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  • 3200年前のエジプトの石板にはピラミッド建設の労働者の「仕事をサボる言い訳」が書き連ねられている

    大勢の集団で仕事をする時、同じ仕事をするメンバーの中に仕事をサボる者が現れることがよくあります。紀元前1250年にエジプトでピラミッドを建設する時も仕事をサボる労働者がいたことを、当時のピラミッド建設チームの石板が記しています。 ostracon | British Museum https://www.britishmuseum.org/collection/object/Y_EA5634 3,200-Year-Old Egyptian Tablet Records Excuses for Why People Missed Work: "The Scorpion Bit Him," "Brewing Beer" & More | Open Culture https://www.openculture.com/2022/02/3200-year-old-egyptian-tablet-

      3200年前のエジプトの石板にはピラミッド建設の労働者の「仕事をサボる言い訳」が書き連ねられている
    • 馬王堆漢墓出土の帛書に新たな断片 原文復元に一役

      【4月28日 Xinhua News】中国湖南省(Hunan)長沙市(Changsha)の湖南省博物館は26日、前漢時代の墓葬群「馬王堆(ばおうたい)漢墓」の出土文化財に対しこのほど実施した体系的な悉皆(しっかい)調査(全点調査)で、帛書(はくしょ、絹に書かれた文書)の断片数十点を発見したと明らかにした。帛書「刑徳」丙篇の一部も含まれており、関連研究の新たな資料となった。 「刑徳」には甲、乙、丙の3篇があり、いずれも1973年に長沙市の馬王堆3号墓から出土した。甲篇は漢代初期の刑徳(刑罰と恩賞)理論における重要な章で、乙篇は主に同理論の運用規則の解説や「刑徳九宮図」の解釈、雲霞や風、雨、雷などの天文気象で戦争の勝ち負けや吉凶を占う決まりが書かれている。丙篇は損傷が激しいため、断片のつなぎ合わせと句読が困難な状態にあった。 同館馬王堆漢墓・所蔵品研究展示センターの喩燕姣(Yu Yanjiao

        馬王堆漢墓出土の帛書に新たな断片 原文復元に一役
      • 「明史」編さん者の墓誌見つかる 河北省滄州市

        明かりを照らして墓誌を確認する滄州博物館の職員(2022年4月15日撮影)。(c)Xinhua News 【4月26日 Xinhua News】中国河北省(Hebei)の滄州市(Cangzhou)博物館は、市民から寄贈された墓誌が、清代に明王朝の正史「明史」の編さんに関わった学者のものであることを調査により確認したと明らかにした。墓誌に記載された被葬者の名は呂修祉(Lv Xiuzhi)で、明の天啓元(1621)年に「挙人(科挙の地方試験『郷試』の合格者)」、清初に科挙の「榜眼(ぼうがん、次席及第者)」となり、弘文院で編集者として「明史」の編さんに携わった。 同博物館の王瑋(Wang Wei)副館長によると、墓誌は蓋石(ふたいし)と誌石の二つからなる。一辺の長さはいずれも88センチの正方形で、厚さは蓋石が16センチ、誌石が18センチ。青石製で文字が篆刻(てんこく)されている。刻字は小さく、彫

          「明史」編さん者の墓誌見つかる 河北省滄州市
        • ガザ地区の農家、畑から4500年前の女神像を発見 - BBCニュース

          パレスチナ自治区ガザ地区でこのほど、約4500年前の美と愛、戦いの女神の石像が見つかった。南部カーン・ヨウニスで農作業をしていた住民が、畑から発見した。 パレスチナの考古学者によると、これは青銅器時代後期にカナン(地中海とヨルダン川にはさまれた一帯の古い地名)で信仰されていた、女神アナトの石像の頭部だという。 ソーシャルメディアでは現地の人々が、この女神と戦争との関係が現状にぴったりだと、皮肉を込めたコメントを書き込んでいる。ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスとイスラエルの間ではここ数年、紛争が激化している。

            ガザ地区の農家、畑から4500年前の女神像を発見 - BBCニュース
          • なぜ山中にピラミッドが? 世紀の観測に挑んだ天文学者たちの足跡:朝日新聞デジタル

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              なぜ山中にピラミッドが? 世紀の観測に挑んだ天文学者たちの足跡:朝日新聞デジタル
            • 弥生集落の遺構見つかる 宇治の任天堂資料館用地:朝日新聞デジタル

