-RAPHO/GETTY) アルプスの氷河で見つかり、「エッツィ」の愛称で知られる有名な男性のミイラ「アイスマン」。負傷し、おそらく追われていたアイスマンは、アルプスの高山で、背中を矢で射られて死亡した。(参考記事:「アイスマンをめぐる5つの意外な事実」) それから約5300年、考古学者たちは今も、彼の死の謎を解明しようと取り組んでいる。このほどアイスマンの発見現場から採取されたコケの分析が行われ、最後の登山の詳細が明らかになった。論文は2019年10月30日付けで学術誌「PLOS ONE」に発表された。 これまでにわかっていること エッツィは1991年、エッツタール・アルプスを歩いていたハイカーが、イタリアとオーストリア

                          凍結ミイラ「アイスマン」壮絶な最期の旅路を解明
                        • 約3000年前の「神の頭部」が発見される、偶像崇拝が禁止されていた時代の珍しい事例か

                          イスラエルに存在する古代の遺跡で、約3000年前に作成されたと思われる「神の頭部」が発見されました。 3,000-year-old head may be face of God | Live Science https://www.livescience.com/ancient-clay-head-may-depict-god.html イスラエルの都市ベト・シェメシュの近くに存在するエラの谷にある古代の要塞遺跡「Khirbet Qeiyafa(エラの要塞)」で、イスラエルの考古学者たちによる調査チームが2インチ(約5cm)ほどの大きさの粘土製の物体を発見しました。 この物体は旧約聖書および新約聖書における唯一神である「ヤハウェ」の頭部を粘土で模したものであると考えられており、非常に珍しいものであるとして注目を集めています。なぜイスラエルで発見された3000年前の神の頭部が珍しいのかとい

                            約3000年前の「神の頭部」が発見される、偶像崇拝が禁止されていた時代の珍しい事例か
                          • 双方中円墳、九州で初確認 福岡・うきは市の西ノ城古墳 | 西日本新聞me

                            福岡県うきは市で発掘調査中の西ノ城(にしのしろ)古墳が、円形墳丘の両端に方形墳丘が付いた「双方中円墳(そうほうちゅうえんふん)」とみられることが分かった。全国で数例しか確認されておらず、九州では初めて。出土した土器片から古墳時代前期初頭(3世紀後半)の築造と推定され、最古級の双方中円墳という。近畿や山陽の有力勢力と被葬者のつながりが推察され、専門家は当時の中央と地方の関係を知る重要な発見だと指摘する。 西ノ城古墳は同市浮羽町の耳納(みのう)連山中腹にある。市教育委員会によると、円形墳丘は長径約37メートル、高さ約10メートルで、二つの方形墳丘を合わせた全長は約50メートル。円形墳丘の頂部では、板状の石を組んで造った埋葬施設が2基見つかった。壊された同様の埋葬施設を含めると、5基以上あったとみられ、弥生時代の集団墓の特徴を残す。一帯を治めた豪族と親族、側近らが埋葬されたと考えられるという。

                              双方中円墳、九州で初確認 福岡・うきは市の西ノ城古墳 | 西日本新聞me
                            • 氷原が解けて過去6千年分68本の矢が見つかる、ノルウェー

                              ノルウェーのラングフォンネ氷原から出てきた木製の矢柄を調べる研究者。氷の中に閉じ込められた大昔の遺物が、近年の氷の融解で発見されることが増えている。年代は放射性炭素年代測定法を用いて特定される。(GLACIER ARCHAEOLOGY PROGRAM, INNLANDET COUNTY COUNCIL) ノルウェーの考古学チームが、同国の高山に広がる約24ヘクタールの氷原(アイスパッチ)で、氷から解け出てきた矢を何十本も発見した。なかには6000年前の矢もあった。 異例の高温となった2014年と2016年の夏にラングフォンネ氷原で行われた遠征調査では、トナカイの骨と角も大量に発見された。猟師たちが何千年もの間、この氷原を利用していたことが示唆される。その間、彼らが使う矢じりの素材は石や淡水貝から鉄へと進化したが、その狩猟技術は変わらなかった。 研究チームは11月25日付けで学術誌「Holo

                                氷原が解けて過去6千年分68本の矢が見つかる、ノルウェー
                              • 干ばつのイタリア、川の水位低下で遺跡出現 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

