【読売新聞】 【ワシントン=田島大志】米紙ワシントン・ポストは7日、中国軍のハッカーが不正アクセスにより、日本政府の防衛機密を扱うコンピューターシステムに侵入していたと報じた。米国家安全保障局(NSA)が2020年秋に発見し、日本政
はじめに:『日本国紀』が触れたがらない歴史の真実とは何か?(冒頭イラスト:筆者。下手くそですみません) 幻冬舎の社長と作家の津原泰水さんのトラブルが発端となって、再びあの『日本国紀』がメディアに注目されるようになりました。著者の百田尚樹氏によるこの書籍についての説明を、珍しいことに朝日新聞が載せたりもしています。 私は『日本国紀』に対していろいろな面で批判的なのですが、このnoteでは、『日本国紀』の内容の誤りや流用などの問題よりも、むしろ、「『日本国紀』が何について書いていないか」という問題について幾度も簡単に触れてきました。 ・百田尚樹『日本国紀』のホンネは“戦後改悪史観”をばらまくこと? ・『日本国紀』が隠蔽する不都合な真実! ・百田尚樹『日本国紀』で北方領土問題がまるで無かったような扱いに なっている件 『日本国紀』は、日本の近現代史上の多くの重要な出来事について、なぜか無視して、
発足直後の世論調査で6~7割超の支持を得た菅義偉内閣。行政改革やデジタル庁など重要案件が待つ今、なぜわざわざ、日本学術会議の新会員候補名簿から6人を除外して決裁するという批判を浴びるまねをしたのか。目的と手段の点で整合的ではなく見え、政治分析の玄人筋も首をひねる事態となった。 少し回り道をしよう。今の大学は、高校生向けの出張講義に熱心だ。先日、ある県立高の2年生に向けたオンライン講義で、歴史学は何をする学問かについて話をした。まず、英国の歴史哲学者コリングウッドの定義では、こう説明される。「歴史の闇に埋没した『作者の問い』を発掘すること」だと。換言すれば、歴史上一定の時代に現れたり創られたりした制度・組織・論理が、なぜその時代に現れるのかを考える態度となる。制度や組織を創り出した「作者」の思索の跡をたどるのが歴史学の役割ということになろう。 こう述べた後、一つの問いを考えてもらった。188
6月15日の衆院本会議で、枝野幸男立憲民主党代表が内閣不信任決議案の趣旨説明を行った。否決前提の演説は、実のところ、野党側の所信表明のような役割を果たす。演説を聞いて驚いたのは、幾多の政権構想中の1項目ではあったが、日本学術会議問題で菅義偉首相が任命を拒否した6人を任命し直すと述べた部分である。 早速、昔の友人から連絡が来た。「14万筆超の署名も1000を超える学会声明も、結局何も変えられなかったね。まだこの問題やっていたんだ」。よほど(任命を拒否された一人である)私は打たれ強く見えるのだろう。平気でこう書いてくる。ただ、世の多数派の見方を教えてくれるのは助かる。今回は、昨年10月から現在までの学術会議問題の政治過程をまとめ、友人への答えとしたい。 「行動したのに何も変わらなかった」との嘆きは昔も今もある。だが多くの場合、「何も」の部分の考察不足が問題だ。運動と帰結の因果関係は意外にわかり
伊田チヨ子(いたちよこ) @chiyocooooo73 『ベルと紫太郎』『ジョーのグッドニュース』(角川)『美女も野獣』(comipo)東京150年祭初音ミク衣装デザイン、『懐溜諸屑』(個人出版)ほか沢山。お仕事依頼→ itachiyoko0421♡https://t.co/MnyA4sFYIX へ。詳しいお仕事履歴はnoteにまとまってます! https://t.co/O4qBVCzege 伊田チヨ子(いたちよこ) @chiyocooooo73 【女学生は袴にブーツなのか】 これは【大正時代の女学生は袴にブーツ】という現在の一般的イメージに関しての私の自由研究なので話半分にふーんて聞いて欲しいのですが、【袴にブーツ】が流行っていたのは明治末期〜大正中期あたりまで、それ以降は袴にブーツは廃れている傾向にあるようです。(続) 2019-11-07 14:20:35 伊田チヨ子(いたちよこ)