              任天堂の資料館建設に先立ち発掘調査があった京都府宇治市小倉町神楽田(かぐらでん)の工場敷地内で、弥生時代後期(3世紀前半)の集落の遺構が見つかった。同市教委が5日、発表した。 現地は同社宇治小倉工場で、近鉄京都線小倉駅の東側。一帯は昭和の干拓で農地になる前の巨椋(おぐら)池の東岸にある「神楽田遺跡」。市教委が2月から、敷地内の2カ所で、深さ約1メートル、計308平方メートルを調べた。 遺構には、状態の良い弥生土器のかめ(高さ22センチ、幅19センチ)がまとまって埋まっていた。煮炊きに使ったとみられ、下の方にすすが残っていた。大きな破片の上に小さな破片を重ねた状況で、「乱雑に捨てたのではなく、何らかの祭祀(さいし)的な意図」が考えられるという。 さらに時期不明の竪穴建物と土師器(はじき)の皿(直径10・5センチ、平安末期~鎌倉時代初め)も見つかった。市歴史まちづくり推進課の浅田洋輔さんは「弥

                弥生集落の遺構見つかる 宇治の任天堂資料館用地:朝日新聞デジタル
              • 最近の考古学のちょっと危ない傾向、遼東半島の稲作をめぐる問題 | 日本語の意外な歴史

                日本語の意外な歴史 これまで知られてこなかった日本語の起源、日本語の歴史について語っていきます。私たちが使っている言葉には、驚くべき人類の軌跡が隠されています。本ブログのトップページの一番目の記事は固定されており、その後に新しい記事が並んでいます。 紀元前1500年頃(つまり3500年前頃)からイネの栽培(稲作)が朝鮮半島に導入されたことは、これまで何度もお話ししてきました(図はRobbeets 2021より引用)。 イネの栽培は山東省と遼東半島から導入されたのではないかと考えられてきたわけですが、現在では大部分の考古学者の目は遼東半島に向いています。北のほうにある遼東半島でイネの栽培が行われていたという事実(Jin 2009、Zhang 2010)がセンセーショナルで、遼東半島が注目をほぼ独り占めしてしまった感があります。しかし、筆者は、「遼東半島→朝鮮半島」という経路だけに注目し、「山

                • https://twitter.com/paikuhan2011/status/1516845472756903941

                    https://twitter.com/paikuhan2011/status/1516845472756903941
                  • 当たるも八卦…35歳男性は中吉 1300年前の木簡、指定文化財に:朝日新聞デジタル

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                      当たるも八卦…35歳男性は中吉 1300年前の木簡、指定文化財に:朝日新聞デジタル
                    • ペルシア帝国の古代の都「ペルセポリス」の3D復元図をじっくり体験できる「Persepolis Reimagined」

                      紀元前550年頃に存在したアケメネス朝ペルシア帝国の都、ペルセポリスを復元し、3D空間としてよみがえらせた「Persepolis Reimagined」が公開されています。 Persepolis Reimagined https://persepolis.getty.edu/ 上記のURLにアクセスすると、以下のように「2500年前、現在のイラン南部に、畏敬の念を抱かせるような美しい古代都市がありました」という導入文が表示されます。ページをスクロールすることで読み進められます。 「強力な王によって建てられ、当時最大の帝国であったアケメネス朝の儀式の首都として機能しました」「今日、そこはペルセポリスとして知られています」と続いたあと、「Enter」と表示されるのでそれをクリック。ツアーが始まります。 「紀元前518年頃、ダレイオス1世によって建てられました」「ペルセポリスはアケメネス朝の力の

                        ペルシア帝国の古代の都「ペルセポリス」の3D復元図をじっくり体験できる「Persepolis Reimagined」
                      • 古代エジプト、クフ王の母ヘテプヘレスの黄金の財宝と遺体の謎

                        3つの小さなピラミッドの横にそびえ立つクフ王の大ピラミッド。ヘテプヘレスの墓「G7000X」は、一部が崩壊した小さなピラミッド「G1a」の近くで発見された。(ALAMY/ACI) 1922年、財宝がぎっしり詰まったツタンカーメン王の墓が英国の考古学者ハワード・カーターによって発見されると、欧米の人々は古代エジプトの魅力に夢中になった。(参考記事:「ツタンカーメン王墓発見者をめぐる誤解」) 人々は、これからもっとエキサイティングな発見があるのではないかと期待した。西洋人を中心とする、エジプト各地の遺跡を発掘していた考古学者たちは特にそうだった。彼らの間には激しいライバル意識があり、有望そうな遺跡を割り当てられるべく策略をめぐらせ、ライバルの進捗状況を用心深く観察していた。

                          古代エジプト、クフ王の母ヘテプヘレスの黄金の財宝と遺体の謎
                        • 「土器は湯が沸かせるのスゴい」の何がスゴいかを大学教授が解説「煮炊きが出来ると生活の豊かさが広がる」