                                イタリアでは一部地域がここ70年で最悪の干ばつに見舞われており、河川の水位が低下したことで、これまで水没していた考古学的な遺構や遺物が出現している。 同国北西部ロンバルディア州にあるポー川の支流オーリオ川では、干上がった川底から、紀元前2300~700年の青銅器時代の建築物の支柱が出現した。同州のコモ湖では、湖底から約10万年前の大型の鹿の頭蓋骨や、サイ、ハイエナ、ライオンの骨が発見された。 北東部エミリアロマーニャ州のポー川沿いにある野生生物保護区では、第2次世界大戦時に沈没した船2隻の残骸が現れた。ベネチアのジュデッカ造船所で建造されたもので、1943年にドイツの攻撃を受けて沈没していた。ポー川ではさらに、第2次大戦中の1944年に米国の爆撃により沈没した長さ55メートルの荷船も姿を現した。 ポー川の主要な支流の一つである北部ピエモンテ州のセージア川では、赤れんがの遺跡が水中から現れ、

                                  干ばつのイタリア、川の水位低下で遺跡出現 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
                                • 古代エジプト絵画、独自の様式を生んだのは無名の画家たちだった

                                  古代エジプト時代の墓に描かれるのは、高貴な生まれの人ばかりではなかった。デイル・エル・メディナにある、ラムセス2世の時代(紀元前1279年~1213年頃)の彫刻家の墓には、棺に装飾を施す画家が描かれている。(UIG/ALBUM) 西洋の画家たちは、自らの名前が永久に残るよう「個性」を作品に刻みつけてきた。古代エジプトの画家たちはその真逆だ。彼らは世界的に知られる芸術作品を、紀元前3000年ごろに確立された様式を継承しながら、匿名のまま作り続けた。 古代エジプト文化の発祥から、王家の谷にある巨大な王墓の装飾に至るまで、エジプトの絵画は大衆を喜ばせるためではなく、より超越的な目的をもって描かれていた。 死者の活力である「カー」を、来世でも継続させるためには栄養が必要だった。その栄養を供給するために、エジプト人は絵画の魔力(ヘカ)に頼ろうと考えた。ある物体を描けば、それを現実のものにできると彼ら

                                    古代エジプト絵画、独自の様式を生んだのは無名の画家たちだった
                                  • 古代の歯石から判明、聖書に登場するペリシテ人の食事はアジアン

                                    古代メギドの市場の想像図。交易商の店先には、地中海東部全域で育つ小麦、キビ、ナツメヤシのほか、南アジアで採れるゴマ油の入ったビンや、ターメリックが盛られた器が並ぶ。(ILLUSTRATION BY NIKOLA NEVENOV) 新約聖書にある東方の三賢者の物語は、古代の中東において長距離貿易が盛んだったことを示している。このことは学者の間でも定説となっており、ローマ時代には、アラビア海やそれよりも東の地域から、めずらしい油や樹脂が地中海一帯に持ち込まれていた。 そして今回、学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載された新たな研究で、現在のイスラエルがある土地に住んでいた人々は、アジア産の果物やスパイスを3500年も前から口にしていたことがわかった。(参考記事:「ダビデの敵ゴリアテも、ペリシテ人のルーツを解明」) 研究では、青銅器時代中期から鉄器時代初期(紀元前1500年~110

                                      古代の歯石から判明、聖書に登場するペリシテ人の食事はアジアン
                                    • 最も古い乗馬の証拠が見つかる、ヤムナ文化の勢力拡大に貢献か

                                      乗馬の描写として最初期のものは青銅器時代に登場した。画像はエジプト、サッカラのホルエムヘブの墓から出土した石灰岩のレリーフ。こうした描写は、今回ヨーロッパ南東部で新たに見つかった乗馬者と見られる人々の骨格より1500年ほど後の時代のものだ。(PHOTOGRAPH BY DEAGOSTINI, GETTY IMAGES) 歴史上最初に馬に乗った人々は、東欧の草原に暮らしていた古代の遊牧民かもしれない。彼らは馬に乗るという習慣のおかげで、ヨーロッパにおいて優位性を獲得できたのかもしれない。そんな可能性を示唆する考古学的証拠が新たに見つかり、3月3日付けで学術誌「Scientific Advances」誌に発表された。 論文によると、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアの墓から出土した24体の古代の人々の骨格から、馬に乗ることによって生じた身体的ストレスの痕跡が見つかった。骨格の大半は、約5500