敗戦からほどない1949年に日本学術会議は設立された。第1回総会において、科学者の戦争協力を反省し、科学こそ文化国家・平和国家の基礎となるとの決意表明がなされたことについては、昨今の報道などにより、かなり世に知られるようになってきた。 ただ、戦争協力のくだりを読むと、わずかだが胸のうずきを覚える。母国が戦争を遂行したのであれば、科学者たる者、協力すること以外に選択肢はあったかとの問いが生ずるからだ。国防への貢献を要請される重責と、自らの基礎研究への情熱と。この葛藤に全く苦しまなかった科学者の姿は想像しにくい。よって、この苦悩と葛藤を二度と招来しないとの決意から、軍事研究を行わないと選択したのは自然なことだったろう。 そのうえで、次に引く仁科芳雄の手紙を読めば、日本の科学者が敗戦時に見た光景がよりリアルに迫ってくる。原子物理学の父・仁科は、43年、理化学研究所に大サイクロトロン(核粒子加速装
ハンドブックとして中村隆英, 伊藤隆 編 『近代日本研究入門』増補版(東京大学出版会、1983)の「研究の手引き」は一通り知っておくと良いです。 ただし、1990年代以降、研究の基礎となる史料の公開状況は大きく変わりました。インターネットが普及してから色々な検索データベースやデジタルアーカイブが利用可能となったからです。長らく、上記研究入門を更新するような包括的な研究ハンドブックが無かったのですが、松沢裕作・高嶋修一『日本近・現代史研究入門』(岩波書店、2022)が出ました。 双方を比較しながら、学問の発展や視点の変化、共通の基盤となっている部分を学んでおくことが重要です。 1.基本事項や事件について調べる場合 辞書・事典として、大部ですが国史大辞典編集委員会『国史大辞典』15巻(吉川弘文館、1979~1996年)、佐藤能丸、宮地正人、桜井良樹編『明治時代史大辞典』全4巻(吉川弘文館、20
春学期講義が終わった。今期は日本史の概論で前近代も担当することになったので、参考にした本をまとめておく(ただし全部ではない)。わかりやすい説明の仕方を求めた結果、ついつい新書や概説が中心になってしまって、本格的な研究書には手が出せなかった。来年度以降さらに精度を高めたい。 ※なお、言い訳がましくなりますが、筆者の専門は明治以降の日本近代の思想史であって、前近代のほうはこれまでなかなか勉強もできておりませんでした。その点でかなり恥ずかしい内容ですが、あれも読んだ方がいいぞというご意見をいただければ幸いと思い、こちらに掲載いたします。 私、毎年こんなこと考えていて、高校日本史の学び直しでもほぼ一年前にこんな記事を書いているので良かったらあわせてご覧ください。 高校日本史の学び直しに向けて今何ができるだろう - みちくさのみち 授業で扱うので、通史に関しては、できるだけ平易な説明のものを参考にし
先日紹介した 三光神社 の真田幸村像と抜け穴跡がある所から石段を上がって行くと、真田山陸軍墓地がある。 三光神社そばの石段を上がって行くと真田山陸軍墓地 真田山陸軍墓地 説明板 真田山陸軍墓地 説明板(文字起こし) 本墓地は1869年(明治2年)から1870年にかけて我国陸軍の中枢機関が次々と大阪に創設されたことに伴って、1871年(明治4年)に日本に最初に設置された陸軍墓地で、現在の面積は約15,090平方メートルであります。このような陸軍墓地は戦前、全国で80箇所以上つくられましたが、それらの中で最も大きな規模を持つ真田山陸軍墓地は終戦当時の景観をよく残していると言われています。終戦に伴い1945年(昭和20年)12月陸軍省が廃止され、大蔵省の所管する国有財産となりましたが、1946年(昭和21年)8月に大蔵省との国有財産無償貸付契約により、貸付を受けた大阪市が管理をし今日に至っていま