                          縄文の里・朝日 @okumiomote 縄文の里・朝日の公式アカウント。縄文の里・朝日の情報と縄文あるあるをお伝えします。 楽しくご活用いただくため、事前に縄文の里・朝日HP「このサイトについて」をご覧ください。 note(note.com/joumon_note)にて、縄文土器、土偶、奥三面遺跡群のことを発信しています。見に来てね~ iwafune.ne.jp/~joumon/

                            「土器は湯が沸かせるのスゴい」の何がスゴいかを大学教授が解説「煮炊きが出来ると生活の豊かさが広がる」
                          • 第5回 「日本は一気に世界一の水中考古学大国になる」わけ

                            2006年に大学を卒業してすぐに渡米した山舩さんにとって、新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、ひさしぶりに日本で長い時間を過ごす機会になった。最初の緊急事態宣言の間には、日本語のウェブサイトやブログを充実させ、YouTubeで船舶考古学講座を開講したりもした。 当然、日本で水中考古学や船舶考古学に関心を持つ人たちとも多く接触する機会があったはずだ。現状、日本において沈没船の大きな発掘プロジェクトがメディアで話題になることはあまりない。海外ニュースでは、地中海の古代船、北欧のバイキング船、カリブ海の海賊船や貿易船などの沈没船調査の話題をよく見るのに、国内のニュースとしては「静か」な印象だ。こんな日本の現況は、山舩さんの目にはどのように映ったのだろうか。

                              第5回 「日本は一気に世界一の水中考古学大国になる」わけ
                            • 第4回 世界の沈没船の発掘現場を次々とめぐって気づいたこと

                              山舩晃太郎さんは、2010年代後半を、まさに「7つの海」の沈没船遺跡を次から次へと転戦し、研究の進展に貢献してきた。新型コロナ感染症のパンデミックで中断されるまで、1年のうちの10カ月間ほどを海外で過ごしており、日本にいる2カ月間も、九州での共同研究や、東京での講義など、常に旅の中にあった。 山舩さんは、この時期に世界で一番、多くの沈没船の発掘現場の場数を踏んで経験を増した水中考古学者だと断言できる。沈没船の考古学者が一生のうちに関わる沈没船は、多くてもせいぜい10~20隻だという。しかし、フォトグラメトリの技術と、多くの沈没船を見てきた目の確かさを見込まれ、依頼を受けて各地を飛び回る山舩さんのペースだと、2年間で他の人の一生分の現場を踏むことになるのである。 そういった経験を通じて、山舩さんの中には、様々な思いが蓄積しているはずだ。それはどんなものだろうか。

                                第4回 世界の沈没船の発掘現場を次々とめぐって気づいたこと
                              • 第3回 水中考古学の革命フォトグラメトリとその先に見えるもの

                                水中考古学者・船舶考古学者の山舩晃太郎さんは、水中での発掘現場に、写真から情報を引き出して3Dモデルを作るフォトグラメトリという技術を導入した功労者だ。 今回は、その一連の流れを聞いていく。 まずは、水中での発掘調査の基本から説き起こさなければならない。それも、「水中考古学を学問にした」ジョージ・バス博士がもたらした、「学問性」の根幹である部分、つまり「記録」にまつわることだ。 「考古学としての基本は記録なので、水の中に潜って何かが出てきたら、必ず出土した位置をスケッチで描いておきます。また、発掘現場はグリッドで分けてあるので、グリッドのどこから見つけたのか測ってきちんと記録していきます。1個出土するたびに、記録だけで5、6分かかります。それが場所によっては何百、何千と遺物が出てくるので、もう全然終わらないわけですね。でも、水中考古学者は、それをきちんとやって発掘を進めるんです」 何百、何

                                  第3回 水中考古学の革命フォトグラメトリとその先に見えるもの
                                • 第2回 水中考古学に一目惚れして、船の考古学に夢中になるまで

                                  テキサスA&M大学の元教授で、2021年に亡くなったジョージ・バス博士(1932~2021年)によるものだ。 バス博士は、水中考古学の父とも呼ばれる人物だ。1960年に始まったトルコ沖のケープ・ゲラドニア沈没船の発掘で、水中考古学を学術のレベルに引き上げたことで知られる。山舩さんにとっては、偉大な先達であり、また、すでに引退していたとはいえテキサスA&M大学、船舶考古学専攻の大先生でもあった。より正確には、山舩さんを指導した先生たちのさらに先生だった世代だ。しかし、山舩さんは、バス博士の著作や論文の図表を作成したりした縁から交流があり、公私ともに薫陶を受けたという。 では、1960年代という、比較的「最近」始まった水中考古学、船舶考古学の学術化というのはどういうものだったのだろうか。山舩さんに解説してもらおう。 「もともと水中遺跡の重要性に気づいていた人や、実際に発掘を行っていた方々はいた