                                        最も古い乗馬の証拠が見つかる、ヤムナ文化の勢力拡大に貢献か
                                      • 古代ローマは大阪だった…?一家に一台ありがちな調理用具がポンペイ展で展示されている

                                        リンク 特別展「ポンペイ」 Special Exhibition POMPEII 公式サイト 特別展「ポンペイ」 Special Exhibition POMPEII 特別展「ポンペイ」 Special Exhibition POMPEIIの公式サイトです。2022年1月~12月の1年間、全国4会場巡回予定です。 2 users 1753

                                          古代ローマは大阪だった…?一家に一台ありがちな調理用具がポンペイ展で展示されている
                                        • 古代ユダヤ人は戒律で禁じられた食べ物を普通に食べていたことが判明

                                          宗教が生活の土台となっている地域では、宗教の戒律によって食生活が厳しく取り締まられていることがよくあり、特にイスラエルを中心に信仰されているユダヤ教の食物に関する戒律は「カシュルート」と呼ばれ、非常に厳しいことで知られています。そんなユダヤ教の戒律では、「ヒレやウロコがない魚を食べてはいけない」と定められていますが、古代のユダヤ教徒はウロコがない魚もよく食べていたことが判明しました。 Full article: The Pentateuchal Dietary Proscription against Finless and Scaleless Aquatic Species in Light of Ancient Fish Remains https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/03344355.2021.1904675 Ancient

                                            古代ユダヤ人は戒律で禁じられた食べ物を普通に食べていたことが判明
                                          • 口の中に「黄金の舌」 2000年前のミイラ発見 エジプト

                                            エジプト・アレクサンドリア西方のタップ・オシリス・マグナ神殿で発掘された、口の中に黄金の舌の形の護符が納められた約2000年前のミイラ。エジプト観光・考古省提供(2021年1月29日提供)。(c)AFP PHOTO / HO / EGYPTIAN MINISTRY OF ANTIQUITIES 【2月4日 AFP】エジプト観光・考古省は3日、北部アレクサンドリア(Alexandria)近郊で、エジプトとドミニカの合同調査隊が口の中に舌の形をした黄金の護符が納められた約2000年前のミイラを発掘したと発表した。 同省によると調査団は、アレクサンドリア西方のタップ・オシリス・マグナ(Taposiris Magna)神殿で「岩に刻み込まれた16基の墓」を発見した。この埋葬形式は、古代ギリシャ・ローマ時代に広く用いられていたという。 墓の中には数体のミイラがあり、「保存状態は悪かった」が「金箔(き

                                              口の中に「黄金の舌」 2000年前のミイラ発見 エジプト
                                            • バイキングの「武装女性像」に新説、ワルキューレではなかった

                                              デンマークのリーベでは、さまざまなものをかたどった像が製造されていた。(MUSEUM OF SOUTHWEST JUTLAND, CC-BY-SA) デンマークをはじめ、イギリスやロシアなどの各地で、それぞれ何十個も発見されてきたバイキング時代の武装した女性の像は、殺された戦士を死後の世界に運ぶ北欧神話の女性戦士、ワルキューレだと考えられてきた。 しかし、その小さなアミュレット(お守り)あるいはペンダントは、バイキングの祭りや儀式で中心的な役割を果たした実在の女性たちを表したものだとする説が、8月5日付けで学術誌「Medieval Archaeology」に発表された。さらに、これらは儀式用具一式の一部であり、バイキング時代のヨーロッパにおける男女の役割が、考えられていたよりも複雑だったことを示唆しているという。 謎めいたその古代のブロンズ像は、長さ数センチの長髪の女性で、多くの場合、紋章

                                                バイキングの「武装女性像」に新説、ワルキューレではなかった
                                              • 顔面を斧でグサッ!中世ゴットランドの戦いの凄惨な様子を遺骨から復元 - ナゾロジー