『近代出版研究』創刊号(皓星社発売)が大成功した近代出版研究所長小林昌樹君の「宗教と図書館の近代史」が、昨年2月から3月まで『佛教タイムス』に連載された。内容は、「小林 昌樹 (Masaki KOBAYASHI) - マイポータル - researchmap」の「MISC」で見ることができる。第7回は、「草の根的な寺院立図書館」である。そこでは、大正10年岡山に設立された「笠岡図書館」(浄土宗智光寺住職椋梨了我)と「中津図書館」(天台宗願興寺住職渡辺憲朝)が紹介され、「同様の例は他県でも多くあったはずだが、歴史の闇に埋もれている」としている。 ここに、臨川書店の古書バーゲンセールで入手した松田章一『暁烏敏 世と共に世を超えん』(北國新聞社、平成10年3月)がある。石川県松任町の明達寺住職だった暁烏が戦前に蔵書「香草文庫」を利用して計画した図書館に関する記載が下巻にある。 収集した書籍が四万
はじめに 前回の記事は意外と好評をいただいたようです。1人でも多くの人の読んでいただきたいと思って無料公開記事にしているのですが、サポートとして買い上げいただいた方も何人もいらっしゃいました。厚く御礼申し上げます。 今回は、前回の記事で書き足りなかったことを多少補足したいと思います。補足ですので前回よりは簡潔になりますが、ご承知おき下さい。 1 内閣制度のことが書いてありませんが・・・? 『日本国紀』の明治時代の部分では、1889年に大日本帝国憲法が発布され翌年に帝国議会が始まったことについては当然、説明しています。 ところが、これより前に行われた、もう一つの重要な政治体制改革については、まったく触れていません。歴史の本としてはあり得ないミスです。 それは何かというと、内閣制度の創設です(1885年)。 日本の初代の内閣総理大臣は、伊藤博文です。これは結構知られていることですが、『日本国紀
本リストは、私、長尾が2023年度に「雑誌から日本の近代史を見る」という授業資料に添付した参考文献リストを元とし、その一部内容を修正したものです。聴講者は1、2年生向けの入門講義でした。 見返すとなかなか不十分な点が多々あって気になりますが、近代日本の活字メディア史に興味があるけれどどこから手を付けたらよいだろうという人への案内になればと思い、公開してみます(放送や映画は全く触れられていません、あしからず)。 さらに知りたいという人はそれぞれの本の注記や参考文献一覧を参照してもらうのがよいです。 なお少々古い記事(10年以上前!!)となりますが、関連して以下のようなものも書いております。よろしければ、あわせてご覧ください。 negadaikon.hatenablog.com negadaikon.hatenablog.com 講義内容に直接に関わるものとして 長尾宗典「雑誌研究と図書館:歴
来月3日の憲法記念日を前に憲法改正問題を考える。 3月29日、立憲民主党の小西洋之参院議員が、衆院憲法審査会の「毎週開催は憲法のことなんか考えていないサルがやることだ」と発言した。この「サル発言」は与野党を問わず強く批判されただけでなく、思いがけず改憲問題への関心を呼び起こした。 憲法審査会は改憲に関する審議をする国会の常設機関である。おそらくこの「サル発言」によって、国民の多くは、国会議員が毎週、改憲問題を議論していると知ったのではないか。 あるいは昨年の参院選後の岸田文雄首相の発言を想起するかもしれない。与野党を問わず改憲勢力は、衆院だけでなく参院でも、改憲発議に必要となる3分の2を上回る議席を得た。この選挙結果を踏まえて、岸田首相は改憲について「できる限り早く発議に至る取り組みを進めていく」、安倍晋三元首相の「改憲の思いを受け継ぐ」と発言した。
JR桜木町駅前から地上40mを進む都市型ロープウェー「ヨコハマ・エア・キャビン」が開業しました。上空から見る赤レンガ倉庫などベイエリアの景色は格別ですが、ここはあえて、眼下に伸びる「廃線跡」を眺めつつ、歴史をたどって見ましょう。 全長630mの「歴史の空中散歩」 JR桜木町駅前から、大岡川河口近くの海をひとまたぎして「新港」と呼ばれるエリアに向かうロープウェー「ヨコハマ・エア・キャビン」が2021年4月22日(木)に開業しました。その距離はわずか630mほどですが、年間4万隻以上の船が発着する横浜港を地上40mの高さから一望できるため、通常の交通機関というよりも一種のアトラクションに近く、カップルや家族連れにとって「空中散歩」できる体験は、思い出深いよい機会になるでしょう。 このロープウェーのもう一つの楽しみ方として、「あえて下を見る」ことを提案します。ロープウェーのほぼ真下の海上を斜めに