                                    第2回 水中考古学に一目惚れして、船の考古学に夢中になるまで
                                  • ヴァイキングがグリーンランドを放棄した理由は、寒冷化より干ばつだったかもしれない

                                    ちょっと面白そうな研究を見つけた。アイスランドからグリーンランドへ移住した人々が、入植地を諦めて去った直接原因は何だったのか、という話しである。 当時、気候変動が起きていて、温暖化の時代が急速に終了しようとしていたことは分かっている。 寒冷化すればグリーンランドに住み続けることが難しくなったのは確実である。しかし今回の研究では、実際は、住民たちは気候変動によって起きた干ばつによって、寒冷化しきるより早く見切りをつけていたのでは? ということが示唆されている。 記事 Rewriting The History Books: Why The Vikings Left Greenland https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2022/03/rewriting-history-books-why-vikings.html (書き換えっていうほど書

                                      ヴァイキングがグリーンランドを放棄した理由は、寒冷化より干ばつだったかもしれない
                                    • 第1回 世界を股にかけて活躍する気鋭の水中考古学者

                                      船が沈没するのは、悲劇である。乗っていた人たちは生命を奪われるリスクがとても高く、積み荷は失われる。 しかし、沈没して何百年、時には三千年以上もたった船が、現代を生きるわたしたちに、贈り物をくれることもある。積み荷の重さで水底に押し付けられて、船体の下部と積み荷が海底の砂に埋もれた場合、その部分が「無酸素」状態になり、船を構成する木材や積み荷の中の有機物すら、長期間、保存されることがあるからだ。その場合、沈没船は、陸上の遺跡をはるかにしのぐ貴重な発見に満ちたタイムカプセルとなりうる。

                                        第1回 世界を股にかけて活躍する気鋭の水中考古学者
                                      • 国内最多45個の子持勾玉が出土 埼玉・行田、6~7世紀の遺跡:東京新聞 TOKYO Web

                                        埼玉県行田市の「北大竹遺跡」(6~7世紀)から、一つの遺跡の出土としては全国最多となる45点の子持勾玉の他、古墳時代の祭祀道具が大量に見つかり、県埋蔵文化財調査事業団が30日、発表した。勾玉などの出土品は4月6~10日、熊谷市の県文化財収蔵施設で公開される。 事業団によると、北大竹遺跡は約375ヘクタールで、古墳や集落からなる。今回勾玉などが出土した場所は、祭りの片付けが行われた場所と考えられている。発掘は2019年10月から始まり、各地で出土している中でも最もサイズが小さいとみられる5・1グラムの子持勾玉の他、土器の須恵器など約180点が見つかった。

                                          国内最多45個の子持勾玉が出土 埼玉・行田、6~7世紀の遺跡:東京新聞 TOKYO Web
                                        • 切手サイズの「呪いのお守り」が古代の遺跡から発見される

                                          パレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区から、少なくとも3200年前のものと見られる鉛のお守りが発見されたことが分かりました。お守りはおよそ2cm四方の大きさで、聖書に基づく逸話から「呪いのお守り」と呼ばれています。 ABR Researchers Discover the Oldest Known Proto-Hebrew Inscription Ever Found - Associates for Biblical Research https://biblearchaeology.org/current-events-list/4896-abr-researchers-discover-the-oldest-known-proto-hebrew-inscription-ever-found Amulet with Possible Hebrew Inscription Discover

                                            切手サイズの「呪いのお守り」が古代の遺跡から発見される
                                          • 縄文人はなぜイヌを埋葬したか - 佐藤孝雄 | トイビト

                                            会員登録(無料)していただくと、記事から任意の箇所を抜粋したり、メモをつけて保存できるようになります。 縄文時代の遺跡からはイヌの骨が多数見つかっています。その中にはほぼ全身骨格を保ち、埋葬された個体に由来する資料も少なくありません。縄文時代人はなぜイヌを埋葬したのでしょうか。 1962年に愛媛県久万高原町(旧美川村)の上黒岩岩陰遺跡で発掘された2体の犬骨は、国内最古の埋葬犬資料としてつとに知られていましたが、不幸にして発掘後約半世紀に亘って所在が不明となっていました。私達は、2011年に慶應義塾大学三田キャンパスでこの犬骨を再発見、改めて精査したところ、2体とも生前に歯牙の一部を失っていたことがわかりました。こうした歯牙の生前喪失は、この2体がしばしば「猟犬」として利用されていたことを示唆してくれます。 愛媛県上黒岩岩陰出土1号犬・2号犬頭蓋骨の上面観・側面観・底面観 2号犬上・下顎骨の

                                              縄文人はなぜイヌを埋葬したか - 佐藤孝雄 | トイビト
                                            • 墓が見つかっていない世界史の超有名人物10人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