                                                中世ヨーロッパで最も陰惨な戦争の一つとされる「ゴットランドの戦い(the Battle of Gotland)」。 そこで壮絶な死を遂げた男性の顔がこのほど、ブラジル人3Dデザイナーのシセロ・モラエス(Cícero Moraes)氏の手により復元されました。 男性の頭蓋骨には、アゴの左側から口、鼻にかけて斜めにザックリと穴が空いており、これが調査の結果、手斧による一撃で付けられた可能性が示されました。 また、リアルな傷跡と生前の顔の復元により、戦争の悲惨な実態が明らかにされています。 ゴットランドの戦いとは一体どんな争いだったのでしょうか? 研究の詳細は、プレプリントが2022年10月30日付で3Dコンピュータグラフィックス専門誌『OrtogOnLineMag』に公開されています。 Medieval fighter may have died with an ax ‘stuck in hi

                                                  顔面を斧でグサッ!中世ゴットランドの戦いの凄惨な様子を遺骨から復元 - ナゾロジー
                                                • 謎のシンボルが刻まれた4000年前の石板は「宝の地図」だった! - ナゾロジー

                                                  皆さんは「サン・ベレク石板(Saint-Bélec slab)」という歴史的遺物をご存知でしょうか。 これは1900年にフランス北西部ブルターニュ地方で見つかった石碑で、約4000年前の青銅器時代のものであることが分かっています。 一方で、120年以上前に見つかっていたにも関わらず、今日まで詳しい調査がほとんどされてきませんでした。 そんな中、フランスの西ブルターニュ大学(UBO)およびフランス国立科学研究センター(CNRS)の最新調査により、サン・ベレク石板は失われた遺構のありかを示す”宝の地図”である可能性が浮上したのです。 考古学者らは今、この地図をもとに宝探しをするというインディ・ジョーンズの世界に飛び込もうとしています。 Strangely Engraved Rock Is Giant ‘Treasure Map’, Archaeologists Say https://www.

                                                    謎のシンボルが刻まれた4000年前の石板は「宝の地図」だった! - ナゾロジー
                                                  • “アーサー王生誕の地”に要塞跡、英「暗黒時代」に光

                                                    ティンタジェル城の遺跡。この地で生まれたという伝説のアーサー王との結びつきを強めることを望んだイングランドの王族によって、13世紀に建てられたものだ。(PHOTOGRAPH BY MATT CARDY, GETTY IMAGES) 英国南西部コーンウォール州のティンタジェルは、大西洋を臨む岩がちな岬だ。2016年の夏、ここで見つかったある遺構と出土品が注目を集めた。 理由のひとつは、ティンタジェルがアーサー王が生まれたとされる場所だったからだ。だが同時に、伝説の偉大なブリタニアの王との関係はさておき、それらは考古学的にも「信じられないほど重要な発見」だった。 発掘調査で出土したのは、巨大な石造りの要塞跡、遠くアジア(現在のトルコ)から輸入されたぜいたくな品々だ。これらはすべてローマ帝国の支配が崩壊した西暦400年以降の時代のものだった。 歴史的文献において、アーサーという名の指導者に言及し

                                                      “アーサー王生誕の地”に要塞跡、英「暗黒時代」に光
                                                    • 107年前に沈没した「エンデュアランス号」、南極の海底3000メートルで発見 - BBCニュース

                                                      20世紀初頭にイギリスの南極探検隊が乗り込むも、途中で難破・沈没した極地船「エンデュアランス号」が、水深3000メートルの海底で発見された。

                                                        107年前に沈没した「エンデュアランス号」、南極の海底3000メートルで発見 - BBCニュース
                                                      • 古代マヤ文明の巨大都市が放棄された理由が判明か、飲み水が毒物に汚染されていた証拠が発見される(米研究) : カラパイア

                                                        1000年以上も長きにわたり、古代マヤ文明の都市ティカルは、最大かつ重要な中心都市として君臨していた。 しかし、9世紀後半ごろに、ティカルと周辺の多くの町から忽然と人がいなくなってしまった。新たな分析の結果、ティカルにあった貯水池が、この集団移住の謎を解く重要なカギであることがわかった。 米オハイオ州、シンシナティ大学の研究チームが、現在のグアテマラにあったティカルの貯水池の堆積物を分析した結果、ティカルの住民が飲み水として利用していた水が、毒物に汚染されていた証拠が見つかったのだ。

                                                          古代マヤ文明の巨大都市が放棄された理由が判明か、飲み水が毒物に汚染されていた証拠が発見される(米研究) : カラパイア
                                                        • 解説:380万年前の猿人、人類史をこう書き換える