新型コロナ禍に加え、憂鬱の種が尽きないこのご時世に、さえた夜空を見上げるのは一興だ。6日未明、地球へ戻る「はやぶさ2」のカプセルがオーストラリア上空を火球となって飛ぶのを同時中継で見たのは至福の時だった。いっぽうの地上世界では12日、防衛省が三菱重工業と契約している次期戦闘機開発で、ロッキード社の技術支援を受けるとの報道がなされた。 かたや小惑星探査機、かたやF2戦闘機の後継機だが、両者には意外にも共通点がある。第一に、両者ともに科学・技術の結晶だという点。第二に、長期的に巨額の予算を費消する大型計画である点だ。ただ、「はやぶさ2」計画と戦闘機開発には、当然のことながら大きな違いがある。計画に着手する前、学術的見地と一般的社会的見地の双方から、計画の社会的正当性について、審査・評価を受けたかどうかだ。
昭和-平成-令和と、半世紀以上を生きてきました。 高校、大学生のころまでは、携帯電話など持てる人は特別な人だけでした。 友達との連絡も家の固定電話しかなく、親の目を盗んで長電話をしていたことを思い出します。 「一旦外にでれば誰とも繋がれない状況」となり、今の人には信じられないような不便さと隣り合わせの毎日でした。 30代になって初めて携帯電話を持てたことで生活は大きく変わったのですが、それ以上の衝撃は、インターネットからの情報が得られるようになったことによるものでした。 それまで情報格差は大きなものでした。一般庶民の子供にとって、生まれ育った家庭間での「親の情報網の格差」を埋めるためには、図書館で本を借りて読むことくらいしかできませんでしたが、当然ながら十分なものではありませんでした。 それが現在は、誰もがその気になれば、自分の求める情報にアクセスできる時代となったのです。 これは本当に隔
新型ウイルスの宿主であるヒトがまず街角から消え、ガンジスの水は澄み、公園の新緑も輝きを増した。だが国境で画された社会に生きる人の心は、不安と悩ましさで一杯になっている。 3月末、非常事態宣言が東京で出されるとのうわさが駆け巡った頃、ニューヨークの惨状が2週間後の東京だとする言説も現れた。韓国のPCR(遺伝子)検査数や台湾のITを駆使したマスク供給術を称(たた)え、日本の国力衰退を嘆く話法も定番となった。このような見方に対し、韓国や台湾との制度(徴兵制や住民登録証)的差異を確認しつつ、人口10万人当たりの死者数が極めて低く抑えられている日本の現状を指摘するのは、強い精神力を必要とする。不安と理性の間で考えを巡らせば、神なき国の近代化を進めた日本、そこに住む人々は、自国や自国民に対する確固とした評価軸を持たずに来てしまったのではないかとの疑念にたどり着く。ならば、揺るぎない自らの評価軸を手に入
今日8月15日は、戦争終結の詔書が放送されてから75年にあたる。ウイルスによるパンデミックが世界を覆い、感染予防対策と社会経済活動の両立に世界が苦しむ中での特別な夏となった。 感染が拡大した国々では、PCR検査の規模と目的をめぐる議論、個人の自由と権利の制限をめぐる議論が国を二分して闘われている。注目すべきは、並行して過去の歴史の見直しが急速に進んだことだ。「黒人の命は大事だ」運動の発祥地米国での勢いが顕著である。プリンストン大は、元学長で元大統領のウィルソンを人種差別主義者だとして、公共政策・国際関係学部に冠していた彼の名を削除すると決定した。 コロナ禍を契機に、国家への国民の信頼は揺らぎ、国家と国民の間の信託や社会契約が途切れた、と感じた人は多かったのではないか。国家と国民の関係が大きく変容する時、人は過去の歴史を振り返る。そして、どこで間違ったのか、その地点を探そうとするのは自然なこ