                                              未だに捜索が続く世界史の英雄の墓 歴史に名だたる英雄の墓は後世の人に敬われ大切にされれる、ということであればいいのですが、全然そんなことありません。 盗賊に盗掘されたり、政敵や敵民族によって暴かれ遺骸や遺骨を燃やされて捨てられたりすることもありました。そういうわけで死後の安寧のために、自分の墓を隠す権力者は多くいました。 その他にも、どういうわけか墓の場所が紛失して見つからないケースなど、歴史上の偉人だけど墓がまだ見つかっていない人物をピックアップしてみます。 1. アッティラ 「神の災い」と恐れられた男の墓 アッティラはご存じの通りフン族の大王。ゲルマン民族を圧迫しつつ、ローマ帝国に侵入を繰り返し、ハンガリー平原を本拠にして現在のロシアからドイツにまで至る大帝国を築いた傑物です。そんな傑物は453年に有名な拍子抜けするような死を迎えました。 このエピソードはゴート人の歴史学者であるヨルダ

                                                墓が見つかっていない世界史の超有名人物10人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
                                              • 天空の遺跡「マチュ・ピチュ」の名前 実は間違いの可能性 - ナゾロジー

                                                南米ペルーの標高2430メートルの山頂に浮かぶ、天空の遺跡「マチュ・ピチュ」。 15世紀のインカ帝国時代のもので、世界でもっとも有名な遺跡の一つとして知られます。 しかし、この「マチュ・ピチュ(Machu Picchu)」という名前について、誤りである可能性を指摘する研究が発表されています。 本当の名前は、単に「ピチュ(Picchu)」あるいは、「ワイナ・ピチュ(Huayna Picchu)」と呼ぶべきだと研究者は指摘します。 しかし、考古学研究を含めあらゆる場所で、この遺跡は「マチュ・ピチュ」として定着しています。 いったい何が問題なのでしょうか? その秘密を以下で詳しく見ていきましょう。 本研究は、2021年8月13日付で学術誌『Ñawpa Pacha』に掲載されたものです。

                                                  天空の遺跡「マチュ・ピチュ」の名前 実は間違いの可能性 - ナゾロジー
                                                • 紀元前シチリア島の都市には「天空の星座を映す聖なる水鏡」のプールがあった - ナゾロジー

                                                  1920年代に、伊シチリア島で発見された約2500年前の人工の貯水池。 これまで、軍事や貿易のための内港と考えられていましたが今回、ローマ・ラ・サピエンツァ大学(Sapienza University of Rome)の研究により、天空を映し出す「聖なるプール」だったと発表されました。 研究主任のロレンツォ・ニグロ(Lorenzo Nigro)氏によると、プールは特定の星座に合わせて、夜空の星を映し出すように設計されているという。 「全盛期には、神を祀る祭壇が設けられた巨大な聖域の中心だったでしょう」と話します。 ここでは「聖なるプール」が作られた背景や、内港という現代解釈が180度転換した経緯について、ひも解いていきましょう。 研究の詳細は、2022年3月17日付で学術誌『Antiquity』に掲載されています。

                                                    紀元前シチリア島の都市には「天空の星座を映す聖なる水鏡」のプールがあった - ナゾロジー
                                                  • 古代壁画の25%は「2〜12歳の子ども」が作っていたと判明! - ナゾロジー

                                                    古代の壁画は一般に、「家族や集団ではなく、男性が一人で創作するものだった」と考えられています。 しかし今回、カンタブリア大学(UC・スペイン)とケンブリッジ大学(CU・英)の研究で、この常識を根底から覆す発見がなされました。 西ヨーロッパ全域で見つかっている旧石器時代の手型ステンシル750点を調べた結果、なんと4分の1(25%)は子どもの手によるものだったのです。 これは古代人が、芸術を個人でなく、家族や仲間で楽しんでいたことを示唆します。 研究の詳細は、2022年3月4日付で学術誌『Journal of Archaeological Sciences』に掲載されました。

                                                      古代壁画の25%は「2〜12歳の子ども」が作っていたと判明! - ナゾロジー
                                                    • 鳥の家畜化 最古の事例か 約7000年前の遺跡で発見 | NHK

                                                      中国東部のおよそ7000年前の遺跡で、渡り鳥のガンの仲間が飼育されていたことを示す痕跡を発見したと北海道大学などの研究グループが発表し、人類が鳥を家畜化していたもっとも古い事例だとしています。 人類が鳥を家畜化してきた歴史は解明されていないことが多く、およそ4000年前に南アジアでニワトリが飼育されていたと考えられていますが、それ以前は明確になっていません。 北海道大学の江田真毅准教授などの研究グループは、中国東部の浙江省にあるおよそ7000年前の新石器時代の集落の遺跡から出土した大量のガンの仲間の骨を分析しました。 ガンの仲間は北に渡って卵を産んでひなを育てるため、この地域に幼い鳥はいないはずでしたが、骨の中から生後2か月以下の幼いひなの骨が1点見つかったということです。 また、動物の骨には地域ごとに水に含まれる同位体の比率のわずかな違いが反映されることを利用して、このガンの仲間の生育し