                                                          新たに発見された頭蓋骨MRD-VP-1/1は、アナメンシス猿人という初期の人類のものである。(PHOTOGRAPH BY DALE OMORI, COURTESY OF THE CLEVELAND MUSEUM OF NATURAL HISTORY) アフリカ、エチオピアでヤギの囲いを作ろうと地面を掘っていた男性が、特別な骨を見つけた。約380万年前に亡くなった人類の祖先の、ほぼ完全な頭蓋骨だ。 8月28日付けの科学誌『ネイチャー』に発表された論文によると、この頭蓋骨はアウストラロピテクス・アナメンシス(アナメンシス猿人)のものと判明した。これまでに発見されたアウストラロピテクス属(150万〜400万年前に生息していた初期人類)の頭蓋骨の中では最も古い。 論文の筆頭著者である米クリーブランド自然史博物館の古人類学者ヨハネス・ハイレ=セラシエ氏は、「380万年前の人類の先祖はどんな顔をしてい

                                                            解説:380万年前の猿人、人類史をこう書き換える
                                                          • 中欧の奇妙なうつぶせ埋葬、「蘇る死者」を恐怖か

                                                            ハンス・バルドゥング・グリーンが16世紀に描いた線画。ドイツの傭兵が死神と話をしている。ヨーロッパ全域でペストが流行するのに伴い、復讐を誓う飢えた不死者(アンデッド)の物語がドイツ語圏に広まった。そうした迷信が埋葬習慣に反映された可能性がある。(ILLUSTRATION BY DEA PICTURE LIBRARY, DE AGOSTINI/GETTY) 2014年、スイスの人類学者アメリー・アルタラウゲ氏は、数世紀前の共同墓地で見つかった奇妙な墓を調査するよう指示された。ベルン大学法医学研究所で働き始めてからわずか数日後のことだった。 共同墓地には340の墓があったが、その中の1つが際立っていた。教会の墓地の片隅に、中年の男性がうつぶせに埋葬されていたのだ。「このような墓を実際に見たのは初めてでした」とアルタラウゲ氏は振り返る。 曲がった肘の内側には、硬貨がいっぱいに詰まった財布と鉄製の

                                                              中欧の奇妙なうつぶせ埋葬、「蘇る死者」を恐怖か
                                                            • 古代エジプトの宮殿の庭で発見された「大量の手」は勝利を祝う儀式のために切断された可能性

                                                              古代エジプトの第15王朝(紀元前1640~1530年)は、ヒクソスと呼ばれる集団によって立てられた王朝です。そんな第15王朝の宮殿の遺跡から見つかった大量の「切断された手」についての研究結果をまとめた論文が、学術誌のScientific Reportsに掲載されました。 First osteological evidence of severed hands in Ancient Egypt | Scientific Reports https://doi.org/10.1038/s41598-023-32165-8 Palace pits with severed hands studied in ancient Egyptian site https://phys.org/news/2023-04-palace-pits-severed-ancient-egyptian.html A

                                                                古代エジプトの宮殿の庭で発見された「大量の手」は勝利を祝う儀式のために切断された可能性
                                                              • 砂漠から丸ごと姿を現したローマ帝国の古代都市

                                                                現在のアルジェリアにあるティムガッドの遺跡。タムガディやタムガスとも呼ばれる。一際目を引くのはローマ皇帝トラヤヌスに敬意を表して作られた「トラヤヌス帝の凱旋門」。(PHOTOGRAPH BY IVAN VDOVIN/AGE FOTOSTOCK) 都市全体が消えることなど滅多にない。だが、北アフリカのヌミディア地方に丸ごと姿を消した都市があった。西暦100年頃、古代ローマ皇帝トラヤヌス帝によって建設されたティムガッドだ。 ティムガッドは当初、ローマ帝国の第3軍団アウグスタの駐屯地として建設され、のちに退役軍人の植民都市として繁栄し、数百年にわたり栄華を極めた。おかげで、侵略者にとっては魅力的な標的だった。430年のバンダル人による侵攻の後、何度も攻撃が繰り返されて弱体化し、完全な復興を果たせないまま、700年代に打ち捨てられてしまう。(参考記事:「ローマ帝国 栄華と国境」) 砂漠が街をのみ込