三淵嘉子が生きた時代 三淵嘉子の生まれた大正3年(1914)は、第一次世界大戦勃発の年です。続く第二次世界大戦後は、男女平等が宣言され、さまざまな分野に女性が進出。男性圧倒的優位の世の中で、女性の自立の先駆けとなるべく奮闘します。やがて高度経済成長期を迎え、豊かになった反面、少年事件の増加が問題視されるようになりました。 三淵嘉子の生涯と主な出来事 三淵嘉子は、大正3年(1914)11月に生まれ、昭和59年(1984)に没しました。その生涯を主な出来事とともに辿ってみましょう。 父の思想に影響を受け法学の道を志す 三淵嘉子は、大正3年(1914)、台湾銀行勤務の武藤貞夫とノブの長女としてシンガポールに生まれます。貞夫は東京帝国大学(現・東京大学)を卒業後、台湾銀行のシンガポール支店、ニューヨーク支店を経て、大正9年(1920)には東京支店勤務となり、一家は渋谷区で暮らすこととなりました。
12月30 荒木田岳『村の日本近代史』(ちくま新書) 9点 カテゴリ:歴史・宗教9点 なんとなく我々は、鎌倉時代以降に成立した自治的な組織である惣村が、人々の共同体として江戸時代に受け継がれ、それが明治期に行政単位として再編されていったというイメージを持っています。江戸時代には共同体としての「自然村」のようなものがあったと想定されがちです。 しかし、本書ではそうした自然村は一種の幻想であり、村というのはあくまでも支配のための「容器」であったと主張します。そして、そのことを証明するためにあくまでの支配者の目線に立ちながら、太閤検地以降の村の変遷を追っていくのです。 このように書くとなかなか硬そうな内容ですし、実際に硬い本なのですが、全体を通して非常に刺激的な議論が行われています。 私たちは権力者が制度を制定すれば、その通りに物事が運ぶと考えがちですが、そうはならなかった部分を丁寧に見ていくこ
1. 『いだてん』の枠組みを知ろう 2. 第1関門 - 2人の古今亭志ん生 a. 先ずはビートたけし演じる古今亭志ん生が、どの時代を生きているかを把握しよう。 b. 次に森山未來演ずる美濃部孝蔵(古今亭志ん生の若い頃の名前)はどの時代を生きているか。 3. 第2関門 - ナレーターは3人いる。 4. 見どころ - 近代史 5. 見どころ2 - 時計の針 ← 予想 1. 『いだてん』の枠組みを知ろう 左:前編の主人公 金栗四三・右:後編の主人公 田畑政治 NHK大河ドラマ『いだてん〜オリムピック噺〜』(以降『いだてん』)では、 初めて夏季オリンピックに参加した1912年のストックホルム大会から、1936年のベルリン大会を経て、1964年の東京大会開催までの52年間が描かれる。← (//_//) 半世紀だよ〜 この半世紀の物語は前後編に分かれている。 前編が第1話〜第27話まで。 主人公である
首相官邸のホームページをお気に入りに登録して毎日見ている方はまれだろう。6月7日政府は、世論の多くが求めていた、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(以下、専門家会議と略)の議事録作成を行わず、発言者を明記した議事概要のみで対応すると発表した。そうなるとかえって、官邸のページに載っている専門家会議の議事概要と資料を毎朝確認しに行きたくもなる。 政府は専門家会議を、行政文書管理ガイドラインが規定する「政策の決定又(また)は了解を行わない会議等」に当たるとの理由で、発言者とその発言内容を速記録から起こした議事録を不要とした。だが4月7日、政府が発した緊急事態宣言の科学的根拠を提供したのは専門家会議であり、また国と都道府県による国民生活全般への厳しい活動制限指針に正当性を与えたのも専門家会議の知見であった。まして政府は、今回の新型コロナをめ…
「ムー」1989年4月号の表紙。 近代化、すなわち合理化と中央集権化はナショナリズムと紐づくと同時に、そこから弾かれるものを生み出す。例えば被差別者や社会主義、そして怪談や怪異、超常現象である。 こうした視点に基づき、日清・日露戦争(1894~95年・1904~05年)と日中・太平洋戦争(1937~45年)に参戦したとされる妖怪変化(!)に関する世間話や目撃談、はたまた爬虫類人レプティリアンによる世界支配を唱えるマルクス主義的陰謀論などについて論じた怪異怪談研究会監修、茂木謙之介/小松史生子/副田賢二/松下浩幸編著『〈怪異〉とナショナリズム』(青弓社)が刊行された。 そこで、同書に「“オカルト天皇(制)”論序説 一九八〇年代雑誌「ムー」の分析から」という80年代の「ムー」(学習研究社)における天皇表象についての論考を寄せた東北大学大学院文学研究科の茂木謙之介准教授に訊いた。「東日流外三郡史