                                                        鳥の家畜化 最古の事例か 約7000年前の遺跡で発見 | NHK
                                                      • 考古学:人工知能を利用した碑文の復元 | Nature | Nature Portfolio

                                                        古代ギリシャの碑文を復元できるように訓練されたディープニューラルネットワークを複数の歴史学者が利用すると、最高72%の精度が達成されることを示唆する論文が、今週Nature に掲載される。今回の研究で得られた知見は、新たに発見された碑文や不明瞭な碑文の復元と作成年代や作成場所の推定を、スピードと正確さを向上させることで支援し、古代史の理解を進めることができるかもしれない。 歴史学者は、古代文明の歴史を解明するため、今日まで残っている素材(石、陶器、金属など)に過去の人々が直接記した碑文の研究をしている。しかし、数多くの碑文は、何世紀にもわたって損傷し、今では判読不能状態にあり、作成年代もはっきりしない。碑文研究の専門家であるエピグラファーは、欠落した文章を復元できるが、彼らの伝統的な方法は非常に複雑で膨大な時間を必要とする。 今回、Yannis AssaelとThea Sommerschi

                                                          考古学:人工知能を利用した碑文の復元 | Nature | Nature Portfolio
                                                        • 107年前に沈没した「エンデュアランス号」、南極の海底3000メートルで発見 - BBCニュース

                                                          20世紀初頭にイギリスの南極探検隊が乗り込むも、途中で難破・沈没した極地船「エンデュアランス号」が、水深3000メートルの海底で発見された。

                                                            107年前に沈没した「エンデュアランス号」、南極の海底3000メートルで発見 - BBCニュース
                                                          • モンテプラマの巨像、地中海の島に埋もれていた3千年前の巨人たち

                                                            「ボクサー」と呼ばれる像。完璧な同心円をした目とT字形の眉と鼻は、サルデーニャ島の巨像の特徴だ。カリアリ国立考古学博物館にて。(PAUL WILIAMS/ALAMY/ACI) 1974年の春、地中海に浮かぶイタリアのサルデーニャ島で畑を耕していた農夫たちが、作業の手を止めた。どうやら大きな岩に突き当たったらしい。でもそれは岩ではなく石像の頭部だった。この遭遇は、地中海の鉄器時代に関する重要な発見となった。(参考記事:「食べてみたい世界のパン8選、文化と歴史も」) 石灰岩でできた頭部は、サルデーニャ島の西岸にある肥沃な土地モンテプラマで発掘された。その後、考古学者らが数十年かけて数千点の破片を収集し、数十体の巨大な石像を復元した。 石灰岩から彫り出されたモンテプラマの巨像には、高さ2メートルほどのものもある。顔は三角形で、眉と鼻はT字になっているなど、定型化された顔立ちが特徴だ。まず目につく

                                                              モンテプラマの巨像、地中海の島に埋もれていた3千年前の巨人たち
                                                            • 4000年前のスウェーデンの女性の顔をリアルに復元、百年前に発掘

                                                              女性は約4000年前、現在のスウェーデン北東部に住んでいた。復元考古学のパイオニア、オスカー・ニルソン氏が彼女の姿をよみがえらせた。(PHOTOGRAPH BY OSCAR NILLSON) スウェーデン北東部の森にある石造りの墓に、4000年もの間、一人の女性が誰にも邪魔されずに眠っていた。生前は、動物たちを追って森の中やインダル川沿いを移動していたのだろう。30代で原因不明の死を遂げた彼女は、息子かもしれない7歳前後の男の子と一緒に埋葬されていた。 数千年前の顔を工作用粘土で丹念に復元する考古学者のオスカー・ニルソン氏が、スウェーデンのベステルノールランド博物館の学芸員から相談を受けたのは2020年のこと。博物館は、100年前にラグマンセーレンと呼ばれる集落から発掘された、石器時代の2体の遺骨を所有していた。 3Dプリンターで作製された頭蓋骨のレプリカ。工作用粘土で顔の筋肉を表現してい

                                                                4000年前のスウェーデンの女性の顔をリアルに復元、百年前に発掘
                                                              • 古代都市に雑種のラクダ存在か、ハトラ遺跡から証拠見つかる イラク