                                                                  砂漠から丸ごと姿を現したローマ帝国の古代都市
                                                                • ヘルメス神像の頭部発掘、紀元前3〜4世紀後半のものか アテネ

                                                                  ギリシャ・アテネで発掘された、ギリシャ神話の神ヘルメス像の頭部。ギリシャ文化省提供(2020年11月15日提供)。(c)AFP PHOTO / GREEK CULTURE MINISTRY 【11月16日 AFP】ギリシャ神話の神、ヘルメス(Hermes)とされる古代の彫像の頭部が13日、ギリシャの首都アテネ中心地の下水処理場の掘削工事中に見つかった。ギリシャ文化省が15日に明らかにした。 大理石でできた彫像の頭部が発見されたのは、人通りの多いエオルー(Aiolou)通りのわずか1.3メートル下の地中。文化省は、「紀元前4世紀後半、もしくは紀元前3世紀初頭の原物」で、保存状態は良好だとし、「壮年期の神(ヘルメス)が表現されており、ヘルメス柱像の一部と考えて間違いない」と続けている。 ヘルメス柱像は、ヘルメスの頭像や胸像を角柱の台座に設置したもので、道の標識として置かれていた。ヘルメスはギリ

                                                                    ヘルメス神像の頭部発掘、紀元前3〜4世紀後半のものか アテネ
                                                                  • 世界の七不思議「バビロンの空中庭園」の謎を追う

                                                                    古代の様々な著述家の文章からヒントを得て作成された、緑に覆われたバビロンの空中庭園の想像図。(3D GRAPHIC KAIS JACOB) 紀元前225年頃、ギリシャの数学者であったフィロンという人物が、七つの「見るべきもの」のリストを作成した。今日、世界の七不思議として知られるものだ。ギザのピラミッド、オリンピアのゼウス像、エフェソスのアルテミス神殿、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロドス島の巨像、アレキサンドリアの大灯台、そして最も謎に満ちたバビロンの空中庭園だ。 後年、フィロンのリストを修正したものがいくつも登場し、時代の流れによって、異なる建造物が加えられたり除外されたりした。しかし、正統として定着したのはフィロンの七つだ。ほぼ無傷で残っているのは、紀元前2000年代に建築されたと考えられているギザのピラミッドのみである。残り六つのうち五つは消滅したり、廃墟となったりしているが、

                                                                      世界の七不思議「バビロンの空中庭園」の謎を追う
                                                                    • “神風”は本当に吹いた? 「水中考古学」で浮かび上がる歴史に迫る | 佐々木ランディに聞く 「日本に眠る遺産」

                                                                      海や湖、河川と人の関係の歴史を探る「水中考古学」。沈没船や水中遺跡のみならず、人間が水とどのように関わってきたかを調査する学問だ。 実は、日本では多くの水中考古学的「発見」があり、海外からも注目されるほどだ。と同時に、それらの遺産を守るうえで大きな課題も抱えている。 では、水底に眠る遺跡が現代人に教えてくれることとは? 水中考古学者の佐々木ランディに話を聞いた。 日本は「水中遺跡」大国だった! ──2022年2月に出版された著書『水中考古学 地球最後のフロンティア』では、水中考古学に対する想いが綴られ、印象的でした。同書で伝えたかったことは何ですか。 一番に伝えたかったのは、水中遺跡が「実はどこにでもあるもの」だということです。同時に、世界的に見て、日本がこの分野で大きく遅れをとっている事実を知ってほしいと思いました。「このまま変化を起こさないと貴重な遺産が失われていく」と。 ですが、ただ

                                                                        “神風”は本当に吹いた? 「水中考古学」で浮かび上がる歴史に迫る | 佐々木ランディに聞く 「日本に眠る遺産」
                                                                      • JR東日本、高輪ゲートウェイ駅周辺で出土した「高輪築堤」一般公開も計画

                                                                          JR東日本、高輪ゲートウェイ駅周辺で出土した「高輪築堤」一般公開も計画
                                                                        • 国宝の金印が偽物、ではないことがわかった - Meiji.net(メイジネット)明治大学

                                                                          「漢委奴國王」金印は江戸時代に作られたのか?  「漢委奴國王」金印は、日本史の教科書に必ず登場するので、多くの人によく知られた歴史資料だと思います。  そもそも、AD1世紀から3世紀にかけて中国を治め