ISBN: 9784326248506 発売⽇: 2019/10/19 サイズ: 20cm/365,9p 天皇と軍隊の近代史 [著]加藤陽子 世間では「過去は変わらないのだから、歴史は暗記ものだ」という印象が強い。受験勉強の名残だろうか。しかし歴史学界では新しい研究成果が不断に生み出され、通説は日々塗り替えられていく。作家や評論家がしたり顔で語る史論が、学界ではとっくの昔に否定された説に依拠していることも珍しくない。 近代史においては、歴史像が更新されていくスピードが特に速い。司馬遼太郎の『坂の上の雲』や『この国のかたち』で理解が止まっている人が本書を読んだら驚くだろう。 たとえば日清戦争については、当時外相だった陸奥宗光の戦後に発表された回顧録『蹇蹇録(けんけんろく)』に引きずられて、日本側が意図的に戦争に持ち込んだとかつては考えられてきた。だが近年の研究では、清国に対する強硬な外交姿勢
名古屋出入国在留管理局内の収容施設で今年3月、スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった。亡くなるまでの映像の一部を視聴した妹のワユミさんが、今月12日に報道陣を前に声を震わせつつ述べた言葉は、実に重いものだった。「このビデオはすべての人に大事です」「ここには人道が全くありません」 豊かなはずのこの国で、すべての人間は尊厳を持つという大前提を公務員である職員が共有していなかった。入管局長以下4人に訓告等の処分が下ったが、彼らに「罪」の意識はあったのだろうか。 こう書いたのは既視感を持ったからだ。丸山真男が敗戦直後に書いた論文「超国家主義の論理と心理」に次のくだりがある。捕虜虐待に関する裁判記録を読んで奇妙に感じた、と。被告らが異口同音に捕虜の待遇改善に努力していたと供述した点だ。むろん刑を軽くするための詭弁(きべん)はあろう。だが丸山は被告らの主観を前提に考察した。「待遇を改善す
安倍晋三元首相の国葬をめぐって、賛否が割れている。7月19日発表のNHKの世論調査によれば、「評価する」49%に対して、「評価しない」38%だった。7月12日の葬儀は、会場周辺やひつぎを乗せた車が通る沿道で多くの人々が見送りに集まった。そのような状況のなかでも、「評価する」は半数にとどまった。同30、31日の共同通信の世論調査によれば、「賛成」(「どちらかといえば」含む)45・1%、「反対」(同)53・3%と「反対」が過半数に達した。時間の経過とともに、国葬に反対する意見が多くなる傾向である。 反対意見の増加の背景に、政治家(なかでも安倍元首相を含む自民党の政治家)と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との不明朗な関係の顕在化があったことは、いうまでもないだろう。
『「中国」という捏造 歴史・民族・領土・領海はいかにして創り上げられたか』(ビル・ヘイトン 著/小谷まさ代 訳)草思社 ショッキングなタイトルである。各章の題名も「『中国』の捏造」、「『主権』の捏造」、「『漢民族』の捏造」、「『中国史』の捏造」、「『中華民族』の捏造」、「『中国語』の捏造」、「『領土』の捏造」、「『領海』の捏造」と並ぶ。ただし英語原題はThe Invention of China、章題もすべてinventionであり、より穏やかに訳せば「チャイナという国の創製」だろう。英国の歴史家ホブズボウムとレンジャーの共編になるThe Invention of Tradition(邦題は『創られた伝統』)を意識したのかもしれない。 私たちがふだん意識せずに使う「中国」は、もともと国名ではなかった。たしかに中国ということばはあったが、それは普通名詞として「世界の中央にある国」の意味であり