                                                                古代都市ハトラに雑種のラクダを描いたとみられる彫刻が見つかった/Antiquity Publications Ltd/Aliph-ISMEO project at Hatra (CNN) イラク北部の古代都市ハトラに雑種のラクダが存在していたことを示す証拠が、遺跡内のアラート神殿で修復作業を行っていた考古学者によって発見された。研究の詳細結果は考古学の学術誌「アンティクイティ」に発表された。 アラート神殿は紀元2世紀に建てられ、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されているハトラ遺跡にある。かつてハトラは広大な都市で、神殿は中心地として機能していた。ハトラ遺跡は2015年から17年にかけて、過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」によって破壊されたが、神殿はそれ以前も、何十年にもわたり放置されていた。 研究者らは神殿の修復作業を行っている最中、扉の上にあるフリー

                                                                  古代都市に雑種のラクダ存在か、ハトラ遺跡から証拠見つかる イラク
                                                                • 先史時代の津波の犠牲者はどこに? 法医学の応用で考古学に光明

                                                                  約5000年前、現在の南米チリのアタカマ砂漠沿岸に、太平洋の冷たい水で溺れた1人の漁師が打ち上がった。漁師の身に何が起こったのか。地質学者や人類学者らが、法医学を応用して解き明かそうとしている。 チリ北部の海岸で発見された古代の人骨が、溺死者を特定する現代の法医学の手法を用いて分析された。遺骨の持ち主は漁師で、5000年前の太平洋で溺れた可能性が高いことがわかった。(ALAMY) 現在、溺死診断の際に用いられる「珪藻(けいそう)検査」は、溺死者の体に何が起きるかを根拠としている。溺れたときに吸い込んだ水は、肺を破り、骨や骨髄を通る毛細血管まで、瀕死(ひんし)状態の体内を駆け巡る。(参考記事:「珪藻、顕微鏡の描く世界2013」) 珪藻はシリカの殻に覆われた微細な藻類で、海や川や湖などのあらゆる水中に生息する植物プランクトンの仲間だ。法医学者は溺死診断にあたって、死体の骨髄を調べ、珪藻を探す。

                                                                    先史時代の津波の犠牲者はどこに? 法医学の応用で考古学に光明
                                                                  • ”仁徳天皇の墓”とされる『大山古墳』...しかし出土品や没年などから「仁徳天皇の墓ではない」と専門家の間で論争が 一体誰の墓なのか? | 特集 | MBSニュース

                                                                    "仁徳天皇の墓"とされる『大山古墳』...しかし出土品や没年などから「仁徳天皇の墓ではない」と専門家の間で論争が 一体誰の墓なのか? 世界遺産にも登録された大阪府堺市にある「大山古墳」は、『仁徳天皇陵』として仁徳天皇の墓だと学校でも教えられています。しかし、専門家の間では「仁徳天皇の墓ではないのではないか」と論争が起きています。では一体誰があの巨大な前方後円墳に眠っているのでしょうか。 “仁徳天皇の墓”とされる日本最大の前方後円墳『大山古墳』 去年11月、普段は立ち入り禁止の場所にカメラが入りました。日本最大の前方後円墳である大阪府堺市の「大山古墳(仁徳天皇陵)」です。 天皇の墓として管理する宮内庁が「古墳の保全工事に向けて堤の遺物を調べるため」として堺市と発掘調査を行ったのです。 その結果、前方後円墳を囲む堤の内側から今回、初めて「円筒埴輪列」が見つかりました。築造時は堤の両側に埴輪列が

                                                                      ”仁徳天皇の墓”とされる『大山古墳』...しかし出土品や没年などから「仁徳天皇の墓ではない」と専門家の間で論争が 一体誰の墓なのか? | 特集 | MBSニュース
                                                                    • ツタンカーメンの墓から発掘の短剣 隕石から作られた贈り物か | NHK

                                                                      古代エジプトの王、ツタンカーメンの墓から発掘された鉄の短剣を分析したところ、隕石から作られて、別の国から贈られた物だった可能性が高いと、千葉工業大学の研究グループが公表し、鉄器の歴史を知る貴重な成果だとしています。 古代エジプトの王、ツタンカーメンの墓からは鉄製の短剣が発見されていて、イタリアのグループが隕石の鉄から作られていることを確認していますが、短剣の詳しい由来などは分かっていませんでした。 千葉工業大学の松井孝典学長などの研究グループは、可搬型の分析装置を使ってこの短剣の元素を詳しく調べたところ、つかに使われていた接着材の成分は、現在のトルコ付近にあったミタンニという国の周辺で使われていた接着剤の成分と特徴が似ていることが分かったということです。 また、エジプトの古い記述には、ミタンニからツタンカーメンの祖父に鉄剣が贈られたという記録があることから、この短剣は贈り物であった可能性が

                                                                        ツタンカーメンの墓から発掘の短剣 隕石から作られた贈り物か | NHK
                                                                      • 8500年前の建造物発見、UAEで最古 新石器時代の集落か

                                                                        8500年前の建造物がUAEで見つかった。同国で知られるものとしては最古となる/Department of Culture and Tourism - Abu Dhabi (CNN) アラブ首長国連邦(UAE)の考古学者らが、これまで知られている中では同国史上最古となる、少なくとも8500年前にさかのぼる建造物を発掘した。アブダビ文化観光局の報道発表によれば、同国における最も古い建造物の記録を500年あまり上回るという。 首都アブダビの西方沖に位置する島で発見されたこの建造物は、「シンプルな円形の部屋」からなる構造で、石造りの壁は最大でほぼ1メートルの高さを維持している。 発掘チームは声明で、構造物は「小さな集団の住居だった可能性が高い。集団は1年を通して島で暮らしたかもしれない」と説明する。 またこの発見は、長距離の海上交易ルートが発展する以前の新石器時代に集落があったことを示すものであ

                                                                          8500年前の建造物発見、UAEで最古 新石器時代の集落か
                                                                        • 猫はいつ日本にやってきた? その「出会い」を探りに記者が旅した:朝日新聞デジタル

                                                                          ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                            猫はいつ日本にやってきた? その「出会い」を探りに記者が旅した:朝日新聞デジタル
                                                                          • ツタンカーメン王の鉄剣、隕石を低温で鍛造か 千葉工大が化学分析:朝日新聞デジタル

                                                                            ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                              ツタンカーメン王の鉄剣、隕石を低温で鍛造か 千葉工大が化学分析:朝日新聞デジタル
                                                                            • ツタンカーメンの鉄剣の製造方法と起源の特定に成功

                                                                              千葉工業大学地球学研究センター及び惑星探査研究センター所長の松井孝典率いる研究チームが、エジプト考古学博物館において、ポータブル蛍光X線分析装置を用いてツタンカーメンの鉄剣の非破壊・非接触での化学分析を行った結果、鉄剣が低温鍛造により製造されたこと、エジプト国外から持ち込まれた可能性があることを明らかにしました。 この研究成果は、2月11日付の米国科学雑誌「Meteoritics and Planetary Science」電子版に掲載されました。 <概要> 古代オリエント世界で栄えたヒッタイト帝国(紀元前1200~1400年)は、鉄の製造技術を独占することで軍事的優勢を得たとされている。それ以前には、世界にはまだ鉄の製造技術はなかったと考えられている一方で、エジプトのツタンカーメン王(紀元前1361年~1352年)の墓から、鉄剣が発見されたことは大きな謎であった。この謎を解き明かすため、

                                                                                ツタンカーメンの鉄剣の製造方法と起源の特定に成功
                                                                              • 「ストーンヘンジの世界」展 大英博物館

                                                                                英イングランド南部にある古代遺跡「ストーンヘンジ」(2022年1月19日撮影)。(c)Daniel LEAL / AFP 【2月13日 AFP】考古学者のサラ・グリーニー(Sarah Greaney)氏は、英イングランド南西部のソールズベリー平原(Salisbury Plain)に昇る太陽を眺めながら、古代遺跡「ストーンヘンジ(Stonehenge)」を造った人々の姿を思い浮かべた。 この巨大な環状列石を英国各地や欧州大陸から集まった人々が設置して、約4500年がたつ。 「建造したのは農民で、作物を育てながら家畜を飼っていました。年の変わり目は生活の中で重要な意味を持っていたはずです」。歴史的建造物の保全機関「イングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage)」に所属するグリーニー氏はAFPにこう語った。 ストーンヘンジは、夏至と冬至の太陽の出没方位に合わせて石が門のように配置

                                                                                  「ストーンヘンジの世界」展 大英博物館
                                                                                • 古代エジプト民が残した「メモ帳」を大量発見! 書かれていた内容とは? - ナゾロジー

                                                                                  エジプト北部にあるアスリビス(Athribis)遺跡で、過去最大規模となる古代エジプトの”メモ帳”が大量発見されました。 これは「オストラコン」と呼ばれる、陶器のかけらに文字を書いたもので、計1万8000点が回収されています。 発掘調査に当たったテュービンゲン大学(University of Tübingen・独)は、これらの断片から2000年以上前の日常生活が明らかになる、と述べています。 古代エジプトの人々はどんなことをメモしていたのでしょうか? Mehr als 18.000 Tonscherben dokumentieren Leben im alten Ägypten https://uni-tuebingen.de/universitaet/aktuelles-und-publikationen/pressemitteilungen/newsfullview-pressemit

                                                                                    古代エジプト民が残した「メモ帳」を大量発見! 書かれていた内容とは? - ナゾロジー