                                                                            国宝の金印が偽物、ではないことがわかった - Meiji.net(メイジネット)明治大学
                                                                          • 中国で化石発見の「竜人」 現生人類の最近縁種か 論文発表

                                                                            「ホモ・ロンギ」の想像図(2021年6月25日提供)。(c)AFP PHOTO /EurekAlert ! / Chuang Zhao 【6月26日 AFP】中国北東部・黒竜江(Heilongjiang)省で見つかった頭骨化石が、14万年以上前の新種人類のものであることが判明したとする論文が25日、発表された。これまで現生人類(ホモ・サピエンス)に最も近いとされていたネアンデルタール人よりも現生人類に近い種とされ、人類の進化史を根本から書き換える可能性がある。 【図解】現生人類とネアンデルタール人の分岐 頭骨化石は1933年、黒竜江省ハルビン(Harbin)で見つかったが、日本軍から守るために85年間にわたり地中に隠されていたとされる。2018年に掘り起こされ、河北地質大学(Hebei GEO University)の季強(Ji Qiang)教授の手に渡った。研究チームはこの新種を、発見地

                                                                              中国で化石発見の「竜人」 現生人類の最近縁種か 論文発表
                                                                            • 遊牧の起源「人間が動物群についていった」国立民族学博物館、松原正毅名誉教授が説く

                                                                              「遊牧研究には現代の問題を解くカギがあるかもしれない」と話す松原正毅・国立民族学博物館名誉教授遊牧社会を研究してきた国立民族学博物館の松原正毅名誉教授が、「遊牧の人類史-構造とその起源」(岩波書店)を著した。遊牧は人による動物の管理ではなく、むしろ動物の群れの移動に人がついていったことがはじまりだという。乗馬は子供の遊びから始まったとする考察など、子供や女性が果たした役割も重視している。人類史について新たな発想を促す新著について、松原氏に聞いた。 「ヒツジの群れのなかで眠るのは本当に心地がいい。穏やかな気持ちになり、何物にも代えがたい瞬間だと感じました」 松原氏は昭和54年から翌年にかけての約1年間、トルコ南部で遊牧民ユルックの人々と起居をともにして人類学的調査を行った。生活道具一切をラクダの背に乗せ、ヒツジやヤギ、ウシ、ウマの群れとともに秋、冬、夏の各滞在地をつなぐ計約450キロを移動し

                                                                                遊牧の起源「人間が動物群についていった」国立民族学博物館、松原正毅名誉教授が説く
                                                                              • 稲作の起源は中国の上山文化 専門家が確認

                                                                                上山考古遺跡公園に展示されている1万年前のイネ(2020年11月13日撮影)。(c)Xinhua News 【11月18日 Xinhua News】中国浙江省(Zhejiang)金華市(Jinhua)で14日閉幕した「上山遺跡発見20周年学術シンポジウム」で、約1万年前の上山文化が世界の稲作文化の起源であることが確認された。 上山遺跡は2000年、同市浦江県(Pujiang)で発見された。8600年~1万1400年前の遺跡で、約1万年前の炭化したイネが出土している。同遺跡に属する文化は2006年、正式に上山文化と命名された。遺跡の発掘調査を指揮した浙江省文物考古研究所の蒋楽平(Jiang Leping)研究員によると、上山文化に属する遺跡はこれまで19カ所見つかり、早期稲作が行われていたことを示す証拠も数多く出土したという。 シンポジウムは中国考古学会、浙江省の文化・観光庁と文物局、金華市

                                                                                  稲作の起源は中国の上山文化 専門家が確認
                                                                                • 日本人の先祖は、縄文人、弥生人、更に古墳人の3集団に由来しているという研究結果 : カラパイア

                                                                                  これまで日本人の祖先は、縄文人と弥生人であると考えられてきた。しかし『Science Advances』(21年9月17日付)で発表された最新のゲノム解析の結果によると、さらに第三の祖先がいるようだ。 それは、大陸からの渡来が進んだ古墳時代に登場した「古墳人」で、日本人のルーツはこの3集団に由来しているという。

                                                                                    日本人の先祖は、縄文人、弥生人、更に古墳人の3集団に由来しているという研究結果 : カラパイア