過日の石油コンビナート計画は、もし出来ていたら沼津の税収は潤沢で、住民の市税も軽減され、市の公共施設も立派なものが揃ったことでしょう。人口も現在より、大幅に増えていたかもしれません。しかし、牛臥海岸には巨大火力発電所が鎮座し、その煤煙に沼津市内は悩んでいたかもしれません。静浦から江浦辺りは、巨大タンカーの接岸に伴い、ほぼ漁業は絶えたことでしょう。コンビナートの貯油タンクや精製所が出来る予定の三島市中郷や清水町辺りは、巨大な敷地で囲まれた、住宅空白地帯が生まれたことでしょう。 ここで、忘れてはならないのが、環境へ与える公害だけでなく、巨大施設により景観が一変してただろうと云うことです。例えば、今、牛臥公園からは富士山は見えませんが、江浦方面は淡島辺りまでが見える訳ですが、タンカーの停泊場所などで見えなくなったでしょうし、淡島辺りからは富士がよく見える訳ですが、火力発電で見えるかどうか。三島や
50年に1度の規模の大災害が、語義矛盾ではあるが毎年起こるようになった。以前の梅雨は、酷暑の夏を前にして静かに雨が降る心休まる季節だった。活発なまま停滞する梅雨前線の異常さにおびえつつ、昔の人の天災への向き合い方などに思いを巡らせた。 鎌倉幕府第三代将軍の源実朝は、「金槐和歌集」の詠み手としても知られる。その一首「時により すぐれば 民の嘆きなり 八大竜王 雨やめ給へ」をご存じだろうか。1211(建暦元)年7月の洪水に際して詠まれたと詞書(ことばがき)にはある。だが、この時期の和歌を研究する渡部泰明東京大教授によれば、この年に洪水の記録はないという。ならばこの歌はなぜ詠まれたのか。 実朝はこの頃、中国の帝王学の書「貞観政要」を読んでいた。そこで知った治者としての心得に加え、同時代の順徳天皇が著した有職故実(ゆうそくこじつ)の書「禁秘抄(きんぴしょう)」中の日照りの際の祈りの詞「雨たべ海竜王
秋の楽しみの一つにイグ・ノーベル賞の発表がある。人々を笑わせ、考えさせる研究に授与されるこの賞に、今年も日本の研究が選ばれた。動力学部門での「歩きスマホ」の研究だという。15年連続で日本人が受賞するのは快挙だろう。また、シリコンバレーのノーベル賞といわれるブレークスルー賞の数学部門で望月拓郎京都大教授が、基礎物理学部門で香取秀俊東京大教授が選ばれた。「興味の赴くまま」、「純粋な好奇心から」研究を続けてきた、との2人のコメントもよいものだった。 連想するのは、1995年制定の科学技術基本法が、昨年、25年ぶりに改正されて科学技術・イノベーション基本法となったことだ。これにより、今春から新しい日本の研究開発体制がスタートした。研究費が大幅に増額されたのはよい。だが、増加分の多くは基礎研究ではなく製品・市場に近い開発研究に割り振られ、日本発の「破壊的イノベーション」を起こすべき領域が内閣府内の司
対岸の火事のようでもあった新型肺炎が、日本でもじわじわ広がり始めた。これからどうなっていくのか。本書『感染症の近代史』(山川出版社)は江戸後期から明治にかけて、日本で流行した感染症とその対策についてまとめたものだ。「日本史リブレット」シリーズの一冊。ページは薄いが、中身は濃い。 著者の内海孝さんは1949年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。専攻は日本近代史。東京外国語大学名誉教授。 榎本武揚を思い出す 幕末から明治へ――その劇的な政権交代と社会の変化は通常、政治史、社会史として扱われる。本書はそれを医療史、とりわけ「感染症」という視点から見直したものだ。先行書をもとに、多彩なエピソード、データを積み重ねながら、「攘夷」を叫んでいた幕末の日本がなぜ開国・欧化へと舵を切ったか、その伏流を明かしている。 同じような問題意識が感じられた本に、BOOKウォッチで紹介した『近代日本一五〇